サイエンスZERO「変幻自在に大活躍! 進化する素材 ゲル」 ― 2025-06-11
2025年6月11日 當山日出夫
サイエンスZERO 変幻自在に大活躍! 進化する素材 ゲル
こういう研究は面白いだろうなあ、と思って見ていた。
ゲルという名前は知っているのだが、それが、新しい素材として大きな可能性があることは、興味深い。特に、医療用の素材としては、これからの応用に期待ができそうである。
面白いと思ったのは、熱を加えると固くなるという性質。普通は、加熱すると柔らかくなるものが多いはずだが、いったいどういう理由なのだろうか。
サイエンスとしては、まだゲルがどんな性質を持っているかは未解明なところが多くあるようなのだが、テクノロジーとしては、非常に魅力的な新しい素材として、さまざまな応用が考えられそうである。
2025年6月9日記
サイエンスZERO 変幻自在に大活躍! 進化する素材 ゲル
こういう研究は面白いだろうなあ、と思って見ていた。
ゲルという名前は知っているのだが、それが、新しい素材として大きな可能性があることは、興味深い。特に、医療用の素材としては、これからの応用に期待ができそうである。
面白いと思ったのは、熱を加えると固くなるという性質。普通は、加熱すると柔らかくなるものが多いはずだが、いったいどういう理由なのだろうか。
サイエンスとしては、まだゲルがどんな性質を持っているかは未解明なところが多くあるようなのだが、テクノロジーとしては、非常に魅力的な新しい素材として、さまざまな応用が考えられそうである。
2025年6月9日記
ドキュメント72時間「多国籍の学生寮 青春の日々に」 ― 2025-06-11
2025年6月11日 當山日出夫
ドキュメント72時間 多国籍の学生寮 青春の日々に
番組の意図としては、多国籍・多文化の学生たちが、非常に仲よく暮らしている、ということを強調して表現したいのだろうと思う。このこと自体が別に悪いことだとは思わないし、いや、積極的にこのようなこころみの番組を作ることはあってもいいと思う。
だが、これまでNHKがつくる、この手の番組……多文化社会のあり方を肯定的に描く……ということについては、あまりにも、無難な題材を選びすぎてきているようにも思う。
立命館アジア太平洋大学の学生寮であるから、年齢的にだいたい同じような若者であり、日本のこの大学で勉強しようとしているだけで、フィルタリングされている。このような学生たちが仲よく暮らしている姿を見せられても、まあ、そんなもんでしょうねえ、という以上のことを思うことはない。
しかし、日本がこれからつきあっていかなければならない、また、現に問題となっていることとしては、さまざまな地域に生活するさまざまな外国人とどうつきあっていけばいいのかということになる。地域によっては、ブラジルからやってきた工場労働者が多く住む地域があったり、ベトナムやネパールなどからの労働者のこともある。
番組の中で出てきた、学生寮のトラブルとしては、ゴミの分別ぐらいであったが、さて、実際にはどうなのだろうかと思う。中には、日本での寮の生活になじめない学生もいるだろうし(これは、日本人・留学生を問わず)、それに対する大学としてのサポート体制はどうなっているのか、ということも気になることである。立命館大学というのは、ある意味で、非常に学生への面倒見のいい大学なので、具体的にどのようにしているのか、興味がある。
今の時代の価値観からすると、性的少数者という人たちのことを考えるならば、大きな風呂場でみんな一緒に(男女は別である)ということだけでは済まないはずであるが、このあたりのことについて、大学はどう対応しているのだろうか。
食べ物についても、イスラム圏から来た学生にどう配慮するのか、地元の食料品店などのことについて知りたいところである。
お互いに理解があれば、多文化共存が可能であるというのは、私にいわせれば幻想である。実際は、逆である。多文化の共生ということについては、その社会全体での公共の基本ルールを守ること、そして、必要以上に相手に干渉しないこと、無関心であること、これをふまえたうえでの理解ということになると、私は考えている。
この番組についていえば、寮のなかの共有スペースの使い方のルールを守ることと、個々の学生の部屋の中はそれぞれにプライベートな領域であり立ち入ることはないということ、これが基本にあってのことだと思う。そして、学生寮であるから、一定の自治は学生にまかせるとしても、最終的に何か問題があれば、大学としては退学処分ということがありうるということ、このことも暗黙の前提となる了解事項であること、これも重要だろう(こういうことまでは、番組の中で言ってはいなかったが。)
2025年6月8日記
ドキュメント72時間 多国籍の学生寮 青春の日々に
番組の意図としては、多国籍・多文化の学生たちが、非常に仲よく暮らしている、ということを強調して表現したいのだろうと思う。このこと自体が別に悪いことだとは思わないし、いや、積極的にこのようなこころみの番組を作ることはあってもいいと思う。
だが、これまでNHKがつくる、この手の番組……多文化社会のあり方を肯定的に描く……ということについては、あまりにも、無難な題材を選びすぎてきているようにも思う。
立命館アジア太平洋大学の学生寮であるから、年齢的にだいたい同じような若者であり、日本のこの大学で勉強しようとしているだけで、フィルタリングされている。このような学生たちが仲よく暮らしている姿を見せられても、まあ、そんなもんでしょうねえ、という以上のことを思うことはない。
しかし、日本がこれからつきあっていかなければならない、また、現に問題となっていることとしては、さまざまな地域に生活するさまざまな外国人とどうつきあっていけばいいのかということになる。地域によっては、ブラジルからやってきた工場労働者が多く住む地域があったり、ベトナムやネパールなどからの労働者のこともある。
番組の中で出てきた、学生寮のトラブルとしては、ゴミの分別ぐらいであったが、さて、実際にはどうなのだろうかと思う。中には、日本での寮の生活になじめない学生もいるだろうし(これは、日本人・留学生を問わず)、それに対する大学としてのサポート体制はどうなっているのか、ということも気になることである。立命館大学というのは、ある意味で、非常に学生への面倒見のいい大学なので、具体的にどのようにしているのか、興味がある。
今の時代の価値観からすると、性的少数者という人たちのことを考えるならば、大きな風呂場でみんな一緒に(男女は別である)ということだけでは済まないはずであるが、このあたりのことについて、大学はどう対応しているのだろうか。
食べ物についても、イスラム圏から来た学生にどう配慮するのか、地元の食料品店などのことについて知りたいところである。
お互いに理解があれば、多文化共存が可能であるというのは、私にいわせれば幻想である。実際は、逆である。多文化の共生ということについては、その社会全体での公共の基本ルールを守ること、そして、必要以上に相手に干渉しないこと、無関心であること、これをふまえたうえでの理解ということになると、私は考えている。
この番組についていえば、寮のなかの共有スペースの使い方のルールを守ることと、個々の学生の部屋の中はそれぞれにプライベートな領域であり立ち入ることはないということ、これが基本にあってのことだと思う。そして、学生寮であるから、一定の自治は学生にまかせるとしても、最終的に何か問題があれば、大学としては退学処分ということがありうるということ、このことも暗黙の前提となる了解事項であること、これも重要だろう(こういうことまでは、番組の中で言ってはいなかったが。)
2025年6月8日記
映像の世紀バタフライエフェクト「世界を変えた巨大災害」 ― 2025-06-11
2025年6月11日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 世界を変えた巨大災害
自然災害が、ときとしてその国家のみならず、世界の歴史に影響をおよぼすことがある。一般的にいえばこうなることだが、それを、映像記録の残っている近代の巨大災害にしぼって、つなげて番組を作ってある。個々の事例を見ると、なるほどそういうことが背景にあったのかと思うことがある。
なにがしかの教訓を導き出すとするならば、巨大な自然災害にあたって、その当事者である国家が、どう対応するかということが、その国家や政権の命運を左右し、あるいは、その国の人びとの生活の価値観を変えることがある、というぐらいのことはいえそうである。
この意味では、日本であれば、関東大震災があり、1955年の神戸の震災があり、また、2011年の東日本大震災が、大きくとりあげることになる。(自然災害ではないのだが、昭和20年の終戦からGHQによる占領ということも、きわめて大きな影響をあたえたことである。また、2020年からのCOVID-19パンデミックも、まだ検証の出来ることではないが、大きく人びとの意識や社会のあり方を変えることになった出来事として、歴史のなかで語られることだろう。)
見ながら思ったことを、いくつか書いておくと。
キング牧師の、「I have a dream.」という演説のことばが、アドリブであった。(この演説はたびたび「映像の世紀」シリーズで目にする。人間が肌の色で評価されてはならないのはそうなのだが、では、その人格……心の中のこと……で評価されるというのは、はたしていいことなのだろうか。現代社会では、このこともふくめて問題になることだと、私は思う。)
フィリピンのピナツボ火山の噴火の影響で、日本で米の凶作となったことは覚えている。このときの映像で、お店にあった米の値段が、コシヒカリが5キロで3000円を超えていた。3500円ぐらいだっただろうか(録画を見なおせば確認できることなのだが、面倒なのでそのままにしておく。)。さて、実際に、日本で米の価格というのは、どのように推移してきたものなのだろうか。直近の値上がりのことばかりが、大きく報道されるのだが、もうすこし長い期間の変化……エンゲル係数の変化と、その内訳の米のしめる割合の変化、これを見る必要があるだろう。
1955年の神戸の地震のとき、まだ携帯電話が普及していなかったのは記憶している。この時代は、昔のパソコン通信の時代だったので、その範囲内であるが、知っている人の安否情報が流れてきたものである。
この地震のときのことを契機として、日本に住む人びとの価値観が、経済成長を第一にするものからか、本当の豊かさとは何かを考える方向に変わっていった……という意味のことを言っていたが、これは、そのとおりだと思う。ただ、これも、その後いろいろと紆余曲折があることではあるが。
2011年のときは、まだスマートフォンが普及していなかった。だが、Twitterはかなりの人びとが使っていた。この時代だと、パソコンから使っている人が多かったはずである。このときの記憶としては、ソーシャルメディアに多くの人が信頼をよせていて、善意を感じることができた。(だが、それも、現代では、人間の悪意の方を強く感じるようになってきてしまっている。)
2025年6月10日記
映像の世紀バタフライエフェクト 世界を変えた巨大災害
自然災害が、ときとしてその国家のみならず、世界の歴史に影響をおよぼすことがある。一般的にいえばこうなることだが、それを、映像記録の残っている近代の巨大災害にしぼって、つなげて番組を作ってある。個々の事例を見ると、なるほどそういうことが背景にあったのかと思うことがある。
なにがしかの教訓を導き出すとするならば、巨大な自然災害にあたって、その当事者である国家が、どう対応するかということが、その国家や政権の命運を左右し、あるいは、その国の人びとの生活の価値観を変えることがある、というぐらいのことはいえそうである。
この意味では、日本であれば、関東大震災があり、1955年の神戸の震災があり、また、2011年の東日本大震災が、大きくとりあげることになる。(自然災害ではないのだが、昭和20年の終戦からGHQによる占領ということも、きわめて大きな影響をあたえたことである。また、2020年からのCOVID-19パンデミックも、まだ検証の出来ることではないが、大きく人びとの意識や社会のあり方を変えることになった出来事として、歴史のなかで語られることだろう。)
見ながら思ったことを、いくつか書いておくと。
キング牧師の、「I have a dream.」という演説のことばが、アドリブであった。(この演説はたびたび「映像の世紀」シリーズで目にする。人間が肌の色で評価されてはならないのはそうなのだが、では、その人格……心の中のこと……で評価されるというのは、はたしていいことなのだろうか。現代社会では、このこともふくめて問題になることだと、私は思う。)
フィリピンのピナツボ火山の噴火の影響で、日本で米の凶作となったことは覚えている。このときの映像で、お店にあった米の値段が、コシヒカリが5キロで3000円を超えていた。3500円ぐらいだっただろうか(録画を見なおせば確認できることなのだが、面倒なのでそのままにしておく。)。さて、実際に、日本で米の価格というのは、どのように推移してきたものなのだろうか。直近の値上がりのことばかりが、大きく報道されるのだが、もうすこし長い期間の変化……エンゲル係数の変化と、その内訳の米のしめる割合の変化、これを見る必要があるだろう。
1955年の神戸の地震のとき、まだ携帯電話が普及していなかったのは記憶している。この時代は、昔のパソコン通信の時代だったので、その範囲内であるが、知っている人の安否情報が流れてきたものである。
この地震のときのことを契機として、日本に住む人びとの価値観が、経済成長を第一にするものからか、本当の豊かさとは何かを考える方向に変わっていった……という意味のことを言っていたが、これは、そのとおりだと思う。ただ、これも、その後いろいろと紆余曲折があることではあるが。
2011年のときは、まだスマートフォンが普及していなかった。だが、Twitterはかなりの人びとが使っていた。この時代だと、パソコンから使っている人が多かったはずである。このときの記憶としては、ソーシャルメディアに多くの人が信頼をよせていて、善意を感じることができた。(だが、それも、現代では、人間の悪意の方を強く感じるようになってきてしまっている。)
2025年6月10日記
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