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    <title>やまもも書斎記</title>
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    <pubDate>Sat, 16 May 2026 05:17:21 +0900</pubDate>
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      <title>新日本風土記「沖縄の市場」</title>
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      <pubDate>Sat, 16 May 2026 05:14:04 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月16日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;新日本風土記「沖縄の市場」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;見て一番印象に残ったのは、本部の町。道路の建設がとまったままで、市場の再開発も計画段階から、そう進展がないようである。美ら海水族館はあっても、地元は過疎が進行している。観光地としての町おこしは、うまくいっているとはいいがたいようである。一部の観光スポットに観光客があつまるが、その他のエリアは、過疎化が進行している。産業の振興もままならない。おそらく、今の沖縄のおかれている状況を象徴しているのかとも思う。（そして、これは、日本の全体の問題でもある。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;沖縄の市場ということだったが、どれも出来たのは戦後ということらしい。多くは、戦後の闇市などの起源をもち、その後、整備されてきたということのようだ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;闇市などの起源があるということは、その土地の所有権をめぐって、かなりややこしい問題があるのかとも思う。だから、再開発されずに（手をつけられずに）残ったという面もあるのかもしれない。無論、現実の沖縄の人びとの生活に必要だったから、ということはあるにちがないない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;市場を取材するということは、そこから、そこで売っているものの生産者と消費者のこと、それから、流通のことが見えてくるだろうと思うのだが、この番組としては、このようなところにそう深く突っ込んで取材しているということではなかった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ちょっと気になるのは、豚足。普通に考えて、一匹の豚からとれる豚足は、四つである。豚肉などを売っているお店の様子では、豚足の数がとても多い。ということは、これに比例して、多くの豚が殺された（食用にされた）ということになるはずだが、その大量の豚肉は、どこに流通して消費されているのだろうか。テレビの画面に映る、豚足と豚肉を見ると、なんとなくアンバランスな印象があったのだが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;高齢化があり、また、街中にスーパーやコンビニなどが増えれば、昔ながらの市場は経営的に苦しくなる。店をたたむ例が多くなる。これはいたしかたないことだろう。そして、空いた店舗は、夜の営業として居酒屋になる。これは、立地条件や家賃などを考えると、合理的な利用ということかもしれない。（普通に考えると、市場のエリア全体を再開発して、複合施設とか、ショッピングセンターとか、に作り変えるのが妥当な、都市計画だと思えるのだが、そうなっている事例が出てきていないということは、それなりの理由があってのことなのだろう。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;沖縄の門中……男系で一族が統合される……については、いろんな番組でとりあげられる。肯定的に見れば、沖縄の人びとの伝統的生活ということであるし、否定的に見れば、前近代的な家父長制度の名残の強さという評価になる。これも、現代だと、エマニュエル・トッドの言うような、歴史人口学、家族構成論、という視点からかんがえると、沖縄の家族構造、親族構造は、どのように考えられているのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;旧正月を祝うことが残っている。これは、漁師としては、潮の満ち干が非常に重要になるので、旧暦（太陽ではなく、月による）の方が、合理的という面もあるかとも思う。このようなことは、沖縄だけではなく、日本の各地の、漁村の生活感覚の中に、どのように残っていることなのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>こころの時代「ファンタジーに秘められた宗教 (2)『蜘蛛の糸』」</title>
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      <pubDate>Sat, 16 May 2026 05:13:01 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月16日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;こころの時代「ファンタジーに秘められた宗教 (2)『蜘蛛の糸』」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「蜘蛛の糸」について語っているのだが、意図的にそうしているのだろうが、芥川龍之介の他の作品については、まったく言及することがなかった。思わず心のうちに思っていたこと……この蜘蛛の糸は自分だけのものである……を口に出してしまったカンダタについて、人間の心とはかそけきものに支えられている、ということになっていたが、これは、「羅生門」や「鼻」や「芋粥」などに描かれた人間の心についても、同じようなことを言えるだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;「羅生門」の主人公は、最後にどうしたのか。これは、非常によく知られていることであるが、初出の「帝国文学」掲載のときと、後に、書籍で刊行したときとで、結末が変わっている。普通、学校の教科書などに採用されているのは、改変後のもので、「下人の行方は誰も知らない」である。しかし、最初の結末は、たしか、下人は盗人になるために走って行った（記憶で書いているので、定かではない。書庫にある芥川全集を見れば分かることだが。）というような文言であった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;下人が盗人になることを決意したのは、ちょっとした心の揺れである。どうして、盗人になることになったのか、下人にも分からない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;人間の心のうちには、いろんな要素があって、揺れている。さして、確固たるものがあるわけではない。それを、芥川龍之介の場合は、近代的な人間のエゴイズムということで、文学として書いたというのが、だいたいの文学史の理解だろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;単純に善である、悪である、ということが決められないのが、人間というものである。おおむね芥川龍之介の描いている人間の姿である。善悪がシンプルな対比で描かれているというと「杜子春」などが思いうかぶが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ポール・ケーラスの『カルマ』との関連で話しが進められていた。だが、普通なら、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も思い出すだろう。一般に読まれている作品ということなら、圧倒的に『カラマーゾフの兄弟』である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;だが、ここで、『カラマーゾフの兄弟』を話題に出してしまうと、ドストエフスキーの描いた、ロシア的なキリスト教世界……それもかなりややこしい……について触れざるを得ないので、一切省略したということなのだろう。番組構成上、やむをえないこととはいえ、見ていて、やっぱりもの足りない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;だが、これも、現代では（少なくとも今の日本では）、神ということばや観念なしに、善とか悪について語らざるをえないということである。いたしかたのないことかもしれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;タイタニック号の沈没のときに、では自分ならどうする、ということで話しが進められていた。まあ、妥当なたとえかなとは思うが、これも、「カルネアデスの船板」ということで知られることにもなる。松本清張が、小説に書いている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;しかし、「蜘蛛の糸」と「カルネアデスの船板」を同時に語るのも、また至難の業だろう。ドストエフスキーも避けておきたい。ということで、なんとか無難なところでまとめたという印象がある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;そのために、苦肉の策で出してきたのが『歎異鈔』ということかとも思う。これも、『歎異鈔』の悪と、「蜘蛛の糸」のカンダタの心のうちとを、同じ悪として並べるのも、非常に強引だという気がする。（なお、『歎異鈔』で語られていることは、唯円というフィルタを通したものであって、親鸞がどう考えていたかは、また別の問題であることは、いうまでもない。また、強いていえば、今の時代では、親鸞をもちだすことで、神について語ることの代用にしていることは、確かだろう。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>クラシックTV「クロスロード チャイコフスキー」</title>
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      <pubDate>Sat, 16 May 2026 05:10:34 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月16日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;クラシックTV「クロスロード チャイコフスキー」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;年をとってきたこともあって、昔、若いころに読んだ文学作品を再読しようと思って読んでいる。今読んでいるのは、『カラマーゾフの兄弟』（江川卓訳、中公文庫）。できれば、中公文庫での昔の池田健太郎の訳で新しく出してほしかったところなのだが。『カラマーゾフの兄弟』を読むのは、5回目から6回目ぐらいになるだろうか（いろんな訳で読んでいるが）。何度読んでも、ロシア的、ということが頭からはなれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;チャイコフスキーの活躍した時代は、文学においてに、19世紀ロシア文学の時代と重なる。ロシアが、西欧に対して、近接する方向に向かうと同時に、伝統的なロシア的なものの価値を重視する時代でもある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;やっぱりロシアはロシアなんだよなあ、と思うし、また、それを深めることで普遍性にもつながる……まあ、月並みな言い方になるが、このように思っている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;チャイコフスキーの音楽を聴くと、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の世界を思ってしまう。人間というのを、ロマンチックに描くことのできたのが、19世紀だったということになるだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月10日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>ドキュメント72時間「走れ!さすらいの地方競馬」</title>
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      <pubDate>Fri, 15 May 2026 05:25:52 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月15日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ドキュメント72時間「走れ!さすらいの地方競馬」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;岐阜の笠松競馬である。地方競馬は、他にたくさんあるだろうと思うのだが、この競馬場をえらんで取材したのは、おそらくは、オグリキャップのことと、スティルアイライズのことがあってなのだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;私は、こういう企画は、あまり好きになれない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;地方競馬の日常ということで、100円の馬券で楽しむ人がいたり、ビギナーズラックでよろこぶ人がいたり、売店の従業員の話があったり、予想屋の仕事があったり、ただ、何もせずにただ来ているというだけの人がいたり……ということであった方が、より面白いものになったかと思う。普通にある普通の人びとの生活の感覚を描くということが、むしろ難しいのであるが。企画として、ドラマチックなものを求めすぎているように感じられる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;演出とはいわないまでも、意図的な番組のたくらみは不要だと、私は思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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    <item>
      <title>世界のドキュメンタリー「アメリカ 貧困と生きる」</title>
      <link>https://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/05/15/9854562</link>
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      <pubDate>Fri, 15 May 2026 05:25:03 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月15日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;世界のドキュメンタリー「アメリカ 貧困と生きる」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2025、アメリカ。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;前編・後編とあったものを、録画しておいて、続けてみた。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;はっきりいって、どうもよく分からない。貧困といっても、国によって事情はことなるので、こういう貧困の生活もあるのかな、というぐらいの気持ちで見ていたことになる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これが、アフリカとか中南米とかのスラムだったら、なるほど世界にはこんなに酷い状況の中で生活している人もいるのか、ということを感じただろう。また、アメリカの中でも、いわゆるラストベルトの貧困層でフェンタニルに溺れているような人がいるなら、これもアメリカの現実だと思うだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;特定の人物に焦点をあてて継続的に取材を重ねるという手法は、とりわけ珍しいものではないと思う。この番組の場合、取材の期間中に、行方不明になったりしないというようなレベルの生活の人を選んでということはあったかと思うが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;学校に通うことができればなんとかなる、プロのフットボール選手になれればなんとかなる、出てきた若者たちは、まだ完全にアメリカ社会に絶望しているということではない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;見ていて、政治的なことがまったく出てきていいない。民主党とか共和党とかということも、トランプ大統領について、まったくでてきていない。取材するなかで、この地域の人びとの場合、支持政党はどこであるかということは、見る人には分かるのかもしれないが、私の知識だと、そういうことはまったく想像がつかない。取材の時期、年齢を考えれば、その時の政権については、おのずと分かることかもしれない。だが、大統領が誰であったかということと、このような、アメリカの貧乏生活とは関係がない、ということでいいのだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>日曜美術館「加賀前田家 百万石文化の誕生」</title>
      <link>https://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/05/15/9854561</link>
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      <pubDate>Fri, 15 May 2026 05:22:47 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-15T05:25:01+09:00</dcterms:modified>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月16日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;日曜美術館「加賀前田家 百万石文化の誕生」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;国語学・国語史という分野で勉強してきた人間としては、前田家の尊経閣は、どうしても格別な存在である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;具体的な文献としては、「前田家本 色葉字類抄」がある。これは、もちろん原本は、尊経閣の所蔵であるが、複製本が昔刊行されている。（その後、何度か、複製は刊行されていて、近年では、カラー版がある。私も、勉誠社版と、八木書店版と、二つ持っている。）この古い複製本が、国会図書館のデジタルコレクションとして公開されたとき、オープンであったり、それが、とまったり、ということがあった。今、調べてみると、今の国会図書館ではデジタル画像（古い複製本による）がインターネット公開になっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これが、最初、インターネット公開になったとき（それが、とまったとき）、国会図書館と尊経閣とでは、どっちが強いか（？）ということで、話題になったかと覚えている。まあ、国語学、日本語学の専門家の狭いあいだでのことではあるが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;定家本の『土佐日記』は、日本文学の資料としては、定家本のテキストの実物が残っている、ということで価値がある。ただ、『土佐日記』は、貫之自筆の原本にさかのぼることができる希有な平安時代の仮名文学作品であり、定家本の本文を、そのまま使うことは、まずない。むしろ、定家が、どのように、原本を改編して自分のテキストとしていたか、ということの実例として見ることになる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;定家の書跡は、古典文学の書写についての研究、表記の研究という立場からすると、古典の仮名書きの写本の本文を、いかに正確に写本するか、誤字・誤写などをふせぐためにどう工夫するか、という視点から検討することがメインになる。その方向で、仮名の字母の選択や、連綿ではない（文字を続けて書かない）ことの意味、ということを考える。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;定家の書いた文字を、現代の書家が、どのような視点で見ることになるのか、という意味では、とても面白かった。（ただ、あまり共感はしなかったが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;定家の残した写本としては、『更級日記』がある。これは、一昔前なら、ごく普通に大学の国文科・日本文学科の教材で使うような本で、複製本が安くで出回っていたものである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これも、見ようによっては、もう年老いて老人となった定家が、若い娘（少女といっていいだろう）が『源氏物語』に耽溺して、悲劇のヒロインである浮舟みたいになりたい、と願っている心情を書き記した文章（それが、後に回顧として書いたものではあっても）書き写しているというのは、現代の性的な倫理規範意識からすると、かなり問題のある場面となるだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;前田家のコレクションについては、どのようにして集められたものなのかということと、近世から近代、現代にいたるまで、どのように保管され管理されてきたものなのか、という文化財の歴史、という視点から解説がほしいところである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月12日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>サイエンスZERO「ロボット新時代!“フィジカルAI”が世界を変える」</title>
      <link>https://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/05/15/9854560</link>
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      <pubDate>Fri, 15 May 2026 05:19:17 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-15T05:21:37+09:00</dcterms:modified>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月15日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;サイエンスZERO「ロボット新時代!“フィジカルAI”が世界を変える」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;見ながら、番組の中で言っていないことが、どうしても気になった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;まず、こういう自律型ロボットは、軍事目的に使える、ということである。すでに、銃を搭載したロボットが、ウクライナの戦場を歩いて（？）いてもおかしくない。ロシア軍がつかうとするならば、たぶん、中国製だろうが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;軍事用につかうにせよ、災害救助につかうにせよ、家事につかうにせよ、とにかく人間の動きを学習させなければならない。そのためには、人間が実際に動いて、その動きからデータを読みとって蓄積していかなければならない。これを、誰がやるのか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;番組に映っていた範囲では、研究施設であったりということで、まともな環境で行われているようである。しかし、今の世界の中では、ただひたすら、AIのための学習データとして、コーヒーカップにコーヒーを注いだり、台所で皿洗いをしたり、ベッドメイキングをしたり、などなど、単純労働を、いろんな環境で繰り返すだけの「仕事」が発生することになる。こういう仕事は、当然ながら、人件費の安い地域、例えばアフリカなど、に外注されることになるだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;このようなことを伝えるのは、この番組の趣旨ではないことは分かっているが、しかし、考えておかなければならないことである。そのうえで、日本がこの分野でトップになるとするならば、どういうことが必要なのか、という議論になるべきだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月11日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>英雄たちの選択「天才軍師・竹中半兵衛の真実」</title>
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      <pubDate>Thu, 14 May 2026 05:08:27 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月14日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;英雄たちの選択「天才軍師・竹中半兵衛の真実」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;出ていたのは、平山優と千田嘉博。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;見ながら思ったことがいつつかある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;歴史学研究という立場からするなら、どうしてもそうならざるをえないのだが、竹中半兵衛については史料（古文書、古記録）がほとんど残っていないという。史料が残っていないことについては、黙っているしかないのが、近代的な文献史学なのであるから、いたしかたないことであるが、それでも、では、何故、竹中半兵衛についての史料が乏しいのか、その理由はどういうことが考えられるのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;史料が残っていないことについて、勝手に想像することは慎むとしても、何故、史料が残っていないのかということを、歴史の中で考えるということはあっていいはずである。（日本文学の作品でいえば、『源氏物語』の写本が基本的に鎌倉時代以降のものになること、『竹取物語』の古い写本が伝存しないこと、など、資料の残り方から、考えることのできる領域ということはある。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;軍師というような存在はいなかった……まあ、NHKの歴史番組でこうはっきり断定的に言えるのは、平山優なのかなあ、と思うが、業界的にはどうなのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;文化史的な興味としては、いわゆる軍師というもののイメージが、諸葛孔明にならって、歴史的な読み物や、講釈などで、語られるようになってきたことの経緯ということになる。こういうことの歴史は、これで考えなければならないことになる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;竹中半兵衛をあつかった回なのだが、それよりも興味深いこととしては、戦国時代の国衆という人びとのものの考え方。名だたる戦国時代の大名たちとは違って、土着の人びととして、どのような考え方を持っていて、実際に、どういう生活をしていたのか、ということが気になる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;戦国時代ドラマだと、合戦での戦いぶりが、どうしても映像として出てくることになるが、その背景にある、兵站と工兵の仕事ということが、実は、重要なことなのだろう。工兵というと現代的な用語であるが、この時代としては、築城術であり、石垣の組み方であり、さらには、城を水攻めにするときの土木であったり、ということになる。兵站については、味方の兵站を確保することの重要性であり、そして、いかにして敵の兵站を妨害するか、という戦い方になる。秀吉は、この兵站と工兵について、すぐれた戦国武将だったというとらえかたでいいかと、私は思っているのだが、さてどうなのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ところで、人質として、子どもを差し出すということの背景としては、その一族の継続ということがあってのことだろう。ただ、親子の情というだけではなく、その家がつづいていくことの意味が、非常に大切だっただろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;人質の歴史……誰が、誰に対して、誰を人質としてさしだしたのか、その後、その人質はどうなったのか、ということの歴史の研究はあるのだろうとは思うが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月11日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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    <item>
      <title>エモーション・ジャーニー「大追跡!「お金」にまつわる世界の感情」</title>
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      <pubDate>Thu, 14 May 2026 05:07:45 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月14日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;エモーション・ジャーニー「大追跡!「お金」にまつわる世界の感情」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;たまたま録画しておいた。こういう形での、ある種の報道番組もあっていいかと思う。（はっきりいって、スタジオのコメントがレベルが低すぎる。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;アフリカでの金の採掘と、その精練（水銀をつかう）による環境汚染。これは、アフリカだけではなく、南米などの他の地域でも大きな問題になっている、あるいは、これからなるだろう、ことになる。国際的な金の価格暴騰の裏では、金の採掘にかかわる、最底辺の労働者が存在することは確かなことである。こういうことは、特に金に限ったことではないが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;口論の結果、お金で話しがつくということになっていたが、多くの場合は、武装勢力による割拠ということもあるだろう。このようなことは出さないということで作ったかと思う。（国際報道2026のスタッフが取材しているということは、かなり危険な地域であると認識していいだろうか。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;貧乏な国の貧乏人ほど損な生活をせざるをえない……これは、グローバル資本主義の帰結、ということになるかと思うが、これから引き返すことは、人類のありかたとして、もはや不可能といっていい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ネパールの選挙のことは、ニュースで見て知ってはいたことである。目下の関心は、新しい首相（元ラッパー）の政治手腕ということになる。政治家が貧乏だから汚職に手をそめる、とは限らないだろう。高給をとっている政治家や役人だって、汚職をする。これは、古今東西にたくさんの事例があるはずである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;貧富の格差、社会の構造ということは、これはそう簡単には解決しない。新たな階級社会、封建社会の到来は、予言的に言われている。いや、もう、すでにそうなっている。ネパールが特殊ということではない。（中国や韓国だって、ものすごい格差社会になってしまっている。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;違うのは、昔は、王侯貴族が贅沢をしても、一般庶民の反感を買うということはなかったが、それが、ネット社会になり、SNSの普及などで、人びとの意識が大きく変わったということはある。それにしても、ネパールの若者がスマートフォンを持っているのは普通のことであるとして、この国のネット回線は、どういうことになっているのだろうか。（日本の場合は、光ファイバー網と携帯電話回線の基地局が、通信インフラになっているのだが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ネパールからは、多くの人が日本にはたらきに来ている。その背景には、ネパールの貧しさがある、ということは、日本としては知っておくべきことだとは思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;モルドバの沿ドニエストル共和国。いわゆる未承認国家である。未承認国家について、定義することは、ちょっと難しかもしれない。ただ、沿ドニエストル共和国については、ロシアのウクライナ侵攻と深くかかわる話題になるので、深入りしてこの地域の経緯を説明することは、避けたのかと思って見ていた。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;硬貨がプラスチックであってもかまわない。紙幣といっても所詮は紙である。偽造されなくて、貨幣として使えるなら、なんだってかまわない。貨幣とは何かという問題につながることではあるが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;アメリカの宝くじは、その発行と当たりくじを確定するシステムが、どうなっているのかということが分からないと、確率的に当たるくじを選ぶことができるかどうか、分からない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ブラジルの牛は、今の時代だったら、こういうこともあるだろう。強いていえば、生命科学と技術が、どのようなビジネスと結びつくかということになる。（ただ、クローンマウスを作り続けていって、一定以上の世代がすぎると無理ということは言われている。この先、遺伝子操作など、新たな技術を使うことになるのだろうか。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;イギリスのコイン発掘は面白い。発掘されるコインなどは、ローマ時代のものだというが、現在のイギリスになる前の歴史をたどることになるのだろう。（日本だと、地面を掘るよりも、竹藪で札束を探すことになるだろうか……もう、この事件を覚えている人も少なくなったかと思うが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月12日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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    </item>
    <item>
      <title>アナザーストーリーズ「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」</title>
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      <pubDate>Thu, 14 May 2026 05:07:09 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月14日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;アナザーストーリーズ「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;事故から40年ということになる。世界のドキュメンタリーで、イギリスで製作した番組を放送していて、これも見たが、私が分からないことは……この事故で、結局、現在までに、何人の犠牲者（死者）が出たのか、病気になった人はどれぐらいなのか、こういうことのはっきりしたデータが出てきていないということである。これが、日本だったら、地震があったりして、その災害で死んだ人が何人、関連死が何人、と細かく数字が出てくる。ソ連やロシアでは、こういうこまかなことは気にしない、ということでいいのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;犠牲者の数が少ないから、多いから、どうこうということではないのであるけれど。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;当初から問題をかかえていた原子力発電所であることは、そうなのだろう。事故がおこったとして、この時の政治の判断としては、このころのソ連としては、迅速に動いたという印象を私は持っている。これは、東西冷戦時代の雰囲気を知っている人間とそうででない人間とで、感じ方は違うかと思うが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;事故直後の対応として、スコップでがれきの撤去に従事していた人たちが、その後どうなったのか、追跡調査は行われているのかどうか。憶測で、その後、がんで亡くなったということも言っていいかもしれないが、科学的にどの程度確証のあることなのかという気はしている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月8日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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    </item>
    <item>
      <title>100分de名著「ディケンズ“大いなる遺産” (2)立身出世の物語?」</title>
      <link>https://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/05/14/9854364</link>
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      <pubDate>Thu, 14 May 2026 05:06:18 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月14日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;100分de名著「ディケンズ“大いなる遺産” (2)立身出世の物語?」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この回の内容には、かなり無理がある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;スマイルズの『自助論』を出してきて、メリトクラシーの社会である、と言っていたが、これはどうだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;端的にいえば、ピップは、社会的地位の上昇、階級上昇を目指して、何か努力をしたということはない。せいぜい、食事のときのマナーに気をつけねばならないということぐらいである。私の理解であるが、『自助論』は、19世紀になって、産業革命がおきて、社会構造が変わっていくなかで、中産階級というべき人たちが登場してきて、そのような人たちが、さらなる社会階級の上昇をめざすための、手引き、案内、いまでいえば自己啓発本、ということかと思っている。ピップのような、下級の労働者階級は、そもそも相手にしていない。（このあたりは、社会経済思想史という分野で、詳しく語られていると思うが。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ピップがお金持ちになれたのは、とにもかくにも偶然でしかない。何か努力して、あるいは、何かの能力があってそれを発揮することができて……ということではない。これを、『自助論』とつなげて考えるのは、あまりに強引すぎる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;社会階級の上昇は、たしかに希望を与える。だが、それは、勉学の機会があったり、社会の中で勤勉に働くことの意味を認めてもらえたり、ということがあってのことである。宝くじにあたってお金が手に入ったことを、階級上昇とは言わない。ピップの場合は、拾った宝くじがたまたま大当たりだったということである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;それから、気になることとしては、ディケンズの小説を読むような社会階層と、『自助論』を読むような社会階層は、重なるところがあったのだろうか。もし、あまり重ならないとしても、時代の雰囲気として、こういうものの考え方が、社会の中に浸透してきた時代、ということになるのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;現代の概念でいえば、文化資本ということばで説明することになる。だが、考え方によっては、自分たちの生活と、あいつらの生活は違うんだ、ということでもよい。自分たちの生活の価値観を大切にすること、これは重要だと言っていたのだが、しかし、これは、現代だと、移民排斥の論理にもなる。これは、今のイギリスで、大きな問題となっていることである。自分たちのこれまでの生活の価値観を大切に思う気持ちは尊重するとしても、その語り方は、非常に難しくなってきているのが、現代の社会である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月12日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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    </item>
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      <title>ブラタモリ「東京・成城▼憧れの住宅街はどうできた?意外な始まりに迫る!」</title>
      <link>https://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/05/13/9854173</link>
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      <pubDate>Wed, 13 May 2026 05:02:00 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-13T05:02:48+09:00</dcterms:modified>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;ブラタモリ「東京・成城▼憧れの住宅街はどうできた?意外な始まりに迫る!」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;成城には行ったことがない。特に用事がなければ行くことはない街である。知り合いが住んでいたこともないし、大学に用事があったということもない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;見ながら思ったことなど、思いつくままに書いておく。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;昔の昭和の戦前の住宅が残っていた。紹介してあったのは、二階の子供部屋だった。見ていて、この家の階段が狭いかなと、思った。また、手すりがついていない。これは、建った当時のままということだろう。今の家なら階段には手すりをつける。できれば、幅を広くとっておきたい。（これは、私の好みということもあるが。今の住まいを考えるとき、階段と廊下を幅を広く作ることにした。基本は、120センチ確保した。これだと、人間がすれ違うことができる。それから、本を持っている人間としては、廊下と階段に本が置けるようにということもあった。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;子供部屋は一つしかなかった。昭和の戦前で、成城に家を建てるというと、社会の中流以上の家庭だろうが、子供部屋を一つしか用意しないというのは、どういうことだったのだろうか。今なら、子どもが一人というのは普通だが、昔は、二人以上が普通だっただろう。（私の今の住まいを考えるとき、二階に、子供部屋を三つ作った。ちょっと狭いが、ベッドと机を置くことができる。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;戦前の古い作りをほぼそのまま残しているらしい。階段には手すりをつけていないし、窓も昔の木の枠のままである。意図的に昔の建築を残していると思えるのだが、どういう事情があってのことなのだろうか。まさしく「気になる家」である。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;映っていた図面には、子供部屋とあったが、女中部屋というのもあった。昭和の戦前だったら、普通の家庭で、女中を使うのは、普通だったことになる。女中であったような人をふくめて、この街に住んでいた人を考えるべきだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;街の中に商店街を作ろうとして、結局、できなかった、ということである。これは、ただ、素人考えということの結果なのだろうか。小田急の電車があって、駅があってということは、分かっていることだろうから、なぜ、駅を中心とした街作りにならなかったのか、という方向から考えるべきことのように思われる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;これも、デベロッパーがいれば、駅を中心に街を作るということになるだろう。具体的には、小林一三であったり、五島慶太であったり、ということを思い浮かべるのだが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;成城の住宅街は、交通をどう考えていたのだろうか。学校は駅の近くに作るということだったようである。立地条件として、駅から近いということを考えたのかとも思う。駅前に、バスターミナルがない。映っていた限りでは、ということなのだが。この街に住む人は、駅から歩いてくださいということだったのだろうか。映っていた住宅を見ると、自動車が二台はいるガレージがあるようだったが、現代の生活としては、こうなるだろう。しかし、成城の住宅地を作った時点で、各家庭に自家用車があってということを想定していたのだろうか。見ていると、道路の幅も狭いようだし、一方通行になっている道もある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;学校のグラウンドを作るために、住宅地の道路を掘り下げたときの土を使ったということだったが、いったい何のために道路を掘り下げて低くする、あるいは、宅地部分を高くする、ということの理由は何だったのだろうか。ただ、土を確保するということだけではなかったように思えるのだが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月11日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>芸能きわみ堂「八代目菊五郎 六代目菊之助 襲名！」</title>
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      <pubDate>Wed, 13 May 2026 05:01:07 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-13T05:01:55+09:00</dcterms:modified>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;芸能きわみ堂「八代目菊五郎　六代目菊之助　襲名！」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;再放送である。最初は、2025年7月18日。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;襲名ということは、伝統芸能やそれに近い世界の中では、ごく普通にあることである。ただ、そのありようは、分野によってちがっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;襲名がまったくのコピーを意味することもある。これは、師匠の芸をそのまま受け継ぐということである。芸能が、今日のように、俳優の個性の表現ということを重視するよりも、古くから伝えられてきた形を継承していくということに重きがおかれていたころは、まず何よりもコピーでなければならなかった。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;歌舞伎の場合は、コピーであることを求めるよりも、その俳優ならではの個性的な演技をもとめる。それだけ、歌舞伎という分野が、常に新しいものを貪欲に取り入れていくことで、現代まで受け継がれてきたという性格によるものなのだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;とはいえ、同時に、「菊五郎」が二人存在するというのは、異例中の異例だろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;相撲でも、醜名を受け継ぐということはあるが、もし、相撲でそうなったら同じ醜名の力士同士が勝負するということもある……これはこれで、面白いことだが。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;余計なことだろうが……いわゆる江戸っ子らしさというのが、社会構成的なものであるとして、その歴史はどうなのだろうか。きっと研究のあることだと思うが、歌舞伎の舞台などで表現される、また、古典落語などで表現されることで、イメージとして形づくられてきたものだろう。おそらくは、近代になって、江戸が東京になってから、江戸の再確認というプロセスにおいてあったことかと思う。（もう、研究論文を探して読んでみようという気はなくなっている。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;番組を見ていて、つくづく思うが……昔の歌舞伎役者の浮世絵を紹介するのに、メトロポリタン美術館であったり、シカゴ美術館のコレクションによらざるをえないというのは、たしかなことである。可能な限り、国立国会図書館とか、東京都立中央図書館とかの所蔵作品も使っているようだが。あるいは、現代だと、国内の所蔵機関よりも、海外の美術館などの方が、デジタルのコレクションを簡単に利用できるということもあるかと思う。日本でも、国会図書館などは、図書館ということから、著作権の切れたものの利用は基本的に自由であるし、ColBaseなどは、簡単に利用できるようになっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月10日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>3か月でマスターする数学「(6)無数の解の怪 不定方程式」</title>
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      <pubDate>Wed, 13 May 2026 05:00:09 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;3か月でマスターする数学「(6)無数の解の怪 不定方程式」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この回も、手を動かして考える……ということで番組はつくってあった。これは、人間がものを考えるときに、手を動かしてみる、紙に書いてみる、ということの重要性であるともいえるだろう。（番組の制作としては、分かりやすく説明するために、こういう作り方になったということはあるとしても。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;数学とか数学史については、まったくの門外漢なので思うことなのだが……不定方程式というのは、どういう経緯で考え出したことなのだろうか。この歴史的な背景ということが、なんとなく気になっている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;それから、番組では言っていなかったが、xとyの解が無限にあるとして、その解のならびには、規則性があるのか、ないのか。番組で映っていた範囲では、なにがしかの規則性があるということで考えていたのだが、これは、どうなのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;規則性があるにしても、ないにしても、いずれの場合でも、それを論証すること、そして、それが、数学にとってどういう意味のことであるかを考えるのは、かなり難しいことなのだろうと思う。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月10日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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      <title>新日本風土記「大阪モダン 旅する昭和」</title>
      <link>https://yamamomo.asablo.jp/blog/2026/05/13/9854170</link>
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      <pubDate>Wed, 13 May 2026 04:58:58 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月13日　當山日出夫&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;新日本風土記　「大阪モダン 旅する昭和」&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;再放送である。最初は、2023年11月21日。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;この回は、最初の放送のときだったか、部分的に見たかなと覚えている。ミナミのキャバレーのところは記憶にある。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;録画しておいたのを見て、一番、印象に残っているのは、最初の方で出てきた長屋。その建物ではなく道路。とても道路が広い。普通、こういう長屋などを建てるとすると、道路幅は狭く作るだろう。京都の街中とか、東京の下町の界隈とか、道路の幅が狭い。映っていた映像では、とても道路の幅が広いのだが、これは、もとからこうなのだろうか。こういう長屋を作ったときの、都市の計画としては、どうだったのだろうか。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;建築は、その建物だけを見るのではなく、その周辺の建物とか、立地条件とか、道路とか、こういうことも考えるべきだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;かなり天邪鬼な見方だとは思うのだが、近代の都市建築を見るのに、近代的なビルばかり見ていくのもどうかなと思う。といって、飛田新地の建物なども、建築史的には重要なのだが、なかなかあつかいがむずかしいだろう。また、今では消えてしまった、スラムや遊廓などのこともふくめて都市ということを見るべきだろう。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;昭和の戦前の大大阪の時代があったことは知られているのだが、この時代、地方から大阪に働きにやってきた労働者の人びとは、どこでどんな生活をしていたのか、ということも気になる。『細雪』のように、阪神間に住居があって、大阪に勤務先があってという人たちばかりではなかったのだから。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;大阪公立大学のキャンパス（杉本町）が映っていたが、これは、昔の、大阪私立大学の時代の光景を知っているものとしては、やはり寂しい。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;神戸女学院大学の建物が、ヴォーリズの設計になるものであることは、知られている。大学のキャンパスは、何よりも、その建物が魅力的でなければならないし、そのキャンパスの中で流れる時間は、外の世界とは違ったものであるという感覚が体感できるものであるべき、私はそう思っている。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;耐震基準ということを考えると、古い建物は維持が難しいということはあるだろう。これも、時代の流れである。ただ、古いから残すということではない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;古いビルの中で、江戸川乱歩の作品を演劇として演じるのは、とても面白い。だが、これも、江戸川乱歩、それから、横溝正史などの時代、その作品は低俗として、世の良識の顰蹙をかうようなものだったことを、文学史は教えてくれている。近年、評価の高い松本清張も、かつては、そんなに高く評価される作家ではなかった。推理小説は、低俗な読み物だった。探偵小説ということばを復活させて、いわゆる新本格という流れが出来てからのことは、私にとっては、記憶に新しいことになる。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;床屋さん（理髪店というよりも、こういった方がいいかと思える）の店内の映像で、CDがたくさんあって、オーディオ機器がかなりいいのを置いているようだった。店内の鏡は昔のままなのだとしても、使っている椅子は、現代のものに変えている。散髪に一時間半かけるというのは、どういう仕事をしてくれるのかとは思うが、料金はどうなっているのだろうか。このごろでは、短時間で、料金は安くという店が増えてきている。こういう店に来るお客さんは、理髪の技術だけではなく、それにかかる時間にお金を払うということなのだろう。昔風にいえば、鰻屋さんで時間をかけるようなものである。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;年をとった男性が（老人がといってもいいが）、倶楽部やキャバレーでときをすごすのもいいが、私としては、永井荷風のように散策するできるなら、こちらを好む。（実際には、山の中の世捨て人の生活であるけれど。）&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;大大阪の時代も、今となっては、昔の夢である。大阪都など、私にいわせれば、妄想でしかない。&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;&lt;DIV class="asahi_editor_line"&gt;2026年5月9日記&lt;/DIV&gt;&lt;/DIV&gt;
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