『舞いあがれ!』あれこれ「ばんばの歩み」2023-03-19

2023年3月19日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第24週「ばんばの歩み」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week24/

このドラマのいいところというか特徴の一つは、実在の本が出てくることかと思う。沢村貞子の『わたしの台所』は、私も知っている。なぜ沢村貞子が料理の知識が豊富なのか。若い時、左翼運動にかかわって刑務所に入っていた。そのとき、差し入れが可能な新聞というと料理の記事ぐらいしかなかった。刑務所のなかで、新聞の料理記事を読んだという。……うろ覚えなのだが、こんな意味のことをどこかで読んだ記憶がある。

ばんばは五島を離れることになった。確かに年をとって、病気をして、一人で生活するのは無理だろう。このあたりは、大阪に行くというのが妥当な選択肢であると思う。さらにその先のことは、まだわからない。再び五島に戻ることになるのだろうか。

生まれた子供はあっというまに大きくなってしまった。時期としては、大阪での万博が話題になってもおかしくはない時期である。(ただ、私は万博にはまったく興味関心がない。いつどこで開催するのか、よく知らないままである。)

ともあれ、万博に、空飛ぶクルマを登場させようというのは、このドラマの終着点かなと思う。果たして東大阪の町工場の技術で、空飛ぶクルマが作れるだろうか。

このドラマもあと二週である。どのようなところで終わりになるのか。舞の空への憧れは、どのように決着を見ることになるのか。楽しみに見ることにしよう。

2023年3月18日記

世界サブカルチャー史 日本 逆説の60-90s 第2回2023-03-16

2023年3月16日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン3 日本 逆説の60-90s 第2回

第二回は、一九七〇年代である。私は、一九五五年の生まれであるので、ちょうど高校生から大学生のころにあたる。この時代のことは、かなりはっきりと体験的に覚えている。

一九七〇年代のサブカルチャーを語るとき、どうして、山口百恵が出ていないのだろうかと思って見ていた。たぶん、これは、映像、音楽などの権利関係で使えなかったということなのかもしれない。私の学生のころ、ミニコミ誌など手にすると、必ずと言っていいほど、山口百恵論が載っていたものである。おそらく、一九七〇年代文化を語るとき、改めて山口百恵を論じることが可能になる時代が来ることだろうとは思っている。

音楽で言うならば、一九七〇年代は、「神田川」(かぐや姫)から、荒井由実、さらには、竹内まりやの時代ということになる。今からふり返ってみれば、これらが、ほぼ同じ時代に流行った音楽であるということが、にわかには信じがたい気もする。この時代、まだ社会の片隅は貧しかった。一方で、都会的センスにあふれた若い人びとも登場してきた時代である。

そういえば、「木綿のハンカチーフ」が流行ったのは、ちょうど私が大学生になったころのことである。そのせいもあってか、この歌のことは強く記憶している。

この時代、まだ地方と都市という対立があり、社会の貧しさも残っていた時代である。このような時代背景があって、映画の世界では、日活ロマンポルノがあり、また、「仁義なき戦い」があった時代、ということになると思う。

寺山修司も出てきていたのだが、私は、寺山修司の読者ではなかった。無論、名前は知っていたが、特にその作品に親炙するということなくすごしてきている。だが、映画は見たかと覚えている。

一九七〇年代の始まりは、大阪万博ということになるのだが、今から振りかえってみれば、これは一つの時代の終焉を象徴していたように思えてならない。私の体験からいえば、日本が「良かった」時代は、東京オリンピックから、万博までの間ということになる。

田中角栄についても記憶はある。だが、やはり、後年のロッキード事件による印象がどうしても強い。あるいは、立花隆の一連の田中角栄研究で読んだイメージが強く残っているということもある。しかし、田中角栄の日本列島改造論の是非は、二一世紀の今日になって、再度ふりかえって考えてみるべきことかもしれない。

最後に印象を述べるならば、理知的な分析としては松岡正剛の言うことを理解できる。その一方で、心情的には林真理子に共感するところが多い。私もまた、一九七〇年代に東京にやってきた地方出身者の一人なのである。

2023年3月15日記

『どうする家康』あれこれ「側室をどうする!」2023-03-14

2023年3月14日 當山日出夫

『どうする家康』第10回「側室をどうする!」

この回は、家康の側室をめぐる話し。ドラマと思って見ていることになるのだが、なるほど今の時代にあった側室の物語になっていたと思う。

第一には、瀬名が側室を持つことを勧めていること。これは、この時代にあってはごく普通のことなのだろう。ここで、やきもちをやいたりせずに、家康にふさわしい側室を考える。これは、その当時の武家の風習、特に戦国大名の家の妻(正室)としては、あるべき姿と言っていいのかもしれない。

これまでのドラマで、側室を持つことを勧める妻というのは、あまり出てきていないようにも思うがどうだったろうか。が、これも、瀬名が、正室として正式の妻の地位を保ち続けるということが、大きな前提になってのことだと思う。

第二には、その側室になったお葉。この女性、どうやら男性には性的な関心がない。女性の方に心引かれるタイプの女性ということのようだ。これまで大河ドラマでこのような女性が登場してきたことがあったろうか。記憶にある範囲では、思い出せない。

このようなタイプの女性を登場させてきたあたり、確かに今の時代になってのドラマであると感じるところがある。

以上のようなことを思ってみる。

それにしても、側室選びのオーディション(と言っていいだろうか)は、面白かった。

家康が読んでいた本は『吾妻鏡』だった。

さて、次回は、武田信玄との関係が描かれることになるようだ。千代も出ていた。楽しみに見ることにしよう。

2023年3月13日記

ドキュメント72時間「冬の北海道 村のコンビニで」2023-03-13

2023年3月13日 當山日出夫

ドキュメント72時間 「冬の北海道 村のコンビニで」

コンビニシリーズと言っていいのだろうか、この番組ではこのての企画がよくある。それぞれに面白い。

冬の北海道の寒村……こう言ってもいいだろう……にある、たった一軒のコンビニ。地方の村ならではの、人びとの交流の場になっていることが分かる。たぶん、この村も過疎の村なのだろうとは思うが、番組ではこのところには触れていなかった。北国ならではの冬の暮らしとして描いていた。

もはや日本の生活にコンビニはなくてはならないものになっている。ここ数十年の日本の人びとの生活の変化のなかで、コンビニの存在というのは、非常に大きなものがあると強く感じる。コンビニから見えてくる人びとの生活であり、また、人びとの生活に必須のものとしてのコンビニである。

ただ、私の今の生活ではコンビニはほとんど使うことがない。秋になって学校に行くとき、昼食用のおにぎりとコーヒーを買うぐらいでしか使うことがない。基本的に家に居る生活である。あるいは、他の店舗があるから、特に行くということがないせいでもある。このようなことは地方によって、生活の事情によって変わってくるものであろう。

ところで、放送を見ていて気づいたことなのだが、お客さんのほとんどがレジ袋利用だった。これも、北国ならではの事情があってのことなのかもしれない。

2023年3月12日記

『舞いあがれ!』あれこれ「飛躍のチャンス」2023-03-12

2023年3月12日

『舞いあがれ!』第23週「飛躍のチャンス」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week23/

こんねくとという会社は、いったい何でどう稼ごうとしていたのか。

東大阪にある技術だけでは商品に結びつかない。新たな発想、着想が求められる。だが、新商品を開発したとしても、量産に結びつかないと意味がない。あるいは、東大阪町工場ブランドで、高付加価値商品を作ることになるのか。どうも、このあたりの、読みが甘かったという印象がある。この会社の進むべき一つの方向としては、MADE IN HIGASHIOSAKA のブランドで、製品を作ることにあるのかもしれないが、これからどうなるだろうか。

だが、ともあれ、こんねくとのビジネスも軌道に乗りそうである。

このドラマで描いていることの一つには、会社は何のためにあるのか、ということがあると感じる。出資者、株主に利益を得させるためである……このような考え方もあるだろう。今では、これが一般的かもしれない。しかし、その一方で、そこで働く従業員と家族、その製品を買ってくれる顧客のため、という考え方もあり得る。このドラマで描いている会社のあり方というのは、会社は世の中のために何の役にたつのか、という問いかけがあるかと思う。

さて、次週は五島のばんばをめぐっての展開になるようだ。舞たちにも子供ができる。次週を楽しみに見ることにしよう。

2023年3月11日記

世界サブカルチャー史 日本 逆説の60-90s 第1回2023-03-09

2023年3月9日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン3 日本 逆説の60-90s 第1回

このシリーズも日本編になった。第一回を見たところでいささか。

まず、なぜ60年代からスタートするのか、という素朴な疑問がある。一つには、その前の50年代も重要ではないか。特に映画などのことを考えるならば、50年代は重要な時期になるだろう。さらには、これまでの番組の作り方からして、西暦で区切るのはいたしかたないとしても、日本に限っていうならば、むしろ昭和30年代というような区切り方の方が、時代をうまく捕まえられるのではなかろうか。ただ、昭和の年代で区切るとしても、せいぜい次の40年代までだろう。それ以降は、西暦に従った方がいいようにも感じる。一貫性という意味では、60年代というくくりになるのかなと思う。

ただ、そうはいっても、その前の時代からの流れということは意識する作りにはなっていた。演劇、芸能について触れるとき、安藤鶴夫の名前を久々に目にした。私の学生のころには、まだ読まれる人であったと覚えているのだが、最近はとんと目にしなくなった。まあ、芸能関係の書籍など読まないということもあるだろうが。

一つ前の時代との連続性で重要なのは、貸本屋だろうと思う。貸本小説、貸本漫画ということの存在は、おそらく日本のサブカルチャーを考える上で意味がある。ここは、少年漫画雑誌に、貸本漫画出身の漫画家たち(白土三平など)が参入してきたということで、すこし触れられていた。

高度経済成長、安保闘争という、大きな面だった歴史では見えてこない、人びとの日常に即したところ、それをサブカルチャーという概念で、すくいとっていたと言っていいだろうか。それを象徴するのが、『おそ松くん』のチビ太のおでんということになろうか。

気になることとしては、「サブカルチャー」をあつかうのはいいとして、「ポピュラーカルチャー」(大衆文化)、また「カウンターカルチャー」との関連をどう描くのか。そこには、「メインカルチャー」とはどうであったかという議論にもつながる。

ところで、映画『乾いた花』は、映画館で見た。篠田正浩監督作品ということで見に行ったかと憶えている。加賀まりこが、まさに「小悪魔」ということばでしか言いようがない。番組では映らなかったが、この映画で印象的なのは、やはり賭場のシーンだろう。

任侠映画はあつかってあったが、ポルノ映画は出てこなかった。これは次回ということになるのだろうか(もし、あつかうとすればであるが。)ここは、やはり神代辰巳監督はあつかってほしいところである。

出演していたなかでは、松岡正剛の分析がなかなかのするどさを感じさせるものであった。

2023年3月7日記

『どうする家康』あれこれ「守るべきもの」2023-03-07

2023年3月7日 當山日出夫

『どうする家康』第9回「守るべきもの」

大河ドラマに限らず、歴史ドラマの多くは、結果がわかっている。徳川家康の場合であれば、最終的に天下の統一をはたし、江戸時代をつくることになる。まあ、いってみれば、成功した立場、勝った立場ということになるのだろう。

多くの視聴者、あるいは、家康関係の書物の読者が求めるものは、その成功者の人となりであり、人生がどのようなものであったかということになるだろう。

ある意味では、ビルドゥングスロマン(教養小説)として読まれる、受容されるべき必然性のようなものがある。そして、このドラマも、このことをかなり意図して作ってあるようだ。この回においても、為政者とはいかなる存在であるべきか、家康は一つ学習することになる。このあたり、なんとなくゲーム的である。

一つには、家康という人物を、あまり理想化して描いていないということがある。どちらかといえば、ダメ人間である。そのダメ人間が、どうして天下を治めるまでなったのか、その経緯、成長の過程をたどってみようというのが、このドラマの本筋であるように思える。

さらには、そのダメ主君をささえる家臣団のあり方である。主君はダメかもしれないが、家臣団は逸材が多い。強い結束力で、三河の国、松平という武家の家を、ささえていく。この家臣団あっての、戦国の徳川ということになる。

ところで、やはり、一向一揆を影であやつっていたのは、千代であった。そして、その千代の背後には、武田信玄がいた……ということになる。三河一向一揆と、甲斐の武田と、どのようにかかわっていたのかは、時代考証の分野の話しになるのだろうが、これは面白いところである。

次回は、側室をめぐる話しになるよようだ。家康はどうすることになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2023年3月6日記

ドキュメント72時間「資格試験の予備校 私の進む道」2023-03-06

2023年3月6日 當山日出夫

ドキュメント72時間 「資格試験の予備校 私の進む道」

いろいろと考えるところがあった。

まず思うのは、人間はいくつになっても学び続けることの必用性、価値、ということにある。会社を辞めてから、さらに資格試験をめざそうという人もいる。生き方は人様々であっていいとは思うが、これもまた一つの生き方なのであろう。

それにしても、様々な資格試験があるものである。また、難しいものが多い。普通の生活を送っている身近なところで、このようないろんな資格とそれの試験があるということは、知らなかったところが多い。

ところで、これは短い番組だからしかたのないことなのだが……資格試験のその結果のことについて、触れることがなかった。合格したのか、ダメで諦めることになったのか。やはり、この学校に集まる人のその後のことが気になる。たぶん、合格率を考えるならば、ここで勉強している人が合格するということではないはずである。

そして、学校に来ている人について見ればということになるが、みんな真剣で真面目である。学生のやる気のなさの充満した大学の教室……まあ、これは学校にもよるのだが……とは、違う。学ぶことの意味というようなことについて、いろいろと思うことがあった。

2023年3月6日記

『舞いあがれ!』あれこれ「冒険のはじまり」2023-03-05

2023年3月5日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第22週「冒険のはじまり」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/info/program64.html

この週を見ていて思うのは、同じNHKの「探検ファクトリー」のことである。この番組で以前、東大阪の町工場をとりあげて、金網工場が出来たことがあった。放送のときは、なんとなく見ていたのだが、あるいは、これはNHKとしては、大きな伏線であったのかもしれない。

日常目にすることの多い金網であるが、作るのに、職人の熟練の技術が必要であること、そして、その技術の応用として、今ではいろんな方面に挑戦していることが描かれていた。その一つに、近畿大学のキャンパスもあった。外壁に金網を利用するというものである。

ドラマは、いつが最終回で大団円になってもおかしくないような展開である。デラシネもなんとかうまくいっているようだし、舞も起業することになった。IWAKURAの子会社として、独立して仕事を始める。無事に成功するだろうか。

見ていて関心があるのは、デラシネだろうか。ここは、子供たち……どうやらいろんな家庭環境などの事情があるようだ……の居場所になっている。この場所をそのまま継続していくことが、貴司の希望でもある。短歌の仕事と両立させて、ここのところをどうにかやっていけるなら、それにこしたことはない。

新しい会社を作ることになった展開であったが、この週でも、舞は、岩倉舞の名前で仕事をしていた。たぶん、新会社でも、同じ名前で仕事をすることになるのだろう。

起業して、どのようなことになるのか。次週を楽しみに見ることにしよう。

2023年3月4日記

『どうする家康』あれこれ「三河一揆でどうする!」2023-02-28

2023年2月28日 當山日出夫

『どうする家康』第8回「三河一揆でどうする!」

一向一揆を戦国ドラマで大きくとりあげるということ自体が、珍しいことかもしれないと思って見ている。この回を見て思うこととしては、次の二点ぐらいを書いておきたい。

第一に忠誠心と信仰。

家康の臣下からも、一向一揆に参加するものが多く出てくる。当時の武士にあって、一向宗と、武家の家臣としての生き方とは、どのような関係があったのだろうか。この場合は、家康は一向一揆を討伐するという立場になったので、どうしても敵対することになる。このとき、家臣たちの気持ちはどうであったのか。

まあ、ドラマとしては、最終的に家康が天下を統一するというところに持っていくことになると思うので、一向一揆に加担する家臣は、裏切り者といういう扱いにならざるをえない。

このあたり、現在の歴史学の方で、一向一揆がどう研究されているのか、興味のあるところである。

第二に、忍者。

服部半蔵は、自身は忍びではないと言っているのだが、それを統括する立場にある。これまで見てきたところでは、服部半蔵、それから、女大鼠たちの忍びの活躍する回は面白い。歴史ドラマの裏面を見るということになるからなのかもしれない。

視点人物がどうしても家康に偏りすぎるということになる。それを補うものとしての忍者の活躍ということがあるのは、ドラマの作り方として、一つのアイデアだと思う。

以上の二点のことを思ってみる。

ところで、この回でも、今川義元が出てきていた。天下の万民に慕われてこその天下人である……このようなことを言っただろうか。このあたりは、最終的に、家康が天下を取ることになることが分かっている(歴史の結果を知っている)からこそのシーンではあろう。が、このような場面に、今川義元を登場させるというのが、このドラマの面白さであろうか。

次回、一向一揆の話しはつづくようである。楽しみに見ることにしよう。

2023年2月27日記