よみがえる新日本紀行「長崎くんち 傘鉾の舞い」2025-10-07

2025年10月7日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 長崎くんち 傘鉾の舞い

再放送である。2023年11月4日。オリジナルは、昭和50年。

長崎くんちというのは、お祭りとして名前は知っているだけで、実際に見たということはない。長崎に行ったのは、高校生のときの修学旅行だけである。

くんちが長崎市内の町のお祭りであるが、その傘鉾を実際にかつぐのは、近郊の農家の人たちだった。これが、今から半世紀ほど前の話。これは、今ではどうなっているのだろうか。

大根農家の仕事が映っていた。畑から収穫した大根を、天秤棒でかついで(もうこういうことも見られなくなったことかとも思うが)運んでいた。これも、昔は、100キロの大根をかついで長崎市内まで売りに行ったという。こういうことは、もう途絶えてしまったことだろう。(天秤棒をかつぐという身体感覚は、失われてしまったものといえるだろうか。)

思い傘鉾をかつぐ練習の場面があったが、かなり重そうである。いや、実際は、とても重いのだろう。

長崎の町としても、くんちの祭りは大仕事である。オリジナルの放送のときで、1000万と言っていたが、これは、現在なら、数倍から十倍ぐらいはするだろうか。

町内がきそって、傘鉾などを飾るということは、どこの地方の祭りでもあることかとも思う。京都の祇園祭の山鉾だってそうだろう。

気をつけて見ていたのが、足もと。半世紀前では地下足袋をはいていた。これも、現在の場面で見ると、いろは違うが、地下足袋のようである。地下足袋というのは、近代になってから生まれたものにちがいないが、おそらく日本の近代の人びとの身体感覚にあったものであったということになるだろう。それは、今でも途絶えることなつづいている。

このシリーズを見て思うことの一つとして、瓦屋根の連なった町の風景ということがある。これも、今では見られないものになってしまっているかとも思う。日常的に見慣れた風景が、徐々に変わっていくことの一つといっていいだろう。

2025年10月1日記

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