映像の世紀バタフライエフェクト「世界を変えた巨大災害」 ― 2025-06-11
2025年6月11日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 世界を変えた巨大災害
自然災害が、ときとしてその国家のみならず、世界の歴史に影響をおよぼすことがある。一般的にいえばこうなることだが、それを、映像記録の残っている近代の巨大災害にしぼって、つなげて番組を作ってある。個々の事例を見ると、なるほどそういうことが背景にあったのかと思うことがある。
なにがしかの教訓を導き出すとするならば、巨大な自然災害にあたって、その当事者である国家が、どう対応するかということが、その国家や政権の命運を左右し、あるいは、その国の人びとの生活の価値観を変えることがある、というぐらいのことはいえそうである。
この意味では、日本であれば、関東大震災があり、1955年の神戸の震災があり、また、2011年の東日本大震災が、大きくとりあげることになる。(自然災害ではないのだが、昭和20年の終戦からGHQによる占領ということも、きわめて大きな影響をあたえたことである。また、2020年からのCOVID-19パンデミックも、まだ検証の出来ることではないが、大きく人びとの意識や社会のあり方を変えることになった出来事として、歴史のなかで語られることだろう。)
見ながら思ったことを、いくつか書いておくと。
キング牧師の、「I have a dream.」という演説のことばが、アドリブであった。(この演説はたびたび「映像の世紀」シリーズで目にする。人間が肌の色で評価されてはならないのはそうなのだが、では、その人格……心の中のこと……で評価されるというのは、はたしていいことなのだろうか。現代社会では、このこともふくめて問題になることだと、私は思う。)
フィリピンのピナツボ火山の噴火の影響で、日本で米の凶作となったことは覚えている。このときの映像で、お店にあった米の値段が、コシヒカリが5キロで3000円を超えていた。3500円ぐらいだっただろうか(録画を見なおせば確認できることなのだが、面倒なのでそのままにしておく。)。さて、実際に、日本で米の価格というのは、どのように推移してきたものなのだろうか。直近の値上がりのことばかりが、大きく報道されるのだが、もうすこし長い期間の変化……エンゲル係数の変化と、その内訳の米のしめる割合の変化、これを見る必要があるだろう。
1955年の神戸の地震のとき、まだ携帯電話が普及していなかったのは記憶している。この時代は、昔のパソコン通信の時代だったので、その範囲内であるが、知っている人の安否情報が流れてきたものである。
この地震のときのことを契機として、日本に住む人びとの価値観が、経済成長を第一にするものからか、本当の豊かさとは何かを考える方向に変わっていった……という意味のことを言っていたが、これは、そのとおりだと思う。ただ、これも、その後いろいろと紆余曲折があることではあるが。
2011年のときは、まだスマートフォンが普及していなかった。だが、Twitterはかなりの人びとが使っていた。この時代だと、パソコンから使っている人が多かったはずである。このときの記憶としては、ソーシャルメディアに多くの人が信頼をよせていて、善意を感じることができた。(だが、それも、現代では、人間の悪意の方を強く感じるようになってきてしまっている。)
2025年6月10日記
映像の世紀バタフライエフェクト 世界を変えた巨大災害
自然災害が、ときとしてその国家のみならず、世界の歴史に影響をおよぼすことがある。一般的にいえばこうなることだが、それを、映像記録の残っている近代の巨大災害にしぼって、つなげて番組を作ってある。個々の事例を見ると、なるほどそういうことが背景にあったのかと思うことがある。
なにがしかの教訓を導き出すとするならば、巨大な自然災害にあたって、その当事者である国家が、どう対応するかということが、その国家や政権の命運を左右し、あるいは、その国の人びとの生活の価値観を変えることがある、というぐらいのことはいえそうである。
この意味では、日本であれば、関東大震災があり、1955年の神戸の震災があり、また、2011年の東日本大震災が、大きくとりあげることになる。(自然災害ではないのだが、昭和20年の終戦からGHQによる占領ということも、きわめて大きな影響をあたえたことである。また、2020年からのCOVID-19パンデミックも、まだ検証の出来ることではないが、大きく人びとの意識や社会のあり方を変えることになった出来事として、歴史のなかで語られることだろう。)
見ながら思ったことを、いくつか書いておくと。
キング牧師の、「I have a dream.」という演説のことばが、アドリブであった。(この演説はたびたび「映像の世紀」シリーズで目にする。人間が肌の色で評価されてはならないのはそうなのだが、では、その人格……心の中のこと……で評価されるというのは、はたしていいことなのだろうか。現代社会では、このこともふくめて問題になることだと、私は思う。)
フィリピンのピナツボ火山の噴火の影響で、日本で米の凶作となったことは覚えている。このときの映像で、お店にあった米の値段が、コシヒカリが5キロで3000円を超えていた。3500円ぐらいだっただろうか(録画を見なおせば確認できることなのだが、面倒なのでそのままにしておく。)。さて、実際に、日本で米の価格というのは、どのように推移してきたものなのだろうか。直近の値上がりのことばかりが、大きく報道されるのだが、もうすこし長い期間の変化……エンゲル係数の変化と、その内訳の米のしめる割合の変化、これを見る必要があるだろう。
1955年の神戸の地震のとき、まだ携帯電話が普及していなかったのは記憶している。この時代は、昔のパソコン通信の時代だったので、その範囲内であるが、知っている人の安否情報が流れてきたものである。
この地震のときのことを契機として、日本に住む人びとの価値観が、経済成長を第一にするものからか、本当の豊かさとは何かを考える方向に変わっていった……という意味のことを言っていたが、これは、そのとおりだと思う。ただ、これも、その後いろいろと紆余曲折があることではあるが。
2011年のときは、まだスマートフォンが普及していなかった。だが、Twitterはかなりの人びとが使っていた。この時代だと、パソコンから使っている人が多かったはずである。このときの記憶としては、ソーシャルメディアに多くの人が信頼をよせていて、善意を感じることができた。(だが、それも、現代では、人間の悪意の方を強く感じるようになってきてしまっている。)
2025年6月10日記
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