中谷宇吉郎雪の科学館に行ってきた2023-06-02

2023年6月2日 當山日出夫

中谷宇吉郎雪の科学館

金沢の二日目は、中谷宇吉郎雪の科学館に行った。

中谷宇吉郎雪の科学館
https://yukinokagakukan.kagashi-ss.com/

中谷宇吉郎は、名前は知っている。雪の研究者ということで憶えている。その文章も若いころに読んだかとも思う。だが、特に、どういう研究をした人であるかは具体的に知らずにいた。

一人の科学者のための記念の施設というのも珍しいかもしれない。中谷宇吉郎の業績が分かりやすく展示されていた。なるほど、ただ雪の研究以外に、氷とか低温状態における物理現象を研究した科学者であることが分かる。

館内では、簡単な実験をして見せてくる。過冷却にした水が、刺激を与えられて氷る時の様子とか、ダイヤモンドダストの再現実験とか、見ていて分かりやすく面白い。これは、理科に興味のある子供にとっては、面白い施設であるだろうと思う。

中宇宇吉郎の研究は、謎に対する興味、好奇心、それから、それを開明する研究の美しさというところに、魅力があるように思った。雪や氷の研究が、その後の現代の地球環境の研究へとつながっていくことは、興味深い。

自然科学の研究の魅力というものが強く印象にのこる施設であった。

2023年5月30日記

西田幾多郎記念哲学館に行ってきた2023-06-01

2023年6月1日 當山日出夫

西田幾多郎記念哲学館

先日、金沢にある西田幾多郎記念哲学館に行ってきた。一泊の旅行である。

西田幾多郎記念哲学館
http://www.nishidatetsugakukan.org/index.html

西田幾多郎記念哲学館は、その存在はかなり以前から知っていたが、行く機会がなかった。金沢には、これまで何回か行ってはいるのだが、行きそびれてしまっていた。今回は、ここをメインの目的地ということで行ってみることにした。

非常に貴重なコレクションがあるということでもないようだ。が、原稿、書簡などの資料が、かなり残っているだろうか。たしかにこれらは、西田幾多郎の思想形成、その人生、あるいは、いわゆる京都学派を考える上では、重要になるものかとも思う。

そもそも哲学をテーマに記念館を作るというのが、あるいは無理なことであったのかもしれない。だが、単なる資料館にとどまらず、施設がある種のメッセージを持つということはあり得る。

だいたい、高名な建築家の建てた建物というのは、あまり好きではない。中に入って道に迷うか、どこかで頭をぶつけるか、転びそうになるか……たいてい、ろくなことがないというのが、経験上の感覚である。

この西田幾多郎記念哲学館の場合、頭をぶつけるということはなかったが、ちょっと道に迷うようなところがある。この通路でどこに行けるのか、よくわからない。まあ、そのように作ってあるといえばそれまでであるのだが。

西田幾多郎の著作のいくつかは、若い時、手にした記憶はあるのだが、読んでどう思ったかということは、残っていない。はっきり言って、難解な書物であるという印象を持ったのだけは憶えている。私が、西田幾多郎に触れることになったのは、むしろ、その門下生であった唐木順三を読んで、間接的にその思想がどんなものかを知ることになった、と言った方がいいだろう。

しかしながら、日本の思想史という分野においては、やはり西田幾多郎は重要な位置を占めることになるにちがいない。その思想の形成、発展の後をたどることも必要である。たぶん、西田幾多郎記念哲学館というところは、西田幾多郎の思想に触れる入り口として、これからも、人びとに親しまれる場所としてあるにちがいない。

西田幾多郎記念哲学館を見た後は、金沢市内に移動。兼六園に入って、それから金沢城の跡を少し歩いて、それから宿にむかった。

兼六園では、池でカルガモを目にした。ちょうど子供が生まれて、数羽のあかちゃんカルガモが、親鳥の後をついて池を泳いでいた。カルガモはこれまでに目にしているが、あかちゃんと一緒に泳ぐ姿を実際に目にしたのは初めてかもしれない。テレビではよく見るシーンなのではあるが。

また、日本武尊の像が印象深い。ちょうど『「戦前」の正体』(辻田真佐憲、講談社現代新書)を読んだばかりである。明治の初め、西南戦争の後にこの像は造られたとあった。日本武尊の近代史として、貴重なものの一つということになる。

2023年5月30日記

『夢見る帝国図書館』中島京子/文春文庫2022-06-04

2022年6月4日 當山日出夫(とうやまひでお)

夢みる帝国図書館

中島京子.『夢見る帝国図書館』(文春文庫).文藝春秋.2022(文藝春秋.2019)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167918729

図書館の小説である。主人公は、帝国図書館。そして、喜和子という女性。

この小説は、二重の構造になっている。

第一には、上野の公園で偶然で会うことになり親交をふかめる、喜和子さんと私のものがたり。フリーライターの私は、上野公園で喜和子さんという年配の女性と知り合う。親しくなり、喜和子さんの家をたずねたりするようになる。喜和子さんの人生はなぞである。

どこで生まれて、どこで育って、どんな結婚をして、どんな生活をしてきたのか、その人生が徐々に明らかになっていく。ここの部分で語られるのは、近代のある時代を生きた一人の女性の物語である。そして、その背景としての、戦後日本というある時代の流れ。

第二には、帝国図書館。現在の、国立国会図書館であるが、戦前は、上野にある帝国図書館であった。その図書館を擬人化して、図書館の語りということで、近代の帝国図書館史が描かれる。そこに登場するのは、近代の著名な文学者、学者などである。本を読みに図書館に通っていた人びと。

そして、近代という歴史の流れのなかで存在してきた帝国図書館の歴史。その設立から、戦後しばらくころまでのことが、図書館史というような観点で記述されている。(このあたりは、史実をふまえてのものだろうと思う。)

以上、二つの物語、喜和子さんという女性の人生の物語と、帝国図書館の歴史が、交互に叙述され、それが最後に交わることになる。まあ、このあたりは、小説の書き方として常道であるが。

一般的に書くならば、この小説は、上記の二つの物語として理解することになる。だが、一方で、この小説に特有の要素を考えてみると、さらに二つのことがある。

一つには、上野の物語であること。現在の上野公園とその周辺は、江戸時代からどうであったか、近代になってどのような歴史があって、今日の上野公園になったのか。そして、重要なことは、そこに暮らしていた人間がいたことである。たぶん、これは、上野公園の一般的な歴史からは消されていることかもしれないが、そこに光をあてた記述が興味深い。

もう一つのこととしては、図書館の物語であるのだが、同時に近代になってからの読者の物語になっていることである。上野の帝国図書館に通っていた文学者などは、本を読むためにそこに通った。ともすれば、図書館は、その蔵書を軸に語られることが多いかと思うが、この小説では、図書館は本を読むためのものという視点で描かれている。その読者のための蔵書である。

このようなことを思うことになる。

さて、今の国立国会図書館はどうだろうか。今や、デジタルとインターネットの時代になって、国立国会図書館も大きく変わった。その是非は議論のあるところかもしれない。ただ、図書館というものが、そこで本を読むためのものである、少なくともかつてはそうであった、この認識は重要なことだろうと思う。読者があってこその蔵書であり、各種のサービスなのである。

図書館とは何であるのか、何であったのか、これからはどうであるべきなのか、いろいろ考えるところにある本である。

2022年5月16日記

『100万回死んだねこ』福井県立図書館2021-12-02

2021-12-02 當山日出夫(とうやまひでお)

100万回死んだねこ

福井県立図書館.『100万回死んだねこ-覚え間違いタイトル集-』.講談社.2021
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000356010

福井県立図書館のHPで公開されているものを編集してある。覚え間違いタイトルは、福井県立図書館が、かなり以前から、収集して公開している。SNSなどで、その存在は知られていたものであるが、これがついに本になったかという気がする。

売れている本のようだ。図書館関係の本としては、異例のベストセラーといっていいかもしれない。

読んで思うこととしては、次の二点ばかりを書いておく。

第一には、読んで面白いこと。

「100万回死んだねこ」は、無論、「100万回生きたねこ」の覚え間違いである。(この絵本は、うちの子どもが小さいころに買ってきて読んだのを覚えている。絵本としては、有名なものである。)

この他、いろんな本のいろんな覚え間違いが紹介されている。どうしたらこんなふうに思い間違えることができるのか、読んでいてふと笑ってしまうような事例が多い。

第二には、図書館、司書の存在意義について。

利用者から本を探しているという依頼があった場合、なぜ司書は、そんなに丹念に探索することになるのか。まさに、司書という職業の存在意義が、ここで問われることになる。また、図書館とは何のためにあるのか。図書館の存在が、根底から問いかけられもする。

このことに、この本はある意味できちんと答えている。

以上の二点が、この本を読んで思うことなどである。

それから、さらに書いてみるならば……本を探すとき、あるいは、何かを検索するとき、漢字ではなく、ひらがなの読みで検索するとうまくいくことがある、これは、非常に重要なヒントである。図書館の蔵書検索だけではなく、一般のネット検索にも応用できる。

2021年11月29日記

岩崎邸庭園に行ってきた2018-12-14

2018-12-14 當山日出夫(とうやまひでお)

岩崎邸庭園

近現代建築資料館を見た後は、岩崎邸庭園の方にむかった。

パンフレットによれば……建てられたのは明治29(1896)年。岩崎彌太郎の三男、久彌の本邸として建てられた。設計は、コンドルである。現在、国の重要文化財になっている。

残っているのは、洋館、撞球室、和館の三つ建物。そのうち、普段、公開されているのは、洋館と和館である。これは、中に入ることができる。地下は見学できないが、一階と二階のかなりの部屋は、見ることができる。

明治の建築というと、明治村などを思い出す。ここには、過去、二三度行ったことがある。

古い建物を残すのは難しい。実際に使用すると傷んでくる。かといって、まったく使用せずにおくと、これもだめである。適宜、人が出入りしながら、保存を講じるしかない。

中にはいってみると、さすが三菱の邸宅だけのことはあると感じさせる。どの部屋も風格がただよっている。

ただ、岩崎邸庭園とは言っているものの、庭園が残っているということではないようだ。大きな公孫樹の木があって、紅葉していたのが印象的である。日曜日ではあったが、そんなに見学の人も多くはなく、ゆっくりと明治の空気を感じてきた次第である。

来年も、一~二回ぐらいは東京にいくことがあるかと思う。少なくとも、秋の訓点語学会には出席するつもりでいる。これまで、東京で行ったことのない名所、旧跡がかなりある。そのうちのいくつかでも、足を運んでみたいと思う。

岩崎邸庭園

岩崎邸庭園

Nikon COOLPIX A10

本居宣長記念館に行ってきた(その二)2018-04-28

2018-04-28 當山日出夫(とうやまひでお)

本居宣長記念館

続きである。
やまもも書斎記 2018年4月27日
本居宣長記念館に行ってきた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/27/8834173

この施設について私の感じるところとして述べるべきことは、次の二点に整理できるだろうか。

第一は、本居宣長記念館は、本居宣長の「アーカイブズ」である、ということである。あるいは、本居宣長関係の、「MLA」複合施設と言ってもよいかもしれない。

本居宣長の著作(版本)のみならず、その草稿もある。また、知人との書簡もある。描いた絵図などもある。文献を読んでの抜き書き・メモのようなものも残っている。また、『古事記伝』については、その版木も残されている。あるいは、書物の貸し借りの記録などもあったりする。さらには、今日において刊行されている、本居宣長全集をはじめ、関連する国学関係の書籍もある。

ここには、本居宣長という人物、およびその周辺にいた人びとの活動の記録が総合的にのこされている。これを、今日の観点からみれば、本居宣長アーカイブズ、と言ってもいいにちがいない。また、その収蔵品の種類から考えるならば、MLA(ミュージアム=博物館、ライブラリ=図書館、アーカイブズ=資料館)、この三つの性格を兼ね備えた施設であるということである。

第二は、この本居宣長記念館の展示から私が見てとることができたのは、本居宣長の知的生産の技術、と言ってもいいだろう。

例えば、書き込みや付箋のつけられた版本(万葉集など)。絵図(これは春庭の手になるものであった)。様々な図像(宣長はアイデアを絵に描いて考えていたようだ)。参考資料・文献の抜き書きのカードのようなもの。実地調査の記録(今でいえばフィールドワークといえるだろう)。各種の草稿の類。全国にいる国学者どうしでやりとりした手紙。

これら、多様な資料が残っている。ここから見えてくるのは……私が見たときの展示は、『古事記伝』をテーマにしたものであったが……まさに、『古事記伝』という業績が生まれてくる背後に、どのような知的活動がなされていたのか、その生々しい資料群である。

これを、今日の言い方でいうならば、本居宣長の知的生産の技術、と言っていいだろう。

以上の二点、本居宣長のアーカイブズ、あるいは、MLA、また、本居宣長の知的生産の資料群、これが、この施設・展示から感じたところである。

また、それから、本居宣長の旧居(鈴屋)が、もとにあったところから移築されてきて、記念館からちょっと上ったところに建っていた。これは、中に入ることができるし、床の上にもあがってかまわなかった。

印象としては、こんなに小さな家だったのか、ということである。今でいえば、3LDKぐらいになるだろうか。畳の大きさも、小さいようであった。この家で、家業の医者の仕事をしながら、学問にうちこんでいたのであろうと思うと、感慨無量というべきである。

この建物が残っていたのは、おそらく松阪の街が古い町並みのまま保存されてきたということもあるだろうし、明治になってから、平田篤胤国学などを中心にして、国学の遺跡を保存しようという機運などがあってのことだろうと推測する。旧居の側には、石碑が立っていたが、書いていたのは、上田萬年である。

『本居宣長全集』(筑摩版)は買ってもっているのだが、なかなか本格的に宣長の著作にとりくむことができないでいる。これから、徐々に仕事を整理しながら、本を読む時間を大切にしてすごしたいと思うようになってきている。そのなかで、宣長の著作にすこしでも親しむことができるようにしたいものである。

また、『やちまた』(足立巻一)も、『本居宣長』(小林秀雄)も、さらに再読しておきたいと思う作品である。

桑原武夫の蔵書のゆくえ2017-04-29

2017-04-29 當山日出夫

最近、WEBで話題になっていること……故・桑原武夫の蔵書が、京都市に寄贈されたものの、それが、廃棄されてしまっていたとのことである。理由としては、図書館において利用実績が無いから、ということらしい。

この件については、NHKも報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170427/k10010963631000.html

この点について、FBやTwitterなどでの反応は、主に次の二点になるだろうか。

第一には、京都市の対応を非難するもの。桑原武夫の蔵書をゆずりうけていながら、それをきちんと管理できないというのは、京都市の責任である。

第二には、それと反対に、いったん京都市に渡してしまったものなら、それをどうしようと市の側の自由である。利用されない本をもっておくだけの余裕は、京都市の図書館にはないので、これはいたしかたない。

まあ、ざっと以上のような二点に分けられるだろうか。

これ以外には、桑原武夫ほどのビッグネームであっても、その蔵書の維持はもう無理なのか、というような慨嘆の声もある。また、図書館にただ本を寄贈するだけではなく、その維持管理のコストのことも考えなければならないという意見もある。あるいは、学術資料として貴重なのは、一部の稀覯本をのぞけば、むしろ蔵書目録の方である、という見解もある。

ただ、この件に関して私の思ったことを記すと……「廃棄」というのは、どういうことなのだろうか、ということ。文字通り、廃棄処分、つまり、ゴミにしてしまったということなのだろうか。あるいは、図書館から除籍して、古書店にでも売ったということなのであろうか。私の持っている本でも、古書で買ったものの中には、もとは図書館の蔵書であったものがある。

私の感想としては、ゴミにしてはいけないと思う。少なくとも、古書店を介して、次の読者にわたっていくようにするのが、ある意味で、桑原武夫の蔵書のあり方としては、望ましいと考える。

どこかで読んだエピソード。確か、桑原武夫の話しだったと思う。ある時、登山について人と話をしていた。そのとき、図に書いて説明する必要があった。すると、手近にあった本……それは、海外から届いたばかりの貴重な本であった……の余白のページをやぶって、そこに図を書いて示した。いわく、本というのは、利用するためのものである。ただ、持っておくためのものではない。

この話し、何で読んだのかは忘れてしまったが、いまだに憶えている。

私の本には、古書店で買ったものが多い。本というものは、古書店を介して、リサイクルするところにも価値がある。古書として流通して、次のしかるべき読者のもとにわたってくれれば、幸いとすべきかもしれない。

桑原武夫の蔵書の一件は、書籍の再利用、古書としての流通という観点から、どのような利活用の方法があったのか、考えて見てもよかったのではないだろうか。

海の博物館に行ってきた2017-02-18

2017-02-18 當山日出夫

海の博物館に行ってきた。

海の博物館
http://www.umihaku.com/

ニュースなどによると、この博物館、経営上の理由で、運営している公益財団法人から鳥羽市に売却されるとのこと。

久しぶりに行ってみたくなったのと、移管される前の状態の博物館を再度見ておきたくなったからである。この博物館には、10年ぐらい前になるだろうか、行ったことがある。その時の印象としては、ここはいい博物館だな、ということ、そして、民俗学を中心として、自然科学の各方面からの、調査研究を展示している、文理融合の博物館である、そのような印象をもった。

今回、再訪してみて、その印象を確認した。

印象深く思ったことをのべるならば、

第一には、上記のような、文理融合型の総合的な博物館であること。このような博物館としては、私の知っている限りだと、滋賀県にある琵琶湖博物館がある。

海で生活する、漁師や海女などの仕事、生活。それから、海の生態系。その民俗学的な研究、これらが、総合的に展示されている。しかも、基本は、その実物を残しておいて展示するという方法。海女のつかう道具などが、伊勢のみならず、日本各地の海女漁で使用するものが、その歴史的背景とともに、展示されている。とにかく、実物(もの)を残しておいて見せる。しかも、その視点が、民俗学のみならず、自然科学の観点にたって、海の生態系のなかで生きる人間のいとなみをしめすものとして展示してある。

第二には、その建築である。前回、行ったときには、その建物にはあまり目をくばらなかったが、今回、再訪してみて、その建築としてのすばらしさに注目した。

日本建築学会賞、公共建築百選、などに選ばれている。それぞれの建物もいいが、外に出て、数棟の建物にとりかこまれた中庭にたって、周りを見回してみると、その建築の作り出す空間美を感じる。鳥羽の海辺にある別世界という印象である。

博物館は、道路から坂道を下ったとことに海岸沿いに建ててある。直接、海に面してはいない。展示棟から出て、さらに少しくだったところに海岸がある。リアス式海岸の内側になる。波はおだやかである。すぐ近くに、対岸の陸地が、こんもりとした小さな山々のつらなりのように見える。

第三には、収蔵庫に入れるようになっている……この博物館の最大の展示といってよいであろう……船のコレクションである。日本の木製の船の実物が、巨大なコンクリートの建物の中に、ぎっしりと並んで収められている。その数は、100にも達するだろうか。また、周囲の壁には、櫂や櫓といった、船をあやつる道具が、数限りなくと感じるほど大量においてある。この収蔵庫の中にはいると、まずその迫力に圧倒されてしまう。

どの船も、実際に日本各地で、つい近年まで実際に使われていたものばかりである。船の構造も大きさも実に様々。沿岸漁業の漁に現実に使われていたものがコレクションしてある。

以上の三点が、今回、この博物館に行って、再度確認したこと、感じたことである。非常に素晴らしい展示であり、コレクションである。

今回、行ってみて、追加になっていると気付いた展示がある。それは、東日本大震災の時の、津波の映像記録が、動画像としてディスプレイで見られるようになっていた。

近年、東日本大震災のことは、その復興の現状については報道されることが多いが、当日(2011年3月11日)、どのようであったか、その津波の襲ってくる場面の映像記録は、テレビなどで、放映されることは基本的になくなっている。それが、この博物館では、津波の映像資料として、その当日に記録された映像が見られるようになっている。

これは、貴重な記録であり、展示であるということができよう。

今後、この博物館がどうなるか分からない。しかし、私としては、これまでの、そして、今の展示の方針を変えることなく、貴重なコレクションを守っていってほしいと願う次第である。

CiNiiで失うもの2016-07-03

2016-07-03 當山日出夫

あえてこういってみる。CiNiiで失うものがあるのではないか、と。

CiNii
http://ci.nii.ac.jp/

確かにCiNiiは便利である。ある意味では、勉強のあり方を根本的に変えてしまったとさえいえるかもしれない。しかし、だからこそ、それと同時に起こっている問題点も見逃すべきではないと考える。

参考文献リストの書き方である。

昔、私が学生のころであれば……なにかの課題について調べるとき、図書館でカードを繰って、そのテーマについて書かれた研究書をさがす。その本を見て、巻末についてい参考文献リストから、さらに本・論文をさがす。さらに、その本・論文の参考文献リストから、次の本・論文をさがす……このような方式で探したものである。(こんなことは、書くまでもないと思えることでもあるのだが、確認のため記しておく。)

このような方式で本・論文を探していくと、自分が見ている本・論文が、参考文献リストで、どのような書式やスタイルで書かれるか、実体験することになる。そして、このような過程を通じて、参考文献リストの書き方というのを、なんとなく、身につけていくことになった。

これで完全に身につくというわけではなく、やはり最終的には、自分でまとまった論文を書いたり、学会発表をしたりするときに、ある一定の方式で書くということを確認することにはなる。

しかし、CiNiiを使って論文を検索してしまう今の時代だと、上述のような体験……図書館で本を順繰りに探していく……を、学生はもつことができないですんでしまう。これはこれで、確かに便利になったことではある。だが、便利になったおかげで、参考文献リストの書き方を身につける機会をなくしているともいえる。

こう考えてみるならば、これからの大学教育において次のようなことは必要であろう。二つ考えてみる。

第一に、なるべく早い時期からの、アカデミック・ライティング教育。その中での、参考文献リストの書き方の指導である。これは、専攻分野によってちがう。日本史や日本文学などと、言語学や日本語学、さらには、心理学などで、それぞれのスタイルがある。これについて、違いがあることを前提として、その専攻分野での基本を教える必要がある。

第二に、CiNiiや図書館のオンライン検索の結果から、どのように参考文献リストを書くかのトレーニングである。検索結果を、そのままコピーしたのでは、参考文献リストにならない。スタイルをその専攻の方式にととのえて、さらに、並べてやる必要がある。並べる順番は、著者名順(あいうえお順・ローマ字順がある)、同一著者については、その中を刊行年順にする。

この並べ替え、参考文献リストの整理などには、エクセルを使うのが適当だろう。文学や歴史の勉強などで、表計算機能としてのエクセルを使うことはないかもしれないが、参考文献リストの整理には、非常に役にたつ。このような場面で、エクセルの操作に慣れ親しむというのも、ひとつのあり方だと思っている。

以上の二つのことを、これから考えていかなければならないだろう。

私は、CiNiiの悪口を言おうとしているのではない。その便利さを十分にみとめつつ、それをさらに活用する、新しいアカデミック・ライティング教育の方向を考えてみたいのである。

さらにいうならば、論文の評価、という観点もある。CiNiiでは、論文の評価とは無関係に、特定のキーワードでヒットする論文が、網羅的に検索できる。研究の中身を読んで、吟味して、というプロセスがない。このことの問題はあるが、ここでは、あえて特にいわなことにしておく。

また、東洋学における目録学・書誌学のように、学問の基礎にそれをおくものもある。このような立場からは、本がデジタルで検索できればそれでよい、というわけにはいかない。

世の中で、なにがしか便利になることはある。便利になったとき、その便利さのなかに安住することなく、それで、何が変わったのか、あるいは、失ってしまったものがあるのではないか、反省してみる視点を自らのうちに持つ必要があるだろう。

特にデジタルの時代になって、世の中のいろんな仕組みが大きくかわろうとしている。そこで、あえて立ち止まって考えてみる余裕と、新しいものを積極的に利活用していくこと、この両方が求められていると考える次第である。

近畿地区MALUI名刺交換会20162016-06-09

2016-06-09 當山日出夫

今年も、名刺交換会がひらかれる。

近畿地区MALUI名刺交換会(2016年度)
2016-06-26(日)19:00-21:00
コープイン京都 2階 大会議室

 http://bit.ly/MALUI2016

この行事、何年か前に、私がふと思い立ってはじめてみたものである。
最初は、京都MLA名刺交換会といっていた。それが、MALUIに拡張され、近畿にまでひろがっている。

ところで、「名刺交換会」という名称……たまたま、私が、慶應義塾の塾員だから知っていたことばである。今でも、慶應では、名刺交換会をやっているはず。なにげなく使ってみたことばだが、今では、このことばで定着してしまったようである。

追記(2016-06-16)
事情があって、この会、今回は、私は不参加にします。残念ですが。また、いろんなおりに、みなさまにお目にかかることもあろうかと思います。