アナザーストーリーズ「桑田と清原 KK伝説〜甲子園が熱狂した夏〜」2025-08-30

2025年8月30日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 桑田と清原 KK伝説〜甲子園が熱狂した夏〜

録画してあったのをようやく見た。

高校野球にはほとんど関心がないのだが、それでも、桑田と清原のこと、PL学園のことは、記憶にある。ただ、そのころニュースになったということぐらいで、具体的にどんな選手であたかということは、ほとんど覚えていない。

今から40年前の高校野球のことになるのだが、今から思い返せば、番組の中で対戦相手だったチームとして出てきた、取手二高のような普通の公立高校で楽しんで野球をやっている、ということがあった……このことが、印象に残ることになる。現在のような、勝利至上主義で、全国から有望な子どもを集めてきて、寮生活で「きたえあげる」というようなことでなければ、いわゆる甲子園強豪校にはなれない。

こういうのは、すこし、いや、おおいにおかしいと思うように、世の中の考え方が変わってきているだろう。野球部での寮生活を送ってきたということを分かった上で、就職で採用するという企業もあったかと想像してみるのだが、これからは変わっていくかもしれない。

この番組のなかで、現在のPL学園の状況や、また、野球部のことについて、まったく言及がなかったのは、いたしかたないことなのか、それとも、もう多くの人が知っていることだから、ふれる必要がないと思ったのか。いずれにせよ、この番組の企画としては、タイミングが悪かった、というべきだろう。

2025年8月23日記

BS世界のドキュメンタリー「印象派の夜明け 〜新しい表現への挑戦〜」2025-08-30

2025年8月30日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「印象派の夜明け 〜新しい表現への挑戦〜」

2024年、フランスの制作。

西洋美術史については、教科書的な知識しかもちあわせていない。19世紀のフランスの印象派の画家たちが、どんなふうだったか、ということを手際よくまとめてあったという印象である。(絵の映像と、再現ドラマを組み合わせるというのは、これも一つの番組の作り方だとは思う。)

思うこととしては、「風景」が美術の対象である、風景の中に美を見出す、こういうことが出来るようになったのは、近代になってからのこと、といっていいのだろう。美術史における「風景」については、たくさん論じられてきているところだとは思っている。

そして、人間の内面……個性といってもいいかもしれないが……を描くということも、また近代になって、自覚的に、芸術においてなされるようになってきたことになる。

美術のみならず、音楽や、文学、その他の芸術のいろんな分野とともに、まさに近代を象徴するのが、美術における印象派であったといっていいのだろう。

番組のなかで、「階級」ということばを使っていたが、フランスで作り、時代が19世紀のことだから、このことばを使うのは当然なのだろう。日本だと、あまり、使わないようにしているかと思うが。そして、言うまでもないことだから言っていなかったのだろうが、印象派の画家たちは、当時の社会の階級としては、どれぐらいの位置にいたのだろうか。そして、その生計は、どうなっていたのだろうか。

見ていて思ったことであるが、印象派の絵は、その後の写真の表現に影響を与えていることが分かる。こういうことは、美術史や写真史においては、常識的なことなのだろうと思うが。

フランスで印象派が生まれたころが、日本で明治維新がおこって近代社会に変わっていく時代だったことになる。この時代の精神……という大きな流れのなかで、芸術とか文学とかの近代(西欧のみならず日本においても)を、考えることになるのだろう。

2025年8月18日記

歴史探偵「シン・大奥」2025-08-30

2025年8月30日 當山日出夫

歴史探偵 シン・大奥

これは面白かった。

これまで、江戸時代のことを語るとき、大奥という存在は、なんとなくミステリアスな雰囲気であり、深くかかわることを、表向きには避けてきたようなところがある。それが、近年になってからの、いろんな史料の発見もあって、歴史学の視点から語ることができるようになったといっていいだろうか。

大奥の再現CGは面白いが、史料・資料がきちんとのこっていれば、今の技術としては、そう難しいものではないはずである。問題は、それを見て、どう解釈するかということになり、ここには、かなりの想像力の働くところである。

興味深いのは、将軍が正室や側室などと寝る部屋。その広さからして、二人以外に人のいる余裕はないので、どんな話しをしているのか聞かれているということはなかった、ということ。といって、将軍のピロートークで、実際の政治がどう動いたかということは、また別のことになるだろうけれど。

高岳の文書(書簡)が残っていて映っていた。私がこれを見て思うことは、女性が書いた文字であるが、かなり、男性的な雰囲気がする、ということである。

高岳の出自や経歴など、分かってきていることらしい。その他の、老女など大奥の女性たちはどうなのだろうか。

江戸幕府の財政にとって、大奥は非常な負担であったことになる。番組の中で言っていた数字としては、予算の五分の一ぐらいが、大奥に使われていたらしい。ということは、それだけのコストをかけても維持するメリットがあった、と考えてもいいだろう。ただ、将軍の後継を産んでもらうためだけではなかったと考えるのが妥当だろう。大奥が、江戸幕府の政治にどう関係があったのか、これから明らかになっていくことかと思う。

また、大奥の女性……この場合は、正室、側室などということになろうが……の食事。京都の公家の食事の習慣をもちこんでいるので、お米のご飯以外に、お魚などをたくさん食べていたらしい。これは、骨を分析して、炭素と窒素の同位体の割合を調べることで、どんな食べ物を食べていたかが分かる。

大奥の女性たちの生活(衣食住)は、その役職の階層によってもちがっていただろう。したっぱの女性たちは、一般庶民的だったのだろうか、と想像してみることになるが、どうなのだろうか。

大奥につとめる女性たちはいっぱいいたことになるが、そこにつとめたからといって、死ぬまでそこで働いていたということではないだろう。正室や側室などは、死ぬまでということだったと思うが。ここで働いていた女性たちの、老後というか、つとめを終えてからの生活はどんなだっただろうか。それが、江戸の文化や生活に影響を与えることはあったのだろうか。

浮世絵の顔を分析して、美人のスタイルが変わってきた。だんだん、京都風の面長ですらりとした雰囲気が好まれるようになってきた。これは、日文研の研究ということになる。これは、絵画に描かれた、流行としての理想の形が変わってきたということなのか、実際に、人間の骨格が変わってきたということなのか、このあたりは、これからの課題ということになるかもしれない。

江戸時代、京都などの文化が、いろいろと江戸にもたらされていたということは、総合的に考えていえることになる。江戸時代も後期になると、江戸独自の文化がはなひらいたといわれるが……『べらぼう』の時代からである……それと同時に、さまざまなレベルで、上方文化との交流はあったことを、忘れるべきではないだろう。

2025年8月28日記