時をかけるテレビ「NHK特集 わが沖縄-具志堅用高とその一族-」2025-06-06

2025年6月6日 當山日出夫

時をかけるテレビ NHK特集 わが沖縄-具志堅用高とその一族-

最初の放送は、1979年(昭和54年)。

具志堅用高は、私と同じ年の生まれである。同じ時代を生きてきたということになる。1974年は、私は、東京で大学生だった。

見ていて一番印象に残ったのは、具志堅用高の祖父の用高が、若いときに軍隊にはいって、銃剣が強かったと自慢する場面。今だったら、こんなシーンは、絶対に放送しないだろう。昔、日本軍で兵隊だったときの自慢話など、もし仮にそういう体験をした人がいたとしても、表面的には無かったことにされるだろう。放送されるとするならば、辛い苦しい悲しい思いをしたということばかりなるだろう。沖縄の人は、平和を愛する人なのであって、軍隊は拒否するというのが、ある種のステレオタイプとして、沖縄を語るときの定番になっている。

だが、沖縄=戦争=基地=平和、というような結びつきが、沖縄を語るときに定着していったのは、やはり本土復帰後のさまざまな歴史の流れのなかにあってのことであると思う。

沖縄の人びとの一族の結びつきは強固なものがあることは、なるほどそういうものなのかと思う。これも、今の時代では変化してきていることにちがいない。

プロのボクシングをやっている理由が、単純にお金のためである、というのも、率直にそのとおりなのだろうと思う。(強いていえば、その背景には、沖縄の貧しさということもあるかとも思うのだが。)

沖縄から多くの移民が渡って行ったことは知っていることなのだが、南洋のパラオなどに多くの人びとが行ったことになる。(サイパン、テニヤン、パラオ、など、太平洋の島に、どんな人が渡って行って、どういう暮らしをしていたのか、冷静に語ることがあっていいと思う。現在だと、まだ、帝国日本の植民地主義ということをまず言わなければ、話しが始まらない、という雰囲気がある。そういう歴史があったことは事実として、もとから現地にいた人びとをふくめて、どんな生活があったのか、それはその後にどうなったのか、ということは気になるところである。今時のことばでいえば、総合的な生活誌を知りたい。)

私の関心として興味深かったのは、系図に書かれた文字。太平洋戦争の激戦のなかでも、系図だけは残そうとした。その文字を見ると、いわゆる中国的な書風である。日本で使われていた実用的な書風ではない。これは、沖縄の人びとが、中国の影響を強く受けるところがあったことによるものなのだろうと思って見ていたことになる。

2025年6月3日記

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