英雄たちの選択「天下人・秀吉を生んだ長浜」 ― 2026-04-07
2026年4月7日 當山日出夫
英雄たちの選択「天下人・秀吉を生んだ長浜」
戦国武将や、合戦のことを語るのに、その軍勢が強かったからとか、斬新な戦法をとったから、という発想だけでものをいうのは、そろそろ止めにしたほうがいいと思っている。それよりも、今でいう、インテリジェンス、ロジスティックス、ということ。諜報とか、輜重とか、兵站とか、あるいは、工兵の働き、こういうことから、戦国武将の戦略や、合戦を見ることの方が、より面白いと思うのだが、あまりそうはならないようである。
秀吉が長浜に居城を作ったのは、琵琶湖水運を制するためである、ということはたしかだろう。北国と京との間において、琵琶湖の水運は、きわめて重要である。それから、(番組では言っていなかったが)瀬戸内海の海運も、とても重要な意味があっただろう。
秀吉が天下人になった……多くの戦に勝ってきた、というのは、中国攻めは工兵の仕事であるし、小田原城の攻略も、工兵あってのことである。そして、畿内から、その戦地までの兵站を確保していたということが、また、重要なことである。
戦国時代ドラマによくあるように、弓矢と鉄砲だけで、戦争ができたはずはない。
こういう軍事についての感覚は、今の世界で軍事力を見せつけようと、ミサイルや戦車を並べて見せる軍事パレードと大差ない。本当の軍事力は、そういう装備だけで、はかれるものでないことは、現代の戦争でも経験済みのことであると思うが。兵器の性能や数量は、重要であるが、それだけで勝敗は決まらない。
そして、また、領地を治めるには、領民の利害ということも、考えなければならない。武力を持っていたから支配できた、経済的に搾取できた(古風な言い方だが)、というだけではないだろう。年貢を納める「百姓」(稲作の農民に限定しないで、幅広く考えるべきだと思うが)にとって、その領主の領民であることのメリットが、まったくのゼロでは、あるいはマイナスでは、気に入らない領主のもとから逃げ出すということも選択肢としてあったはずである。
一向宗のことが出てきていたが、中世における、いわゆる宗教勢力というのは、いったいどんなものだったのだろうか。一向宗だからといって、あるいは日蓮宗でもいいのだが、ただ純粋にその宗教・信仰だけの集団であったとは思えない。経済的、政治的、社会的な、利害打算ということもあったにちがない。
封建社会=戦国武将=暴力=権力=支配=搾取、という昔ながらの図式で、歴史を語れる時代では、もはやなくなってきているということを、思うことになる。これが、分かっているのだが、完全に脱却できないということかとも思う。(こういう番組を見ても、どこか、昔の歴史の感覚をひきずっているところを感じてしまう。)
2026年4月2日記
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