新日本風土記「鳥取いちばん物語」 ― 2026-06-09
2026年6月9日 當山日出夫
新日本風土記「鳥取いちばん物語」
見ていて一番興味深かったのは、倉吉の鍛冶屋さん。
せんばこきを作って売っていたという。せんばこきについては、行商販売がおこなわれていて、若狹の早瀬の北国屋が有名である。また、この番組に出てきた倉吉も、重要な生産地であり、販売・修理などをおこなっていた……というようなことは、今の時代なら、WEBで簡単に調べることができる。だが、これも、実際に残っている実物のせんばこきを調査したり、生産地に残っている記録があったりして、分かることでもある。
現在、各地の民俗資料館などの民具の保存と収集が大きな課題になっている。集めることができても、保存しておく場所がない。やむをえず、廃棄せざるをえないことになる。
だが、こういうものは、各地に実物が残っていて、それを総合的に調べることによって、全国的にどうだったかということが分かるものである。民俗資料は、その地域だけの資料ということではない。
鍛冶屋さんが言っていたが、クワも部落ごとにちがっている。大きさとか、柄の付け方の角度とか、微妙に違う。こういうことは、今だから、その鍛冶屋さんの証言として分かることになるが、将来的には、こういう知識は残るだろうか、ということもある。農業の技術や農具の伝承ということでは、非常に貴重なことだろう。
この鍛冶屋さんは、特許をたくさんとっていたという。クワで、いったいどういう特許がとれるのか、素人にはまったく想像できないことなのだが、非常に興味深いことである。
鳥取砂丘が観光地になったのは、戦後になってからである。番組では言っていなかったが、戦前は、陸軍の演習場だったはずである。砂丘にやってくる観光客相手の露天商の商売も、興味深い。
また、砂丘の周辺の農家の苦労もあった。(このあたりのことは、「よみがえる新日本紀行」であつかっていたことでもある。らっきょうぐらいしか作れなかったが、しかし、うまくあたればもうかったようである。)
投入堂は、いったいどうやって、建てたのだろうかという気がする。建築史の専門家なら、分かることだろうと思うが。
大山寺のことが出てきていたが、歴史があり格式は高いが、現在では収入源があまりないというお寺は、全国にいろいろとある。それぞれに、生き残りをかけて工夫している。
智頭町の林業景観は貴重である。さりげなく言っていたことだが、林業という仕事は、三世代ぐらいで一つの仕事になる。100年ぐらい前に植えた樹を、ようやく今になって伐採することができ、今植えた樹は100年ぐらいたってから、切ることになる。こういう時間の流れの中にいないと、仕事はつづかない。(また、番組では言っていなかったが、山間部の樹木を守ることは、治山治水という観点からも重要である。それから、最近では、クマのことなどもある。日本の山間地の生態系と産業をどう総合的に考えるか、難しい時代になってきている。)
それにしても、国産の木材は安い。しかし、それでも、輸入する木材との価格競争に勝てない。どうにかならないものかと思うが、建築コストがかかっても、国産の木材を使うということには、なかなかならないかなと思わざるをえない。)
日吉津村のことは、冷静な目で見れば、近くに米子市があって、その地域との関係で、たまたまうまくいった事例ということなのだろうと思うが、どうだろう。他の過疎化のすすむ地方の村や町の参考になることとは、あまり思えないのだが。
2026年6月5日記
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