日本漢字学会に行ってきた(その二)2018-12-07

2018-12-07 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年12月6日
日本漢字学会に行ってきた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/06/9007758

漢字学会の二日目は、会場を変えてシンポジウムと講演。

シンポジウムのタイトルは「電子版漢和辞典のいま―漢和辞典はここまで来た!」であった。

電子化と漢和辞典ということで、角川、学研、三省堂、大修館、この四つの会社の辞書編集部、営業のひとがでてきて話し。

このシンポジウム、私は、黙ってきいていた。私としても、いろいろ言いたいことはあるのだが、それはあえて言わずに、発表者、それから、フロアからの質疑などを聞いていることにした。

印象に残っていることを書けば、漢和辞典の編纂という仕事は絶滅危惧種であるという意味の発言があった。そして、全体の流れとしては、将来になにがしかの展望を見出すとするならば、電子化ということになる。

だが、このような流れのなかで、話題に出なかった、誰も発言しなかったことが、いくつかある。私としては、この話題にならなかったことの方が気になってしかたがない。三点ほど書いておく。

第一には、ユニコードの問題である。漢和辞典の電子化ということと、ユニコード漢字とは、一体のものだと思うのだが、誰も、ユニコードのことについて、発言しなかった。

第二には、漢和辞典の電子化ということで話題になっていたのは、スマホのアプリの開発であった。だが、普通に人が文章を書いているのは、パソコンだろう。であるならば、パソコンのソフト(具体的には、ワープロでありエディタである)との連携ということが、必要になるはず。

現に、私は、ワープロは主に一太郎とATOKを使っている人間であるが、ワープロやエディタで文章を書きながら、変換候補とともに表示される辞書を見ることが多い。ここで、提供されているのは、国語辞典である。では、なぜ、漢和辞典のWindows版(あるいは、Mac版)が、利用されるようにならないのであろうか。

小さなスマホのアプリで漢和辞典を見て、それを見ながらパソコンの画面で入力する……これは、なんともまどろっこしいことである。(それとも、これからの日本語の文書作成は、パソコンではなく、スマホでということを言いたいのだろうか。そんなことはないと思うのだが。)

第三に、これは、最近のことであるが、ジャパンナレッジに『新選漢和辞典』がはいった。このことによって、一つの検索窓から、国語辞典と漢和辞典が同時に検索できるようになっている。これは、ある意味で画期的なことである。しかし、このことについての言及は一切なかった。

以上の三点が、漢和辞典の電子化をテーマとしたシンポジウムでありながら、話題にならなかったことである。やはり上記のようなことについては、誰かがなにがしか発言するようにもっていけなかったものかと思う。(あるいは、今になって思えば、私が、フロアから言ってもよかったことなのかもしれない。)

学会の最後は、講演会。記念講演「漢字明朝体の来た道」樺山紘一氏(印刷博物館長)である。

聞いていて、大きな流れとしては問題はないのだろうが……細かなことを言えば、明朝体の印刷字体が誕生するにあたって、宋版などについての言及がまったくなかったことが気になる。いきなり明の時代になって、一切経とともに明朝体が誕生したかのごとくであった。中国の印刷史の流れのなかで、明朝体を考える視点があってもよかったのではないだろうか。

ともあれ、日本漢字学会の第一回の学会は、無事に終了した。参加者も、かなり多かったのではないだろうか。成功したといってよい。来年は、11月30日、12月1日に、東京大学(駒場)で開催とのことであった。

日本漢字学会に行ってきた2018-12-06

2018-12-06 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年12月1日、2日と、日本漢字学会があったので行ってきた。京都大学。

日本漢字学会
https://jsccc.org/

第1回研究大会
https://jsccc.org/convention/detail/1/

第1日目は、午後からなので、10時前に家を出た。いつものように、近鉄と京阪を乗り継ぐ。ちょっと早めについた。

この学会、今年の春の設立総会、シンポジウムの時も出てみた。その時の印象としては、無事に「学会」という形でなりたつのかどうか、少し不安に思うところがないではなかった。漢字、文字、というものを、学問的に研究する分野はある。しかし、それが、「学会」として自立することができるかどうかは、微妙なところかもしれないと思っていた。

第1回の研究会に参加した限りでは、どうやら無事に「学会」としての体をなして、運営することができそうな印象であった。

ただ、漢字というものを学問的に研究するとなると、その方法論については、まだまだ未開拓な領域であると感じるところがある。無論、これまでの、膨大な漢字研究……その多くは、中国学の分野の一つ、国語学、日本語学の中の分野の一つとして……があることは承知している。だが、それをふまえて、それを継承しつつ、新たに独立した研究分野を「学会」として作っていくことは、また別の問題点、課題がある。

第一には、漢字というのが、ある意味で自明なものである、ということがある。漢字は誰がみても漢字である、という側面がある。そのため、改めて漢字とは何であるかを定義しようとすると、難しい問題がある。

第二には、そのような漢字を研究するとなると、これからは、まさに学際的ないろんな研究分野にまたがった領域として展開せざるをえない。これを漢字ということをキーにしてどうまとめていくか、これも難しいかもしれない。

以上の二点を考えてはみているものの、ともあれ、第1回の研究会は、成功であったといっていいだろう。私の聞いていた発表は、それなりに漢字についてのものであったし、質疑応答もかなり充実していたと感じる。

研究会が終わって、懇親会。予定されていたお店ではなく、神宮丸太町近辺のお店。ここははじめてである。参加者も多かった。

どういうわけだかしらないが……懇親会の終わりの挨拶を急にさせられることになった。

終わって、これはいつものようなメンバー……訓点語学会など国語学、日本語学関係の人たちと一緒に二次会。タクシーで、四条まで。木屋町あたりの適当なお店で、軽く飲みながら、雑談。

家に帰ったら11時ぐらいになっていた。翌日は、午前中からであるので、とにかく風呂だけはいってすぐに寝てしまった。

翌日は、シンポジウムと講演である。(続く)。

追記 2018-12-07
この続きは、
やまもも書斎記 2018年12月7日
日本漢字学会に行ってきた(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/12/07/9008565

「文字情報データベースの保存と継承」に参加してきた2018-07-23

2018-07-23 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年7月21日は、京都大学人文科学研究所で、

シンポジウム「文字情報データベースの保存と継承」

があったの参加してきた。記録の意味で、プログラムを転記しておく。

漢字字体規範史データセット
http://hng-data.org/index.ja.html

保存会設立記念シンポジウム「文字情報データベースの保存と継承」
http://hng-data.org/events/2018-07-21.ja.html

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第1部 研究集会「文字情報データベースの保存と継承」

13:00-13:05
趣旨説明:守岡 知彦
13:05-13:35
報告1:高田 智和(国立国語研究所) 「『石塚漢字字体資料』と『漢字字体規範史データベース』」
13:35-14:05
報告2:守岡 知彦(京都大学) 「漢字字体規範史データセットの構築・共有計画について」
14:05-14:15
休憩
14:15-14:45
報告3:永崎 研宣(人文情報学研究所) 「文字情報データベースにおける IIIF 活用の可能性と課題」
14:45-15:15
報告4:安岡 孝一(京都大学) 「文字列検索可能な画像データベース」
15:15-15:25
休憩
15:25-16:25
基調講演:石塚 晴通(北海道大学名誉教授) 「漢字の書体と字体 —承前—」
16:25-16:35
休憩
16:35-17:15
総合討論

第2部

17:25-17:45
漢字字体規範史データセット保存会設立総会

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これに参加して思うことは多々あるのだが、基本的なことだけを確認しておきたい。

HNG(漢字字体規範史データベース)は、研究成果として出たものである。漢字の字体の標準・規範というものは、時代と地域によって異なる、このことを実証的に示すために、HNGが作られて公開になった。

その後、このHNGを使って、いろんな論文を書くようになった。私のやってみた「白氏文集」の旧鈔本の字体の研究など、そのうちにはいるものである。研究成果の結果として作ったデータベースが、次第に、研究者間でインフラとして利用されるようになってきた、という経緯がある。

だが、そのために必要な措置……主にサーバの管理にかんすることであるが……については、ほとんど手つかずのままに来てしまったことになる。そして、(どのような事情があったかかは知らないが)HNGの停止ということになった。

ここで考えておかなければならないことは、データベースを作って公開するということの継続性の問題である。研究者、特に人文学系の研究者においては、一〇年二〇年という時間など、わずかの時間にすぎない。しかし、その一〇年二〇年の間に、コンピュータ技術はどんどん進歩していくし、サーバも定期的にリプレイスしていかなければならない。

とにかく、一度作って公開したデータベースは、どのような使われ方をするか、予想の出来ないところがある。そのためには、何よりも継続ということを考えなければならない。そして、その継続ということのためには、いったい研究者として何をすべきか、その課題が、今回の件によって、ようやく、研究者自らの課題として見えてきたということになるだろうか。

結果としては、今回、新たに、「漢字字体規範史データセット保存会」というものをたちあげて、HNGの初期の64文献につい、そのデータセットを再現して保存することになった。このために、科研費を得ることができている。この期間の間に、元のデータ(紙カード、台帳など)を、デジタル化して、公開するということになる。

もし可能なら、検索システムの再構築ということになるかもしれないが、これは、できたら、ということになりそうである。

人文系のデータベースというのは、長い時間の中で考える必要がある。今のユーザの動向も大事であるが、それを残しておいて、次世代の研究者にも使えるようにしておく必要がある。このことの重要性について、再確認することになった会であった。




日本漢字学会に行ってきた2018-03-31

2018-03-31 當山日出夫(とうやまひでお)

2018年3月29日は、日本漢字学会の設立、記念シンポジウム。京都大学まで行ってきた。

かなり人はあつまっていた感じだし、懇親会も人が多かった。だからといって、この分野の研究の中心になるかというと、ちょっと微妙かなという気がしないでもない。

シンポジウムは、面白かった。それぞれの専門分野の研究成果を、わりとわかりやすい……強いていえば、啓蒙的な立場から……一般向けに話しがあった。このようなシンポジウムで話しをする側の人たち(研究者)はいいとしても、その後の、フロアからの一般の質問が…………ちょっと「と」という気がするのがあった。

まあ、確かに漢字というものは、ある意味で自明なものである。漢字については、あれこれと定義する必要はないかもしれない。また、日本語のなかに普通に存在している文字でもある。だから、漢字については、誰でもなにがしかのことを語ることはできる。

だが、そのことと、文字というものを学問的方法論できちんと考えるということは、別次元のことがらになる。

たぶん、今年の12月には、学会としての研究会があるのだろう。その時、どのような発表があつまるか、また、どのような質疑応答がなされるか、期待半分、不安半分といったところだろうか。

学会の懇親会は盛況であった。終わって、知り合いの若い人たちと……奈良女子大学、東北大学、京都大学など……百万遍近辺のお店に行って、いろいろ話して帰った。これからの若い人たちが、この漢字学会でどんどん発表してくれればと思う。

家に帰ったら、10時半ぐらいになっていた。留守の間にとどいていた本、『嵯峨野明月記』(中公文庫)があった。『背教者ユリアヌス』を読む(再読)まえに、こちらの本の方をまず再読しておきたくなったので買った。

私も、この年になって、昔、高校生のころに読んだ本を、もう一度、じっくりと読み直したくなってきている。辻邦生を読み直したい。それから、福永武彦なども。

ところで、京都大学のキャンパスの桜は、ちょうど満開だった。シンポジウムは、時計台であったのだが、その舞台の背後のスクリーンを上げると、ガラスになっていて、庭の桜がきれいにみえた。桜の花を背景にしての学会というのも、雰囲気のいいものであった。

追記 2018-04-02
日本漢字学会のホームページができている。
https://jsccc.org/

第29回「東洋学へのコンピュータ利用」に行ってきた2018-03-12

2018-03-12 當山日出夫(とうやまひでお)

第29回「東洋学へのコンピュータ利用」

2018年3月9日は、第29回「東洋学へのコンピュータ利用」である。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2018.html

例年よりも発表が多かった。朝、長女が仕事に出るのとおなじに駅まで行く。去年までは、それでもかなり早めについたと憶えているのだが、今年は、開始ギリギリの時間になってしまっていた。会場の部屋はすでにほとんど一杯だった。

同日、デジタルアーカイブ学会が東京でやっていたのだが、それでも、多くの発表があり、また、多くの人をあつめている。

例によって、文字についての発表がほとんどであった。個々の発表については特に言わないことにして、総合して印象を述べれば……すでに、コンピュータの文字は、ユニコードの世界になっている、ということである。もはや、JISコードのことを問題にはしてない。

これも、まったく問題にならなくなったというわけではない。私の発表した変体仮名の問題は、コンピュータと仮名というテーマで言うならば、JISコードとユニコードで、その微妙な差異に大きな問題をはらんでいる。(ただ、見た目の問題としては、ユニコードでは、JISの仮名を表示できないかのごとくである。これは、JISコードとユニコードの関係を把握していないと、全体がわからない。)

とはいえ、なかで興味深い発表をひとつだけあげておくならば、次の発表だろう。

安岡孝一
ISO/IEC 10646:2017にない日本の漢和辞典の漢字

最新の版でも、現代の日本の漢字辞典……大漢和辞典、新大字典、新潮日本語漢字辞典、新字源……(それぞれ最新版)などの漢字で、ふくまれていないものがある。その多くは、異体字であったり、国字であったりである。これらの漢字が、これから、どのようなるのか、ここは注目しておかなければならないことである。

この論文は、すでにオンラインで公開されている。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/2018-03-09.pdf

研究会がおわって、例年のように懇親会。家にかえったら、10時半ごろになっていた。来年は、2019年3月8日の予定である。それまでに、自分の勉強が少しでも進んだら、また発表しようかと思っている。(だが、それよりも、本を読む生活をおくりたいのであるが。)

『文字と楽園』正木香子2017-11-13

2017-11-13 當山日出夫(とうやまひでお)

正木香子.『文字と楽園-精興社書体であじわう現代文学-』.本の雑誌社.2017
http://www.webdoku.jp/kanko/page/486011406X.html

もちろん、この本の組版は、精興社である。

現代文学の作品、作家のなかから、精興社で印刷した本を選び出して、それへの思いをつづったエッセイ。精興社で印刷した本が好きな人も、あるいは、そうではないが、文字、活字、印刷に興味ある人は、面白く読めるだろう。

私もこの本を読んで、『金閣寺』(三島由紀夫)とか『ノルウェイの森』(村上春樹)が、精興社の印刷にかかるものであることを知った。

それにしても、この著者(正木香子)は、本を読むとき、その活字……といっても、写植もあれば、DTPもあるが……が、どの印刷所、活字で印刷されたが、かなり気になる人間のようだ。同じ作品でも、活字によって印象が異なるらしい。

活字によって印象が異なる、ということはわからないでもない。だが、私の好みとして、精興社活字に、そう深い思い込みはない。見て、きれいな印刷であるとは思うが。

とはいっても、最近読んでいるものであれば、「定本漱石全集」(岩波書店)などは、やはり精興社活字でないと、その本の気分とでもいうものがあじわえない、そんな気がしている。岩波書店と精興社の歴史的経緯を知識として知っているせいもあるが、漱石の作品には、精興社活字がふさわしい。

文字や表記の研究という分野にいるせいもあるが、小説など読んでも、どこの印刷になるものか、気になって奥付を見ることがある。最近のものでは、『月の満ち欠け』(佐藤正午、岩波書店)とか、『日の名残り』(カズオ・イシグロ、早川書房)とかが、精興社であった。直木賞に、ノーベル文学賞……考えてみれば、最近の精興社は、いい仕事をしているといっていいだろうか。それから、現代文学では、高村薫が、決まって精興社の印刷である。

ただ、私も、老眼になってきたせいか、岩波文庫の精興社印刷が、ちょっと読みづらいと感じるようになってきた。基本的に細めの線でデザインしてある文字なので、小さい文字を、これで組版されると、ちょっとつらい。特に、ルビが読みとりにくい。

ともあれ、現代文学、その書物を、活字、組版、印刷という面からとらえ、しかも、精興社という特定の印刷所にしぼって論じてあるこの本は、面白い。このような、本の読み方、作品の見方があるのかと、新鮮な感じがする。文字、活字がすきな人には、おすすめの本である。

NHK「祇園 女たちの物語」2017-06-05

2017-06-05 當山日出夫(とうやまひでお)

2017年6月3日放送の、NHKスペシャル「祇園 女たちの物語」、録画しておいて、翌日になってみた。

私の興味のあったのは、ただ一点……「ぎおん」の文字をどう表記するか、である。番組で、画面に出た字幕、それから、字幕表示で表示された文字、すべて、「ネ氏」であった。「示氏」は、一切、つかっていなかった。字幕表示で示される文字は、どことなくギザギザがあった。これは、作字したものだろう。

これはNHKの方針なのだろうか。

たしかに、祇園における、いわゆる伝統的字体としては「ネ氏」の方であるということは、私は、いくつか論文に書いたことがある。しかし、現在では、「0213:04」規格に準拠した文字も、景観文字としては、いくつか観察できる。また、誤字とされる「祗園」の方も、珍しいものではない。

そういえば、以前に放送していた、これもNHKの「ブラタモリ」の祇園の回でも、使用していた文字は、徹底して「ネ氏」の方であった。

やまもも書斎記 2017年4月14日
『ブラタモリ』「祇園」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/17/8490529

この文字、現在、一般のコンピュータ……Windows7以降の機種、Windows10などでは、「示氏」の方が出るようになっている。意図的に、フォントを切り替えないと「ネ氏」は使えない。

つまり、NHKの「ぎおん」の表記の方針は、現在のコンピュータ文字の流れに反したものになっている。これが、いつまでつづくだろうか。あるいは、コンピュータ文字が、人びとの言語生活(文字・表記)に、徐々にではあっても影響を与えていくことになるのであろうか。

これからも、この点については、注意して見ていきたいと思っている。

語彙・辞書研究会で言いたかったこと2016-11-16

2016-11-16 當山日出夫

語彙・辞書研究会、第50回の研究会に行ってきた。記念のシンポジウムで、テーマは「辞書の未来」。
2016年11月12日。新宿NSビル。

http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/

その質疑の時、私が言おうとして十分に語れなかったことについて、ここに書いておきたい。つぎのようなことを私は言いたかった。

もし、日本語が漢字というものをこれからも使い続けていくとするならば、書体・字体・字形をふくめて、安定した形で見ることのできる紙の辞書は、ある一定の需要、あるいは、必要性があるのではないだろうか。たしかに、世の中の趨勢としてデジタル辞書の方向にむかっていることは否定できないであろう。であるならば、デジタル文字ほど、不安定なものはない。特に漢字について、その書体・字体・字形をきちんと確認することは、ある意味では、デジタルの世界では無理と考えるべきかもしれない。逆に、この可変性のなかに、デジタル文字、デジタルテキストの特性を見いだせるだろう。そのような流れのなかで、安定した文字のかたち(書体・字体・字形)を見ようとするならば、まだ、紙の辞書に依拠せざるをえないのではないか。紙の辞書に文字の典拠がある、この地点から離脱したところに、デジタル辞書の未来は、どんなものになるのであろうか。

限られた質疑の時間のなかであったので、上記のことの半分ぐらいしか話せなかった。次の研究会は、来年の6月。発表を申し込んでみようか、どうしようか、いま思案中である。

琉球語の仮名表記2016-09-25

2016-09-25 當山日出夫

昨日はアイヌ語の仮名表記を見たので、今日は琉球語の仮名表記を見ることにする。

やまもも書斎記 2016年9月24日
アイヌ語の仮名表記
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/24/8198295

同じく、『日本語のために』を見ることにする。

やまもも書斎記 2016年9月17日
日本文学全集30『日本語のために』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/17/8192276

この本の琉球語のところ、第5章を見る。
「おもろさうし」 外間守善 校注
「琉歌」 島袋盛敏

このうち、「琉歌」の1866(p.194)に、

「ゐ」小書き

が見て取れる。これは、JIS仮名に無い字である。

この本の解題をみると、『標音評釈 琉歌全集』が1968年、『琉歌大観 増補』が1978年、とある。

もちろん、琉球語を日本語の一方言とみなすか、あるいは別言語とみなすか、議論のあることは承知している。さらに、ただ琉球語というのではなく、言語学的には、さらに細かな言語になることも、一応の知識としては持っている。

そのうえで、あえて問われてしかるべきであろう……アイヌ語の仮名がJIS仮名としてはいっているのに、琉球語の仮名表記ができなのは、どうしてなのか。JIS規格「0213」のとき、琉球語は考慮しなかったのか。「0213」の制定は、2000年である。年代としては、資料的に利用しえたはずのものである。

問題としては、安定した字体・表記法があるかどうか、ということがあったのかもしれない。

ここで、小書きの仮名は、通常の文字と同じ文字なのか、別の文字なのか、という議論がふたたび必要になってくる。同じ文字で大きさがちがうだけならば、それはそれでよい。しかし、別の文字として存在を認めるならば、文字の規格に必要であるという論になる。情報交換のための文字としての必要性を主張できる可能性がある。

さて、どうしたものだろうか。

アイヌ語の仮名表記2016-09-24

2016-09-24 當山日出夫

現在のコンピュータにある仮名は、日本語の表記のためのものもあるが、アイヌ語の表記のためのものもある。

次の仮名である。

セ゚ツ゚ト゚ (半濁点)

ㇰㇱㇲㇳㇴㇵㇶㇷㇸㇹㇷ゚ㇺㇻㇼㇽㇾㇿ (小書き)

これらの仮名、今、私がこの文章を書いているエディタ(WZ9)では、正しく表示してくれない。これらの仮名は、「0213」で追加になった仮名である。だから、JIS規格にはなっている文字。しかし、実際の運用は、ユニコードで使うようになっている。ワープロ(Wordなど)では、ユニコードとしてあつかって表示する。(なお、同じファイルを、EmEditorでひらいて表示させると、ただしく見える。たぶん、WEBでも大丈夫だと思うので使っておく。また、ワープロ(一太郎2016)を使っている場合、横書きでは正しく表示(合成)するのだが、縦書きになると乱れてしまう。これは、ガ行鼻濁音の半濁点についてでも同様の現象が起こる。)

アイヌ語の場合、半濁点「゜」付きの仮名は、合成で示す。

したがって、JISの文字のコード表にはあるのだが、ユニコードの表にははいいっていない文字がある。その文字単独でははいっていない。「゜」と合成してつかうことを知らなければ使えない文字ということになる。

小書きの「ㇷ゚」(半濁点)などが、特に問題となる。

アイヌ語を表記する仮名が、JIS規格に決められ、そして、ユニコードで運用が可能になっている、このこと自体はよろこぶべきことであろう。だが、問題があるとすれば、次の二点。

第一に、現在のJIS規格「0213」で、アイヌ語用の仮名が入っていることが、どれほど知られているだろうか、ということ。

第二に、半濁点つきの仮名は、ユニコードでは合成で表示するようになっているため、エディタやワープロがそれに対応していない場合、正しく表示されないことがある、ということ。

以上の二点が、今後の問題として残っていることになる。

ところで、このアイヌ語仮名、知識としては知っていたが、実際に使用された事例を目にしたのは、最近になってからである。

池澤夏樹=個人編集「日本文学全集」30『日本語のために』.河出書房新社.2016

この本については、すでにふれた。

やまもも書斎記 2016年9月17日
日本文学全集30『日本語のために』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/17/8192276

「アイヌ神謡集」、知里幸恵 著訳/北道邦彦  編
「アイヌ物語」、山辺安之助/金田一京助 編
「萱野茂のアイヌ語辞典」

これらのアイヌ語の表記に、JIS規格で制定された仮名を見いだすことができる。おそらく、一般的な書物(アイヌのことを専門にしたのではない)において、アイヌ語仮名が使用された、珍しい例といえるのかもしれない。

気になるのは、この本『日本語のために』の組版において、アイヌ語の組版データはどうなっているのだろうか、ということなのである。JIS規格文字(フォント)が使用されたのであろうか。それとも、通常の仮名を小さく印刷したのであろうか。このことが気になっている。