BS世界のドキュメンタリー「ナチスのピンク・トライアングル ―ある同性愛者の独白―」 ― 2025-07-09
2025年7月9日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「ナチスのピンク・トライアングル ―ある同性愛者の独白―」
ドイツ、オーストリア。2024。
ナチスの時代の同性愛者への迫害は、補賞の対象ではない。なぜなら、それ以前からドイツでは、同性愛は違法であったのだから。これはこれとして、法律的には筋がとおっていると、私は思う。
だが、このような法的な正当な論理とは別に、歴史的にヒトラーは絶対悪であり、そこで行われたことについては、許容すべきものは何一つない、という発想によると、強制収容所におくられた男性には、補賞すべきということになる。
さて、どちらがまともな議論なのだろうか、一概には判定しかねると、私は思う。
同性愛が犯罪であったのは、ナチス以前もそうだったし(ワイマール体制では、一部で黙認されたが、法律が変わったわけではない)、第二次世界大戦後になっても、違法である状態はつづいてきた。そうであるならば、ナチスの支配が終わった後にも、違法とされた同性愛者にも、なにがしかの謝罪や補償は必要だと思うのだが、このことについて、番組では何も言っていなかった。むしろこちらの方がより大きな問題だと思えるのだが。
それから、女性の同性愛者について言及したところでは、レズビアンとトランスジェンダーを区別していない。今では、性的マイノリティ、あるいは、クィアとして、さまざまに考えることになっているが、この番組のあつかいは大雑把すぎると感じるところがあった。
現在でも、世界のなかには、同性愛が違法である国はたくさんある。それらの国や地域では、人びとはどう思ってくらしているのだろうか、気になるところである。
この番組で重要だと思ったのが、体験者の証言や記憶は間違っている場合がある、正確な歴史のためには史料批判が必要だとしていたこと。これが、日本だと、体験者(それが被害者の立場だと)全面的に受け入れ、まったく間違ったことはないのであって、別の解釈があるのではないかということを言ったりしただけで、歴史修正主義と言われてしまうことになる。「語り部」の語ることは絶対の真理であって、疑問を持つことはタブーである。こういうことでは、まともに歴史を考えることもできなくなってしまう。(私は、むしろこういうことを危惧する。)
2025年7月7日記
BS世界のドキュメンタリー 「ナチスのピンク・トライアングル ―ある同性愛者の独白―」
ドイツ、オーストリア。2024。
ナチスの時代の同性愛者への迫害は、補賞の対象ではない。なぜなら、それ以前からドイツでは、同性愛は違法であったのだから。これはこれとして、法律的には筋がとおっていると、私は思う。
だが、このような法的な正当な論理とは別に、歴史的にヒトラーは絶対悪であり、そこで行われたことについては、許容すべきものは何一つない、という発想によると、強制収容所におくられた男性には、補賞すべきということになる。
さて、どちらがまともな議論なのだろうか、一概には判定しかねると、私は思う。
同性愛が犯罪であったのは、ナチス以前もそうだったし(ワイマール体制では、一部で黙認されたが、法律が変わったわけではない)、第二次世界大戦後になっても、違法である状態はつづいてきた。そうであるならば、ナチスの支配が終わった後にも、違法とされた同性愛者にも、なにがしかの謝罪や補償は必要だと思うのだが、このことについて、番組では何も言っていなかった。むしろこちらの方がより大きな問題だと思えるのだが。
それから、女性の同性愛者について言及したところでは、レズビアンとトランスジェンダーを区別していない。今では、性的マイノリティ、あるいは、クィアとして、さまざまに考えることになっているが、この番組のあつかいは大雑把すぎると感じるところがあった。
現在でも、世界のなかには、同性愛が違法である国はたくさんある。それらの国や地域では、人びとはどう思ってくらしているのだろうか、気になるところである。
この番組で重要だと思ったのが、体験者の証言や記憶は間違っている場合がある、正確な歴史のためには史料批判が必要だとしていたこと。これが、日本だと、体験者(それが被害者の立場だと)全面的に受け入れ、まったく間違ったことはないのであって、別の解釈があるのではないかということを言ったりしただけで、歴史修正主義と言われてしまうことになる。「語り部」の語ることは絶対の真理であって、疑問を持つことはタブーである。こういうことでは、まともに歴史を考えることもできなくなってしまう。(私は、むしろこういうことを危惧する。)
2025年7月7日記
新日本風土記「水辺の京都」 ― 2025-07-09
2025年7月9日 當山日出夫
新日本風土記 「水辺の京都」
再放送である。最初は、2023年6月20日。
京都の町を舞台に番組を作ると、古くからの伝統ということを強調することになるが、この番組の場合は、それとはちょっとちがった角度からの京都である。地下水と疎水。
京都が地下水の豊かな都市であることは、古くから言われていることだと思う。これを京都の魅力としてとらえることもできるが、そもそもなぜここに平安京が作られたのか、ということを考えることにもなる。人が住むには、水が必須である。飲料水であり、農業用水である。近代になれば、工業用水も必要になる。
京都の水というと、鴨川(賀茂川)をまず思い浮かべる。あるいは、高瀬川もあるし、郊外には桂川や宇治川もある。
京都の地下水がそのまま飲料に使えるということは、これはきちんと水質検査をした結果ということになるはずだが、驚異的なことかもしれない。日本中で、地面を掘れば井戸ができて、その水を飲むことができる……このような地域が、他にどれぐらいあるだろうか。飲料水と日本の歴史という視点で見ると、いろいろと面白いことが見えてくるはずである。
ちなみに、江戸の町で、下町の方は海岸を埋め立てたところが多いので、簡単に井戸を掘って飲料水を得るということはできなかったはずである。神田上水、玉川上水ということを抜きにして、江戸の町の歴史は語れない。また、近代になってからの水道の普及の歴史もある。(最近出た本で、川本三郎の『荷風と昭和』を読んでいるのだが、『濹東綺譚』のなかで主人公の男性が、娼婦の家で、井戸水か水道水か確認しているシーンについて説明がある。)
地下水の豊富な京都で、どのように水道が普及していったのか、ということが、逆に近代になってからの京都の歴史としては意味があるかと思う。
疎水は、近代の京都を代表するものである。近年になって観光名所になってきている。この工事のことは、いろんなエピソードがあるはずである。疎水が近代の京都にどうかかわってきたか、これはとても面白いテーマである。少なくとも、今の、岡崎あたりの景観は、疎水なしにはなりたたない。
町の豆腐屋さんという存在は、もう絶滅危惧である。ラッパを鳴らして売り歩こうにも、昔からの家がなくなってマンションになってしまうと、商売にならない。たしかに、町の豆腐屋さんの豆腐はおいしい。(私が、半世紀前に、東京で住むようになってまず感じた食の違いは、豆腐が美味しくないことだった。)ところで、ラッパを鳴らして豆腐を売り歩くというスタイルは、いったいいつごろから生まれたものなのだろうか。
2025年7月7日記
新日本風土記 「水辺の京都」
再放送である。最初は、2023年6月20日。
京都の町を舞台に番組を作ると、古くからの伝統ということを強調することになるが、この番組の場合は、それとはちょっとちがった角度からの京都である。地下水と疎水。
京都が地下水の豊かな都市であることは、古くから言われていることだと思う。これを京都の魅力としてとらえることもできるが、そもそもなぜここに平安京が作られたのか、ということを考えることにもなる。人が住むには、水が必須である。飲料水であり、農業用水である。近代になれば、工業用水も必要になる。
京都の水というと、鴨川(賀茂川)をまず思い浮かべる。あるいは、高瀬川もあるし、郊外には桂川や宇治川もある。
京都の地下水がそのまま飲料に使えるということは、これはきちんと水質検査をした結果ということになるはずだが、驚異的なことかもしれない。日本中で、地面を掘れば井戸ができて、その水を飲むことができる……このような地域が、他にどれぐらいあるだろうか。飲料水と日本の歴史という視点で見ると、いろいろと面白いことが見えてくるはずである。
ちなみに、江戸の町で、下町の方は海岸を埋め立てたところが多いので、簡単に井戸を掘って飲料水を得るということはできなかったはずである。神田上水、玉川上水ということを抜きにして、江戸の町の歴史は語れない。また、近代になってからの水道の普及の歴史もある。(最近出た本で、川本三郎の『荷風と昭和』を読んでいるのだが、『濹東綺譚』のなかで主人公の男性が、娼婦の家で、井戸水か水道水か確認しているシーンについて説明がある。)
地下水の豊富な京都で、どのように水道が普及していったのか、ということが、逆に近代になってからの京都の歴史としては意味があるかと思う。
疎水は、近代の京都を代表するものである。近年になって観光名所になってきている。この工事のことは、いろんなエピソードがあるはずである。疎水が近代の京都にどうかかわってきたか、これはとても面白いテーマである。少なくとも、今の、岡崎あたりの景観は、疎水なしにはなりたたない。
町の豆腐屋さんという存在は、もう絶滅危惧である。ラッパを鳴らして売り歩こうにも、昔からの家がなくなってマンションになってしまうと、商売にならない。たしかに、町の豆腐屋さんの豆腐はおいしい。(私が、半世紀前に、東京で住むようになってまず感じた食の違いは、豆腐が美味しくないことだった。)ところで、ラッパを鳴らして豆腐を売り歩くというスタイルは、いったいいつごろから生まれたものなのだろうか。
2025年7月7日記
ドキュメント72時間「新宿駅前 ライオン像の募金箱」 ― 2025-07-09
2025年7月9日 當山日出夫
ドキュメント72時間 新宿駅前 ライオン像の募金箱
最後に新宿に行ったのは、いったいいつのことになるだろうか。COVID-19のはやる前、ある研究会で行ったが、会場は西の方であった。新宿駅の東口方面には、もうかなり長い間、行っていないと思う。もし行っていたとしても、このライオンには気がついていないかもしれない。
ライオンズクラブの設置した募金箱だから、ライオンの形をしている、とても分かりやすい。しかし、募金箱であることを知らずに通り過ぎる人の方が圧倒的に多いようである。
見ていて思ったことは、1円を寄付しても、それを使おうとすると、銀行で両替の手数料がかかるので、ほとんど寄付として意味がない、これはいたしかたないが、今の事実である。あまり知られていないことかもしれないが。
募金箱に寄付する人ということで企画してあるのだが、それでも、やはり新宿ということもあって、いろんな人がいるものだと感じる。(田舎の路傍の野菜の無人販売所とはちがう。)
大学院生が、寄付をしても、それがどう使われるかわからないのでしない、と言っていたけれど、ライオンの横のQRコードを読みとって調べて、これはまともに使われていそうだから寄付する、というのは、確かに賢明ではある。たいていは、どうつかわれるかということは、あまり考えずに寄付することが多い。
ただ、一般的な言い方になるが、寄付したお金が直接、困っている人のもとにとどくだけが寄付の意味ではない。そのような活動をしている組織をささえる、という面もある。助ける人を助ける、という視点である。
そうはいっても、実際には、本当に現地の困っている人のもとにとどくのは、かなり減少する、国内的にも、国際的にも……これは、いろんなケースがあるけれど……ことは、たしかなことだとは思うのであるが。
ライオンを拝んでいる人がいるが、寄付ということは、寺社などでのお賽銭に近い感覚があるのかと思う。こう感じることは、別に悪いことではない。
就職氷河期世代である人は、同情すべきところもあると思う一方で、占い師というのは、はっきりいって、なんとなくうさんくさい。
深夜になって終電をのがして、ライオンのところに未成年が座って夜を明かす、というのも新宿ならではのことだろう。それで、特に非行として悪いことをするのでなければ、いいとしなければならない。
若い人が、将来の夢はと聞かれて、ネイリストとこたえるのは、なんだか定番化していると感じるのだが、どうなのだろうか。
何回も映っていたが、深夜に寄付のお金をいれて立ち去っていく男性は、いったい何者なのだろうか、ちょっと気になるのだが、正体不明のままでもいいかなと思う。
2025年7月5日記
ドキュメント72時間 新宿駅前 ライオン像の募金箱
最後に新宿に行ったのは、いったいいつのことになるだろうか。COVID-19のはやる前、ある研究会で行ったが、会場は西の方であった。新宿駅の東口方面には、もうかなり長い間、行っていないと思う。もし行っていたとしても、このライオンには気がついていないかもしれない。
ライオンズクラブの設置した募金箱だから、ライオンの形をしている、とても分かりやすい。しかし、募金箱であることを知らずに通り過ぎる人の方が圧倒的に多いようである。
見ていて思ったことは、1円を寄付しても、それを使おうとすると、銀行で両替の手数料がかかるので、ほとんど寄付として意味がない、これはいたしかたないが、今の事実である。あまり知られていないことかもしれないが。
募金箱に寄付する人ということで企画してあるのだが、それでも、やはり新宿ということもあって、いろんな人がいるものだと感じる。(田舎の路傍の野菜の無人販売所とはちがう。)
大学院生が、寄付をしても、それがどう使われるかわからないのでしない、と言っていたけれど、ライオンの横のQRコードを読みとって調べて、これはまともに使われていそうだから寄付する、というのは、確かに賢明ではある。たいていは、どうつかわれるかということは、あまり考えずに寄付することが多い。
ただ、一般的な言い方になるが、寄付したお金が直接、困っている人のもとにとどくだけが寄付の意味ではない。そのような活動をしている組織をささえる、という面もある。助ける人を助ける、という視点である。
そうはいっても、実際には、本当に現地の困っている人のもとにとどくのは、かなり減少する、国内的にも、国際的にも……これは、いろんなケースがあるけれど……ことは、たしかなことだとは思うのであるが。
ライオンを拝んでいる人がいるが、寄付ということは、寺社などでのお賽銭に近い感覚があるのかと思う。こう感じることは、別に悪いことではない。
就職氷河期世代である人は、同情すべきところもあると思う一方で、占い師というのは、はっきりいって、なんとなくうさんくさい。
深夜になって終電をのがして、ライオンのところに未成年が座って夜を明かす、というのも新宿ならではのことだろう。それで、特に非行として悪いことをするのでなければ、いいとしなければならない。
若い人が、将来の夢はと聞かれて、ネイリストとこたえるのは、なんだか定番化していると感じるのだが、どうなのだろうか。
何回も映っていたが、深夜に寄付のお金をいれて立ち去っていく男性は、いったい何者なのだろうか、ちょっと気になるのだが、正体不明のままでもいいかなと思う。
2025年7月5日記
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