『牧野植物図鑑の謎』俵浩三/ちくま文庫2023-06-14

2023年6月14日 當山日出夫

牧野植物図鑑の謎

俵浩三.『牧野植物図鑑の謎-在野の天才と知られざる競争相手-』(ちくま文庫).筑摩書房.2023(平凡社新書.1999)

一九九九年に平凡社新書として刊行されたものの文庫である。解説を書いているのは、大庭秀章。

たまたまNHKの朝ドラで『らんまん』を放送している。モデルとなっているのは、牧野富太郎である。そのせいか、このごろ牧野富太郎関係の本がいくつか出ている。これもその一つと言っていいのだろうが、そのような事情は別にしても、これは面白い本であった。

「図鑑」というものが、牧野富太郎の発明である……俗説としてこのような言説があるとしても、これは嘘である。「図鑑」という用語の使用においても、また、そのような書物の形式においても、決して牧野富太郎の独創によるものではない。このあたりの事情が、この本では分かりやすく説得力を持って書かれている。

牧野富太郎とほぼ同じ時代にライバルとして、似たような図鑑を刊行していたのは、村越三千男という人物。今では、この人物の名は、忘れ去られてしまっているといっていいだろう。だが、明治から昭和にかけて、数多くの図鑑類の刊行にたずさわっている。研究者というよりは、教育啓蒙の立場で仕事をした人といっていいだろうか。

まさに、牧野富太郎と村越三千男は、ライバルであったことになる。

が、そのようなこの本の本来の意図とは別に、興味深い記述がいくつかある。

例えば、牧野富太郎が図鑑を出したのが、明治四〇年ということであるが、このころ、植物図鑑の類が、他に数多く刊行されている。これは、一つには、学校の理科の教科書が無かったことに起因するらしい。身近な自然観察から始まるべきだとする、その当時の方針によって、全国的に統一的な教科書は作られなかった。そのため、現場の理科教育のために、多くの図鑑が刊行された。

この理科教育の方針が、決まったのは、明治三三年のこと。小学校令施行規則においてである。

このことは、日本語の歴史にとっても重要な出来事である。この時に、現在の平仮名、片仮名が決められた。つまり、これ以外の仮名は、「変体仮名」として排除されることになった。歴史的に見れば、変体仮名の成立は、明治三三年ということになる。(これは、日本語の歴史の常識である。)

まあ、このようなことは知ってはいるのだが、では、明治三三年に他にどのようなことが決まったのか、ということについては不案内なままできている。この時に何がどのように決まり、それが、その後の日本の教育にどのような影響を及ぼしたのか、これは興味がある。(たぶん、専門の研究はあるのだろうと思う。)

また、この本は、明治以降の日本の理科教育の歴史を概観することにもつながる。そして、同時に、近代の図鑑出版史にもつながる。非常に射程の大きな仕事になっている。

牧野富太郎関係の本の一冊として読んでみた本ではあるが、しかし、近代の教育や出版の歴史を考えるうえで、重要な指摘が多くある本だと思う。

2023年6月13日記

中谷宇吉郎雪の科学館に行ってきた2023-06-02

2023年6月2日 當山日出夫

中谷宇吉郎雪の科学館

金沢の二日目は、中谷宇吉郎雪の科学館に行った。

中谷宇吉郎雪の科学館
https://yukinokagakukan.kagashi-ss.com/

中谷宇吉郎は、名前は知っている。雪の研究者ということで憶えている。その文章も若いころに読んだかとも思う。だが、特に、どういう研究をした人であるかは具体的に知らずにいた。

一人の科学者のための記念の施設というのも珍しいかもしれない。中谷宇吉郎の業績が分かりやすく展示されていた。なるほど、ただ雪の研究以外に、氷とか低温状態における物理現象を研究した科学者であることが分かる。

館内では、簡単な実験をして見せてくる。過冷却にした水が、刺激を与えられて氷る時の様子とか、ダイヤモンドダストの再現実験とか、見ていて分かりやすく面白い。これは、理科に興味のある子供にとっては、面白い施設であるだろうと思う。

中宇宇吉郎の研究は、謎に対する興味、好奇心、それから、それを開明する研究の美しさというところに、魅力があるように思った。雪や氷の研究が、その後の現代の地球環境の研究へとつながっていくことは、興味深い。

自然科学の研究の魅力というものが強く印象にのこる施設であった。

2023年5月30日記

『牧野富太郎の植物愛』大庭秀章/朝日新書2023-05-13

2023年5月13日 當山日出夫

牧野富太郎の植物愛

大庭秀章.『牧野富太郎の植物愛』(朝日新書).朝日新聞出版.2023
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=24160

牧野富太郎についての本をいくつか読んでいる。これもそのなかの一つ。これも面白かった。

読んで思うことを二つばかり書いておく。

第一に、評伝として簡潔でまとまっていること。牧野富太郎についての本はたくさん出ているが、そのなかで、読みやすく書かれているのではないだろうか。そんなにドラマチックな人生として描かれているのではないが、その人生の要点が分かりやすく書いてある。

それを記述する視点が植物学者ならではのものである。植物学に精通している著者だからこそ、牧野富太郎の研究の意義も、そして、その時代的な制約や限界も十分に理解している。簡潔な記述ながら、植物学者としての牧野富太郎が見えてくる。

第二に、「自叙伝」の信用性に対する記述である。普通は「自叙伝」は第一級の史料となるにはちがないが、しかし、そこに史料批判の目を向けている。例えば、東京大学の谷田部教授を訪問して面会したのは何時のことなのか、これがはっきりしないようだ。

「自叙伝」は、牧野富太郎が晩年になってから書いている。しかし、その初出雑誌は、ほとんど植物学関係者の目にふれることのないところにおいてであった。また、単行本として刊行されたとき、関係する人間はみな物故者になった後のことになる。さて、どこまで信用して読んでいいものか、疑問が生じる。

以上の二点が、印象に残るところである。

また、この本でも、牧野富太郎の植物画のすばらしさについて言及がある。

ところで、この本でも、少しだけ触れてあるのだが、牧野富太郎は、学者としては奇行がかなりあったらしい。まあ、研究者らしからぬ振る舞いがあったということになる。(このようなことについては、田中伸幸の『牧野富太郎の植物学』でもいくぶんの記述がある。やはり、学者の評伝は学者が書いたものを読むのがいい。)

確かに牧野富太郎の「業績」は大きいかもしれないが、少なからぬ奇癖のあった人物としてとらえておいた方がよいようだ。少なくとも、妙に神格化はしてはならないだろう。

このようなことは、植物学を専門に勉強するとしたら、例えば学会の後の懇親会の後の二次会ででも、先輩が若い研究者に話すようなことかもしれないのだが。

2023年5月9日記

『牧野富太郎の植物学』田中伸幸/NHK出版新書2023-05-12

2023年5月12日 當山日出夫

牧野富太郎の植物学

田中伸幸.『牧野富太郎の植物学』(NHK出版新書).NHK出版.2023
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000886962023.html

これはいい本である。朝ドラ『らんまん』のかかわりで牧野富太郎にかかわる本をいくつか手にしてみた。そのなかでも面白く優れたものの一つであると言っていいだろう。

この本の特徴は、次の二点になるだろうか。

第一には、植物学者としての牧野富太郎について、何をした人なのか、その学問的「業績」とはどんなものなのか、そして、何をしていないのか、というあたりを、日本における植物学の簡単な歴史とともに、分かりやすく解説してあることである。あくまでも、植物学者としての牧野富太郎に絞って書いてある。

「学名」をいくつつけたか、「標本」をどれだけ集めたか、えてしてこのような側面が語られがちであるが、しかし、このことについて、植物学という学問の観点から冷静に評価している。

牧野富太郎の業績は基本的に、日本の「フロラ」を明らかにした、その仕事のかなりの部分をになったところにある、ということになるらしい。また、植物学の本来の目的ではないかもしれないが、一般的な啓蒙活動においてはその残したものは大きい。(だからこそ、今にいたって牧野富太郎のファンが多いということにもなっていくのだろうが。)

第二には、植物学という学問の分かりやすい解説になっていることである。牧野富太郎の「業績」を明らかにするためには、例えば、そもそも「学名」とはどのように名付けられるものなのか、それは、どのように研究者によって利用されるものなのか、簡単に分かりやすく説明してある。また、「標本」とはどのように作り、管理されるものなのか、専門家の視点で述べてある。

この意味では、牧野富太郎がつけたとされる「学名」も、残した「標本」も、再検討の余地があることになる。

以上の二つのことが印象に残るところである。

さらには、牧野富太郎の植物学者としてのすぐれた仕事として、植物図がある。これは今日においても評価に耐えるもののようだ。

ヤマトグサやムジナモについての論文には、専門家の目で見ると、いろいろと問題があるようである。

この本によると、日本における植物分類学という分野は危機的状況にあるらしい。科学の基礎的な領域である。これからの若い人の活躍に期待したいところである。

2023年5月9日記

『理不尽な進化 増補新版』吉川浩満/ちくま文庫2022-12-17

2022年12月17日 當山日出夫

理不尽な進化

吉川浩満.『理不尽な進化-遺伝子と運のあいだ- 増補新版』(ちくま文庫).筑摩書房.2021(朝日出版社.2014)
https://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255008035/

進化論の概説書というよりは……いや、この本はそのような読み方をしてはいけないだろう……近代における進化論の成立と、社会における受容、影響を論じ、さらには、近代思想史へと切り込む、これは名著と言っていいと思う。

後書きを読むと、この本の単行本が出たとき、専門家からはかなり批判されたらしい。知っていることしか書いていない、と。これは、見方によっては、賛辞ともとれる。言いかえるならば、間違ったことは書いていないと言っていることになる。

科学についての啓蒙的な本で、専門家が読んで、「間違ったことが書いていない」というのは、希有なことであるかもしれない。少なくとも、私の専門領域にかかわる日本語学、国語学の分野で、一般向けに書かれた本やテレビ番組などにおいて、かなり根本的な疑問点をいだくことが、少なくない。このようなギャップは、そう簡単に埋められるものではないと諦めるところもある。(ただ、そうではあるが、このところ一般向けに書かれた、すぐれた日本語にかかわる本も出るようになってきた。)

ところで、この『理不尽な進化』であるが、ポイントは次の二点になるかと思って読んだ。

第一には、進化論の社会における受容。

一般に「進化」ということばは非常に多用される。だが、それは、ダーウィンのとなえた進化論とは、似て非なるものとしてである。また、「適者生存」ということばもよく使われる。このことばほど、進化論を誤解していることばもない。

一九世紀以降、進化論というものが、特に西欧社会のなかで、どのように受けとめられてきているか、きわめて批判的に検証されている。

第二には、進化論の理解。

進化論には、淘汰ということと同時に、その「歴史」を考えることになる。これを、著者は、ドーキンスとグールドの対立を軸に描き出す。科学的な論争としては、ドーキンスに軍配が上がって決着がついている問題かもしれないのだが、科学とはなにかというような論点にたって考えてみると、グールドの語ったことに意味を見いだせる。このあたりは、すぐれた科学論になっていると思う。

以上の二点が、読んで思うことである。

さらには、この本は、進化論をあつかった、主に自然科学の分野に属する本であるかもしれないのだが、読み進めると、すぐれた学問論、特に、人文学論になっている。人文学とはいったい何であるのか、いろいろと考えることができるが、この問題点から読んでみて、きわめて貴重な示唆にとむ内容でもある。

芸術とは何か、宗教とは何か、このようなところまで、この本の射程は及んでいる。

2022年12月8日記