BS世界のドキュメンタリー「ウクライナ軍事支援 武器供与の代償」2025-07-17

2025年7月17日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「ウクライナ軍事支援 武器供与の代償」

2024年、フランスの制作。

再放送したのを録画して、HDに残っていたので見た。

日本でウクライナの戦争としてニュース映像で出てくるのは、最前線の兵士の様子であったり、あるいは、キーウの町の人びとの生活の様子だったり、ということが多い。

あまりうつることがないのが、兵站の部分である。これも、実際の戦争には不可欠な要素なのだが、報道では軽視される傾向があるかと思って見ている。(おそらく、これは大東亜戦争・太平洋戦争の時代に、日本軍が兵站を軽視していたことの影響が、いまだに残っていることかとも思っている。戦争というと武器を持っての戦闘だけだと思いこんではいけない。)

ウクライナは、EUとアメリカからの武器供与がなければ戦いを継続させることができない。(この先は、かぎりない消耗戦になりかねないのだが、はたしてどうなるだろうか。)

戦争のあるところ、武器商人が現れる。これは、古今東西、人間の歴史というのはそういうものだということである。これはいたしかたないとしても、問題は、将来においてウクライナの戦争が、なんらかのかたちで終わったとして、その後、武器弾薬や兵器は、どうなるだろうか、という懸念があることになる。それは、現在でも、ウクライナに供与された武器の横流しということが、あるかもしれないことになる。その流れていく先は、世界各地のテロリスト、ということになるだろう。

武器の商売の世界も面白いといえば面白い(不謹慎と言われるかもしれなけれど)。イギリスで、どうどうと戦車が売られている、というのは、ちょっと日本では考えにくいことである。(ちなみに、最近のニュースで、韓国製の戦車がポーランドに大量に輸出されることが決まったとあった。そうなると、NATOで使われて、いずれウクライナ戦線に投入ということもあるかもしれない。なお、日本ではあまり知られていないことかと思うが、韓国は、世界有数の武器輸出国である。)

人工衛星が買える……というのも、この番組で知った。(現実には、その衛星からの情報を利用できるようになる、ということだと思うが。)これも、戦争ビジネスである。

戦闘機とか戦車ぐらいなら、戦争が終わっても管理できるだろうが、小型のミサイルとなると、もう無理だろう。軍用の自動小銃など、どこでどうなってしまうのか、見当もつかないにちがいない。

番組の中に登場していた、武器商人が膝の上においていた自動小銃には、AK74と刻印してあったのだが、これは、ロシア製の純正品(?)ということなのだろうか。

イランの無人機が、航続距離2500キロというのは信じていいのだろうか。もしそうなら、とんでもないことになる。イランからイスラエルを攻撃できることはたしかなようだ。先般の、ウクライナによるクモの巣作戦(ドローンによるロシア領内の攻撃)とあわせて考えてみるならば、漁船をよそおったような小型の船で、日本をとりかこんで、一斉攻撃ということも、作戦としては十分にありうる。それらすべてを邀撃し撃墜することは不可能だろうから、すり抜けた一部が、日本の交通や通信のインフラを少し破壊するだけで、おそらく、日本国内の世論はパニック状態になることが予想される。敵のミサイル基地を攻撃することの是非(いわゆる反撃能力)など論じていることが、もう通用しない過去の話しであると思える。

2025年7月14日記

日曜美術館「ジャポニスム 西洋を変えた“美の波”」2025-07-17

2025年7月17日 當山日出夫

日曜美術館 ジャポニスム 西洋を変えた“美の波”

目についたので録画しておいた。

天邪鬼な性格なのかと思うが、いろいろと思うことがある。

ゴッホは、貧乏だったと思っている。生前に絵はまったく売れなかったはずである。その貧乏のゴッホが、浮世絵のコレクションを持っていたということは、貧乏画家であっても買える値段で、フランスでは流通していた、ということになるのだろう。日本での価格は、蕎麦の一杯ぐらい、とよく言われる。安価な商品を極東の日本から、はるばるヨーロッパまで運んで、ビジネスになったというのは、いったいいくらぐらいで仕入れて、いくらぐらいで売っていたのだろうか。浮世絵は、かさばらないし軽い。輸送は楽なはずだが、はたして、その値段はいくらだったのか。

番組のなかでは、意図的にそうなのだろうと思うが、春画についてはまったく触れていなかった。しかし、日本から大量の浮世絵が出ていった中には、当然ながら春画もふくまれていたはずである。これらは、ヨーロッパの画家たちに、影響を与えたのだろうか、あるいは、与えることはなかったのだろうか。(もう、現在では、浮世絵を考えるときに、春画をふくめて考えるのは常識だろうと、私は思っている。)

ジャポニスムというテーマの番組だからしかたのないことなのだが、日本では、浮世絵はゴミあつかいであった。名だたる歌麿や写楽であっても、その時代に、一時的に人気はあったが、それが持続することはなかった。日本で、この時代、絵画として人間の内面を表現するということは、まだ無理だったということになるのだろうか。近代になって、西洋の近代の芸術(絵画や文学など)を日本が取り入れるなかで、浮世絵が再発見されていったということだと思っているのだが、私としては、このプロセスの方に、非常に興味がある。人間の美意識とは、時代とともに変化していくものなのだ、ということを端的に表している事例になると思うからである。

2025年7月16日記

新日本風土記『リトルトーキョー』2025-07-17

2025年7月17日 當山日出夫

新日本風土記 リトルトーキョー

この企画については、いろいろな角度から見ることができる。

そもそも、なぜアメリカに日本人が移民として渡っていったのか、そして、アメリカ政府のとった排日政策については、まったくふれるところがなかった。これは、知っていて当然ということ、という認識でいいだろうか。太平洋戦争中の日系人の強制収容所について語るならば、その前段階としての、アメリカ社会での黄禍論というべきものがあったことは、触れておくべきだろう。

そのようなアメリカ社会であっても。時の経過とともに、日系の人びとが生活の基盤をつくるようになる。今では、アメリカ社会の中に十分に受け入れられているという認識でいいかもしれない。(だが、これも、視点を変えて、これからアメリカに無理にでも行こうとしている人たちにとっては、既得権益と見なされることになるかもしれないのだが。)

リトルトーキョーという日系人地区が成立するということの背景には、アメリカの都市のなりたちとして、居住する地域によって、特定の人びとがが集まる、ということがある。番組の中で出てきていたことでは、リトルトーキョーから道路一本へだてた地域は、路上にホームレスの人たちがたむろする、(番組の中で言っていなかったことばになるが)スラム街といっていいことになる。

古くにアメリカにわたった人たちの子どもたち、三世、四世、という世代が今の中心ということになる。それでも、日本の文化(といっていいだろう)は、継承して残っている。だが、これも、かなりアメリカ化してということにはなる。

移民で人びとが渡っていって、現地の人びとの中に受け入れられるということを、象徴的に示すのが、墓地であろう。そこに人が移り住めば、やがて年老いて死ぬことになる。その墓地の存在が、現地の社会で受け入れられるものになっているということが、重要なことだと思う。

「民族」を規定する要素はいろいろとあるが、言語、宗教、そして生活の習慣である。人が死んで、どのように葬式をいとなんで、どのように埋葬するなどして、墓地を作ることができるか、これが受け入れられるものであるかどうか、ということが、非常に重要なことである。そして、これが受け入れられるようになるには、二~三世代の時間の経過が必要ということも、確かなことかもしれない。

年老いて、一人暮らしになる老人が増えている。それを支える地域のコミュニティーが機能している事例と見ることもできるかもしれない。だが、これも、強いていえば、アメリカ社会のなかで(少なくともリトルトーキョーにおいて)比較的裕福な人が多いということがあってのことかとも思う。

アメリカのリトルトーキョーのことを見て、今の日本で問題となりつつある、外国からの移民労働者(端的にいえばこうなる)をどう受け入れるかということについて、いろいろと考えることは出来るだろうが、もっとも重要なことは、時間がかかることだ、ということである。少なくとも、二世代、三世代、という時間の経過のなかで、人びとの生活のなかで、おりあいをつけて生きていくということの積み重ねが必要である、このことは言っていいと思う。つまり、すぐに受け入れることは難しいかもしれないが、時間の(強いていえば歴史の)積み重ねとして、徐々に社会が変わっていくことができる。その間にいくつかのトラブルがあることは、いたしかたのないことだとは思うが、だからといって、悲観的にも楽観的にもならず、冷静に対応することがもとめられるだろう。

2025年7月10日記