「神田川紀行」 ― 2025-06-04
2025年6月4日 當山日出夫
再放送である。2023年の放送。最初は、2016年。
神田川紀行
4Kプレミアムカフェ (1)神田川(2016年)(2)首都高(2015年)
前半は、「発見!体感!大都会 東京を潤す 神田川紀行」である。録画してあった前半の神田川の部分を見て、思ったことなど書いておく。
東京には、大学生になってからしばらく住んでいたのだが、神田川を特に意識したことはなかった。住んでいたのは目黒が多かったので、目黒川の周囲は比較的よく知っている。今では、東京の桜の名所になっている。
ただ、『神田川』の曲は知っていた。これがはやったのは、私が、高校生のときだった。今でも、かぐや姫のCDは、Walkmanに入っている。番組中で、壇蜜が言っていたが、この曲がはやった時代に若いときをすごしている人は、なにがしかこの曲に思い入れがあるものだろう。
出てきていたことは、知っていること、知らなかったこと、いろいろである。
江戸の街、東京の街を、川の視点から見る、ということは、このごろどう考えられていることなのだろうか。江戸、東京の歴史に詳しい人なら、知識のあるところかとも思うのだが、あまりまとまったものとしては馴染みがない。この番組の企画のように、江戸、東京の街を、川の視点から考えるということは、意味のあることだろう。神田川と同じように、江戸川、隅田川、荒川、多摩川、いろいろと考えることはあるはずである。
水の無いところに人間は住めない。飲料水をはじめとする生活のための水。それから、物資の運搬のため、水運としての川や運河が重宝されることもある。
神田上水や玉川上水は、明治になるまで実際に使われてきていたはずだし、それが、その後、どのようになっていったか、興味のあるところである。調べれば、研究はあると思うのだが、もう今では面倒になってきているので、なんとなくそう思っているだけのことである。
江戸時代に江戸の街に住んでいた人たちは、飲料水をどうやって入手していたのだろうか。下町のあたりは、もとは埋め立て地であるから、井戸を掘って地下水を使うということはなかったはずである。
いろいろと出てきていたなかで、特に気になったのは、江戸更紗と、中野新橋。
江戸から近代の東京において、地場産業としての染め物業ということも興味深いが、人びとはいったいどんな着物を着ていたのだろうか。「色彩にもまた近代の解放があった」と、柳田国男は『明治大正史 世相編』の冒頭で書いているが、いったい実際にはどんな色彩の風景を歴史的に思い描けばいいのだろうか。最近、古い写真をAI技術でカラー化することが、流行って(?)いるのだが、これで、近世から近代、そして、現代までの、街の人びとの色彩の世界を再構築することが、どこまで可能だろうか。
中野新橋が、つい近年まで花街であった。人びとの「遊び」のスタイルも大きく変化したということである。かつてのような芸者さんとお座敷で遊ぶというような感覚は、もう廃れていく一方かと思う。まったく無くなるということはないかとも思うが。
これが、関東大震災の結果、下町界隈に住んでいた人たちが、新しく仕事の場所を求めて、東京のなかで移動してのことであった、ということが重要かと思う。関東大震災というと、その災害のこと、それから、流言飛語と朝鮮人の殺害のことが、大きく取りあげられる。先年の、関東大震災100年のときが、そうだった。あるいは、後藤新平の考えた新しい東京の復興計画が実現しなかったことがある。私の思うところ、これらと同時に考えべきこととして、灰燼に帰した下町地域に住んでいた人びとが、もとのところにもどったのか、もどった場合どんな生活をしたのか、あるいは、他の地域に移り住んで仕事をすることになったのか……生活の地域と人びとの流れがどうであったのか、ということである。
神田川の歴史をたどると、江戸から東京への歴史を見ることができる。水という視点から見た歴史を考えることの意味がある。
2025年5月23日記
再放送である。2023年の放送。最初は、2016年。
神田川紀行
4Kプレミアムカフェ (1)神田川(2016年)(2)首都高(2015年)
前半は、「発見!体感!大都会 東京を潤す 神田川紀行」である。録画してあった前半の神田川の部分を見て、思ったことなど書いておく。
東京には、大学生になってからしばらく住んでいたのだが、神田川を特に意識したことはなかった。住んでいたのは目黒が多かったので、目黒川の周囲は比較的よく知っている。今では、東京の桜の名所になっている。
ただ、『神田川』の曲は知っていた。これがはやったのは、私が、高校生のときだった。今でも、かぐや姫のCDは、Walkmanに入っている。番組中で、壇蜜が言っていたが、この曲がはやった時代に若いときをすごしている人は、なにがしかこの曲に思い入れがあるものだろう。
出てきていたことは、知っていること、知らなかったこと、いろいろである。
江戸の街、東京の街を、川の視点から見る、ということは、このごろどう考えられていることなのだろうか。江戸、東京の歴史に詳しい人なら、知識のあるところかとも思うのだが、あまりまとまったものとしては馴染みがない。この番組の企画のように、江戸、東京の街を、川の視点から考えるということは、意味のあることだろう。神田川と同じように、江戸川、隅田川、荒川、多摩川、いろいろと考えることはあるはずである。
水の無いところに人間は住めない。飲料水をはじめとする生活のための水。それから、物資の運搬のため、水運としての川や運河が重宝されることもある。
神田上水や玉川上水は、明治になるまで実際に使われてきていたはずだし、それが、その後、どのようになっていったか、興味のあるところである。調べれば、研究はあると思うのだが、もう今では面倒になってきているので、なんとなくそう思っているだけのことである。
江戸時代に江戸の街に住んでいた人たちは、飲料水をどうやって入手していたのだろうか。下町のあたりは、もとは埋め立て地であるから、井戸を掘って地下水を使うということはなかったはずである。
いろいろと出てきていたなかで、特に気になったのは、江戸更紗と、中野新橋。
江戸から近代の東京において、地場産業としての染め物業ということも興味深いが、人びとはいったいどんな着物を着ていたのだろうか。「色彩にもまた近代の解放があった」と、柳田国男は『明治大正史 世相編』の冒頭で書いているが、いったい実際にはどんな色彩の風景を歴史的に思い描けばいいのだろうか。最近、古い写真をAI技術でカラー化することが、流行って(?)いるのだが、これで、近世から近代、そして、現代までの、街の人びとの色彩の世界を再構築することが、どこまで可能だろうか。
中野新橋が、つい近年まで花街であった。人びとの「遊び」のスタイルも大きく変化したということである。かつてのような芸者さんとお座敷で遊ぶというような感覚は、もう廃れていく一方かと思う。まったく無くなるということはないかとも思うが。
これが、関東大震災の結果、下町界隈に住んでいた人たちが、新しく仕事の場所を求めて、東京のなかで移動してのことであった、ということが重要かと思う。関東大震災というと、その災害のこと、それから、流言飛語と朝鮮人の殺害のことが、大きく取りあげられる。先年の、関東大震災100年のときが、そうだった。あるいは、後藤新平の考えた新しい東京の復興計画が実現しなかったことがある。私の思うところ、これらと同時に考えべきこととして、灰燼に帰した下町地域に住んでいた人びとが、もとのところにもどったのか、もどった場合どんな生活をしたのか、あるいは、他の地域に移り住んで仕事をすることになったのか……生活の地域と人びとの流れがどうであったのか、ということである。
神田川の歴史をたどると、江戸から東京への歴史を見ることができる。水という視点から見た歴史を考えることの意味がある。
2025年5月23日記
ブラタモリ「宮古島・悠久の楽園▼青く美しい海でウミガメ遭遇!泥の奇祭の謎」 ― 2025-06-04
2025年6月4日 當山日出夫
ブラタモリ 宮古島・悠久の楽園▼青く美しい海でウミガメ遭遇!泥の奇祭の謎
宮古島の三回目である。
断層で島が別れている。非常に狭い海峡(?)ということになるが、自然環境としてどんな生きものがいることになるのか、興味がある。船をたたいたり、指笛をならしたりして、ウミガメがやってくるというのにはおどろく。ウミガメが、その音に反応していたということなのだろう。このあたりのことは、生物学の専門家の話を聞きたいところである。
泥をつけるお祭りも面白いが、たまたまこの地域が、泥岩層の部分になっていて、泥があり、水があり、稲作が可能であった。具体的には、どんなふうにして育てていたのだろうか。
アラフ遺跡を、無土器の遺跡として紹介してあった。土器が無くて、どうやって食べ物を調理したかということで、石を焼いてその熱をつかってバナナの葉につつんだ魚を焼くということだったが、たぶん、そういうこともあっただろうとは思うが、今一つ学術的な信憑性に欠けるという印象がある。だが、先島地域において、古代に無土器文明があったことは確かなことであり、問題は、その生活をしていた人びとは、どこからやってきたのか、また、その後、琉球諸島や日本本土にやってきた人びととの関係はどうなのか、ということになる。最近の話しとしては、古代の日本人はどこから来たのか、という問題となる。
ともあれ、食糧と真水のあるところに人間は住んできた、という意味では、貴重な遺跡であり、土器を必ずしも必要としない生活もあるということである。土器を使わない生活というのは、おそらく世界の各地にあるだろうと思う。民族学などの研究分野である。
どうでもいいことだが、「貝斧」を「かいふ」と読むらしいが、ちょっと抵抗がある。音は「バイ」なので、私なら「バイフ」と読みたいところである。
2025年6月1日記
ブラタモリ 宮古島・悠久の楽園▼青く美しい海でウミガメ遭遇!泥の奇祭の謎
宮古島の三回目である。
断層で島が別れている。非常に狭い海峡(?)ということになるが、自然環境としてどんな生きものがいることになるのか、興味がある。船をたたいたり、指笛をならしたりして、ウミガメがやってくるというのにはおどろく。ウミガメが、その音に反応していたということなのだろう。このあたりのことは、生物学の専門家の話を聞きたいところである。
泥をつけるお祭りも面白いが、たまたまこの地域が、泥岩層の部分になっていて、泥があり、水があり、稲作が可能であった。具体的には、どんなふうにして育てていたのだろうか。
アラフ遺跡を、無土器の遺跡として紹介してあった。土器が無くて、どうやって食べ物を調理したかということで、石を焼いてその熱をつかってバナナの葉につつんだ魚を焼くということだったが、たぶん、そういうこともあっただろうとは思うが、今一つ学術的な信憑性に欠けるという印象がある。だが、先島地域において、古代に無土器文明があったことは確かなことであり、問題は、その生活をしていた人びとは、どこからやってきたのか、また、その後、琉球諸島や日本本土にやってきた人びととの関係はどうなのか、ということになる。最近の話しとしては、古代の日本人はどこから来たのか、という問題となる。
ともあれ、食糧と真水のあるところに人間は住んできた、という意味では、貴重な遺跡であり、土器を必ずしも必要としない生活もあるということである。土器を使わない生活というのは、おそらく世界の各地にあるだろうと思う。民族学などの研究分野である。
どうでもいいことだが、「貝斧」を「かいふ」と読むらしいが、ちょっと抵抗がある。音は「バイ」なので、私なら「バイフ」と読みたいところである。
2025年6月1日記
ETV特集「“断らない病院”のリアル」 ― 2025-06-04
2025年6月4日 當山日出夫
ETV特集 “断らない病院”のリアル
医療のことを考えるときに、医師や看護師はじめ多くの医療関係の従事者の働き方、ということは避けてとおることのできないことである。特に、これからの日本の社会は、人口は減少傾向にあり、同時に、高齢者は増える、また、地域的な人口のかたよりということも問題になる。
この病院の場合、過疎地にあって人口が減ってどうしようもない……という状況ではない。改善の方向次第では、これらか、まともに経営して、医療機関としての業務をはたせるにちがいない。
だが、その病院の業務、特に、救急医療の現場は、とても大変であることがよく分かる。
おそらく将来的な方向としては、地域全体として他の医療機関との連携をどうやっていくか、ということになるだろう。それは、一つの病院だけの判断でできることではない。国が主導しておこなわなければならないことになる。理念としては、医療資源を集約化して効率的に運用、ということになるだろうが、実現させるためには、かなりハードルの高い仕事になるかと思われる。
番組の意図とはちがうことになるかもしれないが、社会として、医療に完璧を求めすぎてはいけないとも思う。医者も人間である。ある一定の確率でミスはおこりうる。それを少なくする努力は必要であるが、ミスについて、医師の個人や医療機関が、多大の責任を負わなければならないという、今の社会の考え方を変えていくことも必要だと思う。ベストでなくても、標準的な水準の医療が、より多くの人がうけられるようにするにはどうあるべきか、こういう視点から考えなければならないだろう。
2025年6月1日記
ETV特集 “断らない病院”のリアル
医療のことを考えるときに、医師や看護師はじめ多くの医療関係の従事者の働き方、ということは避けてとおることのできないことである。特に、これからの日本の社会は、人口は減少傾向にあり、同時に、高齢者は増える、また、地域的な人口のかたよりということも問題になる。
この病院の場合、過疎地にあって人口が減ってどうしようもない……という状況ではない。改善の方向次第では、これらか、まともに経営して、医療機関としての業務をはたせるにちがいない。
だが、その病院の業務、特に、救急医療の現場は、とても大変であることがよく分かる。
おそらく将来的な方向としては、地域全体として他の医療機関との連携をどうやっていくか、ということになるだろう。それは、一つの病院だけの判断でできることではない。国が主導しておこなわなければならないことになる。理念としては、医療資源を集約化して効率的に運用、ということになるだろうが、実現させるためには、かなりハードルの高い仕事になるかと思われる。
番組の意図とはちがうことになるかもしれないが、社会として、医療に完璧を求めすぎてはいけないとも思う。医者も人間である。ある一定の確率でミスはおこりうる。それを少なくする努力は必要であるが、ミスについて、医師の個人や医療機関が、多大の責任を負わなければならないという、今の社会の考え方を変えていくことも必要だと思う。ベストでなくても、標準的な水準の医療が、より多くの人がうけられるようにするにはどうあるべきか、こういう視点から考えなければならないだろう。
2025年6月1日記
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