サイエンスZERO「色彩の科学へようこそ!“緑”は生命のシンボル!?」2025-10-07

2025年10月7日 當山日出夫

サイエンスZERO 色彩の科学へようこそ!“緑”は生命のシンボル!?

色は光の属性ではない、というのは色彩学の基本だと思っている。現象としてあるのは、どの波長の光に対して、どのような色として認識するか、ということであり、それを見る側、認識する側、つまり、人間の目と脳の問題だというのが、私の認識である。

素朴な疑問なのだが、光合成をする植物は、なぜ綠なんだろう。綠に見えるということは、その波長の光を反射して、それ以外の波長の光を吸収しているということになる。このことと、光合成の効率とは、どう関係するのだろうか。

太古の地球は綠だった(かもしれない、まだ仮説の段階)、そうだったのだろうか。また、マラカイトから作る顔料で綠を描く、これで、尾形光琳の杜若の絵が描かれたというのは、とても面白い。この顔料は、どうやって日本にもたらされて、絵師たちが使うようになったのだろうか。

天然のマラカイトに変わって、人工的に同じような絵の具を作るというこころみは、とっても興味深い。普通に考えれば、同じ成分で、同じ構造の物質が作れれば、たぶん、同じ色が出せるかもしれない、ということになるのだろうが、さらにそこに、それぞれの画家ならではの、個別の工夫があることかと思う。

笹紅の色の実験は、とても面白かった。紅花から取り出した色素の分子構造によって、どのいろに見えるか、変わってくる(らしい)。

ところで、番組の中で出てきた、分光視感効率、なのだが、これは、人間の目の機能(錐体)によるのだろうか、それとも、その情報を処理する脳の機能によるのだろうか。

色について考えるとき、いつも疑問なのは、人間の可視光領域というのは、どういう必然性、あるいは、そのように進化する意味があったのだろうか、ということである。さらには、人間にとっての可視光だけで、色というものを考えていいのだろうか、ということも気になる。このあたりは、現代の色彩学の最前線では、どのように考えられているのだろうか。

2025年10月6日記

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