『チョッちゃん』(2025年4月21日の週)2025-04-27

2025年4月27日 當山日出夫

『チョッちゃん』 2025年4月21日の週

この週で、蝶子は女学校を卒業する。

戦前の地方の高等女学校を舞台にしてドラマを作るということで、このドラマの放送の時代(1987、昭和62年)だと、このように描くことになるのか、と思うところがある。

この時代、1980年代ということは、まだ、戦前の高等女学校を卒業したという女性が数多く世の中に存在した時代である。女性の進学率としては、そう高いものではなかったかもしれないが、しかし、一部のお金持ちの行くところということではなくなっていただろう。

例えば、戦前の北海道の高等女学校を描いた作品というと、私の世代であれば、『若い人』(石坂洋次郎)を思い出す。北海道の港街にある、私立の高等女学校が舞台の小説であるが、ヒロインの江波恵子は、水商売をしている女性の私生児である。ちなみに、この小説をNHKがドラマ化したときに、演じたのが若いときの松阪慶子だった。男性の先生(間崎)が、石坂浩二であった。私が高校生のときのことである。

現代の価値観からすれば、良妻賢母教育を主な教育目的とする、戦前の高等女学校は、いかにも旧弊で古めかしいものになるかもしれない。しかし、そうであっても、その時代においては、普通の女性のハイレベルの高等教育機関であり、先進的な教育観を持った教師たちもいたであろう。この時代のことを、戦前の古い価値観にとらわれていた暗黒の時代のように描くことは、むしろ、むずかしかっただろう。それは、その時代に実際に学生生活をおくった多くの女性たちが視聴者としている時代に、その受けてきた教育を否定することになりかねない。

見ていると、良妻賢母ということは、この時代の価値観として、そういう時代だったとして出てくるのだが、戦前の忠君愛国というような要素は、まったく出てきていない。これは、脚本として、排除して作ったということになるのだろうと思って見ている。こういう部分は、戦後になって、とにかく否定されたことであるから、これはいたしかたないだろう。

女学校のなかの生徒たちの関係、噂話、生徒と教師の関係……まあ、この時代のことを描くとすると、こんなものだったのかなと思う。

強いていえば、もし、現在、同じようなドラマを作るとするならば、女学生どうしの(擬似的な)同性愛関係というようなことが、出てきてもおかしくない。

このドラマを見ていると、戦前の日本のことを思うと同時に、このドラマの作られた昭和の終わりごろの日本のことを、いろいろと思うことになる。

2025年4月26日記

『カムカムエヴリバディ』「2001-2003」「2003-2025」2025-04-27

2025年4月27日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「2001-2003」「2003-2025」

この週に放送のなかで、アニーが安子であることが分かる。偶然としても、そんなことはないだろうと思わないでもない。しかし、このドラマのたくみなところは、アニーが安子であることが、判明していくプロセスが、それなりに自然に描けていることであり、そのプロセスのなかで、これまでの岡山でのいろんなできごとが、思い出されるように作ってあることである。

これまでの経緯を見ると、アニーは、るいとひなたのことを分かっていて、そのままアメリカに帰るつもりだったのだろう。だが、ラジオの番組で、モモケンの「棗黍之丞」の映画のことが話題になったので、そこで、昔、稔と一緒に映画を見たときのことを思いだしてしまう。このとき、回想シーンとして、映画館での安子と稔の場面があってもよかったのかもしれない。だが、それはなかった。これはこれで、うまい作り方だと感じさせる。

これまで何度となくラジオで声だけが聞こえてきていたが、浜村淳の姿が、この最後のラジオ局のスタジオのシーンで、初めて出てきたことになる。

金曜日の放送は、岡山でのジャズのコンサートであった。これは、昔、安子が進駐軍のロバートと一緒にコンサートを聴いた場所であり、ジョーがこっそりと隠れて聴いていた場所でもある。特別な場所を、最後にもってきたということになる。

これまでのいろんな出来事が最後にきて、伏線としてあったことになる。安子がこっそりとラジオの「カムカム」の放送を聴いていたこと。岡山のおはぎのこと。岡山の神社のこと。大阪での安子とるいのこと、などなどである。

ジャズのコンサートの始まりのところで、ピアノを弾いているのは、このドラマの音楽担当の金子隆博であった。朝ドラでは、ときどき、こういう演出をする。記憶に残っているのは、『あまちゃん』とか『ひよっこ』を憶えている。

2025年4月25日記

『あんぱん』「なにをして生きるのか」2025-04-27

2025年4月27日 當山日出夫

『あんぱん』「なにをして生きるのか」

結果として、のぶは女子師範学校に合格し、嵩は高知第一高等学校に不合格となる。ドラマなのだから、別に実際の史実どおりである必要はない。ドラマとして面白ければいい。今までのところ、そう大きな無理があるようには感じない。(前の週には、少し無理かなというところもあったが。)

昭和の戦前の高知の田舎町で生きる、のぶ、嵩、千尋、それからその家族や友人たち、やむおじさん、これらの人物が生きていくもろもろのできごとや感情を、きちんと描いていくことができるなら、これはこれでいいと思う。

ただ、史実として、千尋が戦死し、また、嵩が中国戦線に出征するということについては、はずせないところだろう。

少し気になっていることは、のぶが女子師範学校に進もうとした動機である。今なら、意欲ある女性が進学して、職業婦人(もうこんな言い方はしないけれど)を目指すということは、当たり前のことのようになっている。だが、この時代の高知の田舎町で、女子師範学校に進学するような、積極的な意味がどうにも見出しがたい。たしかに亡くなったお父さんは、これからは女性も男性と同じように活躍する時代になる、と言ってはいた。そのことばにしたがったとしても、少し無理があるように感じる。

姉妹が三人いるなかで、特にのぶがそのような意識が強かった、ということでもない。妹の蘭子は、小学校を終えて、働いている。このあたりが、この時代の普通のあり方だっただろうと思う。

ここで、ことさら、女性であっても男性と対等に職業につくべきだ、と強調することはないところかとも思っている。そうしなくても、時代の流れとして、戦争が始まると、男手が足りなくなって、社会のいろんな場面に女性が労働力として、出ていくことに、結果としてなる。それが、その後、女性の権利拡張の流れになっていく一因であることは、たしかである。

ただ、気になることとしては、この時代に、女子師範学校に進学する、つまりは、小学校(その後、国民学校)の先生になろうという女性は、どういう女性だったのだろうか。その出自、出身階層、というあたりは、どうだったのだろうか。たぶん、教育史の分野では、研究のあるところかと思う。田舎町の石屋の娘、という出自は、十分にありえたことだったのだろうか。

男性の場合は、学歴による、階層上昇ということはあったのだが、女性の場合はむずかしかっただろう。その場合、学費がかからないということで、師範学校などのコースがあったことは確かである。女性の場合には、実際には、玉の輿、という戦略しかなかったということになるだろうか。(学歴メリトクラシーと社会階層、ジェンダー、というような領域の研究になるだろう。)

ところで、鉄道のロケ地はどこなのだろう。鉄道に詳しい人なら分かる場所にちがいないだろう。いくらなんでも、線路を枕にして地面に寝そべってしまうというのは、危険すぎる。よい子はマネをしてはいけません、どころのことではない。

2025年4月26日記