よみがえる新日本紀行「羽田ぐらし・初夏-東京-」2025-06-05

2025年6月5日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「羽田ぐらし・初夏-東京-」

再放送である。2022年。オリジナルは、昭和49年(1974)である。

羽田空港の歴史については、近年の拡張、整備、ということについては、知っているのが、昔、どんなふうだったかは、あまり考えたことがなかった。戦前から空港があったが、それを、戦後になって、GHQが摂取した。そのとき、多くの人びと(オリジナルの番組の中では1200人、現代の放送の中では3000人)が、強制的に立ち退かされた。そのときの証言によると、いきなりGHQからの命令で、48時間以内で撤去せよ、ということだった。今から考えれば、むちゃくちゃな話しである。しかし、これがまかりとおっていたのも、占領下の日本の現実ということになる。

私などの感覚だと、日本の戦後で、良かったと思えるのは、1964年の東京オリンピックから、1970年の大阪万博、これぐらいのときだったと思う。これは、やはり、私の年代が感じる郷愁ということなのだろう。

この時代は、日本の社会、普通の人びとのくらしが大きく変化した時代でもあった。新しい都市型の生活様式がひろがっていく一方で、古くからの生活がまだ残っていた。

羽田が、漁村であったことなど、もう今ではほとんどの人が忘れてしまったことにちがいない。その名残なのだろうが、現代の番組の中で、街中の魚屋さんが出てきていた。これは、今でも営業しているのだろうか。このような街中の魚屋さんというのも、めっきり少なくなってしまったものである。

赤煉瓦の堤防のわきの神社のお祭り。舞台があって、踊りを踊っていた。あるいは、お芝居だったかとも思う。こんな祭りの風景も、もう過去のものになってしまっている。

オリジナルのなかで、ハガチー、佐藤総理訪米、と言っていたが、これらは、もう歴史の中のできごとになってしまっている。子どもたちがリヤカーに乗って遊ぶような光景も、もう過去のものだろう。子守唄がとても印象にのこる。検索してみたが、この歌は出てこなかった。

2025年5月28日記

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