『チョッちゃん』(2025年5月26日の週) ― 2025-06-01
2025年6月1日 當山日出夫
『チョッちゃん』
この週で蝶子は、岩崎要の結婚のもうしこみに、「はい」と言ってしまう。この流れはかなり強引である。
要は蝶子に歌を歌ってみろという。要がピアノを弾き、蝶子が歌う。それを聞いて、声楽家は無理だから、おれの嫁さんになれ、と言う。ここが、今の普通のドラマだったら、声楽家になるために勉強を続けてもいいから、いや、その希望をかなえるように支えるから、結婚しよう、というふうになるところだろう。これは、昭和の戦前の価値観もあるが、このドラマの制作された1980年代では、このような筋書でも視聴者は納得していたということがあるはずである。
今の『あんぱん』では、若松次郎と結婚したのぶは、そのまま小学校の教員を続けている。これは、夫の次郎が船乗りで、家を空けている期間が長いからという理由になっている。昔のドラマだったら、夫の実家で、航海の帰りを待つ妻であり、その家族(夫の父親や母親)と一緒に生活する、ということになっていたところかと思う。『チョッちゃん』と比べて見ると、やはりここ四〇年ぐらいの時の流れを感じる。
要に最初に結婚をもうしこまれたとき、蝶子は、要をたたいてしまう。かなり乱暴な行動であるが、とっさの動作として、こういうこともあったろうし、だからといって蝶子が無分別な女性という印象にはならない。突然のことで、思わず行動に出てしまったということであるが、その意図を、要も理解しかねる。もちろん、蝶子自身も、なぜ自分がそのような行動をとったか理解できないでいる。このあたりがこのドラマの蝶子の魅力かと感じるところである。
要の求婚について、おばさん(富子)は反対する。要が女性にだらしないからというのが理由である。これまでの朝ドラで、こういうタイプの男性と結婚するというのは珍しいかと思う。
蝶子は、まわりの人に相談する。蝶子の週の人たちは、みんな大人である。そのなかで、もっとも冷静な判断をしているのが、神谷先生ということになるだろうか。しかし、自分で決めることだと言われても、自分でどうしていいか分からないから、蝶子は困惑しているのだから、あまり助言としては役にたたなかったことになる。
北海道の幼友達の頼介から手紙が来た。その文字を見ると、その生まれ育った境遇が分かる。まともに学校教育を受けることができなかった、貧しい農家の育ちということが分かる。これに対して、蝶子が手紙を書くシーンがあったが、それを見ると、女学校できちんとした教育を受けた女性であることが分かる。
それから、この時、蝶子はペンにインクをつけて書いていたが、この時代であれば、これが普通だった。その後も、昭和四〇年代ぐらいまで(私が中学生ぐらいまで)、普通に使っていたものである。こういうところも、今の時代に制作するドラマだと、万年筆で書くようになっている。『あんぱん』では万年筆で手紙を書いている。
また、蝶子の書いた文字は、女性の文字である。この時代であれば、ペンで書いてあっても、その筆跡を見れば、女性が書いたものとわかる。そういう時代であったのである。
その他、蚊帳とかはえ叩きとか、その時代においてごく普通にあり、ごく近年まで日常的にあったものが出てきている。これらは、本当に今の生活では目にすることがなくなってしまったものである。ほぼ同じような時代設定で描いている『あんぱん』では、こういう小道具は出てきていない。こういうところにも、時代の流れを観じることになる。
2025年5月31日記
『チョッちゃん』
この週で蝶子は、岩崎要の結婚のもうしこみに、「はい」と言ってしまう。この流れはかなり強引である。
要は蝶子に歌を歌ってみろという。要がピアノを弾き、蝶子が歌う。それを聞いて、声楽家は無理だから、おれの嫁さんになれ、と言う。ここが、今の普通のドラマだったら、声楽家になるために勉強を続けてもいいから、いや、その希望をかなえるように支えるから、結婚しよう、というふうになるところだろう。これは、昭和の戦前の価値観もあるが、このドラマの制作された1980年代では、このような筋書でも視聴者は納得していたということがあるはずである。
今の『あんぱん』では、若松次郎と結婚したのぶは、そのまま小学校の教員を続けている。これは、夫の次郎が船乗りで、家を空けている期間が長いからという理由になっている。昔のドラマだったら、夫の実家で、航海の帰りを待つ妻であり、その家族(夫の父親や母親)と一緒に生活する、ということになっていたところかと思う。『チョッちゃん』と比べて見ると、やはりここ四〇年ぐらいの時の流れを感じる。
要に最初に結婚をもうしこまれたとき、蝶子は、要をたたいてしまう。かなり乱暴な行動であるが、とっさの動作として、こういうこともあったろうし、だからといって蝶子が無分別な女性という印象にはならない。突然のことで、思わず行動に出てしまったということであるが、その意図を、要も理解しかねる。もちろん、蝶子自身も、なぜ自分がそのような行動をとったか理解できないでいる。このあたりがこのドラマの蝶子の魅力かと感じるところである。
要の求婚について、おばさん(富子)は反対する。要が女性にだらしないからというのが理由である。これまでの朝ドラで、こういうタイプの男性と結婚するというのは珍しいかと思う。
蝶子は、まわりの人に相談する。蝶子の週の人たちは、みんな大人である。そのなかで、もっとも冷静な判断をしているのが、神谷先生ということになるだろうか。しかし、自分で決めることだと言われても、自分でどうしていいか分からないから、蝶子は困惑しているのだから、あまり助言としては役にたたなかったことになる。
北海道の幼友達の頼介から手紙が来た。その文字を見ると、その生まれ育った境遇が分かる。まともに学校教育を受けることができなかった、貧しい農家の育ちということが分かる。これに対して、蝶子が手紙を書くシーンがあったが、それを見ると、女学校できちんとした教育を受けた女性であることが分かる。
それから、この時、蝶子はペンにインクをつけて書いていたが、この時代であれば、これが普通だった。その後も、昭和四〇年代ぐらいまで(私が中学生ぐらいまで)、普通に使っていたものである。こういうところも、今の時代に制作するドラマだと、万年筆で書くようになっている。『あんぱん』では万年筆で手紙を書いている。
また、蝶子の書いた文字は、女性の文字である。この時代であれば、ペンで書いてあっても、その筆跡を見れば、女性が書いたものとわかる。そういう時代であったのである。
その他、蚊帳とかはえ叩きとか、その時代においてごく普通にあり、ごく近年まで日常的にあったものが出てきている。これらは、本当に今の生活では目にすることがなくなってしまったものである。ほぼ同じような時代設定で描いている『あんぱん』では、こういう小道具は出てきていない。こういうところにも、時代の流れを観じることになる。
2025年5月31日記
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