「キネマの夢を追いかけて 〜日本映画の父 牧野省三〜」2024-03-20

2024年3月20日 當山日出夫

英雄たちの選択 キネマの夢を追いかけて 〜日本映画の父 牧野省三〜

いろいろと思うことのある番組だった。

若いころは映画をよく見た。東京に住んでいたころは、岩波ホールはかなりかよった。都内の主な名画座も行っている。学生のころ、ちょうど「ぴあ」「シティロード」が刊行されたころだった。京橋のフィルムセンターにもよく行った。浅草六区に行ったが、その当時は衰退のときだった。うらぶれていた。

しかし、今では映画は見ない。というよりも映画館に行くために外出することが億劫になってしまっている。

映画という近代のメディアが、一九世紀から二〇世紀、そして、二一世紀にかけて、重要な役割を果たしてきているという認識は持っている。

牧野省三は名前は知っている。日本映画の草創期の人物として憶えた。

無声映画もかなり見た記憶がある。字幕で台詞の入ったものである。番組では触れられることがなかったが、字幕を使った無声映画と、活弁の語る無声映画は、どんな関係にあるのだろうか。このあたり、映画史にうといのでよくわからない。

ちなみに、小津安二郎は、字幕の無声映画を初期のころに作っている。小津の著名な作品は、音声のはいったものであるが、その映像と音声については、どうも昔の無声映画の名残を感じるところがある。こんなことを思うのは私ぐらいだろうか。

映画の歴史ということだが、広くとらえるならば、時代劇の歴史でもある。これはおそらく江戸時代の歌舞伎などにまでさかのぼって考えることになり、近代になってからの演劇史をも視野にいれたものになるだろう。

活弁の存在を、日本における語りの芸の歴史のなかにおいて考えるという視点はとても面白いし、重要なことだと思う。

時代劇で、現代をどう描くか……私が若いころに見たテレビだと、「必殺仕掛人」がある。これはその後、シリーズとして長く続くことになる。その第一回が、藤枝梅安の登場する仕掛人だった。(第一回の放送はたまたまであるが見ている)。その同じ時間帯に放送していたのが、「木枯し紋次郎」だった。これらの時代劇は、まさにその時代において、世相を反映し、あるいは、諷するところのある作品だったと言っていいかもしれない。

磯田道史が言っていたことだが、鉄砲は当初は暗殺用の兵器であったが、信長が大量に集団で使う用法を編み出した。ことの真偽はちょっと疑問がないわけではないが、しかし、新しい技術というものはそういう側面がある。どうつかわれるか、それが何をもたらすかは、それを作った人の思慮の他にあるというべきかもしれない。

表現は技術とともにある。映画という手法が登場すれば、それを使って何かを表現したくなるのが人間である。トーキーが登場すれば、それで表現したくなる。新しいメディアが、人間にどのように使われていくか、あるいは、人間社会をどのように変容させていくか、それが顕著になったのが近現代という時代だろう。現代における、スマーフォンとSNSの普及は、人間の思考のあり方から、社会の関係までをも変えようとしている。こんなことを、ほんの十数年まえ、iPhoneが登場したときに誰が想像しただろうか。

ところで、「無声映画」ということばは、言語研究の用語でいうレトロニムである。トーキーが発明されてから、それまでの音の出ない映画のことを、「無声映画」と再び名付けることになった。他には「白黒写真」などもそうである。

2024年3月15日記

「シリーズ原発事故2024 (2)最難関 取り出せるか“燃料デブリ”」2024-03-20

2024年3月20日 當山日出夫

サイエンスZERO シリーズ原発事故2024 (2)最難関 取り出せるか“燃料デブリ”

八八〇トンあると推定される燃料デブリをどうやって取り出すのか、また、取り出したあと、どうやって保管するのか、まったく希望が無いわけではないが、しかし、課題は数多くある。

地下水による汚染水の発生がないのなら、なんとかして原子炉全体をまるごと囲んでしまって密閉するということが考えられるかと思うのだが、現実的にはどうなのだろうかと思ってしまう。

ロボットアームの開発など、基礎的な技術開発が進んでいることは分かる。だからといって、将来的に安心できたということではない。

ただ、興味深かったのは、燃料デブリが試験的に取り出しが出来ないのなら、実験室で作ってみるということ。これは、確かにそのとおりである。そこでの知見をもとに、その後の対応を考えることになる。科学、技術については、これも一つのアプローチであると感じる。

また、何をもってして「廃炉」とするか、ということの定義が定まっていない。このことの問題は大きい。今後、大きな課題となるにちがいない。これからの日本社会のあり方を総合的に考える視点からの、慎重な議論ということになるのだろう。

2024年3月19日記

2024-03-19

2024年3月19日 當山日出夫

桜 2024年3月19日撮影

桜

桜

桜

桜

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

サンシュユ2024-03-19

2024年3月19日 當山日出夫

サンシュユ 2024年3月19日撮影

サンシュユ

サンシュユ

サンシュユ

サンシュユ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

「ミュンヘン五輪テロ事件 “平和の祭典”は問い続ける」2024-03-19

2024年3月19日 當山日出夫

アナザーストーリーズ ミュンヘン五輪テロ事件 “平和の祭典”は問い続ける

一九七二年のこの事件のことは記憶している。だが、その顚末をまとめた放送を見るというのは、これが始めてになるかと思う。この事件のことは、折に触れて、オリンピックの歴史、テロのこと、アラブとイスラエルのことなどを語るときに触れられることはあったが、どのような事件であったか、その概要をまとめたものには接していなかった。

ただ、私の知識としては、この事件には、イスラエルの諜報機関もからんでいたと憶えていたのだが、はたしてどうなのだろうか。番組では、このことについて一切触れることがなかった。

一九七二年の西ドイツには、対テロ対策のための特殊部隊……そのための専門の訓練をうけ装備をそなえた……がなかったということを、この番組で知ったことになる。これが今だったら、特殊部隊の出番ということになる。空港についた時点でも、犯人の正確な人数さえ把握していなかったというのは、現在の視点から見ると、おそまつな対応であったとしかいいようがない。

二〇二一年の東京オリンピックの開会式のことは知らなかった。見る気がまったくしなかったので、中継は見ていない。後でニュースで部分的に見た程度である。そこで、ミュンヘンのときの犠牲者について追悼のことばが述べられたことは、知らなかった。このことについて、翌日以降のニュースなどでも報じられることはなかったと記憶する。

2024年3月17日記

ドキュメント72時間「大阪 コインランドリーは回り続ける」2024-03-19

2024年3月19日 當山日出夫

ドキュメント72時間 大阪 コインランドリーは回り続ける

今から半世紀ほど昔、東京で一人暮らしをしていたころ、下宿先には利用できる洗濯機があった。ただ、洗濯するだけの機械である。週に一回ぐらい選択したかと思うが、冬は、水が冷たかったのを憶えている。

日本で洗濯機が普及したのは、昭和三〇年代以降のことになるはずである。それまでは、たらいと洗濯板でみんな洗濯していた。ちなみに、炊飯器の登場もこのころである。劇的に日本の人びとの暮らしが変化してきたことになる。

コインランドリーは、我が家の近くにいくつかある。

大阪の都会の真ん中にあるコインランドリーだが、どんな人が利用するのか興味があったが、(放送に出ていた範囲では)ごく普通(といっていいだろうか)の人たちであった。都会で暮らしている人びとには、それぞれの生活の背景があり、いろいろと思うところがあるらしい。

ただ、見ていて少し驚いたとことになるのは、大阪の通天閣の近くに、普通に人が暮らしているということかもしれない。このあたりだと家賃もかなり高くなるだろうと思うが、それでもそこに住みたいという魅力があるのだろう。また家も狭い。洗濯機を置くスペースのない住宅もある。そこに、このようなコインランドリーの営業もなりたつといえるだろうか。

気になったこととしては、薬剤師の資格を得るために奨学金をつかって、それが薬剤師の仕事だけでは返済が難しい、ということ。まあ、職場にもよるのかとも思うが。このあたりは、制度的になんとかしないといけないところかなと思う。

洗濯というのは家事の一部である。そこから見えてくる人びとの生活というものがある。

2024年3月16日記

オオイヌノフグリ2024-03-18

2024年3月18日 當山日出夫

オオイヌノフグリ 2024年3月18日撮影

オオイヌノフグリ

オオイヌノフグリ

オオイヌノフグリ

オオイヌノフグリ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

沈丁花2024-03-18

2024年3月18日 當山日出夫

今日(2024年3月18日)の沈丁花である。

沈丁花

沈丁花

沈丁花

沈丁花

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

「ライブカメラはとめられない 中国・農民工2世たちの挑戦」2024-03-18

2024年3月18日 當山日出夫

BSスペシャル ライブカメラはとめられない 中国・農民工2世たちの挑戦

スマートフォンを使った路上ライブ配信で稼ごうとする中国の若者を追っている。このような生き方を選んでいる若者がいるというのが、今の中国の実際の姿の一面なのだろうとは思う。

中国については、経済の失速、若者の失業率の高さ(中国政府は公式に発表しなくなった)ということがよく伝えられる。さて、番組に出てきていたような若い人たちは、失業者としてはどのように統計的に扱われているのだろうか、このあたりが気になるところである

経済発展を支えてきたのが、中国の地方から出稼ぎにきていた農民工の人たち。日本の中国についての報道では、地方在住の人の生活や、農民工の人たちの暮らしについては触れられることがあまりないかと思う。どうしても、北京とか上海とかに住む人びとのことが中心になりがちである。

ライブ配信で稼ぐストリーマーのなかには、年に三億円あまりを稼ぐ人もいるという。これは、その一方に、そのお金を投げ銭として払う人たちがいることになる。いったいどのような人たちが、ライブ配信を見てお金を払っているのだろうか。お金を払う側の人たちのことも気になる。

ともあれ、若い人たちが将来に希望を持てる社会でなければならないだろう。今の中国ではどうなのだろうか。番組のタイトルにある農民工二世という若い人たちは、未来に希望を持てているのだろうか。

2024年3月15日記

『光る君へ』「まどう心」2024-03-18

2024年3月18日 當山日出夫

『光る君へ』第11回「まどう心」

まひろが、「長恨歌」を写本するシーンがあった。「長恨歌」は、『白氏文集』……私は「はくしぶんしゅう」と読むことにしている、これは現在では専門的にはほぼ定説になっているかと思う……の巻一二に収められている。まひろが見ていたテキストは、「長恨歌」だけの単行のテキストであったようだ。おそらく、巻一二から独立して、単行で筆写されたテキストが多くあったろう。

あまり詮索しようとは思わないが、「白氏文集」のテキストは、平安時代に写本で読まれた古鈔本系テキストと、宋時代に板本として刊行されたテキストでは、いくつかの箇所で大きく違っている。平安時代、ちょうど紫式部の時代は、古くからの古鈔本系テキストと、板本系テキストが、両方おこなわれていた時代ということになる。そのなかで、紫式部が読んだのは、古鈔本系テキストであったろう。

おそらく紫式部が読んだであろうテキストに最も近い形態のものが、「金沢文庫本白氏文集」巻一二である。重要文化財。現在、大東急記念文庫に所蔵されている。影印複製本が刊行されている。

このようなことは、平安時代の漢籍、なかでも『白氏文集』の受容ということについては、今日では学問的には常識的なことがらである。

まひろの写本は漢文の本文だけだった。ヲコト点は無かった。これは、まひろの学力なら、ヲコト点をほどこさなくても読めるということなのかとも思う。

このあたりのことで、古鈔本系テキストと板本系テキストの違い、平安時代の読み方などを最も簡便に見ることができるのが、新潮社の古典集成の『源氏物語』の第一巻である。太田次男先生と小林芳規先生による「長恨歌」が掲載されている。なお、岩波文庫本の『白楽天詩集』は、この点については、使い物にならない。

なお、『白氏文集』を略して『文集』ということがある。これも、古鈔本である「金沢文庫本白氏文集」を見ると、その内題(本文の最初に書いてある書名)は、「文集」となっている。つまり、もともとの書名が「文集」なのである。

一条天皇が即位した。まだドラマの時間内で存命の天皇について、その名称を「~~天皇」というのは、ちょっとおかしい気もするが、しかし、こうとしか言いようがないかもしれない。

即位のシーンで高御座が出てきた。高御座が、人びとに意識されるようになったのは、現在の上皇陛下が、昭和天皇の崩御の後、新たな天皇として即位されたときからである。この即位の儀式は、皇居でおこなわれ、テレビの中継があった。このときから、天皇の即位とた高御座が結びつけられて、人びとのなかに意識されるようになった。今上陛下の即位のときにも登場した。

その即位のときに、道長は大胆な行動に出る。このあたり、このドラマの脚本の作り方の方針だと思うが、どうなのだろうか。私などは、平安貴族は、ケガレを忌むということが、基本的な生活の感覚のなかにあったと思うのだが、道長はこれをはらいのけている。

伝わるところでは、道長は、藤原の兄弟のなかで最も豪胆な性格であったとある。有名なのは夜の肝試しである。ドラマでは、そのような側面のある人物として描いたということでいいのだろうか。

ところで、道長はまひろに「妾」になるように言った。別のことばで言うならば、召人とも言えるかもしれない。このあたりは、平安時代の貴族の婚姻のシステムからして、まひろが道長の正妻、つまり「北の方」になるということは、そもそも無理だろう。「いろごのみ」の道長から見捨てられることがなく、関係が長く続けばいいとしなければならない。このあたりは、『源氏物語』で光源氏をとりまく多くの女性たちについて言えることになる。ちなみに、物語の上では光源氏の「妻」は紫上ということになるが、葵上とか女三宮の存在を考える必要がある。たしかに紫上は、光源氏の正妻ではなかったが、しかし、最も愛された女性ということになる。まひろと道長の関係も、そのようにとらえることになるのだろうか。

2024年3月17日記