お引っ越し to ニッポン!「from インド」2025-04-17

2025年4月17日 當山日出夫

お引っ越し to ニッポン!「from インド」

テレビの番組表でたまたま見つけたので、録画しておいて見た。これは、面白かった。

日本にやってくる外国人……労働者であったり、留学生であったり、観光客であったり……について、あつかった番組はたくさんあるが、その日本への出発の現地の様子から取材するというのは、とてもいい着眼点だと感じる。この番組のような内容であれば、海外に出稼ぎにいかなければならないインドの貧しい村の人びととか、外国人にたよることになっている日本の競馬の厩務員の仕事とか、シリアスに描くこともできる。そうはしないで、明るい感じて、こういう生き方をしている人がいて、そして、日本で働いて暮らしている、このことを、あたたかみのある視線で描いていた。音楽もポップな感じであった。

インドは、多言語、多民族の国であるが、話していたのは何語なのか分からなかったのが、ちょっともどかしい。民族的、宗教的には、どうなのだろうか。かなり昔風の生活習慣を残している村のようだ。男性と女性は、離れて食事をすることになっている。既婚の女性は、顔をかくしている。履いているのビーチサンダルだが、この村では、履き物をきちんとそろえるという習慣がないらしい。日本だったら、家庭によっては、かなり厳しくしつけられる場合がある。

村のなかを普通に駱駝が荷物ののせて歩いていた。

日本に行くのに、最終的な行き先(これは、北海道の牧場だったが)が、直前まで分からない。送ってきたチケットの情報で、ようやく飛行機の行き先が千歳であることが分かった。日本での常識では、ちょっと考えられない。

ムンバイではたらき、それから、中東に行ってはたらいてきたという。インドでは、英国の殖民地の影響で競馬が行われていることは、そうかなと思うが、中東では厩務員として、どういうところではたらいていたのだろうか。(以前、サウジアラビアでのラクダのレースというのは、テレビで見たことがあるけれど。)

日本の地方競馬の厩務員は、外国人、それもインドからの労働力をあてにしないと成りたたないという。たしかに特殊な専門職であるし、仕事も楽ではないだろう。日本の若者にとって、魅力的な職業とはいいがたいかもしれない。

この番組、作ったのはテムジンであったが、続編に期待したい。

2025年4月2日記

映像の世紀バタフライエフェクト「アウシュビッツの生還者たち」2025-04-17

2025年4月17日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト アウシュビッツの生還者たち

『夜と霧』について一言もふれることがなかったのは、意図的にそう作ったのだろう。だが、この番組を見る若い人のなかには、これを知らない人もいるかと思う。最後の方で、現在のイスラエルのことについては、批判的ではあったが、具体的な言及は避けていた。これも、意図的にこう作ったものであろう。

収容所で生きのびるのに、何か心のささえになるものが必要であった。それは、ダンテの『神曲』の一節であったかもしれないし、音楽であったかもしれない。何か、自分をささえてくれるものが必要であった。宗教、哲学、芸術、こういうものの意味は、あらためて考えるべきことになる。

アンチェル指揮の「我が祖国」は、今でもCDを売っている。(Amazonを見たら品切れになっていたが、番組を見て注文した人がかなりいたのかもしれない。私の書庫を探せば、「我が祖国」のCDはあるはずだが、ノイマン指揮である。)

赦すことで、自分自身が解放されたい、自由になりたい、そのように思う気持ちは、そういうものなのだろうと思う。だからといって、ホロコーストが免罪されることはない。それを発案して命令した人間は、罪からのがれることはできない。(だが、その一方で、実際に、収容所でユダヤ人殺害のために働いていた人びとも、また、何事もない平穏な時代だったら、普通の市民として生活する人たちであったことも、重要なことかと、私は思う。)

2025年4月15日記

英雄たちの選択「シリーズ 昭和のあけぼの (2)高橋是清・昭和恐慌と格闘した男」2025-04-17

2025年4月17日 當山日出夫

英雄たちの選択 シリーズ 昭和のあけぼの (2)高橋是清・昭和恐慌と格闘した男

番組の中ではひとことも出てこなかったが、国債を発行し続けて、それを、日銀が買い続けたのは、アベノミクスになる。それを、歴史を振り返ってみると、高橋是清の財政政策あたりにいきつく。高橋是清の場合は、三年で止めていたのだが。

この回に登場していたのが、飯田泰之と、一ノ瀬俊也。飯田泰之は分かるが、一ノ瀬俊也はいったい何のためにと思って見ていたのだが(軍事史の専門家であるはずだが)、なるほどと思うところはあった。昭和の初めごろの農村の生活(特にその経済事情)と、軍(特に陸軍)の動きは、きわめて密接な関連がある、ということになる。これを総合的に論じられる人というのは、今の日本でどれくらいいるのだろうか(あるいは、いないのか。)

高橋是清という人は、社会の人びとの経済にかんする心理をたくみに読みとっていた、ということになる。あるいは、経済を理解するためには、また、国家の財政をただすためには、経済学の理論だけではだめで、社会の人びとの心理を感じとり、それにどうはたらきかけるか、というものでなければならない……このように考える、政治家であった、ということでいいだろうか。

金解禁、金本位制、ということは、昔、歴史の教科書に出てきたことなので憶えているが、しかし、その当時の経済の実態に即して、どのような影響があり、どううけとめられていたのか、ということについては、ほとんど知らない。井上準之助についても、名前は知っているという程度である。

高橋是清のとった財政政策、時局匡救事業、緊縮財政を否定し、今でいえば公共事業による経済再建策ということになるのだろうが、これが、世界的に見てもかなり早い時期に、この政策がとられていた、ということは興味深い。また、この背景にあるものの考え方として、今でいう自己責任論の考え方にもとづくものであった。一時的なカンフル剤として、公共事業で資金を供給するが、それは、いつまでもつづけるべきものではない。援助にたよるようになってはいけない。地方も、それぞれに、経済的に自立しなければならない。無意味な救済は、間違った安心感を与えてしまう。このように考えていたらしい。

今日では、逆に、自己責任論よりも、富の再配分、弱者救済、という方向で、経済政策を語ることが多くなっている。これも、一つの時代の流れということになる。

高橋是清は、結果としては、軍の暴走……軍事費の拡大……ということを、おさえることができなかった。だが、これを、ただ高橋是清の責任にするということは、無理がある、ということになる。

財政の民主化が重要である。しかし、臨時軍事費特別会計、ということになってしまうと、もはや政府が軍をコントロールすることができなくなる。

ところで、この時代、昭和の初めごろであるが、農村の経済はどうだったのだろうか。極めて疲弊し、娘の身売りも行われた。一方で、都市部においては、かならずしも暗黒の時代であったということはなく、つかの間の平安なくらしを楽しむことができていた。このところの生活の感覚の落差を、もっとも敏感に感じとっていたのが、兵士の多くを地方の農村出身者でしめることになる陸軍の軍人たち(おそらくは、尉官クラスで、日常的に兵士たちに接する軍人たち)という理解でいいだろうか。

磯田道史が少しだけ言っていたことだが、この時代の、政府の収入の内訳はどうなっていたのだろうか。農村が疲弊する、ということは、(小作農の)年貢や税金が納められないということになるはずである。農村の疲弊は、国家財政にとって、どのように影響のあることだったのだろうか。

農村の疲弊はどうしようもないものであった、だからこそ、大陸の満州の新天地に、日本の未来を託すという考え方が生まれてきたのだろうとは思うが。

最後に磯田道史が言っていたが、国家レベルの倫理観、ということは、重要な観点だろう。これを具体的にいうならば、財政政策としてとられたものであっても、これはもらっちゃあいけないお金というものがある、ということである。

国家の財政を考えるとき、一時しのぎで助かるかもしれないが、その先の将来はどうなるのか、未来への責任感と、国民国家の市民としての経済倫理観、こういうことについて、考えなければならない……ということになるだろう。

2024年4月16日記