『チョッちゃん』(2025年4月7日の週)2025-04-13

2025年4月13日 當山日出夫

『チョッちゃん』(2025年4月7日の週)

この週は、主に女学校でのこと。この時代(ドラマの設定は、昭和二年である)の北海道の女学校の雰囲気というのは、こんなものだったろうかと、感じさせる作り方であった。まだ、このドラマの放送された時代であれば、戦前の女学校のことなどを憶えている人たちが、かなりいた時代であったこともあるだろう。

竹久夢二や、蕗谷虹児などの、女性の絵に夢中になる、というのは、この時代ならではのことであろう。まだ、ラジオの放送が始まったばかりで、北海道の田舎の(といっていいだろうが)の女学校の生徒にとっては、東京のことは、はるかむこうの憧れの地であったといえるだろうか。

それよりも、現実的なのは、女学校を卒業したらどうするかということで、この時代ならば、結婚するというのが普通の選択肢であったはずである。よほどのことがないかぎりは、職業婦人ということもなかっただろう。特に、蝶子が学んでいるような、女学校においては、そうだったのだろう。

蝶子は、街で出会ったロシア人のパン屋さんと仲よくなって、学校に売りに来てくれるように依頼する。それで、生徒たちは、お昼ご飯にパンを買って食べ、お弁当を残すようになる。

この時代の、女学校としては、どうだっただろうか。校長先生の言うように、全体の秩序をみだすような行為はつつしむべきだということもある。あるいは、神谷先生のように、おおめに見るとこともあったかもしれない(神谷先生は、生徒の自主性を尊重する進歩的な考えの持ち主である)、また、女性の川村先生の言うように、少なくとも寮にいる生徒は、まかないのおばさんに悪いことをしているのだから、誤らなくてはいけない、ということもあるだろう。

それぞれに、言うところはもっともだと感じるところがある。校長先生は旧弊な考え方ではあるが、それなりに理にかなった考え方でもある。校長という立場としては、こうあるべきだろう。

しかし、問題だと思うのは、蝶子にふりまわされることになった、パン屋のおじいさんである。さて、次の週はどうなるだろうか。

2025年4月12日記

『カムカムエヴリバディ』「1993ー1994」「1994ー2001」2025-04-13

2025年4月13日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』 「1993ー1994」「1994ー2001」

岡山でのことが非常に印象に残る。

岡山で、亡き定一の喫茶店が、同じディッパー・マウス・ブルース、として営業している。そこを、るいとジョーがおとずれる。この喫茶店は、こぶりながら昔の定一の店を彷彿とさせるものになっている。ジョーは、昔のことを思い出し、トランペットは無理だが、ピアノを弾いてみようかという気持ちになる。東京にいるトミーが、呼ばれて岡山までやってくる。

八月一五日。雉真の家にいたひなたは、平川唯一の亡霊(?)に出会う。そのころ、るいは、神社の拝殿の前で、稔のこれも亡霊(?)を目にする。そこに、昔、岡山であったいろんな出来事や人物が重ねられている。

この一連の映像と音楽の流れが、実に自然につくってあった。非常にたくみであり、考えてあったことになる。岡山で、安子と稔、るいとジョーのこと、ひなたのこと、英語のこと、おはぎのこと、ラジオ英語講座、様々な思い出が一緒になる。

京都にもどり、ひなたは英語のラジオ講座を聴き始める。そして、るいから、昔のことを聞く。今度は、ひなたも英語講座を、きちんと聴いている。

映画村では、外国人の観光客がやってきても、ひなたが対応できるようになっている。そこに、榊原からの話として、ハリウッドとの共作のことを聞く。

この週は、ざっと以上のようなことであった。

たくみだなと感じたのは、神社の拝殿の前で、るいが稔の姿を見て、お父さんと直感的にさとったことだろう。その前に、昔のシーンで、安子がるいを背負って神社の前でうずくまる場面があり、その流れの延長で、るいの視線の先に稔が立っている、ということになっていた。

普通、このような設定で、故人が登場すると、非常にわざとらしい感じがするものだが、八月一五日の終戦の日の正午のサイレンを合図に、現在と過去が入り交じるというのは、非常に考えてあると感じる。そして、これは、それまでに、終戦の日の甲子園のこととか、それに合わせて黙祷する京都の大月の家族のこととか、きちんと描いてきてあったからだと理解できることでもある。ドラマのなかでのさりげない描写の積み重ねということの意味が重要であることになる。

ただ、一つだけ気になったのは、ひなたが京都で英語の勉強をするとき、昔、稔が使っていた英語辞書を取り出したことである。たしかに、これは、小道具の使い方としては、たくみではある。だが、稔の辞書は、戦前のもので安子に与えたものである。それを、1990年代になって使い続けるのは、どう考えても無理がある。ここは、ひなたが、(いくら勉強ができなかったとはいえ)高校のときに使った英語の辞書ぐらいが、適当かと思う。本当は、新しい辞書を買うべきところではあるが。

このドラマのなかで、ハリウッドとの共作ということが出てきていた。その後、アメリカで作られた時代劇ドラマが最高に高く評価されることになる。しかし、それを、このドラマのなかの時代においても、また、このドラマをNHKが制作した時点においても、誰も予見できなかったことにちがいない。

2025年4月12日記

『あんぱん』「フシアワセさん今日は」2025-04-13

2025年4月13日 當山日出夫

『あんぱん』「「フシアワセさん今日は」

のぶの家では、お父さんが死んでしまい、そのうえさらに祖父がけがをしてしまう。暮らしにこまることになり、内職だけではどうにもならないので、パンを焼いて売ることになる。やむおじさんに頼んでパンを焼いてもらう。はじめはいやだと言っていたが、そうこうしているうちに本格的に窯を作ってパンを焼くことになる。焼けたアンパンは、一個三銭で行商することになるのだが、これがなかなか売れない。

崇は母親においてけぼりにされる。母から葉書が来て、その住所を頼りに高知市内まで歩いて行く。そこには、母の新しい夫と子どもがいる。

しょげて帰る崇を見つけて、のぶと母は、アンパンを崇にあげることになる。アンパンを食べた崇は元気になる。

そして、月日が流れて、のぶが高等女学校に通っている。崇と千尋もおなじように学校に通っている(たぶん、中学校だろうと思うが、この週では説明はなかった。)

印象に残っているのは、やむおじさんが、パンを作るところ。生地をこねて、窯で焼くところまで、かなりリアルに映していた。このドラマでは、(前の『おむすび』にくらべてということもあるが)、人が仕事をするシーンをきちんと描くようである。パンを作る様子、石材店の仕事の様子、お医者さんの診察室の様子、こういうことが説得力があるように描いてあると、ドラマとしての魅力が増すことになる。

ただ、石材店の仕事は、現代ではかなり機械化されているので、昔ながらの作業風景の再現は、かなり難しいところがある。ノミによる手彫りでは、輪郭のくっきりとした文字を墓石に掘ることはできないはずである。

パンを焼くにしても、とりあえず石をつみあげた窯で、そううまく焼けるとは思えないこともないが、ここは、ドラマとして、おいしいパンが焼けたことになっている。

崇は、高知市内まで歩いて行って、歩いて帰ったようである。汽車の駅というのは、そもそもが、街中の便利なところには作らなかったものであるし、また、駅と駅との間隔も長い。東京で、地下鉄の駅の間を歩くのとはわけがちがう。

いろいろと、疑問点がないわけではないのだが、全体として、このドラマは、丁寧に作ってあると感じる。個々の場面の映像としての作り方が、とてもいい。特に、のぶの家のなかの様子とか、崇の部屋の様子とか、家の外からの光による明暗比をうまく使って、コントラストのある、はっきりとした構図で、映像としてある。

さりげない台詞かもしれないが、家からいなくなり高知に行ってしまった崇について、おじさんは、崇を信じて帰るのを待とう、と言っていた。こういうおじさんのもとでなら、崇はきちんと自立した考えを持つ人間に育っていくのだろうと、感じさせるところであった。

おなかをすかせている人にアンパンをあげる。非常に単純なことだが、いろんな意味がこめられる。こういう形の正義を、最後まで描くものであってほしい。

2025年4月12日記