『あんぱん』「海と涙と私と」 ― 2025-05-18
2025年5月18日 當山日出夫
『あんぱん』「海と涙と私と」
このドラマを、高知の田舎町にくらす二つの家族(朝田の家族と柳井の家族)の物語として見ると、これはこれで面白い。朝田の三姉妹の、それぞれの恋心のゆくえをたくみに描いていると感じるところである。海辺で、「椰子の実」を歌うシーンなどは、非常にうまくつくってあったと感じる。のぶと嵩の気持ちのすれちがいも、そうなのかなと思う。
ただ、その一方で、やはりささいなことかもしれないが、気になるところがいくつかある。
以下、批判的な視点から思ったことを書いておく。
のぶたち女生徒が慰問袋を戦地の兵隊さんに送った、その返事が学校にとどいた。戦地からの軍事郵便だから、基本的には葉書であったかと思う。画面に映っていたのを見ると、封書がかなりあった。封書であっても、その内容が問題なければよかったかとも思うが、はたして、実際にこのころ、中国戦線と日本との間の手紙のやりとりはどうだったのだろうか。
当然ながら、葉書にせよ、封書にせよ、検閲が必須である。ここは、検閲済みであることを示すように小道具として用意してあるべきところだっただろう。でなければ、すべて葉書にしておいた方がいいところである。
戦地との郵便はすべて検閲がある時代であった。当たり前のことだから、特にこのようなところまで映像で表現する必要はない、ということなのかもしれない。
しかし、もし史実をなぞってドラマが展開するとなると、この後、嵩は中国戦線に出征し、千尋は海軍にいくことになるだろう。戦場で、軍隊で、何を思うことになるのか、それを内地にいる家族やのぶたちに、手紙で伝えるということになるとしたら、それも、すべて検閲されるものである。どんなことを書いてもいい、ということではない。戦地で何を見て何を思ったのか、その思いを書きたいけれども書けない、ということがあったとするならば……こういうことこそ、このドラマで描くべきことであると思うのだが……昭和12年の時点で、戦地からの葉書や手紙の検閲ということは、きちんと描いておくべきことだったように思える。
番組の制作コストのこともあるのだろうが、女子師範学校で、実際にどのような教育がおこなわれていたのか、ここのところが、空っぽにすぎる。黒井先生が一人登場して、忠君愛国の教育方針を語っているだけであるし、その他には、なぎなたの稽古ぐらいである。戦前の女子師範学校で具体的にどのような教育がおこなわれていたのか、資料がまったくないわけではないだろう。(おそらくは、戦後の新しい大学になって作られた、各地の教育学部や、筑波大学(その前は東京教育大学であった)や広島大学、お茶の水女子大学、奈良女子大学などに、残っている可能性がある。研究もあることだろうから、考証が不可能ということはないだろう。)
ここのところは、もうすこし、たぶんこんなだっただろう、でもいいから教室での実際の授業風景など、考えてみるべきではなかっただろうか。どういう教育をうけて小学校の先生になり、その結果として、小学校でどのような教育をすることになったのか、この流れは重要なことだろう。(これは、後に逆転することになる。そうだからこそ、その価値観の成立の過程はきちんと描いておくべきである。)
時代としては、昭和12年から13年であるから、日中戦争がはじまって、南京陥落ということがあった時をふくむ。しかし、このことは、ドラマのなかでまったく出てきていない。まあ、下手に出すと、思わぬところかクレームがとんでくるということも危惧されるかとも思うが、せっかくラジオがあるのだから、ラジオのニュースぐらいはあってもよかったかとも思う。南京陥落ということで、日本では大喜びをしていた時代があった、ということは描いておくべきこなのではないだろうか。(多くの日本人が、いわゆる南京事件のことを知るのは、後の東京裁判においてである。だからこそ、逆転する正義、ということになると理解している。)
NHKとしては描きたくないことかもしれないが、戦争に勝っているとき……少なくとも多くの国民がそう思っていたとき……このときの、世の中の雰囲気というのは、重要な意味をもってくることになるはずである。
週の最後、黒井先生が、女子師範学校を出て、結婚して……と言っていたが、おそらく、この時代、女子師範学校の教師である女性は、東京女子高等師範学校か、奈良女子高等師範学校、の卒業だろうと思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。これらの学校は、各地の女子師範学校の教員を養成するという目的があったはずだと思っているのだが。
嵩からのぶにあてた手紙が偽名であると、黒井先生は言ったが、これも、この時代であれば、手紙の宛名の筆跡から、その描き手が、男性であるか女性であるかすぐに判別できたはずである。黒井先生ならば、封筒の宛名の文字を見て、「これは男性の書いたものですね」と言えたはずである。こういうことが言えないようなら、女子師範学校で国語を教えるというのはおかしい。
今でいうジェンダー差というのは、書く文字(筆蹟)にもおよぶというのが、(私にとっては)常識的なことである。(私が学生のときに履修して古文書学の講義で、現代のものであっても、その描き手が女性か男性か判別できないといけない、と習ったのを憶えている。これも、みんなワープロをつかうようになって、分からなくなってしまった。日本語と文字との歴史かとも思う。)
繰り返しになるが、東京と高知がすぐに電話でつながる、戦地との手紙も検閲ということが出てこない、こういう状況設定で、この時代を生きた人間の気持ちをどこまで描けるのか、という気がするのである。
2025年5月16日記
『あんぱん』「海と涙と私と」
このドラマを、高知の田舎町にくらす二つの家族(朝田の家族と柳井の家族)の物語として見ると、これはこれで面白い。朝田の三姉妹の、それぞれの恋心のゆくえをたくみに描いていると感じるところである。海辺で、「椰子の実」を歌うシーンなどは、非常にうまくつくってあったと感じる。のぶと嵩の気持ちのすれちがいも、そうなのかなと思う。
ただ、その一方で、やはりささいなことかもしれないが、気になるところがいくつかある。
以下、批判的な視点から思ったことを書いておく。
のぶたち女生徒が慰問袋を戦地の兵隊さんに送った、その返事が学校にとどいた。戦地からの軍事郵便だから、基本的には葉書であったかと思う。画面に映っていたのを見ると、封書がかなりあった。封書であっても、その内容が問題なければよかったかとも思うが、はたして、実際にこのころ、中国戦線と日本との間の手紙のやりとりはどうだったのだろうか。
当然ながら、葉書にせよ、封書にせよ、検閲が必須である。ここは、検閲済みであることを示すように小道具として用意してあるべきところだっただろう。でなければ、すべて葉書にしておいた方がいいところである。
戦地との郵便はすべて検閲がある時代であった。当たり前のことだから、特にこのようなところまで映像で表現する必要はない、ということなのかもしれない。
しかし、もし史実をなぞってドラマが展開するとなると、この後、嵩は中国戦線に出征し、千尋は海軍にいくことになるだろう。戦場で、軍隊で、何を思うことになるのか、それを内地にいる家族やのぶたちに、手紙で伝えるということになるとしたら、それも、すべて検閲されるものである。どんなことを書いてもいい、ということではない。戦地で何を見て何を思ったのか、その思いを書きたいけれども書けない、ということがあったとするならば……こういうことこそ、このドラマで描くべきことであると思うのだが……昭和12年の時点で、戦地からの葉書や手紙の検閲ということは、きちんと描いておくべきことだったように思える。
番組の制作コストのこともあるのだろうが、女子師範学校で、実際にどのような教育がおこなわれていたのか、ここのところが、空っぽにすぎる。黒井先生が一人登場して、忠君愛国の教育方針を語っているだけであるし、その他には、なぎなたの稽古ぐらいである。戦前の女子師範学校で具体的にどのような教育がおこなわれていたのか、資料がまったくないわけではないだろう。(おそらくは、戦後の新しい大学になって作られた、各地の教育学部や、筑波大学(その前は東京教育大学であった)や広島大学、お茶の水女子大学、奈良女子大学などに、残っている可能性がある。研究もあることだろうから、考証が不可能ということはないだろう。)
ここのところは、もうすこし、たぶんこんなだっただろう、でもいいから教室での実際の授業風景など、考えてみるべきではなかっただろうか。どういう教育をうけて小学校の先生になり、その結果として、小学校でどのような教育をすることになったのか、この流れは重要なことだろう。(これは、後に逆転することになる。そうだからこそ、その価値観の成立の過程はきちんと描いておくべきである。)
時代としては、昭和12年から13年であるから、日中戦争がはじまって、南京陥落ということがあった時をふくむ。しかし、このことは、ドラマのなかでまったく出てきていない。まあ、下手に出すと、思わぬところかクレームがとんでくるということも危惧されるかとも思うが、せっかくラジオがあるのだから、ラジオのニュースぐらいはあってもよかったかとも思う。南京陥落ということで、日本では大喜びをしていた時代があった、ということは描いておくべきこなのではないだろうか。(多くの日本人が、いわゆる南京事件のことを知るのは、後の東京裁判においてである。だからこそ、逆転する正義、ということになると理解している。)
NHKとしては描きたくないことかもしれないが、戦争に勝っているとき……少なくとも多くの国民がそう思っていたとき……このときの、世の中の雰囲気というのは、重要な意味をもってくることになるはずである。
週の最後、黒井先生が、女子師範学校を出て、結婚して……と言っていたが、おそらく、この時代、女子師範学校の教師である女性は、東京女子高等師範学校か、奈良女子高等師範学校、の卒業だろうと思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。これらの学校は、各地の女子師範学校の教員を養成するという目的があったはずだと思っているのだが。
嵩からのぶにあてた手紙が偽名であると、黒井先生は言ったが、これも、この時代であれば、手紙の宛名の筆跡から、その描き手が、男性であるか女性であるかすぐに判別できたはずである。黒井先生ならば、封筒の宛名の文字を見て、「これは男性の書いたものですね」と言えたはずである。こういうことが言えないようなら、女子師範学校で国語を教えるというのはおかしい。
今でいうジェンダー差というのは、書く文字(筆蹟)にもおよぶというのが、(私にとっては)常識的なことである。(私が学生のときに履修して古文書学の講義で、現代のものであっても、その描き手が女性か男性か判別できないといけない、と習ったのを憶えている。これも、みんなワープロをつかうようになって、分からなくなってしまった。日本語と文字との歴史かとも思う。)
繰り返しになるが、東京と高知がすぐに電話でつながる、戦地との手紙も検閲ということが出てこない、こういう状況設定で、この時代を生きた人間の気持ちをどこまで描けるのか、という気がするのである。
2025年5月16日記
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