テキストが品切れである2011-03-02

2011-03-02
當山日出夫

学校の方から連絡があって、テキストにつかう予定の本が、品切れとのこと。

小池清治.『日本語はいかにつくられたか』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.1995

である。

ねんのため確認してみると、本やタウンでは、まだ、在庫はある(2冊)。Amazonでも在庫はある。

しかし、筑摩書房のHPでは、在庫が、「×」になっている。

やむをない。いたしかたない。次年度は、プリント配布中心ということで授業にするか(日本語史)。この本、日本文学を学ぶ学生にとっては、非常によくできた、日本語史のテキストであると思ってつかってきた。無文字言語であった日本語がどのようにして書かれるようになってきたのか。仮名文はどのようにして成立したのか。また、近代的な口語散文の成立。

今の研究からすれば、やや時代におくれたところもないではない。しかし、それは、教えるときに、補えばいいだけのこと。上述のような、日本文学と日本語について、論点をしぼって簡単に書いた本がほかにあるだろうか。

ともあれ、次年度の教材準備が、たいへんになってきた。

當山日出夫(とうやまひでお)

「師」というもの2011-01-31

2011-01-31 當山日出夫

これは、Twitterに書いたことなのだが、ここにも書いて見る。

人は、「師」をえらぶことはできない。「師」はあとになってから気づくものなのである。あの人が自分の「師」であったのだと。そして、「師」と「指導教員」とは違うものなのである。

だいたい、このようなことを書いてみた。

このこと、実は、先日のウィキペディアの会の懇親会の席で、ふと思ったことなのでもある。自分が、なぜ、今のように考えるのか、それに対する、教育や先生の影響とは、どのようにあるものなのか……このようなことを漠然と考えているうちに、上記のようなことを語っていた。

ただ、今になって思うのだが……これは、「師」というものをもつ体験を得た人間だから言えることなのだろう。これは、運・不運があるのかもしれない。これまでの人生のなかで、「師」といえるべき人に巡り会うことのできなかった、という人もいるのかもしれない。

ウィキペディアからいろんなことを考えることができる。そのなかの一つに、「知」の継承ということがある。たんなる、教室での授業の伝授ではない。それを超えたところにある、異質な何かである。それは、「師」としか呼びようのない人の存在である。

このような体験が根底にあると……ウィキペディアのような知識の世界に、なにかしら、違和感を感じるというのも、どうしても残るのである。(だからといって、ウィキペディアが悪いというつもりはない。)

そうはいっても、ウィキペディアは、学知の継承という観点からは、根本的な問題点をなげかけている、ということはいえそうに感じるのである。それが、どのようであるのか、まだ、うまく整理はできていないのであるが。

當山日出夫(とうやまひでお)

プレゼンテーション2010-12-02

2010-12-02 當山日出夫

さて、そろそろ、次年度のシラバスを書いたりしなければならない時期になってきた。(あれこれ考えて、すこし、出講を整理するところもある。自分のつかえる時間というものをかんがえるようになった。)

ところで、今年度から初めて、次年度もと、思っているのが、プレゼンテーションの実習の授業。要するにパワーポイントの使い方の授業である。

いきなり、パワーポイントを使って発表しなさいといいわれても、とまどう学生も多いだろう。まずは、その「練習」の機会が必要と思う。練習のための練習である。下手でもいい。とにかくやってみる。そこから、徐々にうまくなっていけばいいのである。だが、まずは、とっかかりの授業が必要だろう。いきなり、本番でプレゼンテーションをしなさい、では、いくら今の時代だからといっても、荷が重いだろう。

こちらから、課題(テーマ)を与える場合もある。あるいは、学生の自由なテーマでの発表ということもある。これは、実際にあつまった学生を見ての相談ということになるかとも思う。

経験的にいえば、とにかく回数を重ねると上手になる。それから、自分の好きなことを話しさせると、非常にうまい。(してみると、学会発表などで、いかにもたどたどしいパワーポイントの使い方を見るが、これは、本当に自分の好きなことを、研究として発表していないのかな、とも思えてくるのである。)

その他、パソコン教室のマシンが、新しくなる。もう、Word2003は、つかわなくなる。(これでようやく、自分の部屋のパソコンもひととおり整理できるかと思う。)

だが、パソコンが新しくなって、2007、2010と、MS-OFFICEが共存して、まだ、一部に、2003が残っていて、となると、これまた、面倒でもある。

ともあれ、ワープロの使い方もそうであるが、実践を積み重ねていくしか上達の方法はない。そのとき、大学での授業だから、ひとつだけ気にかけるとすれば、あくまでも、「アカデミックな文書/プレゼンテーションでは」という、位相の限定である。

なにも、普通のパソコン教室と同じことを、大学の教室でやることもないだろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

デジタルアーカイブを探す2010-10-22

2010-10-22 當山日出夫

今年度の後期の授業の一つは、『ARG』を学生と一緒に読む、という予定をしていた。シラバスを書いたのは、一年にもならないが、半年以上は前になる。これだけ時間がたつと、『ARG』も性格が変わってきてしまって、(別に批判する意図はまったくない)、図書館関係の記事がおおきくあつかわれるようになった。以前のように、新発見の学樹情報サイトの紹介がなくなってしまっている。

文学部の、それも、一般教養的な科目としての授業だから、あまりにも、図書館業界の話しばかりするというわけにもいかない。どうしようかと考えて、まずは、「デジタルアーカイブ」の話しでもするか、というところ。

たとえば、文化遺産オンラインなど、基本的なところから、はじめて、国会図書館の近代デジタルライブリーとか、各種の機関リポジトリとかの、話しをすることになるだろう。

このとき、役にたつ情報源としては、『ARG』にかわるものとしては、やはり、渋沢財団のブログ「情報の扉の、そのまた向こう」、それから、国会図書館のカレントアゥアネス、になるだろう。

学生には、基本的なものを紹介しつつも、今、おこっている最新の動向もつたえていきたいと思っている。が、どうなること、来月ぐらいから、本格的にである。(これまでは、「デジタルアーカイブ」以前の、旧来の意味での「アーカイブズ」の話しをしておくことに。)

當山日出夫(とうやまひでお)

祝日が休める2010-10-21

2010-10-21 當山日出夫

てっきり、11月3日(水)は、授業があるものだとおもいこんで、手帳に、書き込んでおいた。しかし、昨日、学生に話しをきくとそうでもないらしい。で、確認すると、11月3日は、カレンダーのとおりに休日になっている。

とてもうれしい。

いや、もう、このように感じる感覚になってしまっているということが、ある意味で異常なのかもしれない。しかし、カレンダーどおりに休日があるというのは、とってもうれしいのである。

とはいいながら、いまのところの予定では、11月3日は、ひとつ用事がある。そのため、「休講」にするかどうかで、確認してみたというのが正直なところである。この用件の方は、これはこれで、たのしみな仕事がひとつはいっている。

一学期、15回というのは・・・どうしても無理があるだろう。祝日をつぶさなければならない。しかし、祝日は、日本国政府が正規に定めた、お休みにしていい日であるはずである。15回ではなく、せめて、14回ぐらいなら、なんとかなるか、と思ってしまうのである。なにがなんでも、15(+試験)という形式を守ろうとすると、どうしても、どこかに無理がくる。単なる形式として、形骸化する。実質的に、可能なのは、13~14回なのであると判断して、これを、きちんとするという方向に、どうにかならないものであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

今日は授業日2010-10-11

2010-10-11 當山日出夫

今日は、体育の日。しかし、授業日である。私の知る限りで、おそらくかなり大学では、半期15回になっているだろう。そうすると、必然的に、祝日を授業日に設定せざるをえない。

いったい何のための祝日なんだろうと思ってしまうが。

しかし、15回きちんとやることは、時代の流れとして、これはもう既定の方向だろうな。このこと自体に、もはやとやかく言うことはない。

問題は、それをどのように実現していくか。

現在のように、4月入学でとなると、どうしても、7月の終わりまでつかうことになってしまう。しかも、9月の下旬には、おそくとも後期をはじめないと、まにあわない。夏休みがどんどん短くなっていく。

おそらく、事務の方も、仕事が大変だろうなあ、とは思う。

それよりも、とにかくやめてほしいのは、曜日の振り替えである。これをやられると、非常勤で教えている先生など、曜日の都合がつかなくなって、休講のために補講をして、そのために、また休講で、補講・・・と、休講と補講の連鎖が生じる。

このあたりの実態調査というものがあるのだろうか。厳格に、15回、休んだら絶対に補講という形式をとると、かならず、どこかにしわ寄せがくることは必定である。まだ、かろうじて、なんとか頑張って、それが、おおきな問題にならないようにしているということだろうか。

半期で15回という基本路線はもう変更できないにしても、その具体的な運用のあり方について、大学教育全体(いろんな大学をふくめて)を見渡して、大局的な観点から、吟味する必要があるのではないだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

アーカイブズから講義することに2010-10-11

2010-10-11 當山日出夫

授業の科目名(情報処理)からは、少しはなれてしまう感じがするが、まずは、「アーカイブズ」とは何であるか、というあたりから話しを始めることにする。そうでなければ、いわゆる「デジタルアーカイブ」の意味も、その価値も、また、問題点も、わからないだろう。

ただ単にデジタルデータを蓄積しておけば、それをすべて「デジタルアーカイブ」と言ってしまうのは、単純すぎる。それが、どのような、歴史的な流れのなかで生まれてきたのか、日本における事情はどのようなものであるのか、理解しておくことが必要かと思っている。

となると……教科書がないのである。伝統的な「アーカイブズ」(特に、公文書管理)になると、すでにテキスト類は出ているのであるが、最近の、デジタルアーカイブになると、学生が使うテキストとして適当な本が思いうかばない。

ここは、ひとつひとつ自分で、それぞれのインターネットのサイトを紹介していくしか方法はないのかもしれない。『ARG』のバックナンバーを見て、いろいろと探しながら、これから準備をすすめることとしよう。

當山日出夫(とうやまひでお)

Word2010で教えることに2010-10-03

2010-10-03 當山日出夫

来年度から、パソコン教室が新しくなるらしい。現時点で、新しくなるということは、(現在は、XPマシンで、オフィス2003である)、たぶん、Windows7で、オフィスは2010、とういことになるのであろう。

で、ちなみに、学生に、今、自分が持っているパソコンは何であるかきいていみると、圧倒的に、VISTA以降のものが多い。すでに、Windows7で、Office2010という学生もいる。

いくらなれていて使いやすいからといって、そういつまでも、2003版を使い続けるわけにはいかないだろう。(個人で、自分だけで使うのなら、可能な限り使い続けるということもありえようが。)

そうなると、今年度、学校の教室では、2003版で教えながらも、同時に、2010版ではどうなるか、そのあたりも解説しないといけなくなってきている。そして、これが、かなり面倒なのである。とりあえず、去年までの教材を基本につかって、補助的に同じ操作を、2010版でするにはどうすればいいか、おまけのレジュメを作ることにする。その手間というか、操作の確認が、意外と時間がかかる。

しかも、このことが必要になるのは、今年度かぎり。次年度からは、さらに進んで、完全に2010版のみで教えれば、いいということになる。(場合によっては、旧2003版ではどうであるか、解説することがあるかもしれないが。)

とにかく学生の持っているパソコンについてみても、しかも、それも、Windowsマシンに限ってみても、いまは、いろんなバージョンが混在している。特定の機種の操作法を教えるのではなく、読みやすい、そして、アカデミックなスタイルの文書作成とはどんなものであるか、教えることを基本としているが、それでも、幾分は、特定のソフトの固有の機能について言及することになる。

このあたり、どうしようか・・・いろいろ考えるのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

ARGとWikipedia雑感2010-09-27

2010-09-27 當山日出夫

しばらく新学期(後期)授業の準備などであわただしくて、とおざかっていた。

その間、考えたこと。

第一に、Wikipediaについて、本格的に論じる必要があるだろうな、ということ。日本語版Wikipedia、これを、学術情報発信にうまくつなげていく方法はないものだろうか。もちろん、現在のような、ポピュラーカルチャーの情報交流の受け皿的な使い方もあっていい。しかし、それだけではもったいない。せっかくのWikipediaなのである。もっと専門的な学術的な利用方法を考えてもいいだろう。

そうはいいながら、なかなか自分でその時間がとれないでいるのが、なさけないのであるが。

第二に、今後、ARGがどうなっていくのだろうか。後期の授業で、学生と一緒にARGを読む、場合によっては、学生にそこに記された内容についてプレゼンテーションをやってみさせる、というようなことを考えて、シラバスを書いた。もう、半年以上も前のことになる。そのころとくらべても、ARGの内容で、あたらしい新発見のサイトの紹介とか、その評価とかの記事が、めっきり少なくなってしまった。

ちょっとシラバスどおりに授業するのは、つらくなるかなという気がしないでもない。できれば、昔のように、各種サイトの紹介記事をどっさりと掲載してもらいたいと願っている。

まあ、場合によっては、学生と一緒に、Wikipediaそものもを読んで見る、ということも考えないではない。意外と、Wikipediaそのものの解説記事は、読まれていないように思える。少なくとも、利用している学生は、あまり読んでつかってはいないだろう。WEBで、みんなでつくる、百科事典とはいったい何であるか、そのこと自体について考えるという方向にもっていってみようか。

ともあれ、今週から本格的に授業がはじまる。いそがしくなる。

當山日出夫(とうやまひでお)

コンピュータと教育についての本2010-09-02

2010-09-02 當山日出夫

広告につられて、買ってしまったのだが、あまり感心しなかった。

『デジタル教育は日本を滅ぼす』.田原総一朗.ポプラ社.2010

これを読む前に、とりあえず、次の本は読んでおいた方がいい。いくつか、自分の本棚から持ってきてみた。

『コンピュータが子どもの心を変える』.ジェーン・ハーリー/西村辨作・山田詩津夫(訳).大修館書店.1999

『コンピュータに育てられた子どもたち』.アリソン・アームストロング チャールズ・ケースメント/瀬尾なおみ(訳).七賢出版.2000

『コンピュータが子供たちをダメにする』.クリフォード・ストール/倉骨彰(訳).草思社.2001

いわゆる電子書籍の時代である。教育現場に、新たな形でコンピュータがはいってこようとしている。iPadを学生に使わせるという大学もある。電子教科書についても、いろいろとりざたされている。このような時代にあってこそ、コンピュータ(パソコン)のまだ初期の時代といっていいであろう、一昔まえに書かれた、これらの論考を再読吟味する価値はある。

少なくとも、上記の3冊の本は、私のおすすめである。

當山日出夫(とうやまひでお)