『青天を衝け』あれこれ「横濱焼き討ち計画」2021-04-27

2021-04-27 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第11回「横濱焼き討ち計画」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/11/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月20日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、志士になる」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369027

現代の我々は歴史の結果を知っている。だから、尊皇攘夷の運動が最終的には挫折せざるをえないことがわかっている。結果としては、討幕はなるが、開国、そして文明開化ということになる。

だが、その時代、まだ明治維新の前の時代において、尊皇攘夷の動きの渦中に身をおいていた人びと……なかんずく、地方の若者たちはどんなだったのだろうか。このあたりのことを、このドラマでは、ダイナミックに描いていると感じる。

幕末の尊皇攘夷といえば、私にとって思い出すのは、やはり『夜明け前』(島崎藤村)である。尊皇攘夷というのは、その時代の人びとにとって、どうすることもできない時代の大きな流れだったのだろう。

『夜明け前』は、何年か前に再読している。

やまもも書斎記 2018年2月23日
『夜明け前』(第一部)(上)島崎藤村
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/23/8792791

しかし、その実際の行為はというと、これは現代の価値観で語ることになるが、テロリストに他ならないともいえよう。いくら動機に純粋で汲むべき点があるとはいえ、そのなそうとしていることは、暴力でしかない。

血気にはやる栄一と、それをとどめることができないでいる親……父親の市郎右衛門、母親のゑい。このようなことは、近いところでは、安保闘争における学生運動などにも、共通するものを見出すことが可能かもしれない。時代の流れのなかに身を投じようとする若者と、それをとどめることのできない親の世代である。私は、このドラマに、幕末明治維新の時代を見るよりも、近年の学生運動の時代のことを思って見てしまった。

ところで、歴史の方はというと、慶喜が将軍後見職についた。これから大きく時代は変わろうとしていることになる。慶喜が最後の将軍になって、明治維新となるまで、あとわずかである。

さて、次回、栄一と慶喜は、歴史の流れのなかでどのように生きていくことになるのだろうか。楽しみに見ることにしよう。

2021年4月26日記

追記 2021-05-04
この続きは、
やまもも書斎記 2021年5月4日
『青天を衝け』あれこれ「栄一の旅立ち」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/04/9373811

『おちょやん』あれこれ「何でうちやあれへんの?」2021-04-25

2021-04-25 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第20週「何でうちやあれへんの?」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/20/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月18日
『おちょやん』あれこれ「その名も、鶴亀新喜劇や」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/18/9368326

この週の最後で、千代は一平と別れて姿を消した。どこへいったのだろう。

ともあれ、一平が悪いといってしまえばそれまでである。だが、一平についても、同情すべき点がないではないと思う。

一平は、家族というものを知らずに育ってきた。千代と一緒になることになったが、劇団の座長であり、また、作者として仕事に追われている。新作も、どうもうまくいっていないようだ。スランプにおちいった一平が、ふらりと灯子にひきよせられることがあったとしても、ある意味で、これはこれなりに、一つの人の心の流れなのだろうとは思う。

とはいっても、子どもまでできてしまった以上、もはや一平に言い逃れの道は残っていない。それについて、千代は見切りをつけることになる。

この週の展開で、巧いと思ったのは、最後に千代と灯子の会話のところ。千代は、ことばとしては、灯子の幸せを願っているようである。だが、そのこころのうちには、鬼がひそんでいる。本当に灯子と一平、そして、その子どもの行く末の幸福を願っているのだろうか、こころの闇がのぞくことになる。

また、この週の展開も、劇中劇の使い方がたくみであった。「お家はんと直どん」の芝居の場面であるが、そこに千代と一平の関係が投影されている。芝居の演技を通じて、それぞれの気持ちがにじみ出ていた。このあたり、脚本、演出、演技のたくみさを感じる。

次週、行方をくらました千代はいったいどうなるのであろうか。このドラマも、あと残りわずかということになってきた。これからの展開を楽しみに見ることにしよう。

2021年4月24日記

追記 2021-05-02
この続きは、
やまもも書斎記 2021年5月2日
『おちょやん』あれこれ「竹井千代と申します」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/02/9373105

プロジェクトX「執念が生んだ新幹線」2021-04-24

2021-04-24 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK プロジェクトX 4Kリストア版 「執念が生んだ新幹線」

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月17日
プロジェクトX「東京タワー・恋人たちの戦い」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/17/9367989

新幹線が開業したときのことは、かすかに記憶にある。これは、ちょうど東京オリンピックの時だった。その後、始めて新幹線に乗ることがあったのは、大学受験のために東京に行ったときだったろうか。その後、新幹線には、年に数回は乗ってきたように思うが、ここ二年ほどはまったく乗っていない。COVID-19のため、学会などが、すべてオンライン開催になってしまって、東京に行くことがなくなったせいである。

新幹線が、旧日本軍の技術の継承のうえに作られたということは知っていたが、具体的に、どのような技術をもとにしているかは、知らなかった。なかでも、感慨深いの、桜花のこと。

靖国神社の遊就館に行くと、桜花が展示してある。(これも、今では、どうなっているか最新の事情は知らないのだが。)桜花という特攻兵器は、まさに人道に反しているとしかいいようがないだろう。搭乗したら最後、絶対に生還することはできない仕組みになっているのだから。

このプロジェクトXという番組、二〇〇〇年の放送であるが、その当時の普通の人びとの生活のなかにあって、なじみのあるものを取り上げていたように思う。そのいくつかの放送は見た記憶があるのだが、私が一番印象に残っているのは、炊飯器の開発である。これは、商品化したのは東芝であったことは知っていたが、その開発にあたったのは、小さな町工場であり、そして、その実験データを集めたのは、その奥さんの献身的な努力によるものであることは、感動的であった。

ところで、新幹線であるが、これも、今の日本の人びとの生活のなかになくてはならないものになっているだろう。その開発秘話として、それなりに面白いものであった。

が、次の新幹線に代わるもの……リニア新幹線ということになるのだろうが、どうもこれについては、社会的にあまり評判がよくない。開業になっても、たぶん、私は乗ることがないだろうと思って見ている。これも、その開発の背景には、様々なドラマがあることにはちがいない。

それから、やはり考えてみるのは、技術というものの価値中立性。戦時中の軍の研究を基礎として、新幹線ができた。では、その技術は、戦争というものから独立して価値中立と純粋にいえるのだろうか。このあたりは、技術、あるいは、科学と、社会のあり方をめぐって、さまざまに議論のあるところだろうと思う。

さて、私が、次に新幹線に乗れるのは、いつのことになるだろうか。今のところ、まったく予測がたたないでいる。若いころは、新幹線のなかでは本を読んでいた。東京~京都の間で、新書本の一冊ぐらい読めたものである。このごろでは、iPodで音楽を聴いている。

プロジェクトXは、次週も再放送があるようだ、楽しみに見ることにしよう。

2021年4月23日記

追記 2021-04-30
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月30日
プロジェクトX「えりも岬に春を呼べ」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/30/9372398

映像の世紀(4)「ヒトラーの野望」2021-04-23

2021-04-23 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK 映像の世紀 第4回 「ヒトラーの野望」

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月16日
映像の世紀(3)「それはマンハッタンから始まった」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/16/9367699

これも月曜日の放送を録画しておいて、翌日の朝に見た。いくらCOVID-19の影響もあって居職の生活をおくっているといっても、放送の時間帯はいろいろとあわただしくもある。録画しておいてゆっくり見た方が、納得がいく。

この回は、ヒトラーの登場から、第二次大戦勃発の前の段階まで。主に、ドイツでのヒトラーのことであった。

歴史に「もしも」を考えてみるのは、どうかなと思うことがないではない。しかし、これは考えてみる必要があるかと思う……ヒトラーのナチスが誕生して政権をとってからのこととして、外交的に平和的な手段でもって、その野望を阻止することは可能であったろうか。これは、かなりの難問かもしれない。戦争以外のどのような手段でもって、ヒトラーをくじくことができただろうか。

少なくとも次の二点は確認できることだろう。

第一に、ヒトラーは合法的に政権をとった、ということ。

第二に、そのヒトラーの独裁は、その当時のドイツおよび国際情勢にかなったものであったということ。

だからといって、ヒトラーを、今日の価値観からして、正当化することはできない。しかし、その悪を、論理的につきつめて考えると、かなりむずかしい問題があるように思われる。

例えば、ナショナリズム。番組では、ドイツのナショナリズムをかなり否定的な視点から描いていた。これは、ヒトラーを悪として描く以上しかたのないことかもしれない。だが、ナショナリズム一般を、そう簡単に否定してしまうことは、難しい。良いナショナリズムと悪いナショナリズムがあるということでもないだろう。

ともあれ、今の視点から見ると、ヒトラーの挙動は大げさで、なぜ人びとが熱狂したのか、すぐには理解しかねるところがある。これも、その時代……第一次大戦後のドイツという時代状況のなかで、人びとの生活に即して考えてみるならば、それなりの必然性があってのことなのだろう。ここから先は、歴史学というよりも、むしろ、想像力の問題であるかもしれない。

そして、今、世界の情勢を見るならば……民主的な制度よりも、独裁的な政権の方が効率的に統治できる、そのような雰囲気を感じるところがある。特に、今般のVOVID-19に対する対応を見ていると、一つの大きな時代の変わり目にいるように思えてならない。

ヒトラーに熱狂したドイツの人びと、それをゆるした世界の他の国々、ただ歴史上の出来事として見るだけではなく、今にいたるまで、その問いかけるものは大きいと強く感じる次第である。ヒトラーの時代についての、歴史への想像力こそ、今もとめられることではないだろうか。

2021年4月20日記

追記 2021-04-29
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月29日
映像の世紀(5)「世界は地獄を見た 無差別爆撃、ホロコースト、原爆」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/29/9371985

『青天を衝け』あれこれ「栄一、志士になる」2021-04-20

2021-04-20 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第10回「栄一、志士になる」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/10/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月13日
『青天を衝け』あれこれ「栄一と桜田門外の変」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/13/9366728

この回は、ほとんど栄一のことであった。慶喜のことはあまり出てきていない。

栄一は、草莽の志士になると決意する。草莽ということばは、以前の大河ドラマでは、たしか『花燃ゆ』で使われていたと記憶する。

やはり気になるのは、幕末から明治維新をどのような視点から描くかということである。このドラマは、渋沢栄一、それから、(この回は登場がほとんどなかったが)慶喜の立場から見て描くということになる。

栄一は農民である。ただ、農民といっても名字もあり、豪農といっていいのだろう。だが、武士ではない。武士ではない立場からして、幕末の時勢はどのようにうつっていたのか。直接的には、経済的影響ということになる。だが、栄一は、時代の流れを見ようとしている。そして江戸に出る。尊皇攘夷の志士、草莽の志士となることを決意する。

渋沢栄一が尊皇攘夷の志士であったという経歴は、史実に基づいていることなので、これはそのとおりなのだろうと思う。そう思って見てはいるのだが……幕末から明治維新を、ある意味では、このドラマは、よりダイナミックに描こうとしているかと思う。

時代を動かすのは、武士なのか。百姓のままでは時代を動かすことはできないのか。ともかく、栄一は、武士という道を目指すことになるようだ。(その後、一橋家に仕えるということになるはずだが。)

このドラマの真骨頂は、おそらくは、一橋家に勤めるところから、パリ万博を経て、明治政府に入り、そして、最終的には、民間の経済人として生きていく、この流れのなかで、日本の近代の黎明を大きく描くことにあるのかと思う。その後の歴史の流れは分かっているとしても、今はまだ一介の尊皇攘夷の志士のはしくれにすぎない。

和宮の江戸行きのことについては、島崎藤村の『夜明け前』に詳しく書かれている。中山道をとおって江戸にむかった。

それから、この回を見て印象に残っているのが、栄一の妻の千代。この千代の目から見て、これからの栄一の人生は、どのように見えるのだろうか。

次週、いよいよ尊皇攘夷の決行ということになるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年4月19日記

追記 2021-04-27
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月27日
『青天を衝け』あれこれ「横濱焼き討ち計画」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/27/9371309

『おちょやん』あれこれ「その名も、鶴亀新喜劇や」2021-04-18

2021-04-18 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第19週「その名も、鶴亀新喜劇や」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/19/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月11日
『おちょやん』あれこれ「うちの原点だす」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/11/9366100

この週で鶴亀新喜劇の誕生ということになった。そのなかに、いくつかの物語がふくまれていた。

第一に、万太郎のこと。

万太郎が、病気で声が出なくなってしまった。その最後の公演を、千之助がてつだうことになる。最後まで笑っていた万太郎が印象的であった。

第二、千之助のこと。

鶴亀新喜劇がスタートしても、千之助はいまひとつ積極的に参加しようとしない。結果的には、旗揚げ公演の成功をみとどけてから、立ち去っていくことになった。その別れのシーンがしみじみと情感があった。

第三に、寛治のこと。

満州に行っていた寛治が帰ってきた。どうやら、満州で、千代の弟のヨシヲと出会ったらしい。ヨシヲから託されたビー玉を持って、どうにかこうにか日本に帰ってきた。その寛治も、新しい鶴亀新喜劇に参加することになった。

だいたい以上の、三つの物語が展開しながら、新たな鶴亀新喜劇の結成、準備、練習、公演と、その姿を描いていた。

それから岡安も、芝居茶屋から、うどん屋に鞍替えして、これはどうにかうまくやっているようである。

また、気になるのは、とどいた花。いったい誰なのだろう。

ともあれ、戦争が終わって、ようやく世の中が落ち着いて、次の世代の新しい時代へと展望がひらけてくるころのことを、描いていた週であったと思う。世相として、戦後の新しい時代である。(ただ、法的にはまだ進駐軍の占領下にあった時代ではあるが。)芝居の世界でも、鶴亀新喜劇の誕生ということで、新しい時代のスタートになった。その一方で、万太郎の死があり、また、千之助も姿を消すことになった。次は、千代や一平の時代ということになるのだろう。

次週、千代と一平の関係について、いろいろとあるらしい。新しい劇団のゆくすえがどうなるか、楽しみに見ることにしよう。

2021年4月17日記

追記 2021-04-25
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月25日
『おちょやん』あれこれ「何でうちやあれへんの?」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/25/9370602

プロジェクトX「東京タワー・恋人たちの戦い」2021-04-17

2021-04-17 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK プロジェクトX 東京タワー・恋人たちの戦い

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月10日
プロジェクトX「友の死を越えて」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/10/9365712

私が東京に住んでいたとき、目黒に住まいがあって、三田にかよっていたので、東京タワーは、ほとんど毎日のように目にしていたことになる。しかし、今にいたるまで、そこに行ったことも、上ったこともない。

東京タワーに上ってみようかなという気がしないではないのだが、それ以前に、もはや何かの用事で東京に行くということがなくなってしまった。前までは、秋の学会……東京大学である訓点語学会……のために、少なくとも年に一回は東京に行っていたのだが、それもなくなってしまった。COVID-19のためである。今、学会は、開催されるとするならば、オンライン開催になってしまっている。

番組を見て印象にのこることを、二点ぐらい書いてみる。

第一に、仕事に対する誇りと自信。

東京タワーを建設するには、その企画から設計、施工にいたるまで多くの人びとの努力があってのことである。その仕事の最前線で働いていた、鳶職人をささえていたのは、いい仕事をしたいという職人としての矜恃である。

今、二一世紀になって、令和の時代になって、自分の仕事に誇りを持てる人間がどれくらいいるだろうか。仕事は仕事、自分の生活はまた別、このような割り切りが主流かもしれない。このような時代にあって、自分に与えられた仕事が好きで、それを成し遂げることに情熱をかたむけられる、これは非常に幸福なことなのだろうと思えてならない。

第二、男の物語として作ってあるということ。

今の時代では、このような番組は作れないとも思うところがある。仕事一途な夫と、それに従う妻というような、図式は今の時代にそぐわない。

番組は、二〇〇〇年の放送である。今からざっと二〇年ほど前のことになる。その間に、大きく社会の価値観……仕事に対する観念、また、男女の役割という考え方など……大きく変化した。

今の価値観からすると、もはやこのような番組自身が作れないともいえよう。とはいえ、それでも、今の私の目で見て、仕事に打ち込む人間の姿というものには、一種の普遍性があるようにも感じる。

東京タワーを作った人びとの物語は、語り継がれていいものだと思う。

以上の二点が、再放送を見て思うことなどである。

時代が変わっても、いい仕事ができることは幸福なことである、この思いを強くした次第である。

2021年4月15日記

追記 2021-04-24
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月24日
プロジェクトX「執念が生んだ新幹線」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/24/9370256

映像の世紀(3)「それはマンハッタンから始まった」2021-04-16

2021-04-16 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK 映像の世紀 第3集 「それはマンハッタンから始まった」

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月9日
映像の世紀(2)「大量殺戮の完成」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/09/9365370

第三集は、一九二〇年代のアメリカが主な舞台であった。マンハッタンにやってくる移民たちからスタートしていた。そして、ラジオの普及にともなってまきおこった大衆文化。人びとは熱狂した。だが、そのアメリカの繁栄も、大恐慌によって破綻する。

この番組の製作は、一九九五年である。歴史的にかえりみれば、その少し前にあったこととしては……湾岸戦争があり、東西冷戦の終結があり、そして、バブル経済の崩壊ということがあった。(だが、二〇〇一年のテロ事件の前の時代ということにはなる。)

私が見て印象に残っているのは、何よりも、リンドバーグの祝賀パレードに舞う紙吹雪の映像だろうか。第一次政界大戦後のアメリカの繁栄を何よりも象徴しているように思えた。

「映像の世紀」をこれまで見てきたところでは、それほど、歴史に対して批判的という感じはうけない。それよりも、貴重な映像資料で歴史をたどってみせるということに、番組製作の意図があったと思われる。

だが、そうはいっても、実際に残っている映像からうかがい知ることのできるのは、歴史の暗黒面といっても過言ではないだろう。繁栄を誇ったアメリカの一九二〇年代において、黒人や移民への差別があり、それは、無論、現代のアメリカにまで続いている大きな問題である。それが何に起因するのか、たどってみれば、アメリカという国のなりたちそのものを問いかけることになる。

率直な印象としては、アメリカという国はあまり変わっていない、そう思ってしまうところもある。繁栄という光には、かならず影がつきまとっている。アメリカの白人ナショナリズムについては、いろいろと考えるところがある。

ところで、番組のなかで、かなり多くのフィッツジェラルドの作品の引用があった。『グレート・ギャツビー』を、読みなおしてみたくなった。

次回は、ヒトラーを描くことになるようだ。ヒトラーについては、多くの見方ができるだろう。どのような視点から描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2021年4月13日記

追記 2021-04-23
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月23日
映像の世紀(4)「ヒトラーの野望」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/23/9369950

『青天を衝け』あれこれ「栄一と桜田門外の変」2021-04-13

2021-04-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第9回「栄一と桜田門外の変」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/09/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月6日
『青天を衝け』あれこれ「栄一の祝言」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/06/9364438

この回は、安政の大獄から桜田門外の変まで。

まだ、ここまでで栄一と慶喜がまじわることない。それぞれ別の道を歩んでいる。

第一に、栄一はというと、武州の藍農家にすぎない。だが、尊皇攘夷の気持ちをもっている。これは、深くそう考えてなっているというよりも、ただ時代の流れのなかで、流されているということなのであろう。

いずれは、栄一が一橋家につかえ、そして、パリ万博を目にするはずである。尊皇攘夷の志士の一人であった栄一が、どのようにして、幕末から明治維新を生きていくことになるのか、今はまだ雌伏の時であるといっていいのだろう。

第二に、慶喜はというと、これはこの回は謹慎であった。安政の大獄である。

歴史の流れとしては、尊皇攘夷、討幕へと時代の流れは動いていくはずである。そのなかにあって、慶喜は時代というものをどう見ていたのだろうか。自分が武士であること、徳川家の当主になることを、どう考えることになるのか。そして、最後は、その終焉をみとどけることになるはずである。

以上、このドラマは、時代の背景としての歴史の流れを描きながら、同時に、そのなかで自分の生き方をさぐっていくことになる、栄一を描いている。栄一が、これから、武士の時代に見切りをつけるのは、どのような経緯を経てということになるのか、このあたりが、今から気になるところである。

ところで、この回で描かれた桜田門外の変であるが、これまで何度となく大河ドラマなどで描かれてきており、小説などでも描かれてきた事件である。この『先天を衝け』では、わりとあっさりとした描き方であったかと感じる。あるいは、今回の桜田門外の変については、どこかしら幻想的でもあった。

尊皇攘夷ということで振り回されていたのは、徳川幕府も、また農民の栄一も同じことかもしれない。そのなかにあって、次の時代への展望をいちはやく獲得するのは誰になるのか、このあたり、これからの展開を見てみたい。次週、栄一は、尊皇攘夷運動のなかに飛び込んでいくことになるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年4月12日記

追記 2021-04-20
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月20日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、志士になる」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369027

『おちょやん』あれこれ「うちの原点だす」2021-04-11

2021-04-11 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第18週「うちの原点だす」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/18/

前回は、
やまもも書斎記 2021年4月4日
『おちょやん』あれこれ「うちの守りたかった家庭劇」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/04/9363716

このドラマは、劇中劇のつかいかたがたくみである。ドラマのなかのできごとが、劇中劇のなかにながれこんでいく。あるいは逆にドラマのなかに劇中劇の台詞がはいりこんで融合する。

時代の流れとしては、昭和二〇年三月の大阪の大空襲から、終戦、そして戦後のころまでを描いていた。戦時下における人びとのくらし、なかんずく、演劇にたずさわる人びとの生活の感情をこまやまに描いていたと思う。

いろんなシーンが印象に残る。二つばかりあげてみる。

第一には、千代の語っていた「人形の家」の台詞。「私には神聖な義務があります」……このことばが、重くひびいた。千代にとって、役者として生きることと、社会のなかで生活することの両立の難しさをかみしめたうえで、役者としてか生きられない自分に覚悟を決めたかのごとくであった。

第二には、戦後の焼け跡での「マットン婆さん」の芝居。みつえに見せるために、千代たちは芝居をすることになる。福富の家の焼け跡である。衣装も道具もなにもない。ただの野外の空き地での公演である。

「マットン婆さん」は、以前にも出てきたいたが、この回は、少し変えてあった。一福も登場してトランペットを吹くことになる。ここでは、戦後の時代をこれからたくましく生きていこうとする人びとの気持ち、また、役者たちの希望が感じられるシーンであった。

以上の二つばかりが、特に印象に残っている場面である。

他にも、竹藪のなかで、千代が台詞を言いながら歩いて行く場面など、印象深い。

ところで、このドラマは、戦後の焼け跡、闇市というものが、それほど面だって登場してきていない。これはこれで、一つのドラマの作り方かと思う。(その結果としてであるが、戦後の闇市のシーンには必ず登場してくる、米兵相手に仕事をしている女性たちも登場しないことになった。)

また、終戦の玉音放送のシーンも、あっさりとしたものであった。そこに大きな断絶があるというよりも、戦中から戦後にかけて生きた人びとの生活の連続性を描こうとしていたと思える。

千代たちは、戦中は、愛国ものの芝居で、戦意を鼓舞することをしていた。そのことに千代はうしろめたさがないではないようである。しかし、役者として生きていくということは、その時代にあって、人びとのもとめるものを舞台で演じることにしかない、そのように思いきっていると思わせるところがある。

言いかえるならば、戦中の愛国の芝居について、反省しているということではない。だが、これはこれとして、役者として、一つの筋のとおった生き方であると感じさせる。

次週、戦後の新喜劇としての展開になるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年4月10日記

追記 2021-04-18
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月18日
『おちょやん』あれこれ「その名も、鶴亀新喜劇や」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/18/9368326