『ばけばけ』「マツエ、スバラシ。」2026-02-08

2026年2月8日

『ばけばけ』「マツエ、スバラシ。」

ヘブンさんは、松江を去る決心をしたようである。

その理由は、いろいろとあるようだ。

一つには、松江の冬の寒さである。その前の松江の冬は記録的な寒さだった。この冬はどうなるかわからないが、ヘブンさんにとっては、松江の冬は、とても耐えられないということなのだろう。

それから、松江の街における、ヘブンさんとおトキ、松野の一家をめぐるウワサがある。おトキはラシャメンである、というウワサがたって、ヘブンさんたちの生活にも支障が出る。こんな松江の街は離れたいというのが、おそらくは、ヘブンさんの本当の気持ちかもしれない。

この時代(明治の20年過ぎ)の松江の街だったら、おトキのような境遇の女性が、ラシャメンと思われても、これはこれで自然なことだっただろう。また、借金をかかえた没落士族の娘が、お金持ちと結婚して、ということもあっただろう。結婚ということではなく、妾ということも実際にはあったかと思われる。

現在の価値観では、結婚ということを、あまりにも杓子定規に考えすぎるところがある。明治のこのころであれば、もうちょっと違ったものだったかとも思われる。これは、日本における婚姻史、家族史、というようなことになるのだが、どれぐらいのことが分かっているだろうか。すでに戸籍の制度はあったが、形式的に戸籍に記載するかどうか、ということと、実際の人びとの生活の感覚は違っていたとも思える。

だが、ドラマの作り方としては、ラシャメンと呼ばれ、世間から非難されるようになったおトキをかばうヘブンさん、ということで作ってある。これはこれで、現在におけるドラマの筋書として、こうであってもいい。

そのウワサも、食い逃げ知事に変わり、それも、力士の心中事件に変わっていく。人のウワサとは、こういうものである。

それよりも、この脚本でたくみだなと感じるのは、最後の金曜日に、ヘブンさんとおトキが怪談を、フミさんから聞くシーン。お城の城壁の人柱になった女性の話であった。松江の街には、このような残酷な話が、地下に埋まっている。

宍道湖のほとりをヘブンさんとおトキが散歩していた。二人が一緒に散歩できる日常がとても大切なものとして描かれている。だが、このような日常は、非常にもろいものでもある。

日常の平穏は、人のウワサで壊れてしまう。また、その街には、過去の残酷な歴史があってのことでもある。ごく普通の日常の生活の大切さを描くということでは、このドラマは、一段と深いところから見ていることになる。

錦織は、松江の中学校の校長になるようだ。実際には、帝大を卒業していないのだが、そこは、江藤知事の辣腕でことをはこぶらしい。

教室で、錦織は、「帝大を出た庄田先生や私も……」と言っていた。これは、微妙な言い方である。「帝大を出た」が「庄田先生」だけにかかるのか、「庄田先生や私も」までふくめてかかるのか、どちらともとれる言い回しなっている。

錦織の弟(中学生である)は、兄の経歴について知っているはずだが、さて、どうなるだろうか。

借金も返したし、ヘブン先生の本もできたし、錦織も校長になりそうだし、おそらく、松江をはなれる準備はできたということでいいのかと思う。

このドラマは、画面が暗い。月曜日の、借金を返し終わったときのパーティーのシーンは、夜になっていたが、ランプや行灯の照明だけの演出であった。実際には、もっと暗かったかもしれないが、たぶん、昔の夜の室内は暗かったということに作ってあった。普通のドラマだと、料理のメニューが分かるような明るい画面に作るところだが、『ばけばけ』では、おそらくは意図的に夜のシーンは、暗いものにしている。怪談の蝋燭もそうである。昔の人の、夜の暗さについての感覚を描こうとしていると理解していいだろう。

登場人物が日常の生活で手を動かして仕事をしている、ということは、ドラマのリアリティにとって、とても意味がある。この週では、おトキが、台所でお米をといでいる。洗ったお皿を布巾でふいている。神棚の灯明に火をともす。また、ヘブンさんの本がとどくときには、廊下の雑巾がけをしていたりする。こういう日常的な家事の所作が、それらしく(明治のころの松江のヘブンさんの家らしく)描かれているということは、意味がある。

ちょっと気になることとしては、ヘブンさんとおトキたちが困っているなら、花田旅館の人たちが、助けに来てくれてもいいかもしれないと思えるのだが、登場していなかった。花田旅館では、ウメさんがどうなるかということも気になる。そろそろお見合いの話があってもいいかもしれない。

月曜日、雨清水のおタエ様のところに、ヘブンさんからお金がとどけられていた。おタエ様たちの生活も、なんとかなっているようだ。このときに映っていた、封筒には、ヘブンさんの字で雨清水様とあって、ハンコがおしてあった。以前に、おリヨ様と一緒に作ったハンコだろう。ヘブンさんは、大事に持っていたことになる。こういう小道具の使い方が、うまいと思う。

2026年2月7日記

『マッサン』「内助の功」2026-02-08

2026年2月8日 當山日出夫

『マッサン』「内助の功」

この週で、マッサンは、住吉酒造を辞める。

ウイスキー作りを会社の仕事として認めてもらえるように、マッサンは、いろいろと画策するし、エリーも助けるのがだ、結局、株主の同意を得ることができなかった。

ウイスキーの製造には、原酒を造るための初期投資がかなりかかる。そして、それが、製品として売れるようになるには、さらに数年の熟成期間が必要である。

これは、毎年、作って売れる日本酒とか、ワイン(これも年代物ということはあるが)のようにはいかない。会社として、将来どうなるかわからないことに、多額の投資をすることは避ける、というのも、賢明な判断かもしれない。

ところで、気になるのは、住吉酒造は、太陽ワインが、メインの商品ということなのだが、これは、どんなふうにして作っているのだろうか。ドラマの筋として、ウイスキー作りがメインであるから、その工程については説明があったのだが、この時代の、日本のワインの作り方や販売については、まったく説明がない。ここは、ドラマを作るうえで、手をはぶいたところかとも思うのだが、できれば、ワインについても、どうだったか説明があった方がよかったかと思う。

エリーは、なんとかマッサンの役に立とうとするのだが、今のところ、家のこと(家事)ぐらいしかすることがない。せいぜい、ウイスキーにあう料理を、日本の食材で考えることぐらいである。

全体的に見て、このドラマの前半では、マッサンはポンコツであるのだが、しかし、こんなポンコツの男が、北海道に行って本格的にウイスキーを作るようになるのは、これからの楽しみということになる。

2026年2月7日記

『どんど晴れ』「競い合いの決着」2026-02-08

2026年2月8日 當山日出夫

『どんど晴れ』「競い合いの決着」

結局、彩華は、夏美との女将修行の競争に負けをみとめて、加賀美屋から去って行った。こうなるであろうことは、あらかじめわかっているというか、十分に予想できることなので、そうだろうなあと思って見ていたことになる。

ちょっと気になることがある。

彩華のお母さんの病気は、どうなのだろうか。高額の治療費が必要というような病気なら、そう簡単に退院してということは難しいかと思うが。

また、その治療費のために、彩華が、借金取りに追われているということだったが、これは、きちんと法的に決着をつけておいた方がよかったかと思うところである。そのための、弁護士とかのことを、柾樹が相談に乗る、という筋であった方が、納得できる。

それから、やはり気になるのが、柾樹のこと。これまでのドラマの内容だと、横浜のホテルで、イベント関係の仕事をしてきているのだが、具体的な接客とか、ホテルのサービスに関することとか、あるいは、ホテルの経営についてとか、具体的にかかわってきて知識と経験を積んできたということではない。それで、加賀美屋にもどって、盛岡の老舗旅館のおもてなしとはいかなるものか、ということを論じても、あまり説得力がない。

次週以降、加賀美屋の経営の改革を手がけるということなら、この時代のこととしては、柾樹がMBAの資格を持っているぐらいの設定の方がいいのかもしれないとは、思うところである。

2026年2月7日記

ブラタモリ「東京・赤羽▼都内で大人気!せんべろの町・赤羽はどうできた?」2026-02-07

2026年2月7日 當山日出夫

ブラタモリ 東京・赤羽▼都内で大人気!せんべろの町・赤羽はどうできた?

近年になって、ようやく、東京の戦後の歴史ということが、かなり語られることが多くなってきたかと感じる。戦後の闇市については言われることがあっても、それが、その後、どうなっていったか、また、そもそも、闇市とはどんなところで、どこにどうやってできたのか、ということは、あまり一般に語られることがなかった。

赤羽のせんべろは、知られていることだが、闇市の後にできた飲み屋街が、東京の中で残っている事例ということになる。こういうことで、一番、知られているのは、アメ横であるが。

駅の近くという場所が、戦時中の建物の強制疎開があり、空襲があり、また、戦後になって、交通の便のこともあって、さまざまな闇市ができてきた、ということは、分かりつつあること、オープンな情報になりつつあること、という認識でいいだろうか。

(邪推かもしれないが、闇市の実態がこれまであまり語られてこなかったのは、ヤクザなどの利権がからんでいたということもあるだろうし、また、現実的な問題としては、土地の権利のこともからんでのことかとも思っている。はたしてどうだろうか。)

赤羽の近くに、軍需関係の工場が多くあったことは確かなのだが、それを、戦後になって、団地にできた理由は、ただ跡地があったから、というだけのことなのだろうか。工場は、空襲の被害を受けたのだろうか。さらには、団地として再開発するときの、土地の利権なども、気になるところである。

線路や駅をはさんで、まったく違った街になっているということは、珍しいことではない。品川もそうだし、田町もそうである。(私は、学生のとき、田町駅の向こう側に行くということが、まったくなかった。)こういうことは、川などについても観察できることだろう。

昼間から営業している飲み屋さんというのは、現在では珍しいことになっているかもしれないが、工場などがあって、夜勤あけの労働者層を相手の商売だと、朝から酒の飲める店は、需要があっただろうし、今でもあるだろう。お酒を飲むのは、夜になってから、というルールのようなものが、社会のなかにできたのが、むしろ新しいことというべきだろう。今だと、例外は、結婚式の披露宴ぐらいだろうか。

昔の団地の建物を残してあるのは、とても面白い。

団地妻ということばは、もう死語といっていいだろうか。私は知っているが。

赤羽のエリアの歴史は、日本の近代から現代への歴史を凝縮したところがあるといってもいいのだろう。

2026年2月2日記

クラシックTV「心おどる!3拍子の世界」2026-02-07

2026年2月7日 當山日出夫

クラシックTV 「心おどる!3拍子の世界」

単純に考えてであるが……人間が、二本の手と、二本の足を持って動いていることを考えるならば、二拍子というのが、もっとも原初的なリズムなのかと思うが、どうなのだろうか。

芸術として考えることもあるのだが、人間の生物としての側面を考えてみることも、無意味ではないだろう。三拍子だと、終わらないから、踊りが続いてしまう……これは、人間として、ごく自然なことかもしれない。

こういうようなことは、民族音楽の研究の領域などでは、どう考えられているのだろうか。あるいは、現在に残っている民族音楽は、それぞれに洗練されたものであるので、何をもって原初的というかは、難しいのかとも思うが。(これは、現在に残る、人間の文化一般についていえることかとも思う。原初的な言語、ということは、現在の人類の言語についてはいえない。)

子守唄が六拍子であるというのは、面白い。これも、世界にある、いろんな子守唄という歌を集めれば、何か言えることがあるのかとも思う。(もう、こういう研究はすでにあるだろうと思うが。)これは三拍子の倍、ということで見ることもできるが、偶数であることも意味があるのかもしれない。

音楽と人間の身体性ということについて、いろいろと面白いことがあるにちがいないと思う。私は、こういうことにはまったく不案内なのだが。

経験的に感じることとしては……赤ちゃんを寝かしつけるとき、とにかく等間隔でトントンしてあげることになるが……その中でも、トントントン、トントントンと、三拍の連続が一番いいようである……人間の持っている感覚と、どう関係してのことなのだろうか。(自分の子ども三人と、孫二人については、そう思っている。)

2026年2月3日記

アナザーストーリーズ「韓国を席巻! 映画『Love Letter』の衝撃」2026-02-07

2026年2月7日 當山日出夫

アナザーストーリーズ「韓国を席巻! 映画『Love Letter』の衝撃」

『Love Letter』は見ていない。日本で、そう大きな話題になったという記憶がない。(もう、このころだと、ほとんど映画は見ないようになっていたかと憶えている。自動車に乗って出かけて、街中の映画館まで行くのが、とても面倒なのである。)

この映画より前、韓国という国では、公の場では、日本語の歌を歌うことが禁じられていた。こういう時代があったことを知っていると、日本の映画や、サブカルチャーを愛好する韓国の人たちがいて、また、その一方で、韓国のアーティストのファンである日本の人びとがたくさんいるというのは、つくづく、時代が変わったなあと思うことである。

むか~し、大学生のころに、朝鮮語(私は、言語の名称としては朝鮮語ということにしている)を勉強していたころには、まったく想像することもできなかった。

日本の映画としては、日常生活の細やかな感情を静かに描く……という流れがある。代表的なのは、小津安二郎なのかと思うが、成瀬巳喜男なども、そうだろうか。

『Love Letter』は、AmazonPrimeで見られるし、4KリマスターのDVDもある。さて、見てみようかと思う気もないではないが、さあ、どうしようかというところである。

2026年2月5日記

よみがえる新日本紀行「木曽森林鉄道〜長野〜」2026-02-06

2026年2月6日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「木曽森林鉄道〜長野〜」

再放送である。2023年。オリジナルは、昭和48年(1973年)。

王滝村、という名称に見覚えがあるのだが、御嶽山の噴火のときのニュースで憶えたのかと思う。

森林鉄道が、地域の住民の生活の足であった……こういう歴史があったということで、貴重なことであろう。

おばあさんが、木材を積んだ森林鉄道の上に、からかさをさして乗っていた、と言っていた。今では、からかさ、という言い方がすたれてしまった。今日の普通の雨傘のような形態のかさである。そうではなく、頭にかぶるかさは、特別に言わないといけなくなっている。

この集落の家は、(映っていた範囲では)瓦葺きの屋根がみあたらない。これは、現在でもそのようである。昔は、木の板でふいた屋根の上に石がおいてあった。これは、冬は非常に寒くなるが、豪雪地帯ではないということになる。雪がたくさんつもるところだと、このような屋根は危険である。雪の重さもあるし、雪が屋根から落ちるときに、石も落ちるとあぶない。

森林鉄道は、週末や祝日は運休する。そのようなときでも、郵便配達は、やってくる。歩いてである。日本の郵便配達のインフラは、このような山間僻地(といっては悪いかもしれないが)でも、歩いて配達する郵便局員がいてなりたっていた。この郵便の制度も、もう現代では、維持することが難しいことになったかもしれない。採算という観点では、割に合わないことである。制度があるというだけではなく、働く人がいて、道がある、ということでもある。

理髪車というのは、初めて見たかもしれない。人間の髪の毛は、(はげでないかぎりは)一定の速度で伸びるものだから、理髪業というのは、人間が住んでいる限り、需要のある商売であるといっていい。理髪車の営業について、保健所がとまどったということなのだが、今ならどうだろうか。自動車を使った、移動式の理髪業などは、地域の事情によってはあることだと思うが、どうなのだろうか。

森林鉄道は無くなってしまって、今は、自動車の時代になっている。それでも、最低限の交通インフラがあれば、人は生活していける。この村が故郷であるという人にとっては、やはり、一番いいところであるにちがいない。

現在、この地域の林業はどんなふうになっているのだろうか。木曽の林業は、江戸時代の紀州藩の管理下で、守られてきたと思うのだが(島崎藤村『夜明け前』)、今では、どうなっているのか、気になるところである。

2026年2月4日記

ウチのどうぶつえん「シゴト イロイロ」2026-02-06

2026年2月6日 當山日出夫

ウチのどうぶつえん シゴト イロイロ

これは面白かった。動物は出てきていないのだが、動物園の仕事、バックヤードは面白い。

動物園の展示パネルは、あまりしげしげと見たということがないかと思う。せいぜい、展示されている名前を確認するぐらいである。展示パネルの工夫とか、ほとんどしていないのが、私の見た範囲だと、京都大学の白浜の水族館である。この水族館の方針は、ある意味でとてもいさぎよい。

カワウソが夜行性であるとして、まあ、昼間に見に行けば寝ているだろうということになる。昼間に寝ている姿を見るのも、これはこれでいいかと思う。

動物園に専属のデザイナーがいて、いろいろと工夫しているのは、とても面白い。デザインのセンスの問題もあるし、対象となる動物について知識も必要だろう。それを、どういうお客さんに向けて説明するのか、というターゲットの設定のこともある。

水族館の配管というのは、とても気になることだが、難しいことだろう。飼育するお魚などによって、水(淡水、近所の海の水、遠くの海の水)を使い分けなければならない。こういうことができるのも、この品川の水族館だからということもあるのかもしれない。水族館の水の循環利用の施設の管理も、その職員の仕事になる。専門の業者にやってもらうこともあるかもしれないが、自分たちでなんとかしているというのは、こういうのも水族館の仕事かなと思う。

日本モンキーセンターは、まだ行ったことがない。ここは、一度、行ってみたいと思っている。おそらく、現在の日本では、サル研究の中核的な存在になっているのだろう。

死んだサルたちの標本……骨格のみならず、内臓や毛皮などをふくめて……きちんと残しておくということは、将来のことを考えると、とても意味のあることにちがいない。個体識別できていて、その飼育の履歴のデータも、きちんと残っているということは、非常に貴重なことだろう。

こういう仕事をふくめて、動物園の運営コストであるということは、広く社会に理解されるべきことと思う。

2026年2月2日記

BS世界のドキュメンタリー「戦火をかけ抜けた“ヘル・ジャンパー” ウクライナ 国際救出ボランティア」2026-02-06

2026年2月6日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー「戦火をかけ抜けた“ヘル・ジャンパー” ウクライナ 国際救出ボランティア」

2024年、イギリス。

現在では、スマホ一つあれば、戦場のリアルを記録できるし、それを、世界に発信できる時代になっている。こういうことを強く感じる。(ただ、こういう時代になったからこそ、すべての情報がそのままのリアルであると信じこむことは、また危険であるとも思うが。)

一番、気になったのは、こういうボランティアの救出活動に、ウクライナの軍はどのように関与しているのか、ということである。戦場になっているところに、余計な民間人が入りこまれてウロチョロされるのは、軍にとっては、邪魔者以外の何者でもないだろうと思えるのだが、軍との連携はできているということなのだろうか。それとも、まったく勝手にやっているということなのだろうか。

戦場であることを知った上で、現場に行っているのだから、(残酷な言い方ではあると思うが)それで犠牲になっても、しかたがないだろう、ということもできよう。報道として「PRESS」と表示してあったわけでもないし、また、赤十字社の活動ということでもない。

このように思ってはみるものの、戦場にとびこんで行って、そこから人びとを救出するというのは、意味のある活動ではある。そして、実際に多くの人を救ったということはいえる。

見ていてよく分からなかったことが、コミュニケーションをどうやってしていたのか、ということである。英語と、ウクライナ語、また、ロシア語、などが交錯していたかと思うが、これらの言語がある程度わかっていたということなのか、それとも、今の時代だから、スマホの翻訳アプリを頼ったことになるのか。さて、どうなのだろうか。

救出される側としても、自分の位置を連絡する手段として、スマートフォンが必須ということになるだろうし、そのためには、通信網の確保ということが、大前提になる。

スマートフォンなしには、戦争もできないし、また、そこから人を助け出すこともできない、こういう時代に今はなっているということになる。それから、こういう場面で活躍するのは、やはりトヨタのランドクルーザーかなとも思う。

2026年2月2日記

芸能きわみ堂「祝福と恋愛の舞踊 雛鶴三番叟」2026-02-05

2026年2月5日 當山日出夫

芸能きわみ堂 祝福と恋愛の舞踊 雛鶴三番叟

これは面白かった。

三番叟というと、日本の芸能の定番である。いろんなところで目にするし、民俗芸能としても、たくさん伝わっている。

番組では、能楽の翁に起源をもとめる構成になっていたが、おそらくは、能楽より以前の庶民的な芸能のなかから生まれてきたものであり、日本の芸能の歴史の基本的な部分にかかわるのだろう。だからこそ、翁は、特別なものである。

伊豆に残っている、民俗芸能の三番叟は、とても興味深い。人形を使うのだが、基本は一人である。これは、日本の芸能史のなかでの、人形を使ったものとして、古い様式を残しているといっていいのかもしれない。現在の文楽や淡路人形浄瑠璃のように三人で遣うというのが、新しいことなのである。

昔は、長男しか参加できなかったらしいが、イエを単位として村落で継承してきた民俗芸能ということでいいだろうか。これが、現在では、後継者のために制限をゆるめるのは、時代の流れだろう。(この次のステップとしては、女性が加わるということになるかと思うが、どうなるだろうか。)

雛鶴三番叟は、古典的な能楽の要素をのこしながら、色恋を表現している。見ていて、これは、楽しい。(あえてヤボなことをいえば、日本の芸能におけるジェンダー論ということになるにちがいないが、こういうことは、あまり詮索しないで、見て楽しめばいいと思う。)

芸能から、芸、芸術、(折口信夫のいったことでいうならば、文学と文学以前)の流れを、三番叟の芸能史ということで、うまくまとめてあったと感じる。

2026年2月2日記