英雄たちの選択「武田兄弟! 信玄と信繁“戦国最強”の絆」 ― 2026-02-02
2026年2月2日 當山日出夫
英雄たちの選択 武田兄弟! 信玄と信繁“戦国最強”の絆
『豊臣兄弟!』にあやかって企画した番組だろう。私の視点でみて、とても興味深いことがある。
豊臣兄弟で、秀長のことをとりあげるとき、秀長についての史料がきわめて少ない、ということがあった。そして、この番組でも、まず言っていたことは、武田信繁についての史料が少ない、ということであった。
史料……主に古文書(狭義の)ということになるだろうが、その他の古記録や日記などをふくめるとして……が残っていなければ、歴史学は研究できない。このとき、史料が無いということを、歴史研究者はどう考えるのだろうか。
秀長や信繁について史料が少ないというのは、何故なのだろうか。戦国大名で、兄のもとで、ナンバー2として仕事をしたとしても、その仕事にともなって文書は発給することがなかった、ということになるのだろうか。さらにいえば、文書を発給する必要のない、あるいは、そういう証拠になる文書を残してはいけないような仕事をしていた、ということを考えていいのだろうか。また、文書を発給していたとしても、それを受け取った側が、残してはいけないということで、すぐに廃棄処分ということだったのだろうか。
残っている古文書については、歴史学研究者は雄弁に語ってくれるのだが、しかし、歴史の全体像としては、古文書が残っていないということをふくめて、考えなければならないことのはずである。特に、メディア論のような観点で、歴史や史料を見るとすると、こういうことを考えざるをえないはずである。
武田信繁のこと、あるいは、組織のナンバー2のこと、このようなことを考える前に、上記のようなことを、私としては、まず思うことになる。
組織論として見た場合、戦国武将、戦国大名の組織というのはどうだったのだろうか。組織のトップに立つものがまず考えなければならないのは、自分の代でどうするかということはもちろんあるとしても、そのイエをどう継続させるか、ということも重要である。言いかえるならば、後継者をどうするかを考えるのが、組織リーダーの、まず考えなければならないことである。
江戸時代以降の武士の意識としては、イエの存続ということが、重要なことであったし、同じようなことは、商家についてもいえるかと思う。もう今では言われなくなったことだが、「文明としてのイエ社会」は、再度、考えられてもいいことかもしれない。
戦国武将については、イエの存続ということは、あまり重要なことではなかったということなのだろうか。
2026年1月24日記
英雄たちの選択 武田兄弟! 信玄と信繁“戦国最強”の絆
『豊臣兄弟!』にあやかって企画した番組だろう。私の視点でみて、とても興味深いことがある。
豊臣兄弟で、秀長のことをとりあげるとき、秀長についての史料がきわめて少ない、ということがあった。そして、この番組でも、まず言っていたことは、武田信繁についての史料が少ない、ということであった。
史料……主に古文書(狭義の)ということになるだろうが、その他の古記録や日記などをふくめるとして……が残っていなければ、歴史学は研究できない。このとき、史料が無いということを、歴史研究者はどう考えるのだろうか。
秀長や信繁について史料が少ないというのは、何故なのだろうか。戦国大名で、兄のもとで、ナンバー2として仕事をしたとしても、その仕事にともなって文書は発給することがなかった、ということになるのだろうか。さらにいえば、文書を発給する必要のない、あるいは、そういう証拠になる文書を残してはいけないような仕事をしていた、ということを考えていいのだろうか。また、文書を発給していたとしても、それを受け取った側が、残してはいけないということで、すぐに廃棄処分ということだったのだろうか。
残っている古文書については、歴史学研究者は雄弁に語ってくれるのだが、しかし、歴史の全体像としては、古文書が残っていないということをふくめて、考えなければならないことのはずである。特に、メディア論のような観点で、歴史や史料を見るとすると、こういうことを考えざるをえないはずである。
武田信繁のこと、あるいは、組織のナンバー2のこと、このようなことを考える前に、上記のようなことを、私としては、まず思うことになる。
組織論として見た場合、戦国武将、戦国大名の組織というのはどうだったのだろうか。組織のトップに立つものがまず考えなければならないのは、自分の代でどうするかということはもちろんあるとしても、そのイエをどう継続させるか、ということも重要である。言いかえるならば、後継者をどうするかを考えるのが、組織リーダーの、まず考えなければならないことである。
江戸時代以降の武士の意識としては、イエの存続ということが、重要なことであったし、同じようなことは、商家についてもいえるかと思う。もう今では言われなくなったことだが、「文明としてのイエ社会」は、再度、考えられてもいいことかもしれない。
戦国武将については、イエの存続ということは、あまり重要なことではなかったということなのだろうか。
2026年1月24日記
『八重の桜』「鹿鳴館の華」 ― 2026-02-02
2026年2月2日 當山日出夫
八重の桜 「鹿鳴館の華」
明治の鹿鳴館のころ、ということになる。
捨松は、日本語が話せなくなっていたので、大山巌とは、英語で話していたと、何かで読んだかと憶えているが、本当はどうだったのだろうか。
この時代、ちょうど『ばけばけ』の時代と重なる。東京を中心にして見る歴史観と、松江の街の人びとの日常の生活ということで見る歴史とでは、ちがったものになるだろう。さらに、宮本常一などの視点で、一般の普通の人びとの生活の感覚を見るとなると、また違ったものになるかとも思う。
近代の私立大学の成立ということについて、官立の大学では国のいうとおりの教育しかできないので……ということであったが、やはり、このあたりは、福澤諭吉の述べたことをふまえて、もうすこし視野の広いものであってほしいと思う。
明治になって会津の人びとがどうであったか、こういうことを描くのはいいとしても、並行して、旧幕臣のことなど描いてあってほしいと思うところである。明治政府に仕えたものもいれば、野にあって仕事をしたものもいる。
明治のころを描くとなると、私としては、山田風太郎の書いたものをどうしても思い浮かべるのだが、こういう世界は、大河ドラマには似合わないかもしれない。
見ていて、時栄(山本美月)がとてもいい。
2026年2月1日記
八重の桜 「鹿鳴館の華」
明治の鹿鳴館のころ、ということになる。
捨松は、日本語が話せなくなっていたので、大山巌とは、英語で話していたと、何かで読んだかと憶えているが、本当はどうだったのだろうか。
この時代、ちょうど『ばけばけ』の時代と重なる。東京を中心にして見る歴史観と、松江の街の人びとの日常の生活ということで見る歴史とでは、ちがったものになるだろう。さらに、宮本常一などの視点で、一般の普通の人びとの生活の感覚を見るとなると、また違ったものになるかとも思う。
近代の私立大学の成立ということについて、官立の大学では国のいうとおりの教育しかできないので……ということであったが、やはり、このあたりは、福澤諭吉の述べたことをふまえて、もうすこし視野の広いものであってほしいと思う。
明治になって会津の人びとがどうであったか、こういうことを描くのはいいとしても、並行して、旧幕臣のことなど描いてあってほしいと思うところである。明治政府に仕えたものもいれば、野にあって仕事をしたものもいる。
明治のころを描くとなると、私としては、山田風太郎の書いたものをどうしても思い浮かべるのだが、こういう世界は、大河ドラマには似合わないかもしれない。
見ていて、時栄(山本美月)がとてもいい。
2026年2月1日記
『豊臣兄弟』「嘘から出た実」 ― 2026-02-02
2026年2月2日 當山日出夫
豊臣兄弟 嘘から出た実
この回の見どころは、前半の御前試合と、後半の調略の部分。
戦国時代の大名の御前試合(というものがあったとして)どのように行われたのか、絵画資料など残っているのかとも思うが、コロッセオ形式の竹矢来というのは、ドラマの趣向としては面白い。ただ、槍の試合をするには、狭いという気がするが。
槍の試合ということだったが、武術としては、棒術に似ているかと思う。
試合を面白く演出するのがいいことことなのか(信長をよろこばせるという意味で)、あるいは、これを八百長、いかさま、というべきか、判断が分かれるところだろう。
前田利家との槍の試合でもそうなのだが、要するに勝てばいいので、だますことが悪いわけでもないし、だまされた方がただバカだったということでもないかもしれない。そのときの、成り行きである、としかいいようがないかもしれない。
大沢の調略についても、どこまで本当のことを言っているのか、ウソか本当か、かけひきである。ただ、調略ということが、戦国時代に頻繁に行われていたということは、主君を裏切って敵の側につくということが、決して、武士道(これは江戸時代になってからの概念であるが)に反するということではなかった。つまりは、生きのびた者が勝ちである時代だったと思えばいいだろう。
麿赤兒の斉藤道三は、迫力がある。
武器として石を投げる……一般には「いんじうち」というかと思うが……これは、戦場における攻撃法として、ひろく行われていたことかと思っている。
気になるのは、家の作りとか、座り方。藤吉郎の家では、板敷きで畳にはなっていない。しかし、女性は、正座で座っている。これは、どう考えてもおかしいと、私は思うのだが、今の時代につくるドラマとしては、こうなのだろう。
藤吉郎の家に、床の間があって、掛け軸があるのは、どうなのだろうか。明障子があるのは、違和感がある。それだけ出世したということなのだろうが、だったら、百姓だったときの家には無かった方がよかった。
信長の邸宅ならば、畳の部屋があってもいいかもしれないが、はたしてどうだろうか。
忍びが、クナイに毒を塗ってというのは、これはこれで面白いが、しかし、忍者を活躍を描くのは、このドラマではどうなるだろうか。
秀長の仕事について、古文書が残っていない……ということを勝手に解釈するならば、表ではない裏の仕事をしていたということかもしれない。ならば、忍びが活躍することがあってもいいと思っているのだが。(忍者について研究が進んで来なかったのは、史料として文書の残るような仕事ではなかったから、というべきだろう。史料(古文書)の残るような部分だけで、歴史を見ることはできないにちがいない。)
2026年2月1日記
豊臣兄弟 嘘から出た実
この回の見どころは、前半の御前試合と、後半の調略の部分。
戦国時代の大名の御前試合(というものがあったとして)どのように行われたのか、絵画資料など残っているのかとも思うが、コロッセオ形式の竹矢来というのは、ドラマの趣向としては面白い。ただ、槍の試合をするには、狭いという気がするが。
槍の試合ということだったが、武術としては、棒術に似ているかと思う。
試合を面白く演出するのがいいことことなのか(信長をよろこばせるという意味で)、あるいは、これを八百長、いかさま、というべきか、判断が分かれるところだろう。
前田利家との槍の試合でもそうなのだが、要するに勝てばいいので、だますことが悪いわけでもないし、だまされた方がただバカだったということでもないかもしれない。そのときの、成り行きである、としかいいようがないかもしれない。
大沢の調略についても、どこまで本当のことを言っているのか、ウソか本当か、かけひきである。ただ、調略ということが、戦国時代に頻繁に行われていたということは、主君を裏切って敵の側につくということが、決して、武士道(これは江戸時代になってからの概念であるが)に反するということではなかった。つまりは、生きのびた者が勝ちである時代だったと思えばいいだろう。
麿赤兒の斉藤道三は、迫力がある。
武器として石を投げる……一般には「いんじうち」というかと思うが……これは、戦場における攻撃法として、ひろく行われていたことかと思っている。
気になるのは、家の作りとか、座り方。藤吉郎の家では、板敷きで畳にはなっていない。しかし、女性は、正座で座っている。これは、どう考えてもおかしいと、私は思うのだが、今の時代につくるドラマとしては、こうなのだろう。
藤吉郎の家に、床の間があって、掛け軸があるのは、どうなのだろうか。明障子があるのは、違和感がある。それだけ出世したということなのだろうが、だったら、百姓だったときの家には無かった方がよかった。
信長の邸宅ならば、畳の部屋があってもいいかもしれないが、はたしてどうだろうか。
忍びが、クナイに毒を塗ってというのは、これはこれで面白いが、しかし、忍者を活躍を描くのは、このドラマではどうなるだろうか。
秀長の仕事について、古文書が残っていない……ということを勝手に解釈するならば、表ではない裏の仕事をしていたということかもしれない。ならば、忍びが活躍することがあってもいいと思っているのだが。(忍者について研究が進んで来なかったのは、史料として文書の残るような仕事ではなかったから、というべきだろう。史料(古文書)の残るような部分だけで、歴史を見ることはできないにちがいない。)
2026年2月1日記
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