ドキュメント72時間「多国籍の学生寮 青春の日々に」2025-06-11

2025年6月11日 當山日出夫

ドキュメント72時間 多国籍の学生寮 青春の日々に

番組の意図としては、多国籍・多文化の学生たちが、非常に仲よく暮らしている、ということを強調して表現したいのだろうと思う。このこと自体が別に悪いことだとは思わないし、いや、積極的にこのようなこころみの番組を作ることはあってもいいと思う。

だが、これまでNHKがつくる、この手の番組……多文化社会のあり方を肯定的に描く……ということについては、あまりにも、無難な題材を選びすぎてきているようにも思う。

立命館アジア太平洋大学の学生寮であるから、年齢的にだいたい同じような若者であり、日本のこの大学で勉強しようとしているだけで、フィルタリングされている。このような学生たちが仲よく暮らしている姿を見せられても、まあ、そんなもんでしょうねえ、という以上のことを思うことはない。

しかし、日本がこれからつきあっていかなければならない、また、現に問題となっていることとしては、さまざまな地域に生活するさまざまな外国人とどうつきあっていけばいいのかということになる。地域によっては、ブラジルからやってきた工場労働者が多く住む地域があったり、ベトナムやネパールなどからの労働者のこともある。

番組の中で出てきた、学生寮のトラブルとしては、ゴミの分別ぐらいであったが、さて、実際にはどうなのだろうかと思う。中には、日本での寮の生活になじめない学生もいるだろうし(これは、日本人・留学生を問わず)、それに対する大学としてのサポート体制はどうなっているのか、ということも気になることである。立命館大学というのは、ある意味で、非常に学生への面倒見のいい大学なので、具体的にどのようにしているのか、興味がある。

今の時代の価値観からすると、性的少数者という人たちのことを考えるならば、大きな風呂場でみんな一緒に(男女は別である)ということだけでは済まないはずであるが、このあたりのことについて、大学はどう対応しているのだろうか。

食べ物についても、イスラム圏から来た学生にどう配慮するのか、地元の食料品店などのことについて知りたいところである。

お互いに理解があれば、多文化共存が可能であるというのは、私にいわせれば幻想である。実際は、逆である。多文化の共生ということについては、その社会全体での公共の基本ルールを守ること、そして、必要以上に相手に干渉しないこと、無関心であること、これをふまえたうえでの理解ということになると、私は考えている。

この番組についていえば、寮のなかの共有スペースの使い方のルールを守ることと、個々の学生の部屋の中はそれぞれにプライベートな領域であり立ち入ることはないということ、これが基本にあってのことだと思う。そして、学生寮であるから、一定の自治は学生にまかせるとしても、最終的に何か問題があれば、大学としては退学処分ということがありうるということ、このことも暗黙の前提となる了解事項であること、これも重要だろう(こういうことまでは、番組の中で言ってはいなかったが。)

2025年6月8日記

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