モミジの種子2020-08-05

2020-08-05 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので写真の日。今日は花ではなく、モミジの種子である。

前回は、
やまもも書斎記 2020年7月29日
ユウゲショウ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/29/9272881

我が家にはいくつかのモミジの木がある。種類はいろいろとあるようだが、細かいところまでは分からないままでいる。そのうちのいくつの木は、春になると種子を見ることができる。見ていると、これはかなり長く残る。秋になって冬枯れという季節になっても、茶色くなったものを目にする。

梅雨があけてから、急に暑くなった。今年は、まだツユクサを目にしていない。例年、七月のうちには写真に撮っていたかと思うのだが、我が家のうちのツユクサのあたりを見てみても、まだ青い花を見ることがない。

そうかと思うと、百日紅の花が例年よりも早く咲いたようである。桔梗の花の咲くのは、逆に去年よりも遅かった。

どうも天候の不順ということが、身の周りの咲く花にも、いろんな形で影響しているようである。

雨の日がつづいて、それから急に暑くなったので、写真をとりに外に出かけるということがない。掲載の写真は、撮りおきのストックからである。

モミジ

モミジ

モミジ

モミジ

モミジ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2020年8月4日記

『源氏物語』(13)椎本・総角2020-08-04

2020-08-04 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(13)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(13)椎本・総角.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362093

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月3日
『源氏物語』(12)匂兵部卿・紅梅・竹河・橋姫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/03/9274836

第一三冊目である。「椎本」「総角」をおさめる。

「宇治十帖」を読んでいる。「桐壺」から順番に読んできて、「宇治十帖」になると、これは、色好みの物語ではない、と強く感じるところがある。むしろ、近代的な、恋愛心理小説に近いと言っていいかもしれない。

ここまでの主な登場人物は、薫、匂宮、大君、中君、である。この四人の、それぞれの思惑のいきちがい、微妙な心理の交錯が、宇治の里を舞台にしてくりひろげられる。

これまで読んできた印象としては、「若菜」(上・下)あたりから、『源氏物語』は大きく展開する。光源氏という当代随一の貴公子を軸とした、色好みの物語であったものが、人間の心理のうち、そのゆれうごき、すれちがい、といったことを綿密に見つめる筆致に変わっていく。特にそれを強く感じるのが、「夕霧」の巻ぐらいからである。

勝手な妄想をするならばであるが……「若菜」(上・下)を書いたところで、作者は、色好みの物語を書くことを、超越してしまったとも解釈できようか。といって、「宇治十帖」別作者説をとなえようとは思わない。ただ、『源氏物語』を順番に読みながら、それを書いている作者の、人間を見る目の深化というものを感じてしまうのである。

それから、「総角」における、大君の死の描写は印象的である。『源氏物語』には多くの人の死が描かれるが、そのなかでも特に印象に残る場面である。

大君が亡くなり、次は浮舟の登場となる。続けて読むことにしよう。

2020年7月1日記

『源氏物語』(12)匂兵部卿・紅梅・竹河・橋姫2020-08-03

2020-08-03 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(12)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(12)匂兵部卿・紅梅・竹河・橋姫.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362092

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月31日
『源氏物語』(11)横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/31/9273660

第一二冊目である。「匂兵部卿」から「橋姫」までをおさめる。

この冊を読んで思うことを書くならば、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、「匂兵部卿」「紅梅」「竹河」。

この三巻については、『源氏物語』の成立論においても、いろいろ問題のある部分であることは承知しているつもりである。その目で読むせいもあるのだろうか、やはり、これらの巻は、それまでの光源氏の物語と、筆致が異なるように感じられてならない。別作者とまで言う気はないが、もし、同じ作者……おそらくは紫式部……であったとしても、これらの部分は、独立して別に書いたとしか思えない。(はっきりいって、ここの部分は、読んでいてつまらないのであるが。)

第二には、「橋姫」。

ここから、いよいよ「宇治十帖」にはいる。確かに、ここにきて、文章が変わってきている。また、登場人物のおもむきもことなる。これまでの『源氏物語』の本編、それも「紫の上」系の物語であれば、そんなに大きくは登場しなかったであろう、弁の君など、それから、宇治とのつかいをする召使いなど……これらの登場人物の描写が、これまでの物語とは異なった雰囲気を作りだしている。

そして、仏教。本編でも、紫の上にせよ、光源氏にせよ、多くの登場人物は出家の願いをもっており、また、現に出家している。仏道へのあこがれといってよいか。

だが、薫の仏教への思いは、ちょっと違っていると感じるところがある。「宇治十帖」になって、この物語は、仏教への思いが異なってきている。このあたり、日本における、いわゆる仏教文学という観点から見るならば、『源氏物語』「宇治十帖」は、かなり異色の作品と言ってよいのではなかろうか。

つづけて「宇治十帖」を読んでいくこととしたい。

2020年6月29日記

追記 2020-08-04
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月4日
『源氏物語』(13)椎本・総角
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/04/9275173

『エール』あれこれ「ふたりの決意」(再放送)2020-08-02

2020-08-02 當山日出夫(とうやまひでお)

『エール』第5週「ふたりの決意」
https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_06.html

本放送のときのことは、
やまもも書斎記 2020年5月10日
『エール』あれこれ「ふたりの決意」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/10/9244938

前回は、
やまもも書斎記 2020年7月30日
『エール』あれこれ「愛の狂騒曲」(再放送)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/30/9273258

この週で、裕一は音楽家になる決意をかためることになる。レコード会社との契約も、なんとかなった。これは、ひとえに音のがんばりであった。

いろいろ印象に残るシーンがあるが……東京に出ることになる裕一を見送る父の三郎との別れの場面が印象的であった。三郎は、東京に出る裕一を暖かく見守っている。

そういえば、このドラマ、これまでのところ……通常の放送を見てのことだが……敵役というような人物があまり出てきてはいない。いい人ばかりということでもないのだが、そんなに悪い人もいない。殆どの登場人物は、裕一と、それから音のふたりのことを、応援している。ただ、その思いは、立場によって様々である。

父親は父親として、また、母親は母親として、裕一のことを思っている。また、藤堂先生や、銀行の仲間たちも、裕一の味方といっていいだろう。無論、この週の、副音声の解説を担当していた鉄男も、その後、裕一とともにあゆむことになる。

これからの展開は、以前の放送で見て知っているのだが……結局、裕一は、周囲のひとびとにめぐまれていることになる。ただ、あまり無かったかもしれないのが、運のめぐりあわせ、ということかもしれない。(それも、最終的には、ヒット曲を出すことでなんとかなるのだが。)

このドラマ、古山裕一という一人の作曲家の物語でありながら、妻の音をはじめとする、周囲の人びとの物語でもある。ただ、あまり時代的背景とか世相とかという部分は描かない方針のようではある。

ともあれ、次週から、東京での作曲家生活がスタートすることになる。新たな登場人物として、バンブーの夫婦も出てきた。今後の展開を、もう一度見ることにしよう。

2020年8月1日記

オンライン授業あれこれ(その一四)2020-08-01

2020-08-01 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月25日
オンライン授業あこれこ(その一三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271484

水曜日ごとに教材の配信などしている。この週は、最後のまとめと、それから、四回目のレポート課題。

さきほど確認してみたところ、LMSを見ている学生の割合は、半分ほど。前期の授業もおわりにちかづいたので、LMSを確認しておこうという学生が、ちょっとは増えたのかもしれない。

しかし、すでに三回のレポートは締め切ってしまっている。また、それに対する講評……どんなことが書いてあればいいのか……について、示してある。遅れて提出しても、もう無理である。

四回のレポートの課題としたことは、ほぼ、例年の前期試験の問題の出題と重なっている。普通の授業ができたのと、おおむね同じ程度のことを、レポートに書いたことになる。これを、四回、きちんと提出してくれていれば問題ない。今のところ、まったく見当外れな内容のレポートというのはあまりない。

まあ、中には、配信した教材をまったく読まずに勝手に調べて書いたと思われるものがあったりしたが、そのようなものについては、その旨を注意しておいた。たしかに自分で本を読んだりして勉強することは悪いことではない。しかし、その前に、まずこちらが配信したことがらに目を通して、その上で何かを言うのでなければならない。

今のところ、夏休みあけ、後期のことはまったく不明としかいいようがないのだが、楽観的になる要因はほとんどない。現状のままで推移するなれば、たぶん、後期は、一部の授業を除いてオンラインで、ということになるだろう。

それにそなえて、学生の方が、インターネットの回線の整備とか、パソコンの準備とか、してくれているのならいいのだが、はたしてどうだろうか。依然として、スマホのまま。あるいは、スマホも持っていない。このような状況が継続するようなら、授業のライブ配信ということは、ためらってしまう。

それに、送信された画像を見て、それで授業を受けた気持ちになってしまうということも、また困ることである。これを考えてみるならば、教材資料をとにかく読んで、レポートを書くというのが、一番確実に学習につながる方式ではあるのかとも思う。

ともあれ、後期からの授業がどうなるかは、その時になって考えることにする。

その前に、最後のレポートをきちんと提出してくれるのを待っていることにする。その上で、これまでに提出されたものを、再度チェックして採点・評価ということになる。

2020年7月31日記

『源氏物語』(11)横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻2020-07-31

2020-07-31 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(11)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(11)横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362091

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月26日
『源氏物語』(10)若菜 下・柏木
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/26/9271853

第一一冊目である。「横笛」から「幻」までをおさめる。

この冊を読んで思うことは、次の二点ぐらいになるだろうか。

第一には、特に「夕霧」の巻における心理描写。

『源氏物語』も、「若菜」(上・下)をすぎると、その筆致が変わってくるのを感じる。特に、「夕霧」の巻になると、これはもう、近代の心理小説のおもむきがあるといってもよい。勝手に妄想してみるならば、『源氏物語』を書いてきた作者……おそらくは紫式部……は、「若菜」(上・下)の巻を書き切って、次のレベルに達していると感じることになる。

「夕霧」の巻における、色恋は、もはや光源氏の物語における色好みではない。夕霧、一条の御息所、落葉の宮、それから、雲井の雁などの登場人物の、おりなす心理劇のドラマである。それぞれに、思うことが、微妙にすれ違っている。その心理の綾を、この物語の作者は、見事に描ききっている。このような心理劇のドラマが、平安の時代に書かれていたということは、これは驚きと言っていいことだろう。

第二には、紫の上の死。

「御法」で紫の上は亡くなり、「幻」でそれを追慕する光源氏の一年が描かれる。ここを読むと、この『源氏物語』という物語が、まさに紫の上の物語であったことを、しみじみと感じることになる。これをうけてのことだろうが、その後の光源氏のこと、特にその死のことは、物語では書かれずに終わっている。

これは、そのように意図したことだろうと感じる。それほどまでに、紫の上の死の描写は印象的である。

これから、この物語は、光源氏の死の後のことを描き、次の「宇治十帖」がはじまる。紫の上の死で、この物語は、いったんのとじめとなると感じるところである。

2020年6月29日記

追記 2020-08-03
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月3日
『源氏物語』(12)匂兵部卿・紅梅・竹河・橋姫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/03/9274836

『エール』あれこれ「愛の狂騒曲」(再放送)2020-07-30

2020-07-30 當山日出夫(とうやまひでお)

『エール』第5週「愛の狂騒曲」
https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_05.html

本放送のときのことは、
やまもも書斎記 2020年5月3日
『エール』あれこれ「愛の狂騒曲」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/03/9242126

前回は、
やまもも書斎記 2020年7月23日
『エール』あれこれ「君はるか」(再放送)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/23/9270850

水曜日は花の写真の日にしているので、掲載が今日になった。

再放送は、副音声の解説がある。この週は、ミュージックティーチャー御手洗だった。聞いていて気付いたことは、タイトルの「狂騒曲」は、「ラプソディー」と読むらしい。これは、ミュージックティーチャーだけではなく、次の週に放送の鉄男の副音声解説でも同様だった。

「愛の狂騒曲(ラプソディー)」で印象深いのは、やはり豊橋の関内の家での、裕一、音、光子、それから、三郎の、コミカルな回である。コメディでありながら、裕一と音との思い、光子の母としての思い、また、三郎の父としての思いが、情感深く描かれていたと感じる。

そして、最後の、海辺のシーンがいい。このドラマでは、これまで何回か海辺のシーンがあったが、どれも心に残るものである。また、再度見ても、祭りの手筒花火のシーンは迫力があった。

再放送で、副音声で解説があるので、それを聞きながら見ている。この解説が面白い。特に、ミュージックティーチャーの週は、まさに役のキャラクターで語っていた。次の週の解説は、鉄男である。これも楽しみに見ることにしよう。

2020年7月27日記

追記 2020-08-02
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月2日
『エール』あれこれ「ふたりの決意」(再放送)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/02/9274498

ユウゲショウ2020-07-29

2020-07-29 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真。今日は、ユウゲショウである。

前回は、
やまもも書斎記 2020年7月22日
藤の花
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/22/9270531

このところ、六月から七月にかけて、雨の日が多い。ちょっとカメラを持って散歩に行くという感じではない。撮りおきのストックからである。

ユウゲショウ、漢字でかけば「夕化粧」である。だが、この花は朝の早いうちから咲いている。特に夕方になって咲くということではないようだ。

日本国語大辞典(ジャパンナレッジ)を見る。「ゆうげしょう」の項目はあるのだが、この花のことは出ていない。(2)として、「おしろいばな」の異名とあるのだが、しかし、「おしろいばな」とは違っている。

図鑑などを見ると、この花のことは、「あかばな」「あかばなゆうげしょう」ともいったりするようだ。「あかばな」で検索をしてみると、この語では見出しがある。用例としては、語彙(1871~84)、日本植物名彙(1884)にある。

WEBなどの検索では、「ユウゲショウ」の方が優勢のように見受けられる。どうも、この花の名前ははっきりしない。

ともあれ、毎年、春から夏にかけて、空き地や路傍に咲く。

ユウゲショウ

ユウゲショウ

ユウゲショウ

ユウゲショウ

ユウゲショウ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2020年7月28日記

追記 2020-08-05
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月5日
モミジの種子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/05/9275488

「大河ドラマの舞台裏」2020-07-28

2020-07-28 當山日出夫(とうやまひでお)

まだ麒麟はこない。予定では、8月30日から放送再開ということらしい。それまでのスペシャルである。

「麒麟がくる」までお待ちください~キャスト・スタッフが明かす大河ドラマの舞台裏
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-07-26&ch=21&eid=24213&f=6516

日曜日の夜の放送。録画しておいて、翌日の朝に見た。

ここ一〇年の大河ドラマをとりあげて、その制作の裏話であった。これは見ていて、なかなか面白かった。特に、美術とか小道具とかのこだわりが、なるほどそこまで凝って作ってあったのか、見ていて全然気がつかなかった……というものが多くあった。

個人的には、ここで取り上げられた大河ドラマは、ほとんど見ている。そんなに熱心に見たということもないのもあれば、面白いと思って見ていたものもある。私が面白いと思ったのは、『八重の桜』、それから、『真田丸』であろうか。これらは、幕末・明治維新、あるいは、戦国時代を描く、新たな視点があったように思う。何よりも脚本がよかったと感じている。

視聴者には、そんなに細部にわたって分からないであろうところまでこだわって作るのが、総合的に、いいドラマに仕上がっていくということなのだろう。

そして、重要だと思ったのは、歴史のドラマであるということで、綿密な時代考証と同時に、これは、フィクションであるということが大事かと思う。無論、そのフィクションの裏には、しかるべき歴史観というものがあってのことである。

さて、「麒麟がくる」は、とりあえず放送再開ということである。しかし、撮影は、COVID-19に配慮するとなると大変だろうなあ、と思ってしまう。無事に撮影が進行するようにと、つくづく思った次第である。

「麒麟がくる」においても、普通に見ているだけでは気付かない、セットや衣装のこだわりというものがあるのかと思う。そのようなこだわりが製作の現場にあるのだということが、よく伝わってくる番組だったと思う。

2020年7月27日記

『志賀直哉』(ちくま日本文学全集)2020-07-27

2020-07-27 當山日出夫(とうやまひでお)

志賀直哉

志賀直哉.『志賀直哉』(ちくま日本文学全集).ちくま書房.1992

この本は、今では売っていない。古本で買ったものである。現在では、「ちくま日本文学」四〇巻として、装いを新たに刊行されているものである。

志賀直哉については、最近では、新潮文庫版で短篇集を読んでいる。

やまもも書斎記 2020年6月13日
『清兵衛と瓢箪・網走まで』志賀直哉/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/13/9256935

やまもも書斎記 2020年6月19日
『小僧の神様・城の崎にて』志賀直哉/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/19/9259113

筑摩版で読んでおきたいと思ったのは、その本文校訂の違いを確認しておきたかったからである。見ておきたかったのは、「タ」「ト」の小書きの仮名。これが、新潮文庫の『清兵衛と瓢箪・網走まで』では、小さい仮名で印刷されているのに対して、同じ新潮文庫でも、『小僧の神様・城の崎にて』では、普通の大きさの仮名になっている。

これが、著者(志賀直哉)自身の表記法の変化によるものなのか、あるいは、文庫本に作るときの編集方針によるものなのか、気になった。近年の志賀直哉の刊行物ということで、筑摩書房版の本を見ることにした。

読んでみると、筑摩書房版では、全編にわたって、「タ」「ト」は小書きになっている。どうやら、新潮文庫の編集のときに改めたらしい。(ここは「全集」など確認すべきところであるのだが、今、大学の図書館が自由に使える状況にない。)

この小書きの仮名「タ」「ト」であるが、「ト」の方は、アイヌ語用の仮名ということで、JIS規格「0213」できまっている。今の普通のパソコンでも使うことができる。しかし、「タ」の方は、文字がない。

現代の出版物であっても、大正から昭和戦前の作品を刊行しようとすると、文字の問題があることになる。

それはともかく、ちくま日本文学全集版『志賀直哉』である。これは、ほぼ一気に読んでしまった。月並みな言い方だが、やはり、志賀直哉は、「小説の神様」と言われるだけのことはある。短篇である。そして、波瀾万丈のストーリーという類いの作品ではない。日常的に、普通の生活のなかで感じるような出来事が、淡々と描かれる作品が多い。

そのなかで、ドラマチックな筋立ての作品というと、「剃刀」とか「氾の犯罪」ぐらいが思い浮かぶところかもしれない。

「城の崎ににて」などは、小説ともエッセイともつかない、微妙なところになりたっている作品である。

やまもも書斎記 2016年6月23日
志賀直哉『城の崎にて』は小説か随筆か
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/23/8117250

どの作品も、面白い。いや、そうではなく、このような志賀直哉の小説……あるいはエッセイのような作品……を、面白いと感じるようになってきたということなのであろう。はっきりいって、若いときには、「小僧の神様」「清兵衛と瓢箪」など、それなりに面白く読んだという記憶はあるのだが、それほど志賀直哉の作品に傾倒するということはなかった。しかし、今になって読んでみると、どの作品も、しみじみと味わい深いものがある。

余生の楽しみの読書である。ちくま日本文学のシリーズなど、順番に読んでいってみようかと思っている。

2020年7月26日記