よみがえる新日本紀行「居付地蔵-熊本県五木村-」 ― 2025-03-14
2025年3月14日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行「居付地蔵-熊本県五木村-」
再放送である。2024年。オリジナルは、昭和46年(1971)。
昭和46年というと、私が高校生のころになる。
まだ五木村が残っているということに、少し驚いた、というのが正直なところである。市町村合併で消えることはなかったことになる。(もし市町村合併があったとしても、地名としては消えることはないと思うが。)
川辺川ダムも、紆余曲折があるらしい。昭和46(1971)年の時点で、工事が着工されていて、知事が立ち退きとなる住民への説明をしていた。その後、建設が撤回されて、また、豪雨災害をきっかけに工事を進めることになったりと、かなりややこしいダムであるらしい。
郵便の配達から番組は始まっていた。郵便屋さん以外には、村落の間を行き来する人がいない、まさに寒村であったことになる。(これは、郵便屋さんの本来の業務ではないと思ったりもするのだが、制度的にはどうなのだろうか。ちなみに、最近のニュースでは、デンマークで郵便事業の中止ということがあった。この流れは、世界的にどうなるだろうか。)
オリジナルの昭和46年の番組の中では、焼畑農業を、原始的な農業と言っていたが、これを、現代の視点からは、持続可能な農業と言うことになっている。これは、最近の価値観の変化ということになる。
昭和46年の時点で、五木村は過疎の村であり、焼畑で作っていた雑穀があまり需要がなくなってきたとあった。日本での生活スタイルの変化もあり、地方から都市への人の移動があり、食事の面でも、お米の御飯が普通になってきた時代である。そういえば、貧乏人は麦を食え、と言った政治家がいたけれど、昭和40年ごろまで、お米のご飯は、贅沢品、はおおげさかもしれないが、ある程度の経済力があって食べられるものでもあった。私は、かろうじて、この時代のことを体験的に記憶している。
村の結婚式の披露宴の様子などは、貴重な記録かもしれない。
五木村は、確かに人口は減っているが、(これは全国的な問題なので、特に五木村が特殊ということではないだろうが)、なんとか存続できているようである。村の中学校の生徒が、子守唄を歌うシーンを見ると、この村もなんとか生きのびることができるかもしれないと思う。
「五木の子守唄」は、私は知っている歌であるが、いったいいつごろ憶えたものか、記憶がさだかではない。いつの間にか憶えて知っていた歌ということになる。(ただ、WEBで見てみると、「五木の子守唄」も、また、「竹田の子守唄」も、放送にあたっては、いろいろと問題があった歌のようである。今の、普通の人びとの感覚としては、特に問題はないと思えるのだが。)
番組の中で、焼畑の後に造林していたのだが、この時に植林した樹木は、もう数十年以上の樹齢ということになり、木材として出荷できるかどうかだと思うのだが、この村の林業は、これからどうなのだろうか。(担い手の問題と、経済的にやっていける価格が維持されるのかどうか、ということがある。)
昭和40年代は、やはり大きく日本で生活する人びとの暮らしが変わり、産業構造が変わっていった時代である。視点を変えれば、日本列島改造論が、それなりに説得力があった時代でもある。出稼ぎということが、日常的にあった時代でもある。この時代まで、自給自足で生活する人びとの暮らしが、残っていたことになる。これは、『忘れられた日本人』(宮本常一)の生活ということになるかもしれないが。
2025年3月12日記
よみがえる新日本紀行「居付地蔵-熊本県五木村-」
再放送である。2024年。オリジナルは、昭和46年(1971)。
昭和46年というと、私が高校生のころになる。
まだ五木村が残っているということに、少し驚いた、というのが正直なところである。市町村合併で消えることはなかったことになる。(もし市町村合併があったとしても、地名としては消えることはないと思うが。)
川辺川ダムも、紆余曲折があるらしい。昭和46(1971)年の時点で、工事が着工されていて、知事が立ち退きとなる住民への説明をしていた。その後、建設が撤回されて、また、豪雨災害をきっかけに工事を進めることになったりと、かなりややこしいダムであるらしい。
郵便の配達から番組は始まっていた。郵便屋さん以外には、村落の間を行き来する人がいない、まさに寒村であったことになる。(これは、郵便屋さんの本来の業務ではないと思ったりもするのだが、制度的にはどうなのだろうか。ちなみに、最近のニュースでは、デンマークで郵便事業の中止ということがあった。この流れは、世界的にどうなるだろうか。)
オリジナルの昭和46年の番組の中では、焼畑農業を、原始的な農業と言っていたが、これを、現代の視点からは、持続可能な農業と言うことになっている。これは、最近の価値観の変化ということになる。
昭和46年の時点で、五木村は過疎の村であり、焼畑で作っていた雑穀があまり需要がなくなってきたとあった。日本での生活スタイルの変化もあり、地方から都市への人の移動があり、食事の面でも、お米の御飯が普通になってきた時代である。そういえば、貧乏人は麦を食え、と言った政治家がいたけれど、昭和40年ごろまで、お米のご飯は、贅沢品、はおおげさかもしれないが、ある程度の経済力があって食べられるものでもあった。私は、かろうじて、この時代のことを体験的に記憶している。
村の結婚式の披露宴の様子などは、貴重な記録かもしれない。
五木村は、確かに人口は減っているが、(これは全国的な問題なので、特に五木村が特殊ということではないだろうが)、なんとか存続できているようである。村の中学校の生徒が、子守唄を歌うシーンを見ると、この村もなんとか生きのびることができるかもしれないと思う。
「五木の子守唄」は、私は知っている歌であるが、いったいいつごろ憶えたものか、記憶がさだかではない。いつの間にか憶えて知っていた歌ということになる。(ただ、WEBで見てみると、「五木の子守唄」も、また、「竹田の子守唄」も、放送にあたっては、いろいろと問題があった歌のようである。今の、普通の人びとの感覚としては、特に問題はないと思えるのだが。)
番組の中で、焼畑の後に造林していたのだが、この時に植林した樹木は、もう数十年以上の樹齢ということになり、木材として出荷できるかどうかだと思うのだが、この村の林業は、これからどうなのだろうか。(担い手の問題と、経済的にやっていける価格が維持されるのかどうか、ということがある。)
昭和40年代は、やはり大きく日本で生活する人びとの暮らしが変わり、産業構造が変わっていった時代である。視点を変えれば、日本列島改造論が、それなりに説得力があった時代でもある。出稼ぎということが、日常的にあった時代でもある。この時代まで、自給自足で生活する人びとの暮らしが、残っていたことになる。これは、『忘れられた日本人』(宮本常一)の生活ということになるかもしれないが。
2025年3月12日記
3か月でマスターする江戸時代「(10)ペリー来航まで「ボーッ」としていたのか?」 ― 2025-03-14
2025年3月14日 當山日出夫
3か月でマスターする江戸時代 (10)ペリー来航まで「ボーッ」としていたのか?
幕末の外交史については、いろいろと面白いことがあるはずである。
しかし、この番組では、肝心なことを語っていない。それは、ペリーは、どのルートで日本にやってきたのか、ということである。これは、外交史などの歴史学を専門にしている研究者なら当たり前と思って、言うのを省いてしまったことになるかもしれない。
ペリーは、太平洋を渡ってはいない。
アメリカの東海岸から、大西洋を南下し、喜望峰をめぐり、インド洋をわたり、東南アジアをぬけて、日本にやってきている。
それから、もう一つの重要なことは、日本に来る前に、琉球に寄っていることである。(また、琉米修好条約のことも、重要だろう。)
上記の二つのことは、ペリー来航を学生に教えるときには、かならず言っておくべきことではないかと思っている。
また、日本史の勉強とは直接の関係はないが、『白鯨』(メルヴィル)を読むと、まさに、この時代のアメリカの捕鯨のことが、つぶさに描かれている。鯨を捕る様子、船のなかのこと、乗組員たちのこと、など。もちろん、フィクションの部分はあるのだが、しかし、日本史を勉強するときに、『白鯨』は読んでおくべき必須の小説といっていいだろう。『白鯨』のピークオッド号は、まさにペリーと同じようなルートをたどって、太平洋に出て捕鯨をしている。
その後、ペリーの来航後、こんどは日本から咸臨丸がアメリカに行っているが、これは、太平洋航路をとって、アメリカの西海岸へ着いている。
つまり、ペリーが日本いやってきた時代というのは、アメリカからは、東回りのルートで日本をめざす航路と、西回りで太平洋を横断する航路と、二つのルートが存在した時代であり、同時に、アメリカでは、南北戦争がおこったころになる。(ペリー来航より、少し後のことになるが。)アメリカの統合と、西部へのフロンティアがひらけて、太平洋をめざすことになった時代へとつながることになる。
こういう背景をおいて考えてみると、アメリカは、イギリスがアヘン戦争で清に勝ってから、さらにそれに先んじて日本に手を伸ばしてきたということになるかと思う。結果的には、アメリカは、イギリスに勝ったことになる。これが、あるいは、その後の日本の近代にあたえた影響はおおきいというべきだろう。
2025年3月13日記
3か月でマスターする江戸時代 (10)ペリー来航まで「ボーッ」としていたのか?
幕末の外交史については、いろいろと面白いことがあるはずである。
しかし、この番組では、肝心なことを語っていない。それは、ペリーは、どのルートで日本にやってきたのか、ということである。これは、外交史などの歴史学を専門にしている研究者なら当たり前と思って、言うのを省いてしまったことになるかもしれない。
ペリーは、太平洋を渡ってはいない。
アメリカの東海岸から、大西洋を南下し、喜望峰をめぐり、インド洋をわたり、東南アジアをぬけて、日本にやってきている。
それから、もう一つの重要なことは、日本に来る前に、琉球に寄っていることである。(また、琉米修好条約のことも、重要だろう。)
上記の二つのことは、ペリー来航を学生に教えるときには、かならず言っておくべきことではないかと思っている。
また、日本史の勉強とは直接の関係はないが、『白鯨』(メルヴィル)を読むと、まさに、この時代のアメリカの捕鯨のことが、つぶさに描かれている。鯨を捕る様子、船のなかのこと、乗組員たちのこと、など。もちろん、フィクションの部分はあるのだが、しかし、日本史を勉強するときに、『白鯨』は読んでおくべき必須の小説といっていいだろう。『白鯨』のピークオッド号は、まさにペリーと同じようなルートをたどって、太平洋に出て捕鯨をしている。
その後、ペリーの来航後、こんどは日本から咸臨丸がアメリカに行っているが、これは、太平洋航路をとって、アメリカの西海岸へ着いている。
つまり、ペリーが日本いやってきた時代というのは、アメリカからは、東回りのルートで日本をめざす航路と、西回りで太平洋を横断する航路と、二つのルートが存在した時代であり、同時に、アメリカでは、南北戦争がおこったころになる。(ペリー来航より、少し後のことになるが。)アメリカの統合と、西部へのフロンティアがひらけて、太平洋をめざすことになった時代へとつながることになる。
こういう背景をおいて考えてみると、アメリカは、イギリスがアヘン戦争で清に勝ってから、さらにそれに先んじて日本に手を伸ばしてきたということになるかと思う。結果的には、アメリカは、イギリスに勝ったことになる。これが、あるいは、その後の日本の近代にあたえた影響はおおきいというべきだろう。
2025年3月13日記
ドキュメント20min.「ロンリーカメラ」 ― 2025-03-13
2025年3月13日 當山日出夫
ドキュメント20min. ロンリーカメラ
小谷を「おたり」と読むのは、その知識がないと読めない。学生のとき、夏休みに長野県の大町で、勉強の合宿をしていたこともあって、この地名は読める。
番組のなかで、そうはっきりと言っていたわけではないが、やはり、過疎高齢化の地域であることは確かだろう。
こういう番組としては、「小さな旅」のように作ってもいいかもしれない。九〇歳を超えても元気で暮らしているおばあちゃんであり、林業の仕事をしている若者であり、村の祭りであり、また、雪のなかで遊ぶ子供たちの姿であり。これは、これとして、映像でうまく表現されている。
ただ、肝心のメッセージとして、この村は、東京からふらりと一人でやってきた三〇歳ぐらいの女性がが、そのまま居着いて生活できるいい村である……ということになったかどうか、これは考えることになる。
おそらく一番の問題は……特にこの村に限ったことではないが……若い女性の地方から都市部への移動ということが指摘されている。地方に住み続けたくない、若い女性には、それなりに理由がある。はっきり言ってしまえば、地方に残る封建的な家父長制的な考え方が、嫌だから、東京に出る。まあ、東京に出たからといって、それで幸福に暮らせるかどうかは、また別の問題ではあるが。
この村で長年暮らしてきた人たちの生活の感覚……それは、今の価値観からすると古めかしい面もあるにちがいないが……これが、現代社会の変化(人口の減少、生活のスタイルの変化)なかで、これからどうなるのか、これは考えるべきことである。
番組の最後で、手紙を書いてポストに投函していた。そして、番組のなかでは、カメラを使ってはいたが、スマホも、コンピュータも、出てきていない。こういうふうに作った意図は分かるつもりだが……さて、見る人は、どう思ってみるだろうか。
2025年3月11日記
ドキュメント20min. ロンリーカメラ
小谷を「おたり」と読むのは、その知識がないと読めない。学生のとき、夏休みに長野県の大町で、勉強の合宿をしていたこともあって、この地名は読める。
番組のなかで、そうはっきりと言っていたわけではないが、やはり、過疎高齢化の地域であることは確かだろう。
こういう番組としては、「小さな旅」のように作ってもいいかもしれない。九〇歳を超えても元気で暮らしているおばあちゃんであり、林業の仕事をしている若者であり、村の祭りであり、また、雪のなかで遊ぶ子供たちの姿であり。これは、これとして、映像でうまく表現されている。
ただ、肝心のメッセージとして、この村は、東京からふらりと一人でやってきた三〇歳ぐらいの女性がが、そのまま居着いて生活できるいい村である……ということになったかどうか、これは考えることになる。
おそらく一番の問題は……特にこの村に限ったことではないが……若い女性の地方から都市部への移動ということが指摘されている。地方に住み続けたくない、若い女性には、それなりに理由がある。はっきり言ってしまえば、地方に残る封建的な家父長制的な考え方が、嫌だから、東京に出る。まあ、東京に出たからといって、それで幸福に暮らせるかどうかは、また別の問題ではあるが。
この村で長年暮らしてきた人たちの生活の感覚……それは、今の価値観からすると古めかしい面もあるにちがいないが……これが、現代社会の変化(人口の減少、生活のスタイルの変化)なかで、これからどうなるのか、これは考えるべきことである。
番組の最後で、手紙を書いてポストに投函していた。そして、番組のなかでは、カメラを使ってはいたが、スマホも、コンピュータも、出てきていない。こういうふうに作った意図は分かるつもりだが……さて、見る人は、どう思ってみるだろうか。
2025年3月11日記
BS世界のドキュメンタリー「カネはモスクワへ消えた 国際投資詐欺を追う」 ― 2025-03-13
2025年3月13日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「カネはモスクワへ消えた 国際投資詐欺を追う」
2024年、デンマークの制作。
ジューシー・フィールズ事件、で検索してみたが、日本のマスコミのHPは出てこないようである。日本では、この詐欺事件の被害者はいなかった、ということなのだろうか。いても不思議ではないようにおもうけれど。
医療用大麻の栽培をネタにした詐欺事件ということになる。医療用大麻は、日本でも、医療機関では使われているのだが、厳重に管理されているはずだし、一般にもあまり知られていることではないかもしれない。
見ていて思うこととして、この事件にだまされたという被害者の言っていることで、この話しを聞いたとき、医療用大麻について専門の知識のある人に相談してみたが、その結果、信用できそうだったので、投資した(つまり、だまされた)ということだった。こういうことは、日本では、まずないだろう。医療用大麻について、その市場価格などの専門知識がある人など、きわめて少数の医療関係者に限られるかと思う。
なかで、この詐欺が、ねずみ講式であったようなのだが、日本なら、普通はこの手の話しが出た時点で、怪しいと思うのが普通の判断かもしれない。ねずみ講は、どこの国であっても、詐欺にちがいないと思うのだが。
金はロシアに流れた、その行く先は分からない、という。場合によっては、ロシア政府が関係していてもおかしくはない。個人的な感想としては、今のロシア政府が関与していたとしても、意外だとは思わない。
また、この事件の被害にあった人をターゲットにして、金を取り返すという名目で、新たな詐欺があるようなのだが、むしろ気をつけるべきは、この手の二次的な犯罪かもしれない。
2025年3月7日記
BS世界のドキュメンタリー 「カネはモスクワへ消えた 国際投資詐欺を追う」
2024年、デンマークの制作。
ジューシー・フィールズ事件、で検索してみたが、日本のマスコミのHPは出てこないようである。日本では、この詐欺事件の被害者はいなかった、ということなのだろうか。いても不思議ではないようにおもうけれど。
医療用大麻の栽培をネタにした詐欺事件ということになる。医療用大麻は、日本でも、医療機関では使われているのだが、厳重に管理されているはずだし、一般にもあまり知られていることではないかもしれない。
見ていて思うこととして、この事件にだまされたという被害者の言っていることで、この話しを聞いたとき、医療用大麻について専門の知識のある人に相談してみたが、その結果、信用できそうだったので、投資した(つまり、だまされた)ということだった。こういうことは、日本では、まずないだろう。医療用大麻について、その市場価格などの専門知識がある人など、きわめて少数の医療関係者に限られるかと思う。
なかで、この詐欺が、ねずみ講式であったようなのだが、日本なら、普通はこの手の話しが出た時点で、怪しいと思うのが普通の判断かもしれない。ねずみ講は、どこの国であっても、詐欺にちがいないと思うのだが。
金はロシアに流れた、その行く先は分からない、という。場合によっては、ロシア政府が関係していてもおかしくはない。個人的な感想としては、今のロシア政府が関与していたとしても、意外だとは思わない。
また、この事件の被害にあった人をターゲットにして、金を取り返すという名目で、新たな詐欺があるようなのだが、むしろ気をつけるべきは、この手の二次的な犯罪かもしれない。
2025年3月7日記
『坂の上の雲』「日本海海戦(後編)」 ― 2025-03-13
2025年3月13日 當山日出夫
『坂の上の雲』「日本海海戦(後編)」
ようやく終わった。最初の放送のときから見ているので、何度目かになる。このあいだ、いろいろと考えることがあった。
被害者意識でのみ見ることが庶民の歴史ではない……ということを最後に語っていたが、これには賛成する。むしろ、近年の歴史学が、あまりにも被害者意識ということで考えたがるとも感じる。極端にいえば、歴史のなかで権力に抑圧された可哀想なひと、いや、より可哀想な人を探してくるのが、歴史学の仕事である……というような雰囲気もある。
このドラマは、明治という時代を明るく描いている。これはこれで、一つのものの見方である。ただ、これは、司馬遼太郎が、昭和の戦前を軍部に支配された暗黒時代と考えるところから、さかのぼって明治という時代を見ていたから、という側面もある。
それへの賛否はあるだろうが、司馬遼太郎が、一つの歴史観を、日本の多くの人びとにうえつけたということは、認めなければならない。そのうえで、明治という時代を、さらに多面的に見ることが、これからはもとめられよう。
強いていえば、明治の時代、都市の片隅の貧民窟に生きていたような人びとの日常の喜怒哀楽のなかにも、明治という時代の光はさしこんでいただろう。(やや、かたよった考えかもしれないが。)このような視点からは、山田風太郎の明治小説を思い出してみることになる。私は、山田風太郎の明治小説は、そのほとんどの作品を、二~三回は読みかえしている。ちなみに、『坂の上の雲』は、全編を二回読んでいる。
新しい歴史学の流れからするならば、昭和の戦前と戦後の連続性を考えようという方向にある。かつては、昭和二〇年で歴史は断絶していた。端的には、いわゆる八・一五革命説などがあった。また、江戸時代の日本と、明治になってからの日本の連続性を考えることもある。明治維新によって達成されたことの多くは、江戸時代にすでにその萌芽が、日本で生まれていた、ということになる。
歴史がうつろっていくにしたがって、また、歴史観も、歴史叙述も変わっていく。そもそも、歴史とはそういうものだと思っている。
『坂の上の雲』は、傑出した歴史小説であると同時に、すぐれた明治という時代を描いたドラマである。それを、どう批判的に見るかということが、今のわれわれのなすべきことであろう。
その一方で、このごろ思うこととしては、近代以前の社会の中の人びとの意識とはどんなものであったのか、ということがある。たとえば、『遠野物語』であったり、『忘れられた日本人』であったり、『逝きし世の面影』であったり。さらには、折口信夫の「古代」も考えてみたい。おそらくそこには、近代になってから失ってしまった豊かな精神世界があったはずである。これをふくめて、日本の文化、歴史ということを考えることになるだろう。
2025年3月12日記
『坂の上の雲』「日本海海戦(後編)」
ようやく終わった。最初の放送のときから見ているので、何度目かになる。このあいだ、いろいろと考えることがあった。
被害者意識でのみ見ることが庶民の歴史ではない……ということを最後に語っていたが、これには賛成する。むしろ、近年の歴史学が、あまりにも被害者意識ということで考えたがるとも感じる。極端にいえば、歴史のなかで権力に抑圧された可哀想なひと、いや、より可哀想な人を探してくるのが、歴史学の仕事である……というような雰囲気もある。
このドラマは、明治という時代を明るく描いている。これはこれで、一つのものの見方である。ただ、これは、司馬遼太郎が、昭和の戦前を軍部に支配された暗黒時代と考えるところから、さかのぼって明治という時代を見ていたから、という側面もある。
それへの賛否はあるだろうが、司馬遼太郎が、一つの歴史観を、日本の多くの人びとにうえつけたということは、認めなければならない。そのうえで、明治という時代を、さらに多面的に見ることが、これからはもとめられよう。
強いていえば、明治の時代、都市の片隅の貧民窟に生きていたような人びとの日常の喜怒哀楽のなかにも、明治という時代の光はさしこんでいただろう。(やや、かたよった考えかもしれないが。)このような視点からは、山田風太郎の明治小説を思い出してみることになる。私は、山田風太郎の明治小説は、そのほとんどの作品を、二~三回は読みかえしている。ちなみに、『坂の上の雲』は、全編を二回読んでいる。
新しい歴史学の流れからするならば、昭和の戦前と戦後の連続性を考えようという方向にある。かつては、昭和二〇年で歴史は断絶していた。端的には、いわゆる八・一五革命説などがあった。また、江戸時代の日本と、明治になってからの日本の連続性を考えることもある。明治維新によって達成されたことの多くは、江戸時代にすでにその萌芽が、日本で生まれていた、ということになる。
歴史がうつろっていくにしたがって、また、歴史観も、歴史叙述も変わっていく。そもそも、歴史とはそういうものだと思っている。
『坂の上の雲』は、傑出した歴史小説であると同時に、すぐれた明治という時代を描いたドラマである。それを、どう批判的に見るかということが、今のわれわれのなすべきことであろう。
その一方で、このごろ思うこととしては、近代以前の社会の中の人びとの意識とはどんなものであったのか、ということがある。たとえば、『遠野物語』であったり、『忘れられた日本人』であったり、『逝きし世の面影』であったり。さらには、折口信夫の「古代」も考えてみたい。おそらくそこには、近代になってから失ってしまった豊かな精神世界があったはずである。これをふくめて、日本の文化、歴史ということを考えることになるだろう。
2025年3月12日記
「感想戦 3月11日のマーラー」 ― 2025-03-12
2025年3月12日 當山日出夫
感想戦 3月11日のマーラー
3月10日の夜の放送。録画してあったのを翌日、3月11日の午後に見た。
この番組を作った人は、芸術の分かる人だな……というのが、まず思うことである。
そして、3月11日には、東日本大震災関連の番組がこれまでにもたくさんあったし、これからもたくさんあるだろうが、そのなかで、絶対に忘れられない番組として記憶に残るものになる。私としてもそうだし、これを見た多くの人にとってそうだろうと思う。
インタビューは、震災の翌年に収録してあったものだが、この番組になるまでに一〇年以上の年月がたったことになる。今年で、一四年目である。これだけの年月を経て、ようやくこういう番組を作ることができたということも、忘れてはならないことである。
言うまでもないことだが、マーラーの五番は、ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』の音楽として、多く語られてきた。第四楽章、アダージェット、である。これからは、2011年3月11日に日本で演奏された曲として、記憶することになるにちがいない。
ハーディング指揮のマーラーのCDを買ったけれども、一度も聞いていない、という女性のことばが、印象に残る。芸術とは、そういうものなのである。
2025年3月11日記
感想戦 3月11日のマーラー
3月10日の夜の放送。録画してあったのを翌日、3月11日の午後に見た。
この番組を作った人は、芸術の分かる人だな……というのが、まず思うことである。
そして、3月11日には、東日本大震災関連の番組がこれまでにもたくさんあったし、これからもたくさんあるだろうが、そのなかで、絶対に忘れられない番組として記憶に残るものになる。私としてもそうだし、これを見た多くの人にとってそうだろうと思う。
インタビューは、震災の翌年に収録してあったものだが、この番組になるまでに一〇年以上の年月がたったことになる。今年で、一四年目である。これだけの年月を経て、ようやくこういう番組を作ることができたということも、忘れてはならないことである。
言うまでもないことだが、マーラーの五番は、ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』の音楽として、多く語られてきた。第四楽章、アダージェット、である。これからは、2011年3月11日に日本で演奏された曲として、記憶することになるにちがいない。
ハーディング指揮のマーラーのCDを買ったけれども、一度も聞いていない、という女性のことばが、印象に残る。芸術とは、そういうものなのである。
2025年3月11日記
フランケンシュタインの誘惑「虚飾の医療革命 背徳の女神と科学者たち」 ― 2025-03-12
2025年3月12日 當山日出夫
フランケンシュタインの誘惑 虚飾の医療革命 背徳の女神と科学者たち
この技術はいずれ実用化が可能であるのだから、投資する価値がある……こういう限りにおいては、詐欺とはいいにくいのかもしれない。
世の中の多くの、(将来有望な)ベンチャー企業への投資、とされているものは、おそらくはセラノスの事例と、さほど、投資者の側の心理としては違わないのではないだろうか。
少ない量の血液で、多数の項目の検査が可能になる、おそらくは将来的にはまったくありえないことではないだろうと、素人目には思うのだが、専門家はどう考えることになるだろうか。それを実現するために、どのような技術的な壁をクリアしなければならないか、現在の技術について知っている専門家が、どう考えたのかが問題になるのだろう。それが非常な難題だということが分かっていても、少しでも可能性があるなら、技術の開発にとりくむ価値がある、そう思ったとしても、それはとがめることができるだろうか。
もし成功したということなるのなら、まさに、「プロジェクトX」、いや、新しいアメリカンドリームの実現、ということになるのだが……
経営者のホームズが、成功する見込みがまったくみこめないのに、投資をもちかけていた、ということで、詐欺が成立する……こういうことなのだろうと思う。だが、見終わって、なんとなくすっきりしない気がするのは、目指した技術が、まったく不可能である、ということを番組中で断言していなかったことにもある。
ホームズがどういう人物であったかも重要だが、この会社にむらがった人びとが、どう考えたのか、投資するにあたって、他の医科学についての専門家からどのような助言があったのか、というあたりのことが気になる。全てがセラノスから提供された情報のみで投資にふみきったとも思えない。
夢のような技術への投資、ということでは、今のAI関連の話題についてもいえることだと思う。まあ、AIについては、すぐに作ったものの結果が見える、さらには、その結果として生み出されたものが暴走する危険性、ということはあるのだが。
2025年3月6日記
フランケンシュタインの誘惑 虚飾の医療革命 背徳の女神と科学者たち
この技術はいずれ実用化が可能であるのだから、投資する価値がある……こういう限りにおいては、詐欺とはいいにくいのかもしれない。
世の中の多くの、(将来有望な)ベンチャー企業への投資、とされているものは、おそらくはセラノスの事例と、さほど、投資者の側の心理としては違わないのではないだろうか。
少ない量の血液で、多数の項目の検査が可能になる、おそらくは将来的にはまったくありえないことではないだろうと、素人目には思うのだが、専門家はどう考えることになるだろうか。それを実現するために、どのような技術的な壁をクリアしなければならないか、現在の技術について知っている専門家が、どう考えたのかが問題になるのだろう。それが非常な難題だということが分かっていても、少しでも可能性があるなら、技術の開発にとりくむ価値がある、そう思ったとしても、それはとがめることができるだろうか。
もし成功したということなるのなら、まさに、「プロジェクトX」、いや、新しいアメリカンドリームの実現、ということになるのだが……
経営者のホームズが、成功する見込みがまったくみこめないのに、投資をもちかけていた、ということで、詐欺が成立する……こういうことなのだろうと思う。だが、見終わって、なんとなくすっきりしない気がするのは、目指した技術が、まったく不可能である、ということを番組中で断言していなかったことにもある。
ホームズがどういう人物であったかも重要だが、この会社にむらがった人びとが、どう考えたのか、投資するにあたって、他の医科学についての専門家からどのような助言があったのか、というあたりのことが気になる。全てがセラノスから提供された情報のみで投資にふみきったとも思えない。
夢のような技術への投資、ということでは、今のAI関連の話題についてもいえることだと思う。まあ、AIについては、すぐに作ったものの結果が見える、さらには、その結果として生み出されたものが暴走する危険性、ということはあるのだが。
2025年3月6日記
よみがえる新日本紀行「幸福への旅〜帯広〜」 ― 2025-03-12
2025年3月12日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「幸福への旅〜帯広〜」
2018年の放送。オリジナルは、昭和48年(1973)の放送。
見る人によって、感じとるものはいろいろだろう。
この時代は、まだ国鉄だった。そして、広尾線があった。まだ馬を飼っている農家があった。家からお嫁入りする女性の姿があった。その嫁入り家具をあつかう店があった。昔は、人が死んでも火葬場がなくて、自分の家で薪を用意して火葬にするしかなかった。大豆の生産と流通。五つ玉の算盤と電卓が机の上にある。その他、いろんなことを読みとることができ、それぞれに貴重な記録になっている。
「よみがえる」の放送が、2018年。この時に農業を継いでいた男性は、その後、農業を辞めたという。
最初の昭和48年のころ、日本は、田中角栄の日本列島改造論が語られた後の時代ということになるが、日本の国内での地域間格差、産業構造の変化、人の移動ということがあった。幸福の町も、過疎の町になりつつあった。
そして、2018年の放送の時点から、現在までの間に、さらに日本の農業をとりまく状況は変わってきたということになる。大規模経営の農業でも、条件によっては無事に存続できるかどうか、という時代になったと言っていいのだろうか。
私は、「幸福駅」の切符がブームになったときのことは記憶している。これは、どうやら、NHKのこの番組がきっかけだったとのことである。今でも、鉄道は無くなってしまったが、観光スポットとして人気があるらしい。(特に、ここに行ってみたいとは思わないけれど。)
印象に残っているのは、明治のころに、入植してきた男性。なぜ、ここに来たのか、その訳は聞かないでくれと言っていた。こういう言い方をするということが、今の時代では、もうなくなってしまったかとも思う。想像してみるしても、夜逃げぐらいかなとは思うけれども、言うに言われない事情があって、北海道の開拓村に移り住むというようなことが、普通に語られる時代が、この時代まではあったことになる。
2025年3月10日記
よみがえる新日本紀行 「幸福への旅〜帯広〜」
2018年の放送。オリジナルは、昭和48年(1973)の放送。
見る人によって、感じとるものはいろいろだろう。
この時代は、まだ国鉄だった。そして、広尾線があった。まだ馬を飼っている農家があった。家からお嫁入りする女性の姿があった。その嫁入り家具をあつかう店があった。昔は、人が死んでも火葬場がなくて、自分の家で薪を用意して火葬にするしかなかった。大豆の生産と流通。五つ玉の算盤と電卓が机の上にある。その他、いろんなことを読みとることができ、それぞれに貴重な記録になっている。
「よみがえる」の放送が、2018年。この時に農業を継いでいた男性は、その後、農業を辞めたという。
最初の昭和48年のころ、日本は、田中角栄の日本列島改造論が語られた後の時代ということになるが、日本の国内での地域間格差、産業構造の変化、人の移動ということがあった。幸福の町も、過疎の町になりつつあった。
そして、2018年の放送の時点から、現在までの間に、さらに日本の農業をとりまく状況は変わってきたということになる。大規模経営の農業でも、条件によっては無事に存続できるかどうか、という時代になったと言っていいのだろうか。
私は、「幸福駅」の切符がブームになったときのことは記憶している。これは、どうやら、NHKのこの番組がきっかけだったとのことである。今でも、鉄道は無くなってしまったが、観光スポットとして人気があるらしい。(特に、ここに行ってみたいとは思わないけれど。)
印象に残っているのは、明治のころに、入植してきた男性。なぜ、ここに来たのか、その訳は聞かないでくれと言っていた。こういう言い方をするということが、今の時代では、もうなくなってしまったかとも思う。想像してみるしても、夜逃げぐらいかなとは思うけれども、言うに言われない事情があって、北海道の開拓村に移り住むというようなことが、普通に語られる時代が、この時代まではあったことになる。
2025年3月10日記
英雄たちの選択「シリーズ 古墳の時代 (2)八角墳に眠る女帝〜斉明天皇の“石の王都”〜」 ― 2025-03-12
2025年3月12日 當山日出夫
英雄たちの選択 シリーズ 古墳の時代 (2)八角墳に眠る女帝〜斉明天皇の“石の王都”〜
シリーズの第二回目である。
日本の古代史を語るとき、「天皇」「日本」ということばをつかわず、また、「大化の改新」ともいわずに(「乙巳の変」とはいっていたが)、古代天皇制国家の成立のプロセスについて説明しようという一つのこころみだったと思う。
天皇のことばは、斉明天皇(これは諡号で決まってしまっているから変えようがない)というような場合をのぞいて、使っていない。大王(おおきみ)といっている。それ以外は、豪族といっている。貴族とはいっていない。
日本ともいわず、倭国といっている。
このあたりのことは、かなり意図的にことばを選んで番組を作っていたことが分かる。
こういう方針は、天皇制国家といってしまうと、近代になってからの、極端にいえば昭和戦前の国体明徴運動があったような時期の、わずか一〇年ほどの期間にすぎないが、この時の大日本帝国のイメージを、古代の日本列島にあった統治のあり方に、重ね合わせてしまうことになる。おうおうにして、このように語られる古代史が多い。これから距離を置こうとしたという意図はあるのだろうと、思ってみることになる。
そうはいっても、古代日本の大王(あるいは、もう天皇といった方がいいかもしれないが)を中心とした、小中華ととらえるのは、はたしてどうだろうか。中国の王朝を考えるときに、中華思想が重要だとは思うが、古代の日本(あるいは倭国)において、そう考えただろうか。ただ、大君(天皇)を中心とした中央集権国家というだけではいけないのだろうか。
小中華というならば、おそらく古代からの東アジアにあった、中国の周辺の国々の多くは、そういえることになるかもしれない。日本だけが、特に小中華(この場合、華夷秩序として、どの地域を夷狄と認識していたのかが問題だが)を意識したというならば、このことを論じなければならない。学問的には、証明しなければならない。まあ、番組の流れとしては、隼人や蝦夷を夷狄と意識してということになるのだろうか。
斉明天皇をとりあげて、古代国家の成立を語ることが、男性中心の歴史観に対する疑問となりうる、まあ、これはそういう側面もあるだろう。
だが、それをいうならば、古代の女性について、古くは卑弥呼から、斉明天皇について、シャーマンとして、霊的能力があって、それで、人びとの心をつかんだ、という考え方が、そもそも男性側から見た発想であるのかもしれない。また、シャーマンということばについても、やや安易に使いすぎているという気がしないでもない。(文化人類学や民俗学の立場からは、いろいろと考えることがあるにちがいない。少なくとも、シャーマンといったとき、女性に限定されることはないはずである。)
余計なことになるが、古代の女性の霊的能力ということをいうならば、斉明天皇が水の祭祀をおこなったということの延長には、当然ながら、「水の女」ということになる。折口信夫のいったことである。慶應の文学部出身の磯田道史が、このことばについて、知らないはずはないだろう。(ただし、折口信夫の「水の女」の論については、論理的にはかなり無理がある。これは、「古代研究」を精読すると分かる。)
前方後円墳がなくなり、八角形の古墳になった。そして、それも作られなくなる。この過程について、お墓をどう作るかということで、権威を示す時代ではなくなったということは、そのとおりかもしれない。だが、その一方で、実際に行われたことは、王都の造営であった。そのゆきつく先は、平城京ということになるだろう。また、それにともなって巨大な寺院も作られた。土木工事や建築によって、大王(天皇)の支配の威信を誇示するということは、なくなったのではなく、形を変えて巨大化したというべきだろう。
「熟田津に……」の歌であるが、額田王については分からないことがあるとして、別に古代のこのころ、斉明天皇になりかわって歌を詠むということがあっても、そう不自然なことではなかったろう。強いて、この歌の作者を斉明天皇に変えて解釈する必要もないと思う。古代の歌についての一般的な理解として考えることになるが。
2025年3月9日記
英雄たちの選択 シリーズ 古墳の時代 (2)八角墳に眠る女帝〜斉明天皇の“石の王都”〜
シリーズの第二回目である。
日本の古代史を語るとき、「天皇」「日本」ということばをつかわず、また、「大化の改新」ともいわずに(「乙巳の変」とはいっていたが)、古代天皇制国家の成立のプロセスについて説明しようという一つのこころみだったと思う。
天皇のことばは、斉明天皇(これは諡号で決まってしまっているから変えようがない)というような場合をのぞいて、使っていない。大王(おおきみ)といっている。それ以外は、豪族といっている。貴族とはいっていない。
日本ともいわず、倭国といっている。
このあたりのことは、かなり意図的にことばを選んで番組を作っていたことが分かる。
こういう方針は、天皇制国家といってしまうと、近代になってからの、極端にいえば昭和戦前の国体明徴運動があったような時期の、わずか一〇年ほどの期間にすぎないが、この時の大日本帝国のイメージを、古代の日本列島にあった統治のあり方に、重ね合わせてしまうことになる。おうおうにして、このように語られる古代史が多い。これから距離を置こうとしたという意図はあるのだろうと、思ってみることになる。
そうはいっても、古代日本の大王(あるいは、もう天皇といった方がいいかもしれないが)を中心とした、小中華ととらえるのは、はたしてどうだろうか。中国の王朝を考えるときに、中華思想が重要だとは思うが、古代の日本(あるいは倭国)において、そう考えただろうか。ただ、大君(天皇)を中心とした中央集権国家というだけではいけないのだろうか。
小中華というならば、おそらく古代からの東アジアにあった、中国の周辺の国々の多くは、そういえることになるかもしれない。日本だけが、特に小中華(この場合、華夷秩序として、どの地域を夷狄と認識していたのかが問題だが)を意識したというならば、このことを論じなければならない。学問的には、証明しなければならない。まあ、番組の流れとしては、隼人や蝦夷を夷狄と意識してということになるのだろうか。
斉明天皇をとりあげて、古代国家の成立を語ることが、男性中心の歴史観に対する疑問となりうる、まあ、これはそういう側面もあるだろう。
だが、それをいうならば、古代の女性について、古くは卑弥呼から、斉明天皇について、シャーマンとして、霊的能力があって、それで、人びとの心をつかんだ、という考え方が、そもそも男性側から見た発想であるのかもしれない。また、シャーマンということばについても、やや安易に使いすぎているという気がしないでもない。(文化人類学や民俗学の立場からは、いろいろと考えることがあるにちがいない。少なくとも、シャーマンといったとき、女性に限定されることはないはずである。)
余計なことになるが、古代の女性の霊的能力ということをいうならば、斉明天皇が水の祭祀をおこなったということの延長には、当然ながら、「水の女」ということになる。折口信夫のいったことである。慶應の文学部出身の磯田道史が、このことばについて、知らないはずはないだろう。(ただし、折口信夫の「水の女」の論については、論理的にはかなり無理がある。これは、「古代研究」を精読すると分かる。)
前方後円墳がなくなり、八角形の古墳になった。そして、それも作られなくなる。この過程について、お墓をどう作るかということで、権威を示す時代ではなくなったということは、そのとおりかもしれない。だが、その一方で、実際に行われたことは、王都の造営であった。そのゆきつく先は、平城京ということになるだろう。また、それにともなって巨大な寺院も作られた。土木工事や建築によって、大王(天皇)の支配の威信を誇示するということは、なくなったのではなく、形を変えて巨大化したというべきだろう。
「熟田津に……」の歌であるが、額田王については分からないことがあるとして、別に古代のこのころ、斉明天皇になりかわって歌を詠むということがあっても、そう不自然なことではなかったろう。強いて、この歌の作者を斉明天皇に変えて解釈する必要もないと思う。古代の歌についての一般的な理解として考えることになるが。
2025年3月9日記
ねほりんぱほりん「婚活をあきらめた人」 ― 2025-03-11
2025年3月11日 當山日出夫
ねほりんぱほりん 婚活をあきらめた人
結婚について、理想を追求するか、あるいは、現実に妥協するか、このあたりは、時代のなかで変化のあることだろうと思う。この番組で語られたことは、おそらくは、現代における結婚観の一端をしめすことになっていたとは思う。
今から数十年ぐらい前まで、戦後しばらく時代まで、普通の人なら結婚するものであり、その相手は、まあまあ現実的な判断で決まっていたということになる。そのことの善し悪しは、とりあえずおいておくとして。
ただ、観念の上では、恋愛結婚至上主義という考え方が、戦後になって急速に広がったことはたしかである。だが、これも、実際に恋愛結婚が、それまでの見合結婚を上回るようになるのは、いくぶんの時間的経過を要したことにはなる。
一緒にいて楽しい人、会話が楽しい人、というのは、かなりハードルが高いように思えてならない。それよりも、年収いくら、と判定した方が、よほどすっきりする。性的な関係は、年齢が一定以上になれば終わってしまうが、その後のことを考えると、会話が楽しい人でなければならない、これは、分からなくはない。しかし、これを絶対条件として求めるのは、どうだろうか。
こういう価値観では、おそらく森鷗外の「じいさんばあさん」に描かれたような夫婦の関係は、想像を絶するものかもしれない。だが、こういう夫婦もあったというのが、歴史でもある。
なお、わりと最近読んだ本では、『恋愛結婚の終焉』(牛窪恵、光文社新書)が面白い本だった。
2025年3月9日記
ねほりんぱほりん 婚活をあきらめた人
結婚について、理想を追求するか、あるいは、現実に妥協するか、このあたりは、時代のなかで変化のあることだろうと思う。この番組で語られたことは、おそらくは、現代における結婚観の一端をしめすことになっていたとは思う。
今から数十年ぐらい前まで、戦後しばらく時代まで、普通の人なら結婚するものであり、その相手は、まあまあ現実的な判断で決まっていたということになる。そのことの善し悪しは、とりあえずおいておくとして。
ただ、観念の上では、恋愛結婚至上主義という考え方が、戦後になって急速に広がったことはたしかである。だが、これも、実際に恋愛結婚が、それまでの見合結婚を上回るようになるのは、いくぶんの時間的経過を要したことにはなる。
一緒にいて楽しい人、会話が楽しい人、というのは、かなりハードルが高いように思えてならない。それよりも、年収いくら、と判定した方が、よほどすっきりする。性的な関係は、年齢が一定以上になれば終わってしまうが、その後のことを考えると、会話が楽しい人でなければならない、これは、分からなくはない。しかし、これを絶対条件として求めるのは、どうだろうか。
こういう価値観では、おそらく森鷗外の「じいさんばあさん」に描かれたような夫婦の関係は、想像を絶するものかもしれない。だが、こういう夫婦もあったというのが、歴史でもある。
なお、わりと最近読んだ本では、『恋愛結婚の終焉』(牛窪恵、光文社新書)が面白い本だった。
2025年3月9日記
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