気になる家「同潤会住宅の記憶(東京・江古田)」2025-07-25

2025年7月25日 當山日出夫

気になる家 同潤会住宅の記憶(東京・江古田)

この番組も続くようである。前回の、国分寺の家はとても面白かった。

同潤会が作った分譲住宅が今も遺っていることになる。見終わってから検索してみると、この建物は、かなり知られている存在であるらしい。

昭和の戦前の江古田であるから、東京の郊外である。そこに、その時代としては、非常に近代的な、あるいは、モダンなといった方がいいだろうか、住宅が建てられたことになる。おそらく、この時代の周辺にあった農家などから見れば、ものすごい豪華な邸宅と見えただろう。

台所には都市ガスが来ていたということであるが、東京における都市ガスの普及の歴史からみると、この家のことはどうなるだろうか。おそらく、東京でも、一般の家庭では、まだ薪か炭が普通だった時代かと思うのだが。

洋間があるということが、そのモダンさの象徴かと思う。玄関からすぐのところにあったことになるので、おそらくは、応接室として使われていたのだろうと思う。

最初の主が、東京大学の農学部の教授ということだが、社会的にはかなり上のクラスの暮らしであったことになる。このとき、となり近所の、同じ同潤会住宅には、どんな人たちが生活していたのだろうか。このことも、できれば知りたいことである。

五右衛門風呂は、私は知っているし、また、風呂を薪で焚くのも、子どものころのこととしては日常の生活の一部であった。

おそらく日本の近代の建築史、また都市部における人びとの生活の歴史の資料として、貴重なものであると思う。

2025年7月23日記

サイエンスZERO「科学の力で“透明人間”も夢じゃない!」2025-07-25

2025年7月25日 當山日出夫

サイエンスZERO 科学の力で“透明人間”も夢じゃない!

透明人間が登場する作品として、私が思いうかぶのは、米澤穂信の『折れた竜骨』である。ファンタジー小説の要素をとりいれた、本格ミステリになっている。傑作だと思う。

この回は面白かった。ただ、ちょっとよく分からないことがあった。

なぜ、光は曲がるのだろうか。光が束になっているとき、遅い早いの違いが出てくると、曲がるという。なんとなく分かるような気もするが、そもそも、なぜ光の速度が遅くなるのだろうか。光の速度は一定で、この世界で最も速い、というのが、普通の知識だと思っているのだが、私としては、このあたりのところから説明してほしかったところである。

生物の目の水晶体が透明になるメカニズムの発見はすばらしい。

では、なぜ、生物は、目、というものを持つようになったのだろうか。その進化の意味というか、そういう生物が生き残ってきた理由というか、ここは興味のあるところである。そして、人間の場合の可視光の範囲は、そうなった必然的な理由というのは、あるのだろうか。

完全な透明人間が存在したとしたら、その透明人間は、目が見えないと思う。目の水晶体が、完全に透明であったならば、網膜に画像をむすばない。レンズであり、そこで光が屈折するからこそ、そとの世界を画像として見ることができていると思うのだが、どうなのだろうか。一般にレンズは、透明な物質(ガラスなど)から作られるが、そこで光が屈折することで、完全に透明なもの(そこをまっすぐ光が通過する)にはならないはずである。

透明人間ということの研究はどれも面白い。だが、透明ということの定義が、人間の可視光の範囲でのこと、という条件はあった方がいいのかもしれないと、思ったことになる。すべての生物の目にとっての、(生物によって可視光の範囲は異なる)、透明人間はいったいどんなものになるのだろうか。

2025年7月24日記

新日本風土記「おやつの時間」2025-07-25

2025年7月25日 當山日出夫

新日本風土記 「おやつの時間」

再放送である。最初は、2024年7月22日。

この番組の趣旨とは関係ないが、見ていて最も興味深かったのは、宮大工の工房でやりがんなを使うところ。今のような台がんなが広く使われるようになったのは、江戸時代以降のことであり、中世以前はやりがんなで板や柱などの表面を平らにしていた。おおまかに形を整えるのには、ちょうなをつかったはずである。やりがんなが、今に残っていて、それを使う技術が伝わっているということで、非常に貴重な映像だったと思う。

私の今の生活だと、あまりおやつを食べるということはない。ときどき、身の周りにある何かお菓子を食べることはあるが、なければないで、どうということはない。

そもそも、日本に生活する人びとに、おやつを食べるという習慣が根づいたのはいつごろからのことだったろうか。古くは、食事は、一日二食(朝と夜)だった。これは、平安時代の貴族の生活である。『源氏物語』などを詠むときの常識である。だが、一般庶民は、どんなものを、いつ、どのようにして食べていたか、これは、考えることがとても難しい。普通の生活のことほど、史料・資料に残らない。

ヨモギは、野原に自然に生えているものを摘んでくる。それが和菓子店で使う。ヨモギぐらいは、どこにでも生えているようなものかと思うので、わざわざ栽培するということはないのだろう。栽培コストや価格を考えると、野生(?)のものを使うのが合理的ということになる。

胡桃は、ナッツ類のなかに入っていることがあるので、ときどき食べるかと思うが、長野県に専門の栽培農家があるということは知らなかった。これも、古くから、山間地の人びとにとっては、貴重な食料だっただろうと思う。

子どもが野球をするような場面は、少なくなった。現代なら、野球よりも、サッカーの方が人気があるかもしれない。まだ、地域でチームの試合ができるぐらいの規模では残っていることになる。

建設工事現場で夏場に働く人のおやつに、ひやしたバナナに塩をふりかけて食べるというのは、合理的な考え方である。理にかなっている。また、同じ現場で働く人どうしのコミュニケーションということにもつながる。

かき氷は、おそらく十年以上、いや、もっとになるか、食べていない。たかが、固形になったH2Oにお金を払うのは馬鹿馬鹿しいという気持ちがある。これも、氷の質やけづりかたで大きく味が変わるということは、知識としては知っているのだが、強いて食べようとは思わなくなっている。

ただ、養蚕という産業に、カイコの卵の孵化の時期を調整するために氷が重要な役割をはたしてきたということは、初めて知った。これは、同時に、氷を作る冷蔵の技術と設備、さらには、電気がある、という条件が必要になるので、近代的な養蚕業を考えるうえでは、重要なことになるのだろう。

サーターアンダギーは、ときどき近所の人にもらう。沖縄出身の人である。作ってすぐに持ってきてくれたのは、やはり美味しい。

2025年7月22日記