『大学生からの文章表現』 ― 2011-05-04
黒田龍之助.『大学生からの文章表現』(ちくま新書).筑摩書房.2011
学生に、この本をすすめたものかどうか、まようところである。
たしかにおもしろい。おもしろい文章の書き方、の本である。だが、これで、「レポート」や「論文」を書くとなると、はたしてどうか、というのが、いつわらざるところである。
もちろん、筆者も、そんなことは承知の上で、この本を書いたのだろうし、また、実際に大学で授業もしているにちがいない。たぶん、その背景には、きまりきったレポートや論文の書き方の指導が、きちんとなされている、ということがあってのことだろう。そうでないのに、いきなり、このような文章の書き方だけを学んで、レポート・論文の役にたつとは思えない。
この一方で、最近出た本では、
黒木登志夫.『知的文章とプレゼンテーション』(中公新書).中央公論新社.2011
が、きわめて対照的である。さて、どうしようか、である。
當山日出夫(とうやまひでお)
初期設定が11ポイントになっている ― 2010-10-04
授業の準備で、あれこれと、新しいWord2010をいじっている。で、ふと気づいたのが、文字サイズの初期設定。たしか、2007版までは、10.5ポイントであったように記憶するのだが、見ると11ポイントになっている。
普通にページ設定すると、丈夫余白35ミリ、左右30ミリ、下30ミリ。38字の36行になっている。
これが一太郎だと、10.5ポイントで、上下左右30ミリ、40字・40行で、きれいにおさまるように、初期設定がなっている。
まあ、教えることとしては、初期設定のままから、自分の思い通りにページ設定を変更できるように、ということである。この意味では、初期設定などどうでもいいといえば、いいのである。しかし、そのままで文章を書くと、ちょっと日本語の文書作成としては、どうかなと感じないではない。(ともかく、目的に応じて、自在に設定の変更ができるようになってくれればいいのである。)
ところで、なんで、文字サイズの、10.5ポイントという、中途半端な数字が出てきているのだったかな。確か、日本における、パソコンの歴史、プリンタの歴史が、そこにはあったと記憶するのであるが、いまひとつ判然としない。
理由はともあれ、30ミリづつの余白をとって、40字40行で書けるというのは、日本語文としては、旧来の原稿用紙の枚数に換算しやすい。しかも、この程度が読みやすい。この意味では、非常にすぐれた設定であると思うのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
『街場のメディア論』:書物「虚の需要」 ― 2010-08-23
内田樹.『街場のメディア論』(光文社新書).光文社.2010
この本は、後半の方は、電子書籍論となっている。この意味で、一読の価値ありと思う。特に次のような箇所、
>>>>>
この世界に流通している書物のほとんどはその所有者によってさえまだ読まれていない。書物の根本性格は「いつか読まれるべきものとして観念されている」という点に存します。出版文化も出版ビジネスも、この虚の需要を基礎にして成立しているのです。
p.164
※文中「虚の需要」には傍点。
<<<<<
いま、世上の多くの電子書籍論の多くは、書物=買う=読む、直線的に結びつけて考えているようにおもえてならない。だが、本は、「読む」ためだけに買うものであろうか。
少なくとも個人の蔵書というのは、読むためだけではないであろう。その本をいつか読む日の将来の自分の姿のために、いまから用意しておく、このような性質を持っている。
一方で、買って、即座に読んで、読み終わったら終わり、という意味での、きわめて実用的な本もある。本もいろいろ、本のあつめかた、買い方もいろいろである。
上記「虚の需要」だけが本の需要のあり方ではない。しかし、本というものの、少なくとも現在の、ある種のあり方を示していることは確かである。
これを音楽とくらべるとどうなるか。音楽の場合、ここでいう「虚の需要」を音楽配信は駆逐してしまった、といえるかもしれない。書物(電子書籍)も、このような運命をたどることになるのだろうか。
當山日出夫(とうやまひでお)
『日本語作文術』 ― 2010-06-10
野内良三.『日本語作文術』(中公新書).中央公論新社.2010
学生に作文の授業を教えている。いまの様子では、新しく、別に授業を担当することになりそうな雰囲気である。ま、来年度のことだから、なんともいえないが。
いま、教えているのは、「アカデミック・ライティング」。要するに、大学生に、まともな文章の書き方、あるいは、文書作成を教えるための授業。その練習として、この本、なかなかつかえるかなと思って読んだ。
特に参考になるかなとおもったのは、わかりやすい文章をかくためのいろんなテクニック。なるべく短い文で書く。たとえば、関係代名詞節などのおおきなものは、はじめの方にもってくる。読点のうちかたを工夫する。などなど。かなり、実践的に役にたつ。これを参考に、練習問題など、次年度からでも、当たらしく作ってみようかと思う。
なによりも書いて練習すること。これが一番である。ただ、文章の書き方の講釈を聞くだけでは、畳の上の水練。少しでも自分の手をうごかす……キーボードを打ってみる……ことが必要。それに、学生としても、ただ、講釈・解説を聞いているだけでは、90分がつまらないだろうし。
それから、この本でナルホドとおもったのは、いわゆる「かたい文体」の文章の書き方。論文は論文らしく書く…と、抽象的に言っても、なかなか説明しづらい。これが、「翻訳調」の文体で書くには、どうすればいいか。抽象的な概念を主語にもってくるなど、かなり具体的に書いてある。これは、参考になるかなと思う。
當山日出夫(とうやまひでお)
検定試験のこと ― 2010-04-10
アカデミック・ライティング、という名前の授業。学校側の方針としては、学生に検定試験をうけさせることになっている。検定料金は、大学の負担で、団体受験。
以前は、日本語文章能力検定を受検していた。これは、いまは中止である。なにせ、この団体の母体は漢検であるので、本家のほうがしっかりしないことには、どうにもならない、という事情なのだろう。しばらく、この試験は中断ということらしい。
で、昨年の後期は、言語力検定。これは、新しくはじまったばかり。レベルを見ると、高校生レベルまで試験しか設定していないのだが、これを大学生で受験ということに。これは、趣旨としては、そう悪くはないとおもう。PISAを意識して、その日本語版という位置づけのようである。ただし、これは、前期にはない。年に一回だけ、秋に実施のようである。つまり、前期はなし。
となると残るのは、日本語力検定、ということになる。これは、国語の試験とおもえばいいだろうか。レベルも各段階に応じてそろっている。これしかなさそうな気がするのだが、はたしてどうなるのだろうか。
まあ、学校の担当の先生と事務とで考えて決めることで、私がどうのこうのということではない。しかし、受験日程がきまらないことには、授業の方の予定がきまらない。受験日(団体受験)は授業日あつかいになるので、試験監督して出なければならない。
どうなるにせよ、はやく決まってほしいものである。
當山日出夫(とうやまひでお)
文章能力検定がどうなるか ― 2009-09-24
後期の授業の準備で、ひさしぶりに、文章能力検定のHPを見てみたら、秋以降の検定は、中止とあった。(予定が、くるう……)
日本語文章能力検定
http://www.kentei.co.jp/bunken/
まあ、文章能力検定の母体は、漢字検定だから、やむをえないとは思う。その一方で、日本語関係では、言語力検定、日本語検定、がある。ややこしい。来年から、どうなるのだろうか。
言語力検定 これはPISAを視野にいれている。
http://www.gengoryoku.jp/
日本語検定 これは普通にまともな日本語の文章が書けるように。
http://www.nihongokentei.jp/
大学生の作文教育、あれこれと考えるが、実践するには、ものすごくエネルギーが必要。文章なんか下手でいい。読める日本語を書いてくれ。そして、何を言いたいのか分かるように書いてくれ……
當山日出夫(とうやまひでお)
アカデミックライティング:さてどの本にするか ― 2009-05-02
アカデミックライティングの授業、3回は、オンラインでの添削(TA担当)。それに最後に、まとまった本を一冊読んで要約せよ、の課題をあたえることにしている。
だいたい3冊ぐらい選んで、そのうちどれか、ということにしている。
これまで、一つは、科学ジャーナリスト賞を得たものから選んできた。本を、一冊買っても死にはしないから(たぶん)、と言ってきた。とはいえ、新書本ぐらいが、課題図書としては、現実的な限界である。
他には、文学・文化・歴史などにかかわる本をえらぶ。とはいっても、中公新書の『アダム・スミス』は、文学部の2回生には、むずかしかろう。
さあ、どの本にしようか。
當山日出夫(とうやまひでお)
「が」という曲者 ― 2009-05-02
ひさしぶりに、なつかしいことばを目にした。
『『こころ』は本当に名作か』(小谷野敦)の、あとがきの最終ページ。
オリジナルは、清水幾太郎の『論文の書き方』(岩波新書)にある、
「が」を警戒しよう
の章。
これが、高校の教科書に採用されたとき、タイトルが変わって、
「が」という曲者
になった。
今でも、どんな論文の書き方のテキスト本を読んでも、かならず、「が」(接続助詞)については、注意書きがある。「~~が、~~が、~~が、……」と、だらだらと続けて書いてはいけない、と。
特に、日本語の作文のテキストというわけではない。しかし、より明確にものごとを相手に伝えるための文章技能のテキストとしては、
三森ゆりか.『外国語を身につけるための日本語レッスン』.白水社.2003
がある。この本など、かなり強く、文の論理構成の明確化を主張している。
個人的には、可能な限り、接続助詞「が」の使用は、さけている。とはいえ、このようなブログ記事を書くときには、なるべく気楽に書きたいので、つかってしまうこともある。だが、それは、他の言い方に書き換えることが、面倒で、そのままにしてしまうことが多い。
ところで、どうでもいいような話し。『外国語を……』の本、印刷は、精興社である。しかし、奥付の、印刷の会社名の表記で、「精興社」の「興」の字が、精興社字体になっていない。普通の「興」の字。
當山日出夫(とうやまひでお)
『論文の教室』 ― 2009-01-21
戸田山和久.2002.『論文の教室』(NHKブックス).日本放送出版協会
次年度の教科書のはなし。アカデミック・ライティングでは、あいかわらず、と言っては著者に悪いが、『論文の教室』を使うことにした。
これに代わる本がない、というの私の認識。一般的な視点から、見れば、この本の特徴は、「論理」の構造を、論理学的に、きちんとあつかっている、ということになる。私も、最初は、この視点で、この本を採用した。だが、実際に、読んで使ってみて、「要約」について、解説した本として、すぐれているという認識に変わった。
世の中に、「論文の書き方」「レポートの書き方」の本は、山のようにある。最近のものは、インターネットでの資料調査まで解説してある。このような、マニュアル本はあってもよい。
「論文は独創的なものでなければならない」、はたして、今の大学生にいきなり、このレベルの議論が通用するだろうか。私の実感として、否である。それよりも、まず大切なのは、与えられた文献(論文や書籍)を、的確に読み解くことの方だろう。『論文の書き方』の表現にしたがうならば、
問い+答え+論拠
のかたちに再構成して、「理解」することである。また、この方式にしたがって、「書く」ことができなければいけない。これが、まず、基礎教養であろう。
たしかに、部分的には、文体模写などの冗長な部分もある。だが、このような「あそび」を理解できないで、何が教養だ、とも言いたくなる。逆に言えば、この程度の「あそび」を理解できる以上のレベルの学生にとっては、ということになってしまうが。
いま、さかんに人文学の危機がさけばれ、また、FDが議論されている。いきなり、独創性をもとめるよりも、まずは、基本的な書物の読解力(アカデミックな視点から)、この基礎トレーニングが必要ではなかろうか。
ところで、著者自身は、この本を、教養小説と称している。これは、私見であるが、私の認識では、今の日本における、最もすぐれた教養小説は、『ルドルフとイッパイアッテナ』(斎藤洋.講談社)である。この『ルドルフ』のシリーズは、3冊とも我が家にある。というよりも、斎藤洋については、実はファンなので、子ども大きくなっても、自分で読むために買っている。
さて、『インパクトの瞬間』(清水義範、ちくま文庫)を読まないと。
當山日出夫(とうやまひでお)
『名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方』 ― 2009-01-05
2009/01/05 當山日出夫
鈴木康之.『名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方』(日経ビジネス人文庫).日本経済新聞社.2008
かなり以前に書いた、この本のことにつき、たくさんの方がトラックバックなど送ってくれている。私自身は、広告業界とは何のかかわりあいもない人間である。普通の、新聞の読者、である。それでも、この本を読んでから、自分のうちで、何かが変わったなと思うことがある。端的にいえば、広告を読むようになった。
そして、もう一つは、評価以前に、まず、相手に読んでもらえるようにすること、ということを強く意識するようになった。プレゼンテーションであれば、まず、聴衆に、関心を持ってもらえるようにするには、どうすればいいか、を考えるようになった。
これは、特に広告についてだけのことではない。学生の書くレポートについても同じであると、考える。
学生には、いささか脅迫めくが次のようにいう。
「君たちが、提出したレポートを、教員が、すべて丹念に読んでいるなどと思ってはいけない。多人数の講義などで、何百枚もあるようなレポートを、丁寧に読んでいる時間などあろうはずがない。まず、表紙を見る。大学指定の所定の表紙以外の場合(自分で書く場合)、そこに、タイトル・氏名・日付・科目名(曜日・時間・担当教員名)などが、きちんと書いてあるかどうか。最後を見て、脚注や参考文献リストの書き方が、ルールにのっとっているかどうか。それから、中身をさっとながめる。各パラグラフが数行~十数行程度で、きちんとならんでいるか。最初と最後のパラグラフを見る。それが、適切に対応して、問題提起・まとめ・アブストラクト、になっているかどうか。で、ようやく中身を読んでみようか……(と、私なら考える。)」
『名作コピーに学ぶ……』は、広告として、人目をひきつける文章の書き方についての本。だが、このような文章が書けるためには、その前提として、ごく普通の文章がまともに書けないといけない。
学生のレポートであれば、人目をひきつける(教員の目にとまる)ためには、奇をてらう必要など無い。むしろ、逆に、徹底的にオーソドックスに、当該研究分野でのルールに従った ドキュメントであることが望ましい。たいていの学生は、それを知らない。また、多くの教員も強いて教えようとはしない。したがって、きちんとアカデミックなルールに従ったドキュメントは、それだけで、おのずから目立つ。つまり、読んでもらえる、のである。
このような考え方は、このブログでもとりあげた、次の本にも共通する。
酒井聡樹.『これから学会発表する若者のために-ポスターと口頭のプレゼン技術-』.共立出版.2008
なお、『これから……』について、上記のような書き方をするのは、主に、人文学系(日本文学とか日本史など)の分野の流儀。分野によっては、『書名』とは、絶対にしない。これだけで、もう、読んでもらえない可能性がある。
読んでもらえるドキュメントを書くのは、難しい、のである。
當山日出夫(とうやまひでお)
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