「なぜ“原画”は海外へ マンガ・アニメ文化の行方」2025-12-02

2025年12月2日 當山日出夫

「なぜ“原画”は海外へ マンガ・アニメ文化の行方」

『べらぼう』の関係で、いろんな特集番組が作られてきた。その多くは見ていると思うのだが、不満がある。また、『べらぼう』にも不満がある。これについては、すでに書いてきたことだが、改めて確認しておきたい。

浮世絵が日本から流出したのは、ゴミだったからである。江戸時代から明治のはじめにかけて、それが美術として評価されることはなかった。日本人が捨てたものを、西洋人が拾っただけのことである。

今の日本にある著名な浮世絵のコレクションは、明治になって、西洋で評価されることを逆輸入することで、日本に残っていたもの、海外で手に入るものなどをかき集めたもの……ざっと、こういうことだろうと思っている。江戸時代の浮世絵が作られた同じ時代から、人びとが集めて残してきたというものではない。

蔦屋重三郎であっても、売れる浮世絵を作ることになったのだが、この同じ時代に、これを美術品として残すという発想はなかったことになる。歌麿しかり、写楽しかりである。

このようなことを、NHKで作った『べらぼう』関係の番組では、一切語ることはなかったし、また、『べらぼう』のドラマのうちでも、浮世絵を価値のあるものとして、残そうとしない同時代の人びとということを、まったく描いていない。

こういうNHKが、マンガの原画のことをあつかって、かつての浮世絵のようにしてはいけないと言っても、あまり説得力があるとは、私は感じない。

それから、マンガや、その原画が、現在では貴重な文化遺産であるという認識はあるとしても、もっとも通俗的な、いわゆるエロマンガについては、どうなのだろうかと思う。手塚治虫などの著名なマンガ家作品のことだけをあつかうのではなく、簡単に読み捨てられゴミになってしまっている、大人向けのエロマンガも、残しておけば、将来的には非常に価値のあるもの……文化史、出版史、漫画史、それからジェンダー史の観点から……になるはずである。

ようやく、最近になって、浮世絵でも、春画が一般に市民権を得て堂々と語ることができるようになったという経緯がある。評価は時代によって変わることがあるとしても、とにかく集めて残しておく必要がある、ということは、いろんな文化にかかわる事象について言えることである。

マンガ原画やセル画の保存については、保存科学の知見から、どのようにすべきか考えることになる。現代の紙であるから、脱酸処理が必要かもしれないし、また、写植で印刷した科白の部分のノリがどうなるか、課題は多いだろう。せめて、現在のマンガ家の家族が保存している原画が、中性紙の箱に保存されているのが、マシな対応というべきだろうか。

また、マンガについての言説史の資料も残すべきである。かつて、手塚治虫の作品は、低俗、子どもに読ませられない、と世間から評価された時代もあった。今、白ポストの実物は残っているのだろうか。マンガが、世の中でどう評価されてきたかという史料も残さなければならないものである。

県立の民俗博物館の民具コレクションが増えすぎたので、3Dスキャンしてデジタルデータを残して廃棄してしまえばいいと、維新の知事が言った。こういう政党が与党としている政権に、文化財を残すことの歴史的な意義を語っても、どうなるのかと思うところである。

2025年11月29日記

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