DVD版「智証大師自筆文字史資料集」2011-06-06

2011-06-06 當山日出夫

この前の第104回訓点語学会(京都大学)での発表のときに言及していた、DVDがとどいた。

天台宗寺門宗教文化資料集成 国語・国文学編
園城寺蔵 智証大師自筆文字史資料集
園城寺編 三弥井書店 2011

定価をしるせば、7600円である。この価格であれば、普通なら、本となっている白黒写真の影印の部分だけでも、これぐらいになってしまう。それに、高精細画像の、(もちろんカラーの)画像データがDVDでついている。

園城寺としては、これは、しかるべき形で公開したい。しかし、独自にサーバを設置して、WEB公開するには、維持コストがかかりすぎる。将来的な安定が確認できない。であるならば、比較的廉価な価格で、DVD版で市販してしまうという方法がある。これであるならば、仏教学・日本語学関係の研究者でも、簡単に手にいれることができる。

ただ、仕様として、WEBブラウザで写真を一枚一枚見るようになっているので、自在に自分で写真を加工してというこは、基本的にできないようになっている。まあ、これは、書店が商品として売る以上は、ある程度、やむを得ないことかもしれない。

文化財のデジタルアーカイブというと、今の時代、すぐに、WEB公開の方向に発想がむかってしまう。しかし、WEB公開では、その維持管理のコストを考えなければならない。

実物は、厳然としてある。世に出すのは、デジタル版の複製である。このようにわりきれば、今回の園城寺の判断は、英断であるというべきであろう。実物の安全な保護と、その有効な学術利用とのバランスをかんがえたとき、DVD出版というのも、一つの選択肢である。

これからは、このような、デジタルデータの公開が、他の所蔵機関でもどんどん推進されることを願う。そして、このような資料をつかっての研究として、どのようなことが可能であるのか、考えなければならないと思うのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

デジタル学術情報流通の現状と課題2011-06-03

2011-06-03 當山日出夫

Twitterから流れてきた情報であるが。一般社団法人大学出版部協会というのがある。そこが出している冊子に、『大学出版』がある。そのバックナンバーが、インターネットで読める。

第86号(2011年5月)は、デジタル学術情報流通の現状と課題、という特集になっている。

目次は、

1●大学出版部のビジネスモデルを求めて
2●学術出版はどこへゆくのか
3●大学図書館の変化とロングテール
4●電子ブックと大学図書館

となっている。

PDFでダウンロードできる。

http://www.ajup-net.com/daigakushuppan

當山日出夫(とうやまひでお)

第6回WS:文字-電子書籍の夢、EPUBの現実-2011-04-30

2011-04-30 當山日出夫

文字研究会 第6回ワークショップ:文字-電子書籍の夢、EPUBの現実- が開催となる。この前に、このブログに掲載してから、プログラムの変更などが、すこしある。(発表者に、川幡太一さんがくわわった、など。)

https://sites.google.com/site/mojiken/activities/6th_ws

以下、プログラムの概要。詳細は、上記のURLからみていただきたい。

2011年5月7日(土) 13:00-17:50
花園大学 拈花館 202

[1] 電子書籍版『論集文字 第1号』の出版を終えて――編集上の諸問題
小形克宏
[2] EPUB2による『論集文字 第1号』制作の実際――日本語組版を中心に
大石十三夫
[3] リサイズとリフロー
安岡孝一
[4] EPUB3による日本語書籍制作の実際―日本語組版を中心に
石井宏治
[5] 青空文庫の注記にみる日本語表記とEPUB3(仮)
川幡太一
[6] スクリーンで読む新しい組版に向けて 講師全員によるパネルディスカッション

電子書籍に関心のあるかたの、参加に期待している。

當山日出夫(とうやまひでお)

ナビの地図が新しくならない2010-12-13

2010-12-13 當山日出夫

今の自動車につけているカーナビの地図の、次年度更新版が出ない(らしい)。買ってとりつけて、まだ、6年目になるのかな。まだまだ、十分につかえる。自動車の方だって、まだまだ、乗れる。

ナビをつけて運転する習慣になってしまうと、ナビも、自動車の重要な性能部品の一つである、ということを実感する。

地図の更新をストップしてしまえば、今後、いったいどうすればいいのか。まあ、もう少し安いタイプの機種で、最新のものに変更するぐらいしか対応策が思い浮かばない。

デジタルデータの、あるいは、デジタル機器の進歩はよいのであるが・・・まだまだ十分につかえるナビが、こうも簡単に陳腐化してしまうとは。ここで、メーカを起こってみてもしかたがない。デジタルデータというのは、所詮、このようなものである、ということを実感した・・・ということになるのであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

DVD版内村全集について書きました2010-09-14

2010-09-14 當山日出夫

このごろ書いているテーマというと、DVD版内村鑑三全集のことが多い。その最近のもの。

ニッシャ印刷文化振興財団
AMeeT

http://www.ameet.jp/

ここに、

デジタルアーカイブの現場から、のコーナーに書いている。DVD版内村鑑三全集のほかにも、電子書籍について、また、そこにおける印刷業の役割について、思うところをいささか述べてある。

當山日出夫(とうやまひでお)

丸善ライブラリーニュース2010-08-25

2010-08-25 當山日出夫

ようやく刊行になった。昨日、冊子のものが我が家にとどいて、今日になってオンラインでも読めるようになっていることを確認した。

丸善ライブラリーニュースに、短い文章を書いた。

丸善ライブラリーニュース
http://www.maruzen.co.jp/business/edu/lib_news/

私の書いたのは、電子書籍と知的生産、というタイトル。電子書籍について、思うところを、ややアマノジャクな視点から書いてみた、というところか。

iPadで電子書籍はいいのである。ただ、読み書きソロバン、という。つまり、〈読む〉と〈書く〉は、ワンセットで考えるべきではないだろうか。少なくとも、知的生産ということを考える場面では。

この観点からは、iPadのキーボードは果たしてつかいやすいというべきなのか。さらには、わざわざ、iPadにキーボードを接続してまで使用する意義があるのだろうか・・・それなら、最初から、マックブックでもつかえばいいように思えてしまうのであるが、いかがであろうか。

私は、電子書籍に対して、ラッダイトであろうとは思わない。しかし、新しいメディアとして、どのようなメッセージを伝えてくれるのかについては、まだ、手放しで礼賛する気にはなれない。ちょっと距離をおいて考えてみたいと思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)

電子書籍と印刷とジャパンナレッジ2010-08-22

2010-08-22 當山日出夫

やっと夏の一番いそがしい時期がおわって、すこし時間に余裕ができてきた。今日から、このブログも再回、夏休みも終わりである。

小学館の出している小冊子に『本の窓』がある。この9-10月号に、ジャパンナレッジに、『国史大辞典』がはいったいきさつの記事がのっている。吉川弘文館の社長である前田求恭さん、それから、ジャパンナレッジの社長である相賀昌宏さん、この両名の対談である。

まず、こういっては、みもふたもないが、出版社のPR冊子であるから、その分を適当に割り引いて読むことになる。しかし、そうでありながら、これはと気になる箇所もある。

『国史大辞典』が最初から、「デジタル」を視野にいれた出版を考えていたこと。そのスタートは、昭和40年にさかのぼるよしであるから、当然ながら、パソコンなど、何もない時代である。それが、具体的に、書物として刊行する段階になった時点で、「デジタル」を考えて、写植をえらんだ。その写植(その当時のことだから、いわゆるCTSになるのだろう)の会社が、東京印書館。

そして、その東京印書館が、同時にあつかっていたのが、同じく、ジャパンナレッジにはいっている、重要なコンテンツである、『日本歴史地名大系』。

『国史大辞典』『日本歴史地名大系』、いずれも、最初から、ジャパンナレッジのような形でのオンライン検索を念頭において編纂されたものではないであろう。しかし、最終的には、そのコンテンツをデジタル化することによって、新たな価値を生み出すことになっている。そして、そこで、重要な役割をはたしているのが、印刷業(この場合は、東京印書館)である。

書籍の印刷用のデータは、印刷業が持っている。

著作権は、著作者にあるだろうし、また、実際の編集実務は出版社になる。しかし、デジタルのデータが、どこに存在しているかとなると、印刷業にある。

たぶん、今年から来年にかけて、電子書籍は、おおきな動きをみせるだろう。そのとき、既存の出版社のみならず、視野にいれて考えなければならないのは、IT企業であり、図書館であり、そして、印刷業である、と思う。そして、私の見る範囲で、これらを、すべて総合して考察した電子書籍論というのは、まだ、登場していないように見うける。

少なくとも、電子図書館と、印刷業(書籍のデジタルデータを持っている)の存在をかんがえてこそ、現実に即した電子書籍の論が生まれるのだろうと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』2010-08-03

2010-08-03 當山日出夫

中西秀彦.『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』.印刷学会出版部.2010

いろいろいそがしくて読んでいる時間がないのであるが、今日は、とりあえずタイトルだけの紹介。『ブックビジネス2.0』と一緒に読みたい本である。CH研究会のつづきは明日にでも。

當山日出夫(とうやまひでお)

電子書籍とコピー2010-07-27

2010-07-27
當山日出夫

電子書籍についての議論があれこれとかまびすしい。そこから逃避したくなるほどであるが、そうもいかないので、こここは、アマノジャクな疑問をひとつ。

電子書籍というのは、コピーがどうなるのだろうか。コピーといっても、丸ごとコピーするのではない。たとえば、紙の本を読んでいて、必要だと思った箇所を、コピー機にかけて紙のコピーをとっておく、そのコピーである。

これが、昔なら、そこを写本したところであろうが、今は、コピー機がある。今は安い機種なら数万円。個人の書斎にあっても、おかしくない。

また、図書館であれば、(一定の制限はあるが)蔵書のコピーも可能である。いや、大学図書館などであれば、資料のコピーをとるために、学生がその蔵書をつかう、といってもよいかもしれない。いまでは、この、シンプルな、本のコピーということが、重要な、知的生産を支えるツールになっているといっても過言ではないだろう。

では、これが、電子書籍・電子図書館になったら、どうなるのか。コピー、ということはないから、プリントアウトということになるの。たとえば、iPadをプリンタにつないで、紙で保存してファイルしておきたいページをプリントアウトすることになるのか。

図書館だったらどうなるだろう。電子書籍のコピー(プリントアウト)は、どのような範囲で認められるのだろうか。

これまで、電子書籍について語ってきている人の多くは、出版関係者。純然たる読者、本を読む立場、あるいは、その本を読んでさらに何かをしようという人、そのような人の発言が、あまり聞こえて来なかったように思える。

しかし、本は読者とともにあってこそ本である。読者が何をもとめているのか、どんな本の読み方をするのか。その需要にこたえてこそ、電子書籍だろう。この意味で、単純素朴に考えて、現在の紙の本をコピーして資料を集めて、あるいは、それにペンで書き込みを入れて…という利用に、はたしてこたえるだけの用意があるのだろうか。

特に、大学図書館などでは、本のコピーができるかどうか…これは、非常に重要な論点であるはずである。さて、このあたりの議論は、いま、どうなっているのだろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

電子図書館の可能性(2)図書館は何を残すのか2010-07-17

2010-07-17 當山日出夫

電子図書館の可能性(国立国会図書館/関西館)で、質疑応答の時、私がした質問はつぎのようなもの。

電子書籍は、デバイスに依存する。紙の本であれば、100年後でも同じものとして見ることができる。しかし、電子書籍はどうか。今のiPadを、10年後、20年後に見ることが可能であろうか。

この質問に対する仲俣暁生さんのこたえは……コンテンツを分離して考えるべきである。電子図書館としては、そのコンテンツが残ればいい。デバイスは変わってしまっても、それは必然である。

これについて、さらに言うだけの時間はなかったのだが、ここで、私の思うことを書いておく。仲俣さんのこたえには、半分賛成できるが、半分は納得できない。

紙の本でも、実は、歴史的に見れば、デバイスの変革は経てきている。写本の時代から、版本の時代へ。さらに、活字印刷の時代に。たとえば、『万葉集』。はるか古代、現存する二十巻本の成立がどのようなものであったかは事情が不明であるにしても、少なくともいえることは、仮名(平仮名・片仮名)は無い時代。いわゆる万葉仮名の時代である。しかも写本。それが、仮名つきの表記に変わる時期がくる。それは写本の時代。その後、いろいろ変遷があって、近世になって版本がつくられ、近代になって、活字本になる。また、万葉仮名表記もなくなる。読み下し文での表記に変わる。

しかし、現在でも、古写本もいくつか現存しているし、版本も残っている。また、活字本でも、読み下し文のものもあれば、万葉仮名表記を保つテキストもある。これも、何種類かある。

そして、これら多様な、『万葉集』は、基本的に図書館で見ることができる。書物として。

写本・版本が、活字本になっても同じ本(同じ『万葉集』)である、という側面が確かにある。その一方で、万葉仮名表記を読み下し文に変えてしまったら消えてなくなってしまうものもある。それを残すテキストも必要。

さて、では、電子図書館は、何をどのようにのこすべきなのか。ただ、電子図書館は、現在流通している本の閲覧にだけ利用されるというものではないだろう。一つの役割として、本を残すということもある。このとき、のこすべき本とは、いったい何だろう。

本のコンテンツであるのか、本そのものであるのか。

国会図書館は、近世以前の貴重な写本・版本も所蔵している。これら、コンテンツが同じであるからかといって、新しい活字本があれば、不要になる、ということはない。これらは、モノとして残すべきものである。

近代の活字本についてもいえるだろう。やはり、モノそのものとしての本を残すことに価値がある。(そのための保存の一手段として、書籍のデジタル化という側面もある。近代デジタルライブラリーはそのためにある。)

何十年か後、21世紀の初頭の、電子書籍はどんなものであったのか、それ自体を、モノとして残す必要性は、「図書館」として、どのように考えるべきであるか。ここを単純に、コンテンツだけが残ればいい、と言えるだろうか。

さらにいえば、MLA連携ということがある。図書館においても、アーカイブズの機能が、なにがしか求められるとするならば、原型保存の原則は必須になる。つまり、オリジナルのもとの形のものを残さなければならないということである。

電子書籍になったとき、図書館は、本にとってどのような機能をはたすべきか。閲覧の機能もあるが、その一方で、本を保存しておくという機能もある。それが作成されたときの状態で、そのコンテンツを閲覧したいという要求にこたえることも、図書館にとっては必要なことではないであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

付記 2010-07-19
中俣→仲俣、人名表期を間違えていました。失礼しました。訂正。