3か月でマスターする古代文明「(5)インダス 王も武器もない文明」 ― 2025-11-01
2025年11月1日 當山日出夫
3か月でマスターする古代文明 (5)インダス 王も武器もない文明
人間が集まって暮らして、住居が密集していて、街路があったり、城壁があったりすれば、それを都市と言っていいのかと思うのだが、そもそも都市とは、考古学者は、どう定義しているのだろうか。住居の形態ではなく、そこに、なにがしかの秩序があったことが必要かもしれない。それは、非常に強大な権力による支配、ということで表現されることもあるだろう。宮殿や祭祀の場所は、必須と考えているのだろうか。
古代インダス文明では、その都市の秩序というのは、どのようなものであったのか、それは、どのようなシステムで保たれていたのか。これは、人間の文化や政治ということにかかわる。遺跡や遺物から考える考古学の範囲外のことであるといわれれば、それまでなのだが、こういうことがどうしても気になる。
王様のような権力がなくても、人間は集まって、都市の建物を設計して造ることができて、そこで、仲よく暮らすことができた。このような人間の生活もありえた、こういうことは理解できなくもない。そういうこともあったのだろうと思う。
ただ、言語とか宗教とかはどうだろうか。古代インダス文明は文字を使用していたことは確かであっても、解読はできていない。どうせ、あまりたいしたことは書かれていないだろうと言っていたが、はたして、こういう解釈でいいだろうか。文字を持つということは、それでどのような言語をどのように表記したのか、ということにつながる。そして、言語というものは、一般に人間の共同体の基盤となりうるものである。(こういう観点では、東アジアにおける、漢字、漢文というのは、やっかいな問題をかかえることになるのであるが。)
宗教がなかった、と言っていいのだろうか。宗教は、言語とともに、人間の文化の根幹にかかわることである。おそらく学問的に厳密に言うならば、祭祀遺跡や遺物は発見されていないが、それが必ずしも宗教の不存在を意味するものではない。祭祀の遺跡や遺物を必要としない宗教であった可能性を否定することはできない。このようにいうべきところである。
現在の人類は、基本的に宗教を持つものであり、そこには、祭祀遺跡や遺物があるはずである、こういうことについて、現代の民族学の知見としては、どう考えることになるのだろうか。宗教を持たない民族や文化というのが、確認されているということなのだろうか。このことについて、せっかく民博の館長という人が隣にいながら、話しが発展しなかったというのは、惜しい。
秤の重りがたくさん出てきている。ということは、これで何かの重さをはかったということ、実用的なものだったと考えることになるだろうか。その場合、はかったのは何の重さだったのか。また、その重りの重さはどれぐらいで、ばらつきはどの程度なのだろうか。度量衡の統一が成されていたとするならば、それを可能にする、共同体の秩序についての意識の成立が不可欠であるように思える。あるいは、重りは、実用的なものではなく、一種の象徴……それを持っていることになんらかの意味がある……であったのだろうか。
人間の生活にとって、都市というのは、必ずしも必要なものではない。これは、都市というものを作らなかった古代文明もあったはずだ、ということになる。都市、国家、宗教、権力、というようなことについて、あまりにも近代的なものの考え方をしていることは、あらためて反省してみる必要がある。
少なくとも、西の方のメソポタミアの文明と接触があったことは確認できている。それに対して、自分たちは異なる方向の文明をきづいたということであるとするならば、そこには、他の人たちとは異なっている自分たち、という意識……共同体意識といってもいいだろうが……が、あったはずだと思うのだが、考古学としては、こういうことをどう考えるのだろうか。
2025年10月31日記
3か月でマスターする古代文明 (5)インダス 王も武器もない文明
人間が集まって暮らして、住居が密集していて、街路があったり、城壁があったりすれば、それを都市と言っていいのかと思うのだが、そもそも都市とは、考古学者は、どう定義しているのだろうか。住居の形態ではなく、そこに、なにがしかの秩序があったことが必要かもしれない。それは、非常に強大な権力による支配、ということで表現されることもあるだろう。宮殿や祭祀の場所は、必須と考えているのだろうか。
古代インダス文明では、その都市の秩序というのは、どのようなものであったのか、それは、どのようなシステムで保たれていたのか。これは、人間の文化や政治ということにかかわる。遺跡や遺物から考える考古学の範囲外のことであるといわれれば、それまでなのだが、こういうことがどうしても気になる。
王様のような権力がなくても、人間は集まって、都市の建物を設計して造ることができて、そこで、仲よく暮らすことができた。このような人間の生活もありえた、こういうことは理解できなくもない。そういうこともあったのだろうと思う。
ただ、言語とか宗教とかはどうだろうか。古代インダス文明は文字を使用していたことは確かであっても、解読はできていない。どうせ、あまりたいしたことは書かれていないだろうと言っていたが、はたして、こういう解釈でいいだろうか。文字を持つということは、それでどのような言語をどのように表記したのか、ということにつながる。そして、言語というものは、一般に人間の共同体の基盤となりうるものである。(こういう観点では、東アジアにおける、漢字、漢文というのは、やっかいな問題をかかえることになるのであるが。)
宗教がなかった、と言っていいのだろうか。宗教は、言語とともに、人間の文化の根幹にかかわることである。おそらく学問的に厳密に言うならば、祭祀遺跡や遺物は発見されていないが、それが必ずしも宗教の不存在を意味するものではない。祭祀の遺跡や遺物を必要としない宗教であった可能性を否定することはできない。このようにいうべきところである。
現在の人類は、基本的に宗教を持つものであり、そこには、祭祀遺跡や遺物があるはずである、こういうことについて、現代の民族学の知見としては、どう考えることになるのだろうか。宗教を持たない民族や文化というのが、確認されているということなのだろうか。このことについて、せっかく民博の館長という人が隣にいながら、話しが発展しなかったというのは、惜しい。
秤の重りがたくさん出てきている。ということは、これで何かの重さをはかったということ、実用的なものだったと考えることになるだろうか。その場合、はかったのは何の重さだったのか。また、その重りの重さはどれぐらいで、ばらつきはどの程度なのだろうか。度量衡の統一が成されていたとするならば、それを可能にする、共同体の秩序についての意識の成立が不可欠であるように思える。あるいは、重りは、実用的なものではなく、一種の象徴……それを持っていることになんらかの意味がある……であったのだろうか。
人間の生活にとって、都市というのは、必ずしも必要なものではない。これは、都市というものを作らなかった古代文明もあったはずだ、ということになる。都市、国家、宗教、権力、というようなことについて、あまりにも近代的なものの考え方をしていることは、あらためて反省してみる必要がある。
少なくとも、西の方のメソポタミアの文明と接触があったことは確認できている。それに対して、自分たちは異なる方向の文明をきづいたということであるとするならば、そこには、他の人たちとは異なっている自分たち、という意識……共同体意識といってもいいだろうが……が、あったはずだと思うのだが、考古学としては、こういうことをどう考えるのだろうか。
2025年10月31日記
よみがえる新日本紀行「奥信濃・千曲の渡し〜長野県野沢温泉村〜」 ― 2025-11-01
2025年11月1日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「奥信濃・千曲の渡し〜長野県野沢温泉村〜」
再放送である。番組HPでは、2023年。オリジナルは、昭和51年(1976年)。番組の中での現在の部分の取材は、2019年とあった。
この番組を見て一番おどろいたのは、現代の部分での回想。昔の、渡し船でやってきた行商のおじさんについて、代金をお米ではらっていた、と言っていたこと。昭和50年ごろまで、お米をお金の代わりに使う経済というのが、地方には残っていたということの証言である。こういうことは、日本という国のGDPには繁栄されないことかと思うし、もし計算できたとしてもごく微細なものにすぎない。しかし、日本で生活してきた人々の感覚、特に金銭とか商売とかにかかわる生活史という観点からは、非常に重要なことであると、私は思う。商品の代金をお米でもらった行商のおじさんは、重い荷物をかついで帰って行ったことになる。そのもらったお米は、どうしたのだろうか。一部は自分で食べたかもしれないが、換金するか、あるいは、そのお米で次の商品の仕入れになったかもしれない。こういうことの実際は、どうだったのだろうか。こういうことの研究は、どれぐらいなされているのだろうかと思う。
正直に言って、番組に出てきた村落が絶滅していなかったということに、おどろいたということがある。橋ができて、国道ができて、生活は格段に便利になった。現代では、交通、通信、それから上水道などの、生活インフラの整っていない限りは、普通に人びとの生活がなりたたなくなっている。だが、一方では、これらが整備されて、維持されるということなら、なんとか人間の生活できる土地として、残っていくことになる。
さりげないことかもしれないが、渡し船の船頭さんの家の中。晩酌をしているところが映っていたが、家の中の簞笥に懐中電灯がひっかけてあった。おそらく、豪雪地帯であるこの土地では、この時代では、停電するということが日常的にあたのかと思う。電気が途絶えて照明が消えたとき、すぐに家の中で手のとどくところに懐中電灯があった。これは、昭和30年代から40年代ぐらいまで、(私の体験的な記憶になるが)ごく普通の生活の様子であった。電気が安定的に供給されるようになったのは、昭和50年代以降のことかと憶えている。
渡し船は、ワイヤーを伝わって動かす。人力であり、船に動力はついていない。川の流れがゆるやかで、距離もそう離れていないということのようだから、これが、合理的な方法だったことになる。ワイヤーは、吊り橋構造になっていた。距離があるので、直接、一本のワイヤーを張るということはできない。これも、物理的に合理的なことである。
雪下ろしをしていたおじいさん。かんじきなど自分でわらから作っていた。こういうものを作る技能というのは、今では、どれぐらい受け継がれているのだろうか。強いていえば、民芸品であるし、民俗学的な資料でもある。私は、見ながら、『北越雪譜』のことを思い出した。
川をわたった集落には、タバコ屋と酒屋があるだけだという。逆にいえば、タバコ屋と酒屋は、ビジネスになったということである。現代では、おそらくタバコ屋は無理だろう。酒屋は、豪雪の地域としては、やはりなくてはならないものかもしれないと思う。
調べてみると、飯山線は、廃線にならず今でも存続している。地元の人の生活に必要だろうし、また、観光などの需要もあるということかと思う。
2025年10月29日記
よみがえる新日本紀行 「奥信濃・千曲の渡し〜長野県野沢温泉村〜」
再放送である。番組HPでは、2023年。オリジナルは、昭和51年(1976年)。番組の中での現在の部分の取材は、2019年とあった。
この番組を見て一番おどろいたのは、現代の部分での回想。昔の、渡し船でやってきた行商のおじさんについて、代金をお米ではらっていた、と言っていたこと。昭和50年ごろまで、お米をお金の代わりに使う経済というのが、地方には残っていたということの証言である。こういうことは、日本という国のGDPには繁栄されないことかと思うし、もし計算できたとしてもごく微細なものにすぎない。しかし、日本で生活してきた人々の感覚、特に金銭とか商売とかにかかわる生活史という観点からは、非常に重要なことであると、私は思う。商品の代金をお米でもらった行商のおじさんは、重い荷物をかついで帰って行ったことになる。そのもらったお米は、どうしたのだろうか。一部は自分で食べたかもしれないが、換金するか、あるいは、そのお米で次の商品の仕入れになったかもしれない。こういうことの実際は、どうだったのだろうか。こういうことの研究は、どれぐらいなされているのだろうかと思う。
正直に言って、番組に出てきた村落が絶滅していなかったということに、おどろいたということがある。橋ができて、国道ができて、生活は格段に便利になった。現代では、交通、通信、それから上水道などの、生活インフラの整っていない限りは、普通に人びとの生活がなりたたなくなっている。だが、一方では、これらが整備されて、維持されるということなら、なんとか人間の生活できる土地として、残っていくことになる。
さりげないことかもしれないが、渡し船の船頭さんの家の中。晩酌をしているところが映っていたが、家の中の簞笥に懐中電灯がひっかけてあった。おそらく、豪雪地帯であるこの土地では、この時代では、停電するということが日常的にあたのかと思う。電気が途絶えて照明が消えたとき、すぐに家の中で手のとどくところに懐中電灯があった。これは、昭和30年代から40年代ぐらいまで、(私の体験的な記憶になるが)ごく普通の生活の様子であった。電気が安定的に供給されるようになったのは、昭和50年代以降のことかと憶えている。
渡し船は、ワイヤーを伝わって動かす。人力であり、船に動力はついていない。川の流れがゆるやかで、距離もそう離れていないということのようだから、これが、合理的な方法だったことになる。ワイヤーは、吊り橋構造になっていた。距離があるので、直接、一本のワイヤーを張るということはできない。これも、物理的に合理的なことである。
雪下ろしをしていたおじいさん。かんじきなど自分でわらから作っていた。こういうものを作る技能というのは、今では、どれぐらい受け継がれているのだろうか。強いていえば、民芸品であるし、民俗学的な資料でもある。私は、見ながら、『北越雪譜』のことを思い出した。
川をわたった集落には、タバコ屋と酒屋があるだけだという。逆にいえば、タバコ屋と酒屋は、ビジネスになったということである。現代では、おそらくタバコ屋は無理だろう。酒屋は、豪雪の地域としては、やはりなくてはならないものかもしれないと思う。
調べてみると、飯山線は、廃線にならず今でも存続している。地元の人の生活に必要だろうし、また、観光などの需要もあるということかと思う。
2025年10月29日記
ドキュメント72時間「新橋 明日に向かってひとり焼き肉」 ― 2025-11-01
2025年11月1日 當山日出夫
ドキュメント72時間 新橋 明日に向かってひとり焼き肉
一人で黙って食事をするというのは、これはあっていいことだと思っている。
番組の趣旨とは関係ないことかと思うのだが、COVID-19パンデミックのとき、学校の給食の時間に、生徒が一人で黙って食べることになったことを、ニュースなどでは、非常に否定的なイメージで報じていたのが、私にとっては、印象に残っていることである。(私が小学生のころの給食の時間は、それぞれに個別に黙って食べるということが基本だった。)
日本の昔からの食事の習慣として、大勢で話しながら一緒に食事をする、飲食をともにする、というのは、一つの儀礼としてはあったことだとは思うが、日常的にはどうだったのだろうか。特に、寺院などの修行の場では、食事のときは、黙って食べるのが普通である。いや、絶対に物音を立ててはいけないのが、ルールである。こういうのは、特殊なことだともいえるかとも思うが、一般の人びとの生活として、一人で食事をするということ、黙って食べるということ、こういうことを総合的に考えるといろいろと思うところはある。
一人で食べるということは、民俗的には、別火、ということでもある。一方で、祭礼のときなどは、みんなで一緒に飲食をともにすることに意味があった、ということもある。
ところで、この番組についていえば、都市において、このような一人焼き肉の店というのは、それなりに需要があることだとは思う。そして、一人で食事をすることが、必ずしもネガティブなイメージで考えるべきではないともいえるだろう。
一緒に食事をする相手がいない孤独な生活、ということもあるだろうけれど。
銀座で働く接客業の女性……たぶんホステスで夜はどうだったのだろうかと思うことになるが……など、銀座から少し離れて新橋で、一人で焼き肉を食べるというのは、今の東京の街ならではのことだろう。
トラック運転手の男性が、ドライバーの働き方改革で、かえって仕事が増えたことになった、と言っていたが、こういうことは、事前に予見できたことなのだろうか。過労を防ぐ意味では効果があったことだが、その結果として、走った分だけかせげるという状況ではなくなったことになる。
弁理士になるのは、かなり難しいとは思うが、損な時代に巡り合わせたということである。いわゆる就職氷河期世代のこれからの人生をどうすればいいのか、社会的には大きな課題である。これは、指摘されていることではあるが、具体的には動き始めてはいないかと思っている。
他にも、登場していた人たちの生活は、まさに今の時代の東京だなあ、と感じるところが多くあった。いろいろな人がいて、いろいろな生活があるものである。
2025年10月25日記
ドキュメント72時間 新橋 明日に向かってひとり焼き肉
一人で黙って食事をするというのは、これはあっていいことだと思っている。
番組の趣旨とは関係ないことかと思うのだが、COVID-19パンデミックのとき、学校の給食の時間に、生徒が一人で黙って食べることになったことを、ニュースなどでは、非常に否定的なイメージで報じていたのが、私にとっては、印象に残っていることである。(私が小学生のころの給食の時間は、それぞれに個別に黙って食べるということが基本だった。)
日本の昔からの食事の習慣として、大勢で話しながら一緒に食事をする、飲食をともにする、というのは、一つの儀礼としてはあったことだとは思うが、日常的にはどうだったのだろうか。特に、寺院などの修行の場では、食事のときは、黙って食べるのが普通である。いや、絶対に物音を立ててはいけないのが、ルールである。こういうのは、特殊なことだともいえるかとも思うが、一般の人びとの生活として、一人で食事をするということ、黙って食べるということ、こういうことを総合的に考えるといろいろと思うところはある。
一人で食べるということは、民俗的には、別火、ということでもある。一方で、祭礼のときなどは、みんなで一緒に飲食をともにすることに意味があった、ということもある。
ところで、この番組についていえば、都市において、このような一人焼き肉の店というのは、それなりに需要があることだとは思う。そして、一人で食事をすることが、必ずしもネガティブなイメージで考えるべきではないともいえるだろう。
一緒に食事をする相手がいない孤独な生活、ということもあるだろうけれど。
銀座で働く接客業の女性……たぶんホステスで夜はどうだったのだろうかと思うことになるが……など、銀座から少し離れて新橋で、一人で焼き肉を食べるというのは、今の東京の街ならではのことだろう。
トラック運転手の男性が、ドライバーの働き方改革で、かえって仕事が増えたことになった、と言っていたが、こういうことは、事前に予見できたことなのだろうか。過労を防ぐ意味では効果があったことだが、その結果として、走った分だけかせげるという状況ではなくなったことになる。
弁理士になるのは、かなり難しいとは思うが、損な時代に巡り合わせたということである。いわゆる就職氷河期世代のこれからの人生をどうすればいいのか、社会的には大きな課題である。これは、指摘されていることではあるが、具体的には動き始めてはいないかと思っている。
他にも、登場していた人たちの生活は、まさに今の時代の東京だなあ、と感じるところが多くあった。いろいろな人がいて、いろいろな生活があるものである。
2025年10月25日記
『とと姉ちゃん』「常子、子供たちの面倒をみる」 ― 2025-11-02
2025年11月2日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、子供たちの面倒をみる」
常子と星野が再会して、常子は星野の子どもたちのために、家事をを手伝いに行くことになる。これは、ドラマの作り方として、こういう流れになってもいいかなと思うところである。
商品試験でトースターをあつかう。たしか「暮しの手帖」でもトースターを試験していたかと思う。試験としては、一年間、毎日、トースターを使い続けた場合、という設定のようだったが、昭和30年代に、それほどパン食が普及していただろうかということは気になる。毎日、朝ご飯がトーストという家庭は、今では、珍しくない。(現実に、今の、私の生活がそうなっている。)
実際のこの時代の家電製品として、重要な意味があったのは、電気炊飯器だろうと思うが、はたしてどうだろうか。電気炊飯器を最初に販売したのは東芝であるが、開発したのは、町工場だった。これは、昔の「プロジェクトX」であつかっていて、私はこの番組はあまり好きではないところがあるのだが、電気炊飯器の開発の物語は、感動的だった。
それよりも気になったのは、同時にトースターを何台も使用すると、大量に電気をつかう。ヒューズがとんでしまうということを、まず心配しないといけなかったはずである。(もう今の時代の人には、ヒューズと言っても分からないだろう。今では、ブレーカーが落ちる、である。)
また、トースターの機能と、パンの品質が関係するはずだが、パンがどんなパンを使ったかは出てきていなかった。これは、現代の観点から見ると、かなり問題のある試験だったと思える。
現在では、トースターも高級化している。ちょっと値段が高いが、使ってみると確かにきれいに美味しく焼ける(ように感じる)。
2025年11月1日記
『とと姉ちゃん』「常子、子供たちの面倒をみる」
常子と星野が再会して、常子は星野の子どもたちのために、家事をを手伝いに行くことになる。これは、ドラマの作り方として、こういう流れになってもいいかなと思うところである。
商品試験でトースターをあつかう。たしか「暮しの手帖」でもトースターを試験していたかと思う。試験としては、一年間、毎日、トースターを使い続けた場合、という設定のようだったが、昭和30年代に、それほどパン食が普及していただろうかということは気になる。毎日、朝ご飯がトーストという家庭は、今では、珍しくない。(現実に、今の、私の生活がそうなっている。)
実際のこの時代の家電製品として、重要な意味があったのは、電気炊飯器だろうと思うが、はたしてどうだろうか。電気炊飯器を最初に販売したのは東芝であるが、開発したのは、町工場だった。これは、昔の「プロジェクトX」であつかっていて、私はこの番組はあまり好きではないところがあるのだが、電気炊飯器の開発の物語は、感動的だった。
それよりも気になったのは、同時にトースターを何台も使用すると、大量に電気をつかう。ヒューズがとんでしまうということを、まず心配しないといけなかったはずである。(もう今の時代の人には、ヒューズと言っても分からないだろう。今では、ブレーカーが落ちる、である。)
また、トースターの機能と、パンの品質が関係するはずだが、パンがどんなパンを使ったかは出てきていなかった。これは、現代の観点から見ると、かなり問題のある試験だったと思える。
現在では、トースターも高級化している。ちょっと値段が高いが、使ってみると確かにきれいに美味しく焼ける(ように感じる)。
2025年11月1日記
『どんど晴れ』「おもてなしの心」 ― 2025-11-02
2025年11月2日 當山日出夫
『どんど晴れ』「おもてなしの心」
夏美の仲居修行のスタートである。
こういう旅館は、今では、どうなのだろうかと思う。現代の旅館ビジネスとしては、人員の合理化ということになっている。部屋ごとに担当の仲居がきまってサービスをするというのは、なくなりつつあることだろう。逆に、あえて昔風のこのようなサービスを提供することで、付加価値を高めるという路線もありうることになる。
見ながら思ったことであるが、夏美はまずお客さんの靴みがきの仕事をさせられる。これは、ドラマの中では言っていなかったことであるが、靴を見れば、そのお客のことが分かるということでもある。どういう靴を履いてきているか、それは日常的に手入れされているものなのか、こういうことから、お客さんについての情報を得ることができる。これを、逆にお客さんの立場から見ると、どんな靴を履いているかで、旅館の側から、客について値踏みされているということでもある。こういう旅館に初めていくときには、履き物には気をつけていかないといけないことになる。
余計なことかとも思うが、靴を見るというのは、接客業界でよくあることだろう。ただ、これは、店の方についてもいえることで、私など、レストランに行くことがあると(最近ではほとんどないが)、ウェイター、ウェイトレスの、履いている靴を見ることにしている。きちんとしている店は、店員の靴もちゃんとしている。(かなり意地の悪い客になるかもしれないけれど。)
雨が降って、石がぬれて、お客さんが転倒してケガをする。この場合、雨が降ったら敷物をしいておくというのが仲居のつとめだということになっていた。だが、これは、そもそも雨が降った場合でも、足もとが大丈夫なように安全に路面を作っておくことが、旅館の側の配慮であるというべきだろう。急に夕立などで、雨が降ってくることはあるし、そのときに、人手が足りないということもあるだろう。
ころんでケガをしたとして、女将がその部屋の廊下で徹夜で座っているというのも、あっていいことかもしれないが、私の思うところでは、あんまりこういう旅館にとまりたいとは思わない。
八幡平にハクサンチドリの花を見に行くのだが、車椅子で行くよりも、杖をついてゆっくり歩いた方が妥当なような気もするところであった。ドラマの演出としてこうなったのだろうとは思うが。
ちょっと気になったこととして、夏美が、ケガをした客の吉田に、「女将さんから聞いたことですが」と言っていたのは、かなり違和感を感じる。同じ旅館の身内については、「女将さん」ではなく、ただ「女将」でいいはずである。
このドラマの時代、カメラは、まだフィルムカメラもかなり使われていたが、デジタルカメラが急速に発達していた時期である。どういうカメラを使っていたのか、ちょっと気になる。
イーハトーブの店で夏美の歓迎会で歌われたのは、「カントリーロード」。かなり昔、中学か高校のころにラジオで聴いた曲である。
2025年11月1日記
『どんど晴れ』「おもてなしの心」
夏美の仲居修行のスタートである。
こういう旅館は、今では、どうなのだろうかと思う。現代の旅館ビジネスとしては、人員の合理化ということになっている。部屋ごとに担当の仲居がきまってサービスをするというのは、なくなりつつあることだろう。逆に、あえて昔風のこのようなサービスを提供することで、付加価値を高めるという路線もありうることになる。
見ながら思ったことであるが、夏美はまずお客さんの靴みがきの仕事をさせられる。これは、ドラマの中では言っていなかったことであるが、靴を見れば、そのお客のことが分かるということでもある。どういう靴を履いてきているか、それは日常的に手入れされているものなのか、こういうことから、お客さんについての情報を得ることができる。これを、逆にお客さんの立場から見ると、どんな靴を履いているかで、旅館の側から、客について値踏みされているということでもある。こういう旅館に初めていくときには、履き物には気をつけていかないといけないことになる。
余計なことかとも思うが、靴を見るというのは、接客業界でよくあることだろう。ただ、これは、店の方についてもいえることで、私など、レストランに行くことがあると(最近ではほとんどないが)、ウェイター、ウェイトレスの、履いている靴を見ることにしている。きちんとしている店は、店員の靴もちゃんとしている。(かなり意地の悪い客になるかもしれないけれど。)
雨が降って、石がぬれて、お客さんが転倒してケガをする。この場合、雨が降ったら敷物をしいておくというのが仲居のつとめだということになっていた。だが、これは、そもそも雨が降った場合でも、足もとが大丈夫なように安全に路面を作っておくことが、旅館の側の配慮であるというべきだろう。急に夕立などで、雨が降ってくることはあるし、そのときに、人手が足りないということもあるだろう。
ころんでケガをしたとして、女将がその部屋の廊下で徹夜で座っているというのも、あっていいことかもしれないが、私の思うところでは、あんまりこういう旅館にとまりたいとは思わない。
八幡平にハクサンチドリの花を見に行くのだが、車椅子で行くよりも、杖をついてゆっくり歩いた方が妥当なような気もするところであった。ドラマの演出としてこうなったのだろうとは思うが。
ちょっと気になったこととして、夏美が、ケガをした客の吉田に、「女将さんから聞いたことですが」と言っていたのは、かなり違和感を感じる。同じ旅館の身内については、「女将さん」ではなく、ただ「女将」でいいはずである。
このドラマの時代、カメラは、まだフィルムカメラもかなり使われていたが、デジタルカメラが急速に発達していた時期である。どういうカメラを使っていたのか、ちょっと気になる。
イーハトーブの店で夏美の歓迎会で歌われたのは、「カントリーロード」。かなり昔、中学か高校のころにラジオで聴いた曲である。
2025年11月1日記
『ばけばけ』「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」 ― 2025-11-02
2025年11月2日 當山日出夫
『ばけばけ』 「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」
ヘブン先生が松江にやってきた。この週は、ヘブン先生をめぐるドタバタ劇であったのだが、そのコミカルな作り方の中に、人間の微妙な心情を描くところがあった。
見ていて意外に思ったのが、初めて松江にやってきて、船の上のヘブン先生の表情。どう見ても、あこがれの松江にやってきたという嬉しさ、昂揚感、期待感、というものを感じなかった。それが、実は、ヘブン先生が、見知らぬ松江という町の中学校で英語教師をすることになったことへの不安であったことが、この週の終わりで語られることになる。
このドラマが始まったときもそうだったが、松江の町の音の表情が、ドラマとしてはうまく表現されている。朝、米をつく音、寺院の梵鐘、街路での物売りの声、柏手の音、これらについては、『日本の面影』で、小泉八雲が印象的に描いていることである。朝の街路での物売りの声については、『失われた時を求めて』(プルースト)が有名かと思うが、小泉八雲の描いた松江の情景も印象に残る。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について、私が謎と感じることとして、どうして、日本の古くからの生活や習慣について、非常に肯定的に見ることになったのだろうか、ということがある。強いていえば、反近代、という立場になる。一般的には、その生いたち……ギリシャでありアイルランドであり……から説明されることが多いかと思うのだが、おそらくこの時代の西欧の一般的な考え方としても、かなり特異である。西欧近代のオリエンタリズムとも、違っている。
ドラマとしては、なぜヘブン先生が日本の古いものに心が引かれるのか、そのあたりの事情をどう描くのか、ということになるかと思って見ている。
松江にやってきて、さっそく遊廓から流れて聞こえてくる三味線の音に魅了されてしまう。朝ドラのなかに遊廓などは、あまり出てこないことかと思う。近代の日本でも、昭和33年までは、法的に合法なところであった。せいぜい出てきて、戦後の風俗の中の一つとして、パンパンが出てくるぐらいである。たぶん、『べらぼう』で吉原のことを描いているということもあって、『ばけばけ』で遊廓があっても、そう忌避感を感じることはないだろうと思ってのことかもしれない。
トキは、東京から松江に帰ってシジミの行商をしている。その関係で、宿屋にシジミを売っていて、その宿屋に、ヘブン先生が泊まる(強引にここに決めた)ことになって、トキとヘブン先生の接点が生まれるという設定は、自然な流れでたくみに作ってあると感じる。この週では、ヘブン先生が、シジミ汁をのんで、「あ~」と声を上げることはなかった。これは、おそらく、この後の展開でヘブン先生の世話をすることになったトキが、シジミ汁を作って、そこで「あ~」と言うことになるのだろうと、なんとなく期待している。
ラフカディオ・ハーンは、左目が見えなかったのだが、このことについても、ドラマの中では、うまくあつかってあったと思う。
遊廓で、ヘブン先生と、隣の長屋に住んでいるトキの祖父の勘右衛門が出会って、大騒ぎになる。このとき、勘右衛門が持っていたのは木刀だった。本当の刀は、すでに売ってしまってない。貧乏な士族の生活を描くことと、ここで木刀での立ち回りになることとが、自然につながっている。これが、本物の刀だったら、あぶないところである。
錦織が東京から松江に戻って、中学校で教えている。このあたりの事情についても、いろいろとわけがありそうである。ただ、県知事が話していることばが、松江方言なのは、どうかなと思うところがある。この時代、県知事は、中央の政府からの任命で、今のように地元の選挙で選ばれるということではない。たまたま、松江出身の知事だったということでいいだろうか。
トキは言う。ヘブン先生も私たちと同じ人間である、と。天狗でも、鬼でも、河童でもない。こういう視点、つまり、普通の人の普通の生活の感覚を描こうということは、意外とむずかしいことかと思う。特別な人の特別な感覚を描こうというのは、簡単にできそうである。しかし、近年の朝ドラの歴史としては、このような方向のドラマは、あまり出来が良くない。一部から非常に歓迎されても、多くの視聴者にうったえるところに欠けるものになってしまっている。『ばけばけ』の場合、あえて明治時代の異人という設定で、その時代の市井の人びとの感覚を描くことになっているが、これは、今のところ成功しているといっていいだろう。
ヘブン先生は、実は新聞記者であった、ということである。これを強調するためだろうか、松江の新聞社の新聞記者を、あえて悪く(?)描いている。この新聞記者や新聞記事が、かなりオーバーな表現ながらも、松江の人たちの異人さんへの反応を表すものとなっていると同時に、たまたまそこに居合わせた新聞記者が、英語を理解して、話しの展開の手助けをするようになっている。このあたりの脚本の作り方は、たくみである。
さらにいえば、ラシャメンとか、異人とか、これまでの朝ドラだったら、普通は使わないようなことばをあえて多用している。遊廓の女性のなみさんも、普通の女性ということで登場している。普通のドラマだったら、普通の人とは描かれないような人を普通に描く、ということにしていると理解できる。
細かなことだが、松江の印象を語るヘブン先生は、「神々」と複数の表現をしていた。一神教的に「神」とは言っていなかった。こういうところは、細かく考えて作ってあると思う。
2025年10月31日記
『ばけばけ』 「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」
ヘブン先生が松江にやってきた。この週は、ヘブン先生をめぐるドタバタ劇であったのだが、そのコミカルな作り方の中に、人間の微妙な心情を描くところがあった。
見ていて意外に思ったのが、初めて松江にやってきて、船の上のヘブン先生の表情。どう見ても、あこがれの松江にやってきたという嬉しさ、昂揚感、期待感、というものを感じなかった。それが、実は、ヘブン先生が、見知らぬ松江という町の中学校で英語教師をすることになったことへの不安であったことが、この週の終わりで語られることになる。
このドラマが始まったときもそうだったが、松江の町の音の表情が、ドラマとしてはうまく表現されている。朝、米をつく音、寺院の梵鐘、街路での物売りの声、柏手の音、これらについては、『日本の面影』で、小泉八雲が印象的に描いていることである。朝の街路での物売りの声については、『失われた時を求めて』(プルースト)が有名かと思うが、小泉八雲の描いた松江の情景も印象に残る。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について、私が謎と感じることとして、どうして、日本の古くからの生活や習慣について、非常に肯定的に見ることになったのだろうか、ということがある。強いていえば、反近代、という立場になる。一般的には、その生いたち……ギリシャでありアイルランドであり……から説明されることが多いかと思うのだが、おそらくこの時代の西欧の一般的な考え方としても、かなり特異である。西欧近代のオリエンタリズムとも、違っている。
ドラマとしては、なぜヘブン先生が日本の古いものに心が引かれるのか、そのあたりの事情をどう描くのか、ということになるかと思って見ている。
松江にやってきて、さっそく遊廓から流れて聞こえてくる三味線の音に魅了されてしまう。朝ドラのなかに遊廓などは、あまり出てこないことかと思う。近代の日本でも、昭和33年までは、法的に合法なところであった。せいぜい出てきて、戦後の風俗の中の一つとして、パンパンが出てくるぐらいである。たぶん、『べらぼう』で吉原のことを描いているということもあって、『ばけばけ』で遊廓があっても、そう忌避感を感じることはないだろうと思ってのことかもしれない。
トキは、東京から松江に帰ってシジミの行商をしている。その関係で、宿屋にシジミを売っていて、その宿屋に、ヘブン先生が泊まる(強引にここに決めた)ことになって、トキとヘブン先生の接点が生まれるという設定は、自然な流れでたくみに作ってあると感じる。この週では、ヘブン先生が、シジミ汁をのんで、「あ~」と声を上げることはなかった。これは、おそらく、この後の展開でヘブン先生の世話をすることになったトキが、シジミ汁を作って、そこで「あ~」と言うことになるのだろうと、なんとなく期待している。
ラフカディオ・ハーンは、左目が見えなかったのだが、このことについても、ドラマの中では、うまくあつかってあったと思う。
遊廓で、ヘブン先生と、隣の長屋に住んでいるトキの祖父の勘右衛門が出会って、大騒ぎになる。このとき、勘右衛門が持っていたのは木刀だった。本当の刀は、すでに売ってしまってない。貧乏な士族の生活を描くことと、ここで木刀での立ち回りになることとが、自然につながっている。これが、本物の刀だったら、あぶないところである。
錦織が東京から松江に戻って、中学校で教えている。このあたりの事情についても、いろいろとわけがありそうである。ただ、県知事が話していることばが、松江方言なのは、どうかなと思うところがある。この時代、県知事は、中央の政府からの任命で、今のように地元の選挙で選ばれるということではない。たまたま、松江出身の知事だったということでいいだろうか。
トキは言う。ヘブン先生も私たちと同じ人間である、と。天狗でも、鬼でも、河童でもない。こういう視点、つまり、普通の人の普通の生活の感覚を描こうということは、意外とむずかしいことかと思う。特別な人の特別な感覚を描こうというのは、簡単にできそうである。しかし、近年の朝ドラの歴史としては、このような方向のドラマは、あまり出来が良くない。一部から非常に歓迎されても、多くの視聴者にうったえるところに欠けるものになってしまっている。『ばけばけ』の場合、あえて明治時代の異人という設定で、その時代の市井の人びとの感覚を描くことになっているが、これは、今のところ成功しているといっていいだろう。
ヘブン先生は、実は新聞記者であった、ということである。これを強調するためだろうか、松江の新聞社の新聞記者を、あえて悪く(?)描いている。この新聞記者や新聞記事が、かなりオーバーな表現ながらも、松江の人たちの異人さんへの反応を表すものとなっていると同時に、たまたまそこに居合わせた新聞記者が、英語を理解して、話しの展開の手助けをするようになっている。このあたりの脚本の作り方は、たくみである。
さらにいえば、ラシャメンとか、異人とか、これまでの朝ドラだったら、普通は使わないようなことばをあえて多用している。遊廓の女性のなみさんも、普通の女性ということで登場している。普通のドラマだったら、普通の人とは描かれないような人を普通に描く、ということにしていると理解できる。
細かなことだが、松江の印象を語るヘブン先生は、「神々」と複数の表現をしていた。一神教的に「神」とは言っていなかった。こういうところは、細かく考えて作ってあると思う。
2025年10月31日記
おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 丹下健三〜建築・道・ひろば・都市〜」 ― 2025-11-03
2025年11月3日 當山日出夫
おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 丹下健三〜建築・道・ひろば・都市〜」
録画してあったのをようやく見た。1980年の放送である。
丹下健三が、戦後の日本を代表する建築家であることは、よく知っていることなのだが、その人物がどんな人であるのか、ということは、あまり考えたことがなかった。
まあ、名だたる建築家の建てたものというのは、どこか使いにくいところがあって、中を歩いていて道に迷ったり、けつまづいてたり、頭をぶつけたり、天井から雨漏りがしたり、というものだと思っている……近年に経験した例だと、とある有名な(建築としても非常に有名な)美術館で、中にはいると、人が頭をぶつけてケガをしないように、防護のためのテープが巻いてあったりする箇所があって、高名な建築家に頼むと、後が大変だよなあ、とつくづく思ったものである。
丹下健三の建てた建物についても、いろいろと問題があるらしいのだが、これは、もはや都市伝説といっていいかもしれない。
だが、代々木の室内競技場は、見た目にはとても美しい。これが、吊り橋の構造を使ったものであるということは知っていたことなのだが、今なら、コンピュータの3DCGでいろいろと試しながら作るところだろう。それを、その時代(東京オリンピックのとき)に考えたというのは、すごいことだと思う。
構造主義ということを言っていたが、これは、時代を感じることばである。レヴィ・ストロースなどが、知識人の間で流行った時代である。都市の建築が、それ一つで完結するものではなく、都市全体の構造の中で考えなければならないということは、今では、普通の考え方かと思う。
東京オリンピックから、大阪万博までの間が、戦後の日本で、最も良かった時代として、私などの年代の人間であれば懐古することになることが多いだろう。やはり、この時代の建築には、その時代の思想があったと感じるところである。
外国の大学や都市の建築にかかわった話しで興味深かったのは、将来の発展を見越していることである。大学であれば、学科が増えたときにどうするのか、ということが考えてある。これが、おそらくは、現代の日本の大学のキャンパスの建築から、完全に抜け落ちているところだと、私などは実感する。
大学にしても、都市にしても、軸を二次元的に発想しているのは、やはり、時代である。現代ならば、高層建築として、三次元で考えることになるだろう。
歴史的に、都市の設計思想史ということは、とても面白い研究分野だろうと思う。文明史であり、文化史であり、また、技術史でもある。若い人にとっては、非常に魅力的な研究分野かと思う。
2025年10月24日記
おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 丹下健三〜建築・道・ひろば・都市〜」
録画してあったのをようやく見た。1980年の放送である。
丹下健三が、戦後の日本を代表する建築家であることは、よく知っていることなのだが、その人物がどんな人であるのか、ということは、あまり考えたことがなかった。
まあ、名だたる建築家の建てたものというのは、どこか使いにくいところがあって、中を歩いていて道に迷ったり、けつまづいてたり、頭をぶつけたり、天井から雨漏りがしたり、というものだと思っている……近年に経験した例だと、とある有名な(建築としても非常に有名な)美術館で、中にはいると、人が頭をぶつけてケガをしないように、防護のためのテープが巻いてあったりする箇所があって、高名な建築家に頼むと、後が大変だよなあ、とつくづく思ったものである。
丹下健三の建てた建物についても、いろいろと問題があるらしいのだが、これは、もはや都市伝説といっていいかもしれない。
だが、代々木の室内競技場は、見た目にはとても美しい。これが、吊り橋の構造を使ったものであるということは知っていたことなのだが、今なら、コンピュータの3DCGでいろいろと試しながら作るところだろう。それを、その時代(東京オリンピックのとき)に考えたというのは、すごいことだと思う。
構造主義ということを言っていたが、これは、時代を感じることばである。レヴィ・ストロースなどが、知識人の間で流行った時代である。都市の建築が、それ一つで完結するものではなく、都市全体の構造の中で考えなければならないということは、今では、普通の考え方かと思う。
東京オリンピックから、大阪万博までの間が、戦後の日本で、最も良かった時代として、私などの年代の人間であれば懐古することになることが多いだろう。やはり、この時代の建築には、その時代の思想があったと感じるところである。
外国の大学や都市の建築にかかわった話しで興味深かったのは、将来の発展を見越していることである。大学であれば、学科が増えたときにどうするのか、ということが考えてある。これが、おそらくは、現代の日本の大学のキャンパスの建築から、完全に抜け落ちているところだと、私などは実感する。
大学にしても、都市にしても、軸を二次元的に発想しているのは、やはり、時代である。現代ならば、高層建築として、三次元で考えることになるだろう。
歴史的に、都市の設計思想史ということは、とても面白い研究分野だろうと思う。文明史であり、文化史であり、また、技術史でもある。若い人にとっては、非常に魅力的な研究分野かと思う。
2025年10月24日記
『八重の桜』「離縁のわけ」 ― 2025-11-03
2025年11月3日 當山日出夫
『八重の桜』「離縁のわけ」
会津が斗南藩になって、それから、廃藩置県までのことだった。
もし、もう一回、大学生にもどって何を専攻するかとなったら、歴史学を選んでいたかもしれない。このとき、明治維新をはさんで、日本の政治や経済、人びとの生活がどんなふうに変わったことになるのか、というのは、非常に面白いことだろうと、今になって思うことがある。これは、日本の近代とは何であるのか、ということを考えなおすことである。ただ「坂の上の雲」の時代として、昔の明治はよかったということではなく、同時に、近代の天皇制国家を全面的に否定するわけでもなく、人びとの生活と意識がどう変わっていったのか、ということを考えてみたい。この意味では、今やっている『ばけばけ』のあたりが、非常に興味深いところではある。
廃藩置県、藩がなくなるというのは、明治のこの時代の武士にとって、どんなふうだったのだろうか。今のイメージでいえば、会社が倒産して、明日から給料がもらえなくなる……ということに近いのかもしれないが、どんな感じだったのだろうか。生活の糧の問題もあるが、武士という身分のこともあったにちがいない。また、地方の武士と、江戸の幕臣とでも、ちがっただろう。
八重は、京都に行くことになる。山本覚馬の『管見』が契機となって、近代の京都の街につながっていったということは、言われていることである。京都の街から見た近代ということでは、いろいろと面白いことはある。近代の日本というと、どうしても東京を中心に考えてしまうことになるが、京都における、疎水、小学校、電車など、近代を代表するものがいくつかある。
ドラマでは、時栄がとてもいい。このドラマのこれからの京都編では、重要な人物ということになる。
2025年11月2日記
『八重の桜』「離縁のわけ」
会津が斗南藩になって、それから、廃藩置県までのことだった。
もし、もう一回、大学生にもどって何を専攻するかとなったら、歴史学を選んでいたかもしれない。このとき、明治維新をはさんで、日本の政治や経済、人びとの生活がどんなふうに変わったことになるのか、というのは、非常に面白いことだろうと、今になって思うことがある。これは、日本の近代とは何であるのか、ということを考えなおすことである。ただ「坂の上の雲」の時代として、昔の明治はよかったということではなく、同時に、近代の天皇制国家を全面的に否定するわけでもなく、人びとの生活と意識がどう変わっていったのか、ということを考えてみたい。この意味では、今やっている『ばけばけ』のあたりが、非常に興味深いところではある。
廃藩置県、藩がなくなるというのは、明治のこの時代の武士にとって、どんなふうだったのだろうか。今のイメージでいえば、会社が倒産して、明日から給料がもらえなくなる……ということに近いのかもしれないが、どんな感じだったのだろうか。生活の糧の問題もあるが、武士という身分のこともあったにちがいない。また、地方の武士と、江戸の幕臣とでも、ちがっただろう。
八重は、京都に行くことになる。山本覚馬の『管見』が契機となって、近代の京都の街につながっていったということは、言われていることである。京都の街から見た近代ということでは、いろいろと面白いことはある。近代の日本というと、どうしても東京を中心に考えてしまうことになるが、京都における、疎水、小学校、電車など、近代を代表するものがいくつかある。
ドラマでは、時栄がとてもいい。このドラマのこれからの京都編では、重要な人物ということになる。
2025年11月2日記
『べらぼう』「招かれざる客」 ― 2025-11-03
2025年11月3日 當山日出夫
『べらぼう』 「招かれざる客」
冒頭のところで、蔦重が、俳諧は面白いと言っていたのには、見ていて思わず笑い出しそうになったというか、何を今さらという気になった、ということである。江戸時代の、一般の人びと(ある程度以上の識字層)における文芸ということを考えるならば、俳諧ということは、避けてとおることはできないものである。それが、このドラマで、今まで出てきていなかったということが、考えてみれば異常なのである。江戸時代の人たちが、黄表紙ばかり読んでいたということでは、絶対にないだろう。戯作(黄表紙と狂歌)だけで、江戸時代の文芸の世界を描こうということが、そもそも無理筋なのである。
地本問屋と書物問屋で、あつかう本の種類が具体的にどう変わるのか、これが分かるようになっていないと、蔦重がなぜ書物問屋になろうとしたのか、その意味が分からない。
浮世絵は、この時代に非常に流行したものであることは確かなのだが、これも、この時代の中での、その他の美術、芸術と、どうかかわるものだったかということが見えてこないと、見ていて面白くない。江戸時代の絵師といっても、いろいろだったにちがいないが、その中にあって、浮世絵はどういう位置づけだったのだろうか。浮世絵を語るのに、歌舞伎に題材をとった役者絵のことは、必須だろうが、このドラマの中で、歌舞伎の俳優のことや、興行のことは、ほとんど出てきていなかった。これなしに、これから、突然、写楽の登場となっても、どうなのだろうかと思う。
以上のようなことを思うのだが、ただ、歌麿と蔦重のドラマとして見ると、これはこれで面白いものになっている。絵師としての歌麿と、板元としての蔦重、この二人の吉原での関係から今にいたるまでのいろんなできごとは、うまく作ってあると思う。芸術ということは、ドラマなどで描きにくいことの一つかと思っているのだが、『べらぼう』では、どうにかうまく作っていると感じる。(無論、実際の歌麿がどんな人物であったかは、まったく想像のかなたのことであるのだが。)
松平定信の部分は、蔦重との関係がとぎれているので、なんとなく宙に浮いている印象がある。だからといって、寛政の改革ということなしに、蔦重のことを描くことはできないし、どう見ていいか、ちょっととまどうところがある。
おきた、おひさ、豊ひな……この三人のことは、蔦重と浮世絵を語るときに、かならず登場する。まあ、特別サービスということで、お茶の値段とか、煎餅の値段が特別価格になってもいいかとも思うが、公儀としては、目立つことはするな、ということだったのかとも思う。世の中の頭の固い役人とは、実質的にどうのこうのよりも、派手に目立つシンボリックなものを目の敵にするものである。
蔦重が、板木を没収されたとしても、刷った本が残っているなら、それを使って被せ彫りで新しく同じものを作ることは可能なのだが、実際にはどうだったのだろうか。こういうことについて、江戸の戯作についての書誌学的研究は、どうなっているのか。(もう、リタイアした身としては、論文を探して読んでみようという気にはならないでいる。)
浮世絵のモデルの女性の名前を消す、表示を改める、というとき、新しく板木を作るということのようだったが、普通に考えれば、埋木でおこなうかと思われる。浮世絵について、厳密な書誌学的研究としては、どういうことになっているのだろうか。(これも、浮世絵の板木についての書誌学的研究の現在は、どうなっているのかと思うところである。)
浮世絵・錦絵の制作に(今でいう)工房のようなものがあったとしても、おかしくはないかもしれない。現代では、芸術は個人のいとなみという面が強く意識されるようになっているが、江戸時代はどうだっただろうか。錦絵(版画)の制作となると、絵師のみならず、彫師、摺師、などの協業が必須であるから、ある種の工房的なものが、業界の中にあったとはいえそうである。このあたりのことについては、現代の美術史研究としては、どう考えることになるのだろうか。これらの絵師や職人をうまく手配するのが、蔦重などの仕事だったということかとも思うのだが。
2025年11月2日記
『べらぼう』 「招かれざる客」
冒頭のところで、蔦重が、俳諧は面白いと言っていたのには、見ていて思わず笑い出しそうになったというか、何を今さらという気になった、ということである。江戸時代の、一般の人びと(ある程度以上の識字層)における文芸ということを考えるならば、俳諧ということは、避けてとおることはできないものである。それが、このドラマで、今まで出てきていなかったということが、考えてみれば異常なのである。江戸時代の人たちが、黄表紙ばかり読んでいたということでは、絶対にないだろう。戯作(黄表紙と狂歌)だけで、江戸時代の文芸の世界を描こうということが、そもそも無理筋なのである。
地本問屋と書物問屋で、あつかう本の種類が具体的にどう変わるのか、これが分かるようになっていないと、蔦重がなぜ書物問屋になろうとしたのか、その意味が分からない。
浮世絵は、この時代に非常に流行したものであることは確かなのだが、これも、この時代の中での、その他の美術、芸術と、どうかかわるものだったかということが見えてこないと、見ていて面白くない。江戸時代の絵師といっても、いろいろだったにちがいないが、その中にあって、浮世絵はどういう位置づけだったのだろうか。浮世絵を語るのに、歌舞伎に題材をとった役者絵のことは、必須だろうが、このドラマの中で、歌舞伎の俳優のことや、興行のことは、ほとんど出てきていなかった。これなしに、これから、突然、写楽の登場となっても、どうなのだろうかと思う。
以上のようなことを思うのだが、ただ、歌麿と蔦重のドラマとして見ると、これはこれで面白いものになっている。絵師としての歌麿と、板元としての蔦重、この二人の吉原での関係から今にいたるまでのいろんなできごとは、うまく作ってあると思う。芸術ということは、ドラマなどで描きにくいことの一つかと思っているのだが、『べらぼう』では、どうにかうまく作っていると感じる。(無論、実際の歌麿がどんな人物であったかは、まったく想像のかなたのことであるのだが。)
松平定信の部分は、蔦重との関係がとぎれているので、なんとなく宙に浮いている印象がある。だからといって、寛政の改革ということなしに、蔦重のことを描くことはできないし、どう見ていいか、ちょっととまどうところがある。
おきた、おひさ、豊ひな……この三人のことは、蔦重と浮世絵を語るときに、かならず登場する。まあ、特別サービスということで、お茶の値段とか、煎餅の値段が特別価格になってもいいかとも思うが、公儀としては、目立つことはするな、ということだったのかとも思う。世の中の頭の固い役人とは、実質的にどうのこうのよりも、派手に目立つシンボリックなものを目の敵にするものである。
蔦重が、板木を没収されたとしても、刷った本が残っているなら、それを使って被せ彫りで新しく同じものを作ることは可能なのだが、実際にはどうだったのだろうか。こういうことについて、江戸の戯作についての書誌学的研究は、どうなっているのか。(もう、リタイアした身としては、論文を探して読んでみようという気にはならないでいる。)
浮世絵のモデルの女性の名前を消す、表示を改める、というとき、新しく板木を作るということのようだったが、普通に考えれば、埋木でおこなうかと思われる。浮世絵について、厳密な書誌学的研究としては、どういうことになっているのだろうか。(これも、浮世絵の板木についての書誌学的研究の現在は、どうなっているのかと思うところである。)
浮世絵・錦絵の制作に(今でいう)工房のようなものがあったとしても、おかしくはないかもしれない。現代では、芸術は個人のいとなみという面が強く意識されるようになっているが、江戸時代はどうだっただろうか。錦絵(版画)の制作となると、絵師のみならず、彫師、摺師、などの協業が必須であるから、ある種の工房的なものが、業界の中にあったとはいえそうである。このあたりのことについては、現代の美術史研究としては、どう考えることになるのだろうか。これらの絵師や職人をうまく手配するのが、蔦重などの仕事だったということかとも思うのだが。
2025年11月2日記
木村多江の、いまさらですが「蔦重と写楽が描いた歌舞伎の魂」 ― 2025-11-04
2025年11月4日 當山日出夫
木村多江の、いまさらですが 蔦重と写楽が描いた歌舞伎の魂
この番組は、どうやらNHKの中でも、非主流(?)ということを自覚しているようである。ことさらに反主流的で批判的であるというほどではないが。
『べらぼう』では、ようやく歌麿の美人画(大首絵)が出てきたところである。これからの興味は、どうしても、東洲斎写楽のことになる。
だが、『べらぼう』では、写楽の錦絵が登場するための、前段階として、江戸の歌舞伎ということを、まったく描いてきていない。写楽が誰であったのかということは、これはこれで面白く作ることはできるかもしれない。しかし、写楽の役者絵が、いきなり登場してきても、たぶんストーリーの展開の上では、かなり無理をしなければならないかもしれない。
この時代の悪所が、吉原であり、また、芝居小屋であったことは、江戸時代の常識だろう。『べらぼう』では、吉原はとても細かく描いたのだが、芝居小屋や歌舞伎役者のことは、さっぱりであった。これで、突然、歌舞伎役者の大首絵が出てきても、どうなのだろうかと思うが、はたしてどうなるだろうか。
このところ、ナレーションや科白が、説明的になっているということもある。この前の放送で、加藤千蔭が出てきたときは、妻のていの科白で説明があっただけで、この時代の国学や和歌のことについては、ふれるところがなかった。
写楽が登場してきて、この時代の歌舞伎は、芝居小屋は……と、お稲荷さんから説明があったとして、なんとかドラマの筋のつじつまは合わせられるだろうが、なんとなく無理をしているということになるだろう。今から、この時代の芝居小屋のセットを作ることになるのだろうか。(半分ぐらいは期待している。)
錦絵(役者絵)を語ることは、江戸時代の芸能史(歌舞伎)を語ることと、大きく重なる。このことの準備が、あまりにおろそかだったということかと思う。だが、これも、突然あらわれて、突然きえた、謎の絵師ということで、写楽をあつかうなら、なんとかなるところかもしれない。
番組としては、写楽、それから、歌舞伎の歴史を、ざっくりと説明しているかたちだったが、この番組の脚本を書いた人は、かなりリサーチして作っていることが分かる。現在残っている写楽の作品から分かることと、推測で考えること、これが区別して番組が作ってあった。
浮世絵が等しく紙くずであった(ここまでは明言していなかったが)からこそ、残っているものを数えれば、どの作品がどれぐらい刷られて売られたものなのかが、分かることになる。
歌舞伎の歴史については、かぶきもの、ということから始まって、概略をおさえていただろうか。特に、日本の芸能と異性装ということをきちんと語っていた。また、歌舞伎は伝統芸能であると同時に、常に時代の潮流に合わせた大衆芸能であったことも重要である。(だが、現在では、普通の庶民が気楽に楽しめるものではなくなってしまっているのだが。はっきりいって、チケットがとても高額である。)
そして、重要なこととして、現在のわれわれが、写楽の絵に感じるもの……それは、役者を演じる俳優の個性と役どころ、この微妙な関係の表現が、なまなましく表現されているということ、これが、江戸時代の人びとに理解される芸術ではなかったということが、かなり婉曲な言い方をしていたが、はっきりと言っていることである。写楽が評価されるようになったのは、20世紀になってから、西洋の人の目によってであった。
なお、使ってあった浮世絵の画像資料は、ColBase、メトロポリタン美術館、シカゴ美術館、東京都立中央図書館、ということだった。(私は、画像資料の典拠が映るときは、かならず見ている)。
2025年10月28日記
木村多江の、いまさらですが 蔦重と写楽が描いた歌舞伎の魂
この番組は、どうやらNHKの中でも、非主流(?)ということを自覚しているようである。ことさらに反主流的で批判的であるというほどではないが。
『べらぼう』では、ようやく歌麿の美人画(大首絵)が出てきたところである。これからの興味は、どうしても、東洲斎写楽のことになる。
だが、『べらぼう』では、写楽の錦絵が登場するための、前段階として、江戸の歌舞伎ということを、まったく描いてきていない。写楽が誰であったのかということは、これはこれで面白く作ることはできるかもしれない。しかし、写楽の役者絵が、いきなり登場してきても、たぶんストーリーの展開の上では、かなり無理をしなければならないかもしれない。
この時代の悪所が、吉原であり、また、芝居小屋であったことは、江戸時代の常識だろう。『べらぼう』では、吉原はとても細かく描いたのだが、芝居小屋や歌舞伎役者のことは、さっぱりであった。これで、突然、歌舞伎役者の大首絵が出てきても、どうなのだろうかと思うが、はたしてどうなるだろうか。
このところ、ナレーションや科白が、説明的になっているということもある。この前の放送で、加藤千蔭が出てきたときは、妻のていの科白で説明があっただけで、この時代の国学や和歌のことについては、ふれるところがなかった。
写楽が登場してきて、この時代の歌舞伎は、芝居小屋は……と、お稲荷さんから説明があったとして、なんとかドラマの筋のつじつまは合わせられるだろうが、なんとなく無理をしているということになるだろう。今から、この時代の芝居小屋のセットを作ることになるのだろうか。(半分ぐらいは期待している。)
錦絵(役者絵)を語ることは、江戸時代の芸能史(歌舞伎)を語ることと、大きく重なる。このことの準備が、あまりにおろそかだったということかと思う。だが、これも、突然あらわれて、突然きえた、謎の絵師ということで、写楽をあつかうなら、なんとかなるところかもしれない。
番組としては、写楽、それから、歌舞伎の歴史を、ざっくりと説明しているかたちだったが、この番組の脚本を書いた人は、かなりリサーチして作っていることが分かる。現在残っている写楽の作品から分かることと、推測で考えること、これが区別して番組が作ってあった。
浮世絵が等しく紙くずであった(ここまでは明言していなかったが)からこそ、残っているものを数えれば、どの作品がどれぐらい刷られて売られたものなのかが、分かることになる。
歌舞伎の歴史については、かぶきもの、ということから始まって、概略をおさえていただろうか。特に、日本の芸能と異性装ということをきちんと語っていた。また、歌舞伎は伝統芸能であると同時に、常に時代の潮流に合わせた大衆芸能であったことも重要である。(だが、現在では、普通の庶民が気楽に楽しめるものではなくなってしまっているのだが。はっきりいって、チケットがとても高額である。)
そして、重要なこととして、現在のわれわれが、写楽の絵に感じるもの……それは、役者を演じる俳優の個性と役どころ、この微妙な関係の表現が、なまなましく表現されているということ、これが、江戸時代の人びとに理解される芸術ではなかったということが、かなり婉曲な言い方をしていたが、はっきりと言っていることである。写楽が評価されるようになったのは、20世紀になってから、西洋の人の目によってであった。
なお、使ってあった浮世絵の画像資料は、ColBase、メトロポリタン美術館、シカゴ美術館、東京都立中央図書館、ということだった。(私は、画像資料の典拠が映るときは、かならず見ている)。
2025年10月28日記
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