『昨日がなければ明日もない』宮部みゆき2021-06-17

2021-06-17 當山日出夫(とうやまひでお)

昨日がなければ明日もない

宮部みゆき.『昨日がなければ明日もない』(文春文庫).文藝春秋.2011(文藝春秋.2018)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167916855

おおむね、宮部みゆきの本は買って読むことにしている。これは、単行本が出たときに見逃していたようで、文庫本で出たので買った。

杉村三郎シリーズである。このシリーズは、この前作の『希望荘』から、がらりと設定が変わっている。まあ、私としては、以前の設定の杉村三郎シリーズも良かったと思っている。『希望荘』がいい作品だったので、これも読んでおくことにした。

三作品を収録する。

絶対零度
華燭
昨日がなければ明日もない

読んで、ミステリとしてよくできていると感じるのが、本のタイトルにもなっている「昨日がなければ明日もない」である。

ただ難点を強いていえば……最後のところで、ちょっと論理の飛躍がある。別に、何か事件が起こればそれでこの小説としては完結する。ここは無理に最悪の事件が起こったことにしてしまったように思えてならない。

この作品集全体を通じて流れているのは、現代における家族というものかもしれない。夫婦や親子さらには恋人同士の関係をふくめて、現代社会における家族の有りようを、多面的に描いている。やはり、宮部みゆきは、時代とその社会に生きる人間を描く作家である。

2021年5月31日記

「黄色い下宿人」山田風太郎2021-06-03

2021-06-03 當山日出夫(とうやまひでお)

明治十手架(下)

山田風太郎.「黄色い下宿人」(ちくま文庫 山田風太郎明治小説全集 14 『明治十手架』所収).1997
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480033543/

続きである。
やまもも書斎記 2021年5月31日
『明治十手架』山田風太郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/31/9382962

ちくま文庫本に掲載の書誌を見ると、初出は、1953年の『別冊宝石』(岩谷書店)である。その後、いろんな作品集に収録されている。たぶん、私が読んだのは、1977年の現代教養文庫版であったかと思う。(この現代教養文庫は、いまではもうない。)

おそらく、私が最初に読んだ山田風太郎の作品は、これだったかと思う。(あるいは、「不戦日記」の方だったかもしれないが、どうだろうか。)

読みなおして見ることになったのだが、四〇年以上のへだたたりがある。ああ、こんな小説だったのかと改めて思い、そして、これは、ミステリとして一級の作品でもあると、改めて納得したところでもある。

記憶に残っていたのは、一九世紀のロンドンに留学していた日本人……これも、ここまでの山田風太郎の明治小説を読んできた人間ならすぐにわかる、夏目金之助である。この意味では、この作品は、山田風太郎の明治小説の中にいれていいようなものかもしれないが、しかし、発表時期を考えるとどうかなという気もしないではない。山田風太郎の明治小説は、やはり『警視庁草紙』あたりかた考えるべきだろう。

筑摩書房がこの企画で「全集」を出版したとき、収録作品の一覧を見て、この作品もそういわれてみれば、明治小説ではある……と、思ったのを覚えている。

そして、この作品は、(これはすっかり忘れてしまっていたことなのだが)ホームズが登場する。たしかに、英国に留学していた夏目金之助が、シャーロック・ホームズと会っていても不思議ではない。無論、山田風太郎の明治小説の設定ということにおいてだが。

ともあれ、これを読んで、筑摩版の山田風太郎の明治小説を、全部読み切ったことになる。そのほとんどは、再読、再々読……になる。ここで、あらためて、集中的にこの一連の作品を読んで感じることは、近代、明治維新を描いた作品群として、やはり傑出していることである。

山田風太郎は、(特に気をつけて読んだということではないのだが)明治維新という用語は使っていなかったと思う。御一新であり、あるいは、瓦解である。このあたりの用語にうかがえるように、山田風太郎は、明治という時代を、その時代の流れにのることをいさぎよしとしなかったものの立場から描くという視点をとっている。いわば、敗者から見た明治ということになる。

このような視点で明治維新を見るというのは、「不戦日記」の著者ならではのことでもある。昨日まで、世の中こぞって尊皇攘夷といっていたのに、大政奉還から一気に流れが変わって、開国、文明開化ということになる。これは、まさに、太平洋戦争の戦時中から、戦後にかけての、世の中の変化になぞらえて見ることになるのだろう。いったい何が正義なのか、昨日まで信じていたことは意味がないことなのか、新しければそれでいいのか……時代の激変のなかで、価値観が動転した世の中の動き、そのなかに生きてきた人間ならではの、歴史や社会への、どことなく冷めた眼差しを感じる。

小川洋子の作品を読んでいっていたのだが、ふと途中で目について、山風太郎の明治小説を読み出して、「全集」所収作品を全部読むことになった。後、山田風太郎で、昔読んで、再読してみたいと思っているのは、「八犬伝」と「不戦日記」になる。これも、つづけて読んでみようと思う。

2021年5月27日記

『明治断頭台』山田風太郎2021-04-22

2021-04-22 當山日出夫(とうやまひでお)

明治断頭台

山田風太郎.『明治断頭台』(ちくま文庫 山田風太郎明治小説全集7).筑摩書房.1997(文藝春秋.1979)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480033475/

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月15日
『地の果ての獄』山田風太郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/15/9367360

この作品を若いときに読んだが、そのときは、なんとも破天荒な設定であることかと思ったものである。それを、今になって読みかえしてみて思うことは、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、これは、「本格」であるということ。

そもそも山田風太郎はミステリ作家なのである。私が、『警視庁草紙』などを読み始めたときは、それを、主にミステリの視点から読んだと覚えている。この『明治断頭台』は、時代の設定こそ明治初期の弾正台という設定ではあるが、そこで描かれている事件の数々は、まさに「本格」といえる。

そして、さらに面白いのは、その謎解きをするのが、何故か日本にやってくることになったフランスの娘。それが、巫女の姿で、死者の霊を呼び寄せて語るという趣向。

いくつかの事件を経て……短篇の連作という形式をとっている……最後に、この小説全体で、大きな謎解きになっていく、この仕掛けが見事である。

第二は、山田風太郎の明治小説としては、その奇想天外な設定やストーリーに平行して、大きなメッセージを語っていること。政治にとって正義とはなんであるのか、問いかけるものになっている。

これは、「不戦日記」などの著者として、戦中から戦後の激動の時代を生きた人間ならではの歴史観だろう。時代の大きな変わり目には、価値観の激変があり得る。そこには、歴史を動かしていく人間の非情さもあれば、逆に、極端な正義感も存在することになる。まさに、明治初期というきわどい時期ならではの設定として、正しい政治のあり方とはいかなるものであるべきか、山田風太郎の流儀で、問いかけている。

以上の二点が、『明治断頭台』を久々に読んでみて思うことであろうか。ここまで山風太郎を読みなおしてくると、これは、年をとってから読みなおす価値のある文学であることが理解される。無論、歴史エンタテイメント、ミステリとしても、一級品である。だが、それにとどまらない、歴史の激変のなかに生きる人間のありさまを、語りかけるものがある。

2021年4月13日記

追記 2021-05-01
この続きは、
やまもも書斎記 2021年5月1日
『エドの舞踏会』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/01/9372763

『原野の館』ダフネ・デュ・モーリア/務台夏子(訳)2021-03-29

2021-03-29 當山日出夫(とうやまひでお)

原野の館

ダフネ・デュ・モーリア.務台夏子(訳).『原野の館』(創元推理文庫).東京創元社.2021
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488206062

創元推理文庫の新刊、厳密には新訳ということで読んでみることにした。ダフネ・デュ・モーリアの作品は、『レベッカ』が有名かもしれない。他には、『レイチェル』がある。それから、『鳥』の作者でもある。『鳥』は、映画の方が有名だろうか。

主人公はメアリー。母が亡くなって孤独の身となって、叔母のもとにゆくことになる。それは、荒野のなかに立つ、ジャマイカ館という家だった。そこには、叔母の夫もともにいるのだが、何かしら怪しげである。謎につつまれた館の正体は、どうやら密貿易らしい。そして、悲劇が起こる。限られた登場人物でありながら、これから先いったいどうなることだろうと読みふけってしまった。

この作品は、舞台背景がいい。日本語訳のタイトルは、「原野の館」であるが、「原野」には「ムーア」とルビがふってある。英国の、荒涼たる原野のひろがる地域で、この作品は展開する。

サスペンスに満ちた作品であると同時に、ある種のフーダニットにもなっている。まあ、登場人物がきわめて限定的だから、事件の背後にある真相としては、あの人物なのかなとおぼろげには推測しながら読むことにはなる。しかし、そうはいっても、そこにいたる道筋は、実にたくみである。特に、「真犯人」が正体をあらわすところなどは、本から目がはなせなくなる。

それから感じることは、この作品などに見られる、英国のミステリの文学的芳醇さである。これは、なかなか日本の作品には求めがたいものがある。たぶん、ミステリという文学のなりたつ社会的、歴史的、文化的な背景の違いによるものなのだろう。ともあれ、この作品、新訳ということで再度世に出た作品であるが、間違いなく傑作といっていい作品である。

2021年3月28日記

『レンブラントをとり返せ』ジェフリー・アーチャー2020-12-18

2020-12-18 當山日出夫(とうやまひでお)

レンブラントを取り返せ

ジェフリー・アーチャー.戸田裕之(訳).『レンブラントをとり返せ-ロンドン警視庁美術骨董捜査班-』(新潮文庫).新潮社.2020
https://www.shinchosha.co.jp/book/216150/

ジェフリー・アーチャーの作品は、おおむね読んできている。その日本への紹介のはじめは、たしか『百万ドルをとり返せ』であったはずである。これは、私が学生のころのことになる。そして、ここいらあたりから、新潮文庫で、海外のミステリなどの小説を刊行するようになってきたと記憶する。

小説としては、レンブラント盗難事件からはじまる。そこで、本物のレンブラントの作品にあるはずの署名の有無を指摘するのが、大学で美術を学んだ、新人の巡査であるウォーウィックであった。そして、物語は、美術品の盗難事件、さらには、銀製品の盗難事件をふくんで、おおきく発展することになる。

読んだ印象としては、英国なりの警察小説であり、法廷小説であるということである。主人公のウォーウィックの父と姉は、弁護士である。かれらと、ウォーウィックは、法廷で顔を合わせることになる。なるほど、英国流の裁判、法廷というのは、こんな感じなのかと、興味深く読んだところである。

ところで、この作品、「クリフトン年代記」の続編になるとのことである。「クリフトン年代記」については、出た時に毎年順番に買って積んである本である。全部出てからまとめて読もうと思っていて、なぜか今まで機会をうしなってしまっている。これを機会に、積んである本のなかから探し出してきて、順番に読んでみようかという気になっている。

この『レンブラントを取り返せ』であるが、傑作といっていいだろう。登場人物は多岐にわたり、話しもいろんなストーリーが平行してすすむのだが、一気に読ませる作品にしあがっている。そして、何よりも、最後の一文がいい。ああ、なるほど、こういう結論になるのか、読んで、驚きもし、納得もすること、うけあいである。

2020年12月17日記

『「グレート・ギャツビー」を追え』ジョン・グリシャム/村上春樹(訳)2020-10-22

2020-10-22 當山日出夫(とうやまひでお)

「グレート・ギャツビー」を追え

ジョン・グリシャム.村上春樹(訳).『「グレート・ギャツビー」を追え』.中央公論新社.2020
https://www.chuko.co.jp/tanko/2020/10/005341.html

ジョン・グリシャムの作品のいくつかは読んだことがある。『グレート・ギャツビー』も読んでいる。村上春樹は、その小説やエッセイなどはほとんど読んだかと思う。翻訳がいくつか残っている。これも順次読んでいこうと思う。

このようなときに、この本がでた。これは、買って読むしかないだろうと思った。

プリンストン大学での、「グレート・ギャツビー」の自筆原稿の盗難事件からスタートする。そして、舞台は一転して、地方のある島と書店のことになる。主な登場人物は、作家のマーサー。小説を刊行してみたものの次に続く作品が書けなくてスランプにおちいっている。そんなマーサーと知り合うことになるのが、書店を経営するブルース。チェーン店ではない、無論オンラインではない、独立系の書店経営者として成功している。あつかっている本は多岐にわたるが、新刊ばかりではなく、古書、初版本などもあつかっている。これはかなり大きなビジネスとして展開している。そのブルースが、あるいは、盗難にあった「グレート・ギャツビー」の原稿を持っているかもしれない。ある組織から依頼をうけた、マーサーは、その探索にあたることなるのだが。まあ、このようなお膳立てでストーリーが展開する。

ジョン・グリシャムの小説であるが、弁護士とか検事とか出ては来ない。登場するのは、作家と書店経営者。アメリカにおける文芸ビジネス(という用語が適切であるかどうかとは思うが、ともあれ、ビジネスとしての文芸書の販売)の内幕が、かなり詳細に語られる。これは、かなり興味深かった。

また、初版本コレクションとそのビジネスの世界についても詳しい。

さて、ブルースは、本当に「グレート・ギャツビー」の原稿を所有しているのだろうか、探査をすすめるマーサーの視点から、基本的に小説は進行する。

最後のところで、真相があきらかになるのだが、ナルホドという落とし所になっている。ミステリとして読んでも、やはり一級品であると思う。(あるいは、今年のミステリベストに入るかもしれない。)

ところで、村上春樹の翻訳作品を読んできていたのだが、しばらく中断してしまっている。これも、のこる作品を読んでしまっておきたい。村上春樹が訳しているからこそ、読んでおきたい本というものがある。

2020年10月20日記

『盤上の向日葵』柚月祐子2020-10-10

2020-10-10 當山日出夫(とうやまひでお)

盤上の向日葵(上)

盤上の向日葵(下)

柚月祐子.『盤上の向日葵』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2020 (中央公論新社.2017)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2020/09/206940.html
https://www.chuko.co.jp/bunko/2020/09/206941.html

柚月祐子という作家は、良質のエンタテイメントが書ける作家だと思う。この作品、出たときに話題になった本であるという認識はもっていた。が、なんとなく手にしそびれてしまっていた。このたび、中公文庫版で上下二冊で出たので、これで読んでみることにした。

読み始めて、ふと思い浮かぶのは、松本清張の著名な作品である。たぶん、犯人はこの人物なんだろうなあ、そして、それを追いかける刑事たちのことがでてくるんだろう……と思って読み進めることになった。

この小説は、二つのストーリーが平行して進行する。一つは、山中で発見された死体。その死体と一緒に埋められていた将棋の駒。これは、どうやら世に希な逸品であるらしい。この将棋の駒を追って、捜査をすすめる刑事たち。他の一つは、信州の諏訪で、父親から虐待をうけている少年の話し。貧しいのだが、頭脳は優秀である。将棋に興味がある。それを見出した、ある男性が、その少年の世話をやくことになり、また将棋をおしえる。やがて少年は、東京に出て東大にはいる。そして、将棋の世界にかかわっていくことになる。

二つのストーリーが並んで進んでいって、最後に一緒になったところで、事件の真相があきらかになる。小説の作り方としては、月並みではあるが、しかし、そこは柚月祐子ならではの、筆力である。読者を、物語のなかにひきずりこんでいく。巧い書き方である。

ただ、読んでいてちょっと気になったのが、時代設定。平成のはじめごろにしてある。これは、いったい何の意図があってのことだろうと思って読んでいた。文庫本の解説を書いているのは、羽生善治である。これを読んで、なるほど、この時代設定でなければ、このような将棋の世界はありえなかったのかと、納得がいく。

それから、どうでもいいことだが……この文庫本には、大量の誤植がある。中央公論新社のHPに正誤表が掲載になっている。たぶん、本の作り方としては、先に単行本が出たときの組版データを流用して、文庫本にしているはずだと思うのだが、いったいどのような手続きで組版すれば、このような誤植になるのか、そこが、ある意味で興味深い。

しかし、私は、将棋については、とんと素人である。駒の動かし方、最初の並べ方をかろうじて知っている程度である。とても、その駒を進めて勝負するところの描写を理解するにいたらない。これは、誤植があっても、ほとんど意味のないことなので、そのまま読むことにした。

2020年10月9日記

『ネヴァー・ゲーム』ジェフリー・ディーヴァー2020-10-03

2020-10-03 當山日出夫(とうやまひでお)

ネヴァー・ゲーム

ジェフリー・ディーヴァー.池田真紀子(訳).『ネヴァー・ゲーム』.文藝春秋.2020
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912691

毎年、秋になると、ジェフリー・ディーヴァーの新作の翻訳が文春から出る。これは、ずっと買って読むことにしてきている。さかのぼれば『ボーン・コレクター』あたりから、続けていることになる。

これは、新しいシリーズである。主人公は、コルター・ショウ。懸賞金ハンターである。これまでの、リンカーン・ライムやキャサリン・ダンスが、警察の側、いわば組織の側に身をおく立場であったのに対して、新しい主人公は、そのような公的な後ろ盾をもたない。いわゆる一匹狼的な生き方である。

読んで思うことは、次の二つぐらいだろうか。

第一に、ミステリとして見た場合、トリックの大筋は、古典的なミステリの名作でつかわれているもののアレンジになっている。ミステリを読んできた人間なら、あああの作品のトリックの変形バージョンか、とすぐ気付く。

この意味では、あまりミステリとしての目新しさを感じることがない。しかし、一つの作品としての完成度は高いと言っていいだろう。

第二に、舞台はシリコンヴァレーである。特に、ゲームの世界の裏と表、なかんずく闇の部分とでもいうところを描いている。これは、まさに時事的なテーマである。(だからということもないが、ジェフリー・ディーヴァーの作品は、その時代を映すものになっている。文庫本になるのを待たずに買って読むことにしているのは、そのせいもある。)

以上の二つのことが読んで思うことなどである。

訳者あとがきによれば、このシリーズは、次作でも続くらしい。また、リンカーン・ライムの新作もあるようだ。となれば、COVID-19でロックダウンしたニューヨークが舞台になるのかと思う。来年もつづけて読むことができればと思う。

2020年10月2日記

『その裁きは死』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭(訳)2020-09-17

2020-09-17 當山日出夫(とうやまひでお)

その裁きは死

アンソニー・ホロヴィッツ.山田蘭(訳).『その裁きは死』(創元推理文庫).東京創元社.2020
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488265106

前作『メインテーマは殺人』の方は、出てすぐ買って積んであった。先日、ようやく読んだのだった。

やまもも書斎記 2020年9月4日
『メインテーマは殺人』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/04/9291983

こんど出た『その裁きは死』については、出てすぐに買って読むことにした。たぶん、今年の年末のミステリベストには必ずはいるだろうと思う。

基本的には、古典的とでもいうべきフーダニットのつくりになっている。まさにミステリの王道である。

設定は、『メインテーマは殺人』と同じ。「アンソニー・ホロヴィッツ」が、元刑事のホーソーンの事件解決の顛末を小説に書くということで、「ワトソン」役となっている。が、ここも前作と同様、ただ単なる「ワトソン」役であるのにとどまらず、事件の解明の段階では、一役かうことになっている。

私は、ミステリ好きではあるが、そんなに海外、特に英米のミステリ事情に詳しいということはない。まあ、「刑事フォイル」ぐらいは名前は知っている(ただ、テレビは見ていない。)この小説、虚実入りまぜて書いてあると思うのだが、どこが「実」で、どこからが「虚」なのか、今ひとつ判然としないのが、ちょっと残念な気がする。

小説の冒頭が、「刑事フォイル」のロンドンでのロケシーンからはじまるのは、読者サービスと思って読んでおけばいいのかもしれない。これがなくても、十分に小説としては成りたっているのだが、「刑事フォイル」の作者「アンソニー・ホロヴィッツ」ということが、この作品を、より面白いものにしている。

ところで、この『その裁きは死』のなかで語られることでは、このシリーズ……元刑事ホーソーンを主人公とする……は、三作を予定しているとのことである。また、文庫本の解説によると、作者(アンソニー・ホロヴィッツ)は、この「アンソニー・ホロヴィッツとホーソーン」のシリーズを、もっと書く予定であるようだ。

読んで思うことは、この小説の最大の謎は、「ホーソーン」という人物にある。なぜ、刑事を辞めることになったのか。そして、今は、いったい何をしているのか。どうにも、不可解なところが多々ある。それが、このシリーズの、狭義の推理小説以外のところにある、もう一つの大きな謎としてある。

さて、年末恒例のミステリベストで、この作品がどのように評価されることになるのか、楽しみである。

2020年9月13日記

『探偵さえいなければ』東川篤哉2020-09-12

2020-09-12 當山日出夫(とうやまひでお)

探偵さえいなければ

東川篤哉.『探偵さえいなければ』(光文社文庫).光文社.2020(光文社.2017)
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334779580

夏の暑い時期、気楽に読もうと思って買って、時間をかけて一話づつ読んでいった。途中、中断したときがあったりして、全部読むのにはかなりかかってしまった。

これは、まごうことなき「本格」である。東川篤哉は、そのデビュー作のときから読んでいる。その後、おりにふれて目にとまったら買って読むようにしてきている。現代ミステリにおいて、きっちりとした「本格」を書いている希な作家の一人であるという認識でいる。

「本格」であると同時に、特徴は、やはりユーモアであろう。どの作品にも、どことなくユーモアがただよっている。

事件がおこるのは、例によって、烏賊川市(いかがわし、これは架空の町)である。この烏賊川市を舞台にした作品ということでは、冒頭の「倉持和哉の二つのアリバイ」が面白い。このトリック、どこを舞台にしてもなりたつのだが、しかし、烏賊川市という町でおこってこそのミステリという印象がある。

東川篤哉は、年末恒例のミステリベストに名前が出てくるような作家ではないと思っているのだが、しかし、コンスタントに、ユーモアのある「本格」を出している。現代においては、希有なミステリ作家といっていいだろう。今後も、機会があれば、読んでおきたい作家のひとりである。古典を読む合間に手にするにはちょうどいい。

2020年9月11日記