3か月でマスターするアインシュタイン「第2回 光より速いものはない?」2025-07-13

2025年7月13日 當山日出夫

3か月でマスターするアインシュタイン 第2回 光より速いものはない?

第二回を見ながら思ったことを書いてみる。

もし、光よりも速いものがあって、ただ、それがまだ見つかっていない(観測できる技術がないだけ)ということになったら、はたしてどうなるのだろうか。理論的には、もし光よりも速いものがあったとしたら、ということで新たな理論を構築することになるはずであり、おそらく科学者としては考えていることなのだろうと思う。だが、今のところ、それはまだ見つかっていないので、とりあえずアインシュタインの考えたことの範囲内で説明のつくところで、満足している……やや意地悪い言い方かもしれないが、このようなことを思うことになる。

光の速度が不変である、ということについても、番組のなかでは、そう仮定すると、という言い方であった。そう仮定した場合、そのことを説明するために、「だしざん」ということを考え出した、という理解でいいだろうか。

この理屈で、現在の技術で観測できることを「合理的」に説明できるのなら、それでいいじゃないか、と思ったことになるのだが、シニカルにすぎるであろうか。無論、だからといって、反論したいわけではない。おおまかな思考の枠組み、ものの考え方について、感じることとしてなのである。

観測できていることを「合理的」に説明する理論、という枠組みとしては、はるか古代の、天動説の時代と、そう変わらないことになる。もちろん、理論的には精緻になり洗練されたものになっているのだが。(ここに、全知全能の神という存在を持ち込まないで、という条件があって、ということはいっていいだろうが。)

気になるのは、アインシュタインの考えたことを反証するためには、どういうことが証明できる、あるいは、観測できればいい、ということになるのだろうか。

光の速さを測定する実験の理屈は分かるつもりだが、光が明滅するという現象をどうやったら、その瞬間を判定できるのだろうか、そこのところがいまひとつよく分からなかった。そのときの歯車の回転速度から、光の速さが計算できるということは、分かると思うのだが。

2025年7月12日記

『とと姉ちゃん』「常子、職業婦人になる」2025-07-13

2025年7月13日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、職業婦人になる」

和文タイプライタというのは、1980年代ぐらいまで、かなり使われていた。大きな変化があったのは、無論、ワープロの誕生による。ワープロ専用機……オアシスとか、文豪とか、書院とか……もう、このような記憶のある人間の方が少数派になってしまっただろうか。パソコンが普及しはじめたころ、ソフトウェアとしてのワープロがあった。今では、マイクロソフトのWordの独占状態になっているが、松とか、一太郎とか(これは今でもある、現に、この文章を書いているのは、ATOKを使っている)、その他、いろいろとあった。個人的には、管理工学研究所の作った松は、非常に優れたワープロだったと思っている。この時代の製品としては、きわめてユーザインターフェースが良かった。少なくとも、私の感覚にはあっていた。

タイピスト……英文、和文……が、女性の花形職業であった時代である。かつてこういう時代があったことは確かなことである。

ちょっと気になることとしては、この週のタイトルで、職業婦人、と使ってある。タイピストは職業婦人ということでいいのだが、では、森田屋で働いている女性は、職業婦人ではないのか……つまり、働く女性=職業婦人、ではなかったということになる。強いていえば、ホワイトカラー限定、といっていいだろうか。(バスの車掌さんなどをふくめて考えるべきかもしれないが。)

森田屋のような家内労働で働いていても、働く女性と見なしてこなかった、これは、いまでもあるだろう。森田屋の仕事を見ると、若い富江などのやっていることは、男性の仕事と同等のことをしているように見えるのだが。(ここれは、女性についての労働観の歴史として、あらためてふりかえってみる必要のあることである。)

それにしても、このドラマを作ったとき、まだ稼働する和文タイプライタが残っていて、使える人がいた、ということになる。おそらく、時代的には、ギリギリのところだったかもしれない。

2025年7月12日記

『あんぱん』「いざ!東京」2025-07-13

2025年7月13日 當山日出夫

『あんぱん』「いざ!東京」 

このドラマは、それぞれのシーンを見ると、よく作ってあると感じるところが無いではない。しかし、とおして見て、何かうったえるものがあるかとなると、はっきりいってほとんど何も感じない。もう駄作といっていい。

嵩はのぶのはたらきで、新聞社に入社することができた。このプロセスが不自然である。新聞の原稿に穴があきそうになって、急遽、うめぐさとしてイラストを使うことになり、嵩が呼ばれて、その結果として新聞社に採用ということだった。

新聞社で余分な原稿の用意がまったくなかったとは考えがたい。普通に考えて多めに取材して原稿を書いて、それを整理して紙面にするはずである。何かあったときの差し替えようの原稿をキープしておくぐらい、新聞編集の常識だろう。それをイラストで埋めるというのが、おかしい。これは、紙面のデザインをまったく破壊することになる。新聞の紙面とは、記事の配列をかなり考えて作ってあるはずである。文字の記事が、イラストに変わるということは、ありえないだろう。イラストは四角でなければならないが、もともと新聞の文章は四角になるように配置しないものである。(少なくとも私の知る限りの新聞の紙面のデザインはそうである。)

嵩が描いたイラストをすぐに印刷にまわすことは無理である。この時代の新聞は活版印刷である。そこにイラストをはめ込もうとすると、そこの部分だけ凸版に作って組版しなければならない。このイラスト用の版を作るのにどれだけ時間がかかったか、私は素人だから知らないが、紙に描いた原稿があればすぐに印刷できるということは絶対になかったはずである。

「月刊くじら」の場合もそうである。急に一ページが空いてしまったので、嵩がイラストを描く。そのイラストが描き上がったときに、東海林編集長は、校了、と言っていたが、そんなことは絶対にありえない。どんなに急いでいても、かならずゲラを見て確認しなければならない。最悪の場合、イラストが上下逆になっていたりしかねない。こういうことは、印刷や本作りの常識である。責了ということはあるが、それもかならずゲラを見てからである。

新聞社で紙面にイラストを使うことはあったとしても、それは、その専門家に依頼することだったはずだが、どうだろうか。嵩のように、記者の仕事をして(これは役立たずだったようだが)イラストも描くというのは、かなり不自然な設定であると感じる。

今では、活字、というものが無くなってしまっている。見ようと思えば、印刷博物館(凸版印刷)にでも行く必要がある。活字の実物で文選(ぶんせん)・組版をしている現場の工場に行ったことがある、という経験があるのは、私ぐらいが最後の世代かもしれない。現在では、DTPの時代になって、コンピュータのディスプレイで見ているものが、そのままオフセット印刷の版下になる、という時代である。だが、それでも、印刷や出版の現場ではゲラの確認は必須であるはずである。こういう時代の流れがあることは割り引いて考えるとしても、このドラマにおける印刷の工程についての無理解は容認しがたい。

なぜならば、嵩はおそらくこれからデザインや漫画の方向の仕事をするはずである。戦後の漫画(マンガ)の歴史をたどるならば、それは、出版のメディアの歴史であると同時に、その印刷技術の歴史でもある。こういう印刷技術であるから、このような原稿が必要になる、カラーで描いた場合どれだけの色彩が利用可能なのか、この印刷技術と密接なところで、漫画(マンガ)の歴史があったはずである。それが、今では、コンピュータで原稿を描ける時代になっているし、見るメディアにもなっている。技術とメディアとコンテンツの歴史的な関係に無理解なままで、戦後の漫画(マンガ)が語れるはずがない。

のぶが新聞社に子どもたちを集めて座談会をするとき、新聞社で使っていたのはスピグラだったとおぼしいのだが、この時代の報道用の写真撮影で、室内であるならば、フラッシュが必須だったはずだと思う。また、のぶは、やわらかい光でおねがいします、と言っていたが、印刷(網目になる)すればそんなことはふっとんでしまう。この時代の写真印刷(活版と一緒に)の技術では無理である。このことは、むしろ逆に、のぶが写真と印刷について何も知らないと理解できてしまう場面である。

この時代に、非常に高額で貴重品だったライカを持って東京に行くということも、かなり無理がある。(もしものときに換金するために持っていった、ということなら別であるが、そうではなさそうである。)

戦後の闇市の様子は、高知の場合も、東京の場合も、エキストラを多く使って、売っているものもたくさん並べて、これを見ると頑張って作っているとは思う。だが、テレビの画面を見て、この時代の雰囲気というものが、まったく感じられない。

戦後の混乱、絶望、不安、しかし、新しい時代への期待と希望……いろんな感情が入り交じってかもしだされる、まさしく混沌とした時代の空気、としかいいようのないものだが、これがまったく感じられない。こういうのを見ると、もう、今では戦後という時代を描けなくなってしまったのかと、感じるところでもある。

どうしても気になるのは、新聞社の人たちの気持ちである。このドラマは、逆転しない正義、ということでスタートした。端的にいえば、戦時中の正義は、戦後になって完全に否定されてしまったということである。ここで、戦前の正義(大東亜戦争の正しさ)が、否定されていく経緯が、描かれていなかった。ただ、終戦になり、墨塗教科書があって、のぶが教師をやめた、というだけのことだった。では、どのようなプロセスを経て、別の正義が人びとに認識されるようになったのだろうか。このドラマのなかでは、当時の新聞も、ラジオも、報道映画も、なんにも出てきていない。ラジオからは、のど自慢の音楽が聞こえてくるだけである。ここは、NHKがどんな放送をして、戦争中の日本がいかに誤っていたかを国民に知らせたか、出てきてもいいところであるが、まったくない。そして、これは、戦後になればGHQの厳格な管理下でおこなわれたことであり、「放送100年」のNHKとしては、黒歴史として無かったことにしてしまいたいことなのかもしれないが。

新聞社も同様である。戦後のGHQのプレスコードがあったはずだが、これは、新聞社なら知っていなければならないことであった。しかし、一般の国民は、そんなことは知らされず、それを新しい本当の正義と理解してうけとめたことになる。

逆転しない正義……ということを言いたいのであれば、戦時中の日本政府と軍による言論統制(という名の実際には自主規制)から、GHQのプレスコードと検閲に代わったことを、新聞の現場にいる、東海林編集長などがどう思っていたか、ここは語るべきところである。これは、かならずしも、戦時中の報道についての懺悔ということではない。GHQへの不満ということでもない。新聞人としての矜恃を持った台詞がほしいところである。(NHKのスタッフには、時代に翻弄された言論人の矜恃というものが理解できないのだろうか。無理だからこんなドラマになってしまっているのだろうが。)

東京に行って、高知出身の代議士を取材するという。だが、その前に、この時期であれば、戦後の第一回の衆議院議員選挙があって、男女の普通選挙がおこなわれ、女性の代議士も当選した。のぶも選挙権はあったはずだが、選挙に行けるようになったことをどう思ったのだろうか。戦後の最初の選挙を、高知の新聞はどう報道したのだろうか。(質屋が広告料を払わないというようなことを描く閑があったら、こういうことこそ語るべきではないか。質屋のエピソードがあって、ドラマが面白くなったとはまったく思えない。)

東京に、高知出身の代議士を訪ねて取材するのはいいだろう。地元選出の代議士が、どんな活動をしているか報道するのは、地方の新聞や雑誌のつとめでもある。であるならば、まず、確認すべきは高知の地元の事務所や実家であり、いきなり東京に押しかけていくというのは、かなり不自然な気がする。それはいいとしても、そのために、「月刊くじら」の編集部の全員でそろって行くことはない。何人かは高知に残って、継続的に地元の高知の話題を取材する必要がある。この仕事をおろそかにして、地元密着の雑誌ということはできない。

余計なこととしては、「なめたらいかんぜよ」という台詞で、『鬼龍院花子の生涯』を思い出す視聴者は、もう少ないのではないだろうか。

これからどうなるかわからないが、国会議員の仕事は基本は立法である。人助けは、まず法律にもとづくべきである。(『虎に翼』で三権分立をまったく無視したAKが、さてどうするだろうかと思っている。)

2025年7月11日記