ドキュメント20min.「My Sweet Home,Gaza」2025-06-06

2025年6月6日 當山日出夫

ドキュメント20min. My Sweet Home,Gaza

「ドキュメント20min.」はこれまで主に、NHKの地方局の制作で、斬新なアイデアでドキュメンタリー番組のこころみをいろいろとためす、という趣旨でやってきたかと思っているのだが、この回は、ちょっと違うようである。

NHKの本体(?)で作った、ごく普通のドキュメンタリーになっている。手法の新しさということは感じない。また、視点の置き方としても、ガザに居住している人の視点から見る、ということは、特に目新しいということではない。いや、むしろ、ごく普通である。

それに、見ていると、以前に何かの番組で使ってあった映像を使い回している。イスラエルの攻撃で破壊された建物のがれきのなかから、息子の遺体の一部を探す父親の姿は、見たと憶えている。(まあ、ガザという場所のことを考えれば、この番組のために新しく取材のカメラが入ったということではないだろうから、こういうことがあってもいいとは思うが。)

この番組で、いったい何を、さらに新しく言いたかったのだろうかと、その意図が分からない。無論、ガザへの攻撃がおわり、人びとに平和な生活が回復することは、誰しもが望むことだと思うので、このこと自体に異論があるということではない。ただ、だからといって、この「ドキュメント20min.」という番組の枠をつかって、こういう番組を作る意味はいったい何だったのだろうか。

ガザに住む人びとにとって、そこが故郷であるということは確かだろう。だが、一部のパレスチナの人びとが主張するように(ハマスなどをふくめてということになるだろうが)、この世の中からイスラエルとユダヤ人を抹殺してしまえばいい、ということになると、すでにイスラエルを故郷と思っている人びとのことを、どう考えるべきかということになる。

トランプ大統領の言ったことは暴言ではあるが、しかし、それを100%額面通りにうけとって、どうのこうのというのは、あまり現実的で賢明な考え方とはいえない。(せいぜい、パレスチナ問題については、アメリカはイスラエルよりの立場をこれからもつらぬくことにするという意志表明と理解するぐらいであろう。まあ、これが心底気に食わないという人もいるだろうが。)

2025年6月5日記

時をかけるテレビ「NHK特集 わが沖縄-具志堅用高とその一族-」2025-06-06

2025年6月6日 當山日出夫

時をかけるテレビ NHK特集 わが沖縄-具志堅用高とその一族-

最初の放送は、1979年(昭和54年)。

具志堅用高は、私と同じ年の生まれである。同じ時代を生きてきたということになる。1974年は、私は、東京で大学生だった。

見ていて一番印象に残ったのは、具志堅用高の祖父の用高が、若いときに軍隊にはいって、銃剣が強かったと自慢する場面。今だったら、こんなシーンは、絶対に放送しないだろう。昔、日本軍で兵隊だったときの自慢話など、もし仮にそういう体験をした人がいたとしても、表面的には無かったことにされるだろう。放送されるとするならば、辛い苦しい悲しい思いをしたということばかりなるだろう。沖縄の人は、平和を愛する人なのであって、軍隊は拒否するというのが、ある種のステレオタイプとして、沖縄を語るときの定番になっている。

だが、沖縄=戦争=基地=平和、というような結びつきが、沖縄を語るときに定着していったのは、やはり本土復帰後のさまざまな歴史の流れのなかにあってのことであると思う。

沖縄の人びとの一族の結びつきは強固なものがあることは、なるほどそういうものなのかと思う。これも、今の時代では変化してきていることにちがいない。

プロのボクシングをやっている理由が、単純にお金のためである、というのも、率直にそのとおりなのだろうと思う。(強いていえば、その背景には、沖縄の貧しさということもあるかとも思うのだが。)

沖縄から多くの移民が渡って行ったことは知っていることなのだが、南洋のパラオなどに多くの人びとが行ったことになる。(サイパン、テニヤン、パラオ、など、太平洋の島に、どんな人が渡って行って、どういう暮らしをしていたのか、冷静に語ることがあっていいと思う。現在だと、まだ、帝国日本の植民地主義ということをまず言わなければ、話しが始まらない、という雰囲気がある。そういう歴史があったことは事実として、もとから現地にいた人びとをふくめて、どんな生活があったのか、それはその後にどうなったのか、ということは気になるところである。今時のことばでいえば、総合的な生活誌を知りたい。)

私の関心として興味深かったのは、系図に書かれた文字。太平洋戦争の激戦のなかでも、系図だけは残そうとした。その文字を見ると、いわゆる中国的な書風である。日本で使われていた実用的な書風ではない。これは、沖縄の人びとが、中国の影響を強く受けるところがあったことによるものなのだろうと思って見ていたことになる。

2025年6月3日記

BS世界のドキュメンタリー「ハルマゲドンを待ち望んで 米国政治を動かす“福音派”」2025-06-06

2025年6月6日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「ハルマゲドンを待ち望んで 米国政治を動かす“福音派”」

ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、フィンランド、2023年の制作。

この番組を作った国の名前を見ると、私の知識としては、プロテスタントのちからがつよい国である。こういう情報は、このような番組を見るときに重要なことだと思うのだが、NHKの番組のHPでは、カットされている。

それにしても、これほどまでに、アメリカの福音派のことを悪く描かなくてもいいのにと、結果的に、番組で否定的に描かれた人びとに同情してしまう。いや、これぐらいのことは、宗教的な対立が当たり前のヨーロッパでは、たいしたことはないことなのかもしれない。それならそれで、欧米の社会における宗教対立の根深さを感じることになる。

キリスト教福音派が、アメリカの政治に影響力を持っていることは、周知のことだと私は思っている。だからといって、彼らが、すぐに世界を破滅においこむような戦争が起きることを望んでいる、と結論づけるのは、私などの感覚からすると、非常に短絡的であり、アメリカの政治はそこまで馬鹿ではないだろうと思う。

2001年以降のテロとの戦い、について、アメリカがそれを、十字軍になぞらえたことは確かである。しかし、だからといって、この世の中からイスラムの人びとを根絶さえてしまえとまで思ったわけではないだろう。

アメリカとイスラエルの結びつきは特殊なものがあることは確かであるが、一方で、アメリカにおいてユダヤ人というべき人びとは、いわゆるリベラルのなかにも多数いるはずである。福音派=共和党=イスラエル=トランプ、という図式で語りたいのだろうが、実際はもっと複雑なものがあるだろう。

こういう番組を見て思うこととしては……福音派は馬鹿であり、その陰謀にだまされてはいけない……ということを言いたいのかとも思うが、このような発想自体が、また陰謀論である。私としては、福音派を、こうまで否定的に見ることのできる人たちの方が、本当に大丈夫なのかと心配になるぐらいである。

それから、アメリカの軍隊・軍人の信仰のことが出てきていたが、これは、日本においても、自衛隊員などの信仰について、(無論、信教の自由はまもったうえで)どうあるべきかという議論がきちんとなされるべきだと、私は思う。

なお、終末思想、世界の終わりが迫っている、自分たちは何をすべきか……という考え方は人を引きつけるものがある。特に、この番組でとりあげていた福音派だけのことだけではなく、現代社会における地球環境問題、あるいは、AI開発の根底にあるものの考えかた、これらのなかにも潜んでいると感じるところがある。

2025年6月3日記