会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』フランシス・フクヤマ2016-08-27

2016-08-27 當山日出夫

先日は、この本のエピローグから、漱石の『こころ』がアメリカでどう受容されているか、興味深かったので、ちょっと書いてみた。今日は、この本の本筋にあたるところを読んでみたいと思う。

やまもも書斎記 2016年8月24日
会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』夏目漱石『こころ』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/24/8161273

会田弘継.『増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち』(中公文庫).中央公論新社.2016 (原著、新潮社.2008 文庫化にあたり加筆。)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2016/07/206273.html

この本の著者(会田弘継)、思想史研究者という感じの人ではないようだ。略歴を見ると、共同通信のジャーナリスト、ワシントン支局長などをつとめている。と同時に、フランシス・フクヤマの著書の翻訳などてがけている。現在は、青山学院大学教授。

私自身、アメリカ思想史というのにはとんと疎い。いやそもそも、一般にアメリカ思想史ということがあまりない。(フランス現代思想とかならまだわかるような気もするのだが。)そのような状況をふまえて、この本自身が、現代アメリカ思想の概説的な紹介になっている。ここでは、やはり、著者が翻訳にもたずさわっているフランシス・フクヤマの章を見ておくことにしたい。(さすがに、私でも、この名前ぐらいは知っているので。)

フクヤマの思想の前提として、

「リベラルな民主主義(政教分離、言論・結社の自由などを維持して行う民主制)は近代化プロセスの必然だという主張である。それはキリスト教文明の下でなければうまく機能しないという考え方をフクヤマはとらない。伝統的保守主義者がしばしば、西欧政治思想の伝統の中で生まれた自由主義などは西洋でしか機能しないと考えるのとは異なる。近代化プロセスは米欧だけでなく、日本をはじめ東アジアでも機能しているし、トルコやインドネシアのようなイスラム圏の国でも機能し始めているとみる。」(pp.174-175)

それは、フクヤマが、

「近代を前近代、ポストモダンの立場から見つめ直したうえで、近代化プロセスの意味をつかみ取った思想家だとみてよいだろう。」(p.177)

であるからとする。そして、それが、

「そうしてつかみ取られた近代への執念こそが、ネオコンサーバティズムの本質といえる。」(p.177)

という。そして、そのような近代批判のあり方については、福沢諭吉や夏目漱石の思想の構造との類比が指摘してある。(p.186)

そのフクヤマについて、

「学問の世界がどんどんと狭い専門領域に閉じこもる時代に、こうした大きな構えで著作を世に問う学者はきわめて少なくなった。一人で通史を書く学者もまれだ。そうした意味で、フクヤマは貴重な存在であり、また学者というより思想家と呼ぶのが相応しい。」(p.206)

と評価したうえで、最近の著書『政治の起源』について、次のように紹介する。会田弘継は、この本の翻訳者でもある。

「フクヤマの叙述は、政治制度の歴史をギリシャ・ローマから中世ヨーロッパ、宗教革命を経て啓蒙思想によるブルジョア革命から産業革命――と、西欧中心にたどるのとはまったく違う。まず中国の秦の始皇帝がつくった中央集権化した強力な国家権力と能力本位の官僚制創設に政治制度における「近代性」の萌芽を見る。」(pp.206-207)

「古典的な近代観――宗教革命による自我の確立と個人主義の誕生、それをベースにした啓蒙思想による社会契約の思想の発展――を振り切って、フクヤマは近代の政治制度発展をまったく新しい観点で論じる道に踏み出すことができた。古典的な近代観を離れたからこそ、あえてギリシャ・ローマに帰る必要もなくなり、近代政治制度の発展の道筋を、大胆に、広く人類全体のさまざま政治制度のなかに探っていくことができたのである。」(p.207)

と、このように引用してくると『政治の起源』を読んでみたくなる。この本かと思う。

『政治の起源』上
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062171502

『政治の起源』下
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062171519

この本、いまから、夏休みの宿題にするには、ちょっと荷が重い。ちょっと待って冬休みの宿題ぐらいにしようかと思っている。

半藤一利『日露戦争史 2』2016-08-26

つづきである。
半藤一利『日露戦争史 1』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/21/8157105

半藤一利.『日露戦争史 2』(平凡社ライブラリー).平凡社.2016 (原著.平凡社.2012)
http://www.heibonsha.co.jp/book/b221915.html

この巻の中心は、海軍は黄海海戦、陸軍は遼陽会戦、それから、日露戦争のひとつの重要なポイントになる旅順攻略である。そして、なによりも重要人物は乃木希典である。

この本、例によって、あとがきから読んだ。乃木希典についてこうある。

「いったいに逸話というものは人の心に食い入りやすくて俗受けするものなのかもしれない。ところが、感動しやすいということは少しも人間そのものを教えてはくれないのである。過去にあったことは完了しているから明確であるとはかぎらない。史料の増加と新しい史眼とが、同じ人物の評価をいくらでも変えることは起り得る。歴史は人間がつくる。人間でなければ歴史を動かすことはできない。であるから、歴史の真実を知るためには探求すべきは人間であって、逸話や美談でないことはいうまでもない。そう考えるゆえに、乃木大将という人間を丁寧に追ってみたのであるが、正直にいってついにわからなかった。」(p.415)

とある。そして、これにつづけて、

「そしていまは、乃木さんという軍人は、近著『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』で紹介したまさに”日本型リーダー”であって、それ以外の何ものでもないという結論に達している。」(p.415)

となっている。

さて、この第二巻は、旅順攻略をメインに描いている。ところで、最初からこの本(第二巻)を読んでいくと、このようなことばがある。

「士はおのれを知る者のために死す」とは司馬遷『史記』の言葉である。」(p.29)

この箇所は、海軍において、東郷平八郎について書かれたものであるが……いずれ第三巻は日本海海戦を描くことになるのだろう。そこで、東郷平八郎のために命をかけて戦ったたものたちと、旅順攻略のための乃木希典のために命をかけて戦ったものたちとのちがいは、何になるのであろう……このようなことを、頭の片隅において、この巻を読むことになった。

で、この第二巻を読むかぎりでは、よくわからないというのが、これまた、正直な感想である。だが、これは、この本(第二巻)がつまらないという意味ではない。陸軍の遼陽会戦、海軍の黄海海戦に十分なページをつかってある。もちろん、旅順攻略がメインになることはいたしかたないとしても。もし、自分が乃木希典の指揮下にある軍人・兵士であったなら、乃木のために死をいとわないであろうか、このようなことを考えながら読んでみたのだが、私の結論としても、やはりわからないとしかいいようがない。

この第二巻も、やはり第一巻と同じく、「歴史探偵」の視点で描かれている。それを特徴付けるのは、次のような点においてである。

第一に、資料・史料・先行研究を充分に尊重しながらも、「歴史研究」として書いているのではない、という立場。それらを利用しながらも、どのような「歴史」を描くかに重点がおかれている。そのひとつとして「民草」がどのように、その戦争をとらえていたかという視点の設定がある。

第二に、後の太平洋戦争当時の主要人物(軍人)の若いときの姿が登場する。ここに出てきたこの人物が、後の太平洋戦争でこのような判断をしたので、という記述がいくつかある。そのような視点から、日露戦争と太平洋戦争をつないで見る視点を設定していること。

このような視点の設定が「歴史探偵」と自称するゆえんかなと思って読んだ。

ところで、この第二巻を読んでいて、興味深かったことのひとつ。著者は、日露戦争に従軍した兵士・軍人などの手記を、ところどころに引用している。あまり煩瑣になる、あるいは、あまりにも陰惨な描写が多いので割愛するとことわってはあるが、それでも、要所要所に、手記などの引用がある。これらを読むと、著者がその引用をためらうほどに、その戦闘の悲惨さ伝わってくるものがある。いわば、戦闘のリアリズムの文章になっている、といえばよいであろうか。まさに鬼哭啾々である。

近代の日本語というものを考えるとき、小説の文章や、新聞・雑誌の文章を考えることが多いかもしれない。だが、その一方で、おそらく初等(せいぜい中等)教育をうけたであろう、一般の「民草」の残した手記が、現代のわれわれに充分に読めるものとして残っているのである。このことは、近代の日本語の歴史、文章の歴史ということを考えるとき、見過ごすことのできないポイントであると感じた。

日露戦争のときに従軍しているということは、明治になってからの近代的な教育をうけて育った人間ということになる。そのような人間がのこした文章が、今のわれわれに戦争の現実を伝えてくれている。

近代の日本語については、「国語」として、いろいろ批判することはできるかもしれない。だが、それだけではなく、近代的な国語教育の一つの成果が、残された手記などの文章に見ることができる、このような発想で考えることもあっていいのではないか。狭義の文学史に見ることのできない、日本語の文章の歴史の一端をここで見ることができる。

『世界の文字の物語』2016-08-25

2016-08-25 當山日出夫

夏の忙しい時期がようやく終わったので、行ってきた。我が家からだと、自動車で、一時間ほどで行ける。

『世界の文字の物語-ユーラシアの文字のかたち-』
大阪府立弥生文化博物館
2016年7月9日~9月4日

あまり大規模な展示ではなかったが、タイトルのとおり、ユーラシア大陸の各地で発生した文字と、その伝播が手際よく展示されていた。

文字についてはあたりまえというべきことかもしれないが、この展示でよくわかったことをあげておきたい。二点ある、

第一には、文字は、多言語表記が可能なものであるということ。展覧会をざっと見た印象としてであるが、ある特定の言語だけを表記する文字というものは、少数といっていいのではないだろうか。まだ、未解読の文字があるので、この点については、なんともいえないが。

ある文字が発明されると、近隣の言語の表記に流用されている事例が非常に多い。これは、今日、仮名といえば日本語、ハングルといえば朝鮮語、ときめてかかってしまうことへの反省として、考えてみなければならないことかもしれない。いや逆に、文字の歴史からすれば、日本語専用の仮名、朝鮮語専用のハングルという認識は、近年に特殊な地域で発達した文字についてのものと見るべきかもしれない。

第二には、文字は他の文字から影響をうける、あるいは、それによって変化していくものであること。隣接する諸言語との交流、あるは、支配・被支配というような関係のもと、文字は、他の言語に対応するために、いやおうなく変化していくものである。字喃(ベトナム)なども、漢字から派生した文字と考えるべきだろう。

この意味では、日本での真仮名の存在は、漢字という文字の使用法のひとつの変化した形と見なすことができるのかもしれない。仮名としてではなく、漢字の用法のひとつとして、とらえることもできよう。

ざっと以上の二点が、この展覧会を総合して残った印象である。他にも、文字とメディアの問題とか、文字の使用目的の問題とか、多言語地域としての敦煌の問題とか、そもそも文字を持たない無文字言語の問題とか、いろいろ考えるべき点、勉強すべきと感じる点が多々あった。

この展覧会を見て、考えを再整理して、今日のコンピュータ文字における仮名の問題を考えるきっかけとしてみたいと思っている。

会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』夏目漱石『こころ』2016-08-24

2016-08-24 當山日出夫

会田弘継.『増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち』(中公文庫).中央公論新社.2016 (原著、新潮社.2008 文庫化にあたり加筆。)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2016/07/206273.html

この本、例によって、あとがきの方から先によんでみた。本編は、それとして非常に興味深いのだが、ここでは、最終章(エピローグ)についてふれてみたい。このエピローグは、文庫版にあたって加筆された箇所でもある。「戦後アメリカ思想史を貫いた漱石『こころ』」とある。

夏目漱石の『こころ』、日本では、定番の国語教材であり、生徒・学生にとって「読書感想文」で読むことになる本、というイメージが強い。また、漱石の作品のなかでも、特に人気のある作品のひとつであろう。その連載100年を記念して、朝日新聞が、再連載したのはつい近年のことでもある。

その『こころ』(”Kokoro”)を訳したのは、エドウィン・マクレラン。今では、アメリカでは、「政治経済を含め日本学を修める学生の最初の課題図書のひとつになっている」とある。

ここで『こころ』に関連して登場する人物は、
フリードリヒ・A・ハイエク(経済学者)
ラッセル・カーク(戦後アメリカの保守思想家、本書に詳しい。)
エドウィン・マクレラン(アメリカの日本文学研究者)
そして、
江藤淳
である。

まず、アメリカの保守主義者であるカークは、こう述べている。日本の保守主義の背景として、

「「日本は次々と欧米風の仮面をつけていく。真剣なのかもしれないが、それらは次々と脱ぎ捨てられてもいく。仮面の裏には古い日本の特質が生きている。今日の欧米風の物質主義と技術主義は永遠には続かない。」」(p.259)

そして、漱石の『こころ』に言及していく。

マクレランは、英国人(スコットランド)の父と日本人の母との間に、1925年、神戸で生まれた。太平洋戦争中は、軍務(米軍)につくが、その後、大学にもどる。そして、シカゴ大学のハイエクのもとにおもむくことになる。そして、ハイエクのもとで勉強しながら、同時にデイビッド・グリーン(ギリシャ古典文学)にも接する。そんな彼が、博士論文のテーマに選んだのが、漱石の『こころ』であった。そして、漱石『こころ』の翻訳は、「知のるつぼ」であったシカゴ大学の社会思想委員会のなかに放り込まれることになる。

ときをほぼ同じくして、日本でも、若き俊英が漱石論を書く。若き日の江藤淳である。『夏目漱石』である。その後、江藤淳は、アメリカにわたり、『こころ』の訳者・マクレランと出会い、終生の親交をむすぶことになる。

そのマクレランは、一方で、ハイエクのもとで、その著作のリライト(英文として)をおこなっていた。

このような経緯を著者は次のようにまとめている。

「(ハイエクの)名前と、英語世界における最高の漱石学者マクレランを結びつけるハイエク学徒は果たしているだろうか。日本文学研究者にとってはハイエクは無縁であり、ハイエク研究者にとっては日本文学も同様だろう。マクレランをハイエクにつないだラッセル・カークとなれば、日本文学研究者にはさらに縁がない。」(p.275)

そして、その後、この本は、日本における江藤淳の足取りを、(その最後まで)追っていく。これはこれとして、江藤淳論として読める内容のものになっている。

私の認識としては、アメリカで漱石は翻訳で読まれている本としてあるだろう、ぐらいのつもりでいたのが正直なところである。戦後アメリカにおける、漱石の受容にハイエクやカークのような学者がかかわっていたとは、まったく知らなかった。そして、アメリカで、漱石が重要な日本文学作品として読まれていることも。

この本『追跡・アメリカの思想家たち』は、現代アメリカ思想についての概説書として書かれた本であるが、この最終章(エピローグ)は、本書を読み終えた後で、再読してみると、感慨深いものがある。知と文学のドラマのようなものを感じるといえばいいだろうか。漱石の『こころ』が、アメリカで読まれているとして、その理解はどのようなものであるのか、これは気になるところである。

この意味では、次の人脈は興味深い。ケビン・ドウク(ジョージタウン大教授)は、シカゴ大学でマクレランの孫弟子にあたるとある。そのイェール大学での教え子の一人が、水村美苗であるという。つまり、はるばるアメリカを経由して、漱石をはじめとする日本文学理解が、現代日本文学に、ある意味でつながっていることになる。

追記 2016-08-27
この続きとして、フランシス・フクヤマについては、
会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』フランシス・フクヤマ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/27/8163682

谷崎潤一郎『文章読本』2016-08-23

2016-08-23 當山日出夫

谷崎潤一郎.『陰影礼賛・文章読本』(新潮文庫).新潮社.2016
http://www.shinchosha.co.jp/book/100516/

新潮文庫で新しい本がでたので、買って再読してみた、というところである。

谷崎潤一郎は、昭和40年(1965)になくなっている。つまり、もう、著作権の保護期間が終わっているということになる。そのせいか……『谷崎潤一郎全集』が刊行になるし、また、この新潮文庫の『陰影礼賛・文章読本』が出ている。他には、気づいたところでは、『細雪』が、角川文庫で出ている。ちなみに、この新潮文庫版の帯には、「没後五〇年」と記してある。

角川文庫版『細雪』
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000005/

ところで、この『文章読本』、いまどきどんな人間が買って読むのだろう……たぶん、私のような人間か、昔、谷崎の作品のいくつかを読んだり、また、『文章読本』をどこかで読んだ経験があって、今、新しいのが出たので買って読んでみよう……というような人間なんだろう、と思ったりしている。

というのも、読んでみて(再読になるか)、なるほどと思わせるところもある一方で、こんなにも陳腐な文章論、日本語論であったのか、と今更ながらある意味で感心したりする。

たとえば次のような箇所。

「語彙が貧弱で構造が不完全な国語には、一方においてその欠陥を補うに足る充分な長所があることを知り、それを生かすようにしなければなりません。」(p.178)

現在の言語研究の観点からすれば、日本語は、特に、語彙・文法の面において、特殊な言語ということはない、というのが常識的なところだろうと思っている。日本語があいまいな言語だとかというのは、単なる思い込み、迷信のようなものにすぎない。

にもかかわらず、やはり『文章読本』というと谷崎のこの本をあげることになってしまう。これは、日本語における文章教育、国語教育の宿痾のようなものかと思っている。よくいわれることであるが、言語コミュニケーション技能と、文学的情操教育の関係の問題である。本来、これらは、別の観点から教えられるべきものであるはずである。しかし、それが、未分化なまま混在しているのが、日本の国語教育(特に、初等中等教育)の問題なのであろうと思う。いまだに、読書感想文などというものが横行していることを見ても、そのことは言えると思うのである。

私は、学生には、「文章読本」の類は、すすめることはない。教えているのは、大学(高等教育)における、文章コミュニケーション技能のトレーニング、つまり、論文やレポートの書き方である。論文やレポートを書くのに、「文章読本」の類は、役にたつことはないと言っておく。それよりも、紹介するのは木下是雄の本『理科系の作文技術』『レポートの組み立て方』などである。

とはいえ、文学とか、言語文化というような領域について勉強しようという学生にとっては、「文章読本」の類は、読んでおくべき一群の書物ということになるだろう。谷崎潤一郎のほかにも、今、名前がうかぶだけでも、三島由紀夫、川端康成、などが書いている。ほかにも、井上ひさし、丸谷才一などにも、著作があある。文学部で、文学研究などに興味関心のある学生にとっては、むしろ、逆に必読書といえるかもしれない。

いうまでもないが、これは、谷崎潤一郎の文章論、日本語論に賛成してのことではない。このような文章論、日本語論が、一般に受け入れられている日本の現状を認識しておかなければならない、という意味においてである。特に、日本語学などを専攻する学生にとっては、この谷崎潤一郎『文章読本』は、批判的に読まれるべき性質のものと考える。

ところで、今回、『文章読本』を読み直してみて、一つだけ面白い箇所があった。変体仮名についてである。これについては、また、別に書いてみることにする。

それから蛇足にもうひとつ。新潮文庫版を手にして、まず解説から読んだが……書いているのが、筒井康隆だった。どうして、斉藤美奈子に頼まなかったのだろう。あるいは、頼んで断られたのか。

『文章読本』を読んでから、本棚を探してみた。

斉藤美奈子.『文章読本さん江』(ちくま文庫).筑摩書房.2007
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480424037/

この本についても改めて再読しての読後感など書きたいと思っている。

松本健一『「日の丸・君が代」の話』2016-08-22

2016-08-22 當山日出夫

松本健一.『「日の丸・君が代」の話』(PHP新書).PHP研究所.1999
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=4-569-60858-2

この本、いまは、品切れ重版未定ということらしい。

オリンピックで、日の丸・君が代を目にする、耳にすることが多い。個人的な感想を先に述べておくならば、私は、日の丸・君が代を、国旗・国歌として認める立場をとる。そのうえで、それがどのような場面でつかわれるべきかについては、慎重な判断がもとめられると思っている。

オリンピックのような、基本的に国(国民国家という擬制の上になりたつものかもしれないが)、その国家を基本の単位として、選手たちがが集まり、競技をきそう。そのような場面においては、国旗・国家というものは必要であると思うし、それなりの礼節をもって扱われなければならなないものだと思っている。

だが、その日の丸・君が代の歴史となると、意外と知らないことに気づく。本棚からとりだしてきて読んでみることにした。

ここでは、日の丸(日章旗)について、著者(松本健一)の言っていることを見ておきたい。

松本健一という人は、ナショナリストだといっていいと思っている。(これは、決して批判しているわけではない。自覚的に、そのような立場をつらぬいた、そして、そのことの意味を考え続けた人間であると思うだけのことである。)

まず、次のような認識の確認がある。

「日本とはどういう国で、日本民族はどのような歴史を生きてきたのか。「日本」という国号はいつごろ生まれたのか。それはどういう文化に拠っているのか。あるいは皇室とはいつごろできて、どういう制度的・文化的な根拠があるのか、ということを一度明らかにしなければナショナル・アイデンティティの議論は明確にならない。」(p.45)

確認しておけば、この本は、1999年の本。東西冷戦が終わり、新たな国際社会の秩序をそれぞれの国が模索しているような状態のなかで、日本のあり方はどうあるべきか、という視点から書かれている。

まず、日の丸は、古く『平家物語』の時代から確認できるとある。那須与一の射貫いた扇は、日の丸のデザインであったと指摘する。

そして、この日の丸は、幕末になって、日本がいやおうなく開国をせまられる状況においこまれたなかで、日本国のシンボルとして歴史のなかで登場することになる。時の幕府は「日本国総船印」を定める必要があった。そこで選ばれたのが日の丸ということになる。

そして、この日の丸は、戊辰戦争のとき、幕府軍の使うところともなった。日の丸を掲げることで、その正統性を主張したのである。なお、これに対して、倒幕の側がかかげたのが錦旗(天皇の象徴である菊紋)であった。

その後、明治になって、明治政府の方針として、菊の紋章は皇室のものと定められ、一般の使用が禁止される。そして、日の丸が、郵船・商船・軍艦における御国旗として定められることになった。

そして、日の丸については、このように結論づける。

「「日の丸」は、文化的にも法的にも、日本という国家の対外的な存在証明でありつづけてきたのである。」(p.85)

たぶん、このような日の丸の歴史に、そのものについては異論はないであろうと思う。ただ、問題があるとすれば、日の丸が、どのような場面で、どのような意味があるのか、という議論になっている、それが現在の問題であると思う。

オリンピックで、日本選手の応援に日の丸を掲げるのは、これは特に批判されるべきではないと思う。日本という国家として、オリンピックに参加しており、他の選手も、それぞれの国家を代表して参加しているのであるから、ここでは、国旗(それから国歌)は、等しく平等にあつかわれ、それぞれに敬意をもって、とりあつかわれるべきものになる。

このような素直(といっておくが)な、ナショナリズムの象徴である日の丸が、日本国内での行事(たとえば学校の行事)などでは、忌避される対象ともなっている。こういう、いわばねじれたような状況は、私はよくないと思っている。

ここで論点を整理すれば、

第一に、国歌(近代的な国民国家)には、国旗というものがあること。
第二に、日本においては、それは日の丸であること。
第三に、国旗としてしかるべき礼節をもってとりあつかわれねばならないこと。
第四に、にもかかわらず、日の丸に忌避感をいだく人間のいることも配慮して、それが、どのような場面で、どのようにあつかわれるべきかは、慎重であるべきこと。

以上のようになるであろうか。このような論点を整理したうえで、日の丸というものにつきあっていかねばならないと私は考えるのである。

原則をいうならば、国旗・国歌は礼節をもってあつかわれねばならないが、しかし、強制すべき性質のものではない、ということなる。ただ、日の丸を忌避するだけでは、建設的な方向にむかってはいかないと思う次第である。

半藤一利『日露戦争史 1』2016-08-21

2016-08-21 當山日出夫

半藤一利.『日露戦争史 1』(平凡社ライブラリー).平凡社.2016 (原著.平凡社.2012)
http://www.heibonsha.co.jp/book/b218045.html

この本、全部で三巻になる。本当は、全部読んでから感想など書くべきかと思うが、とりあえず、第一冊目を読み終わったので、その時点で思ったことなどまとめておきたい。単行本で出たとき、いずれ平凡社ライブラリーになるだろうから、そのときになってからまとめて買って読もうと思っていた本である。

日露戦争とくれば、私などは、ともかく『坂の上の雲』(司馬遼太郎)を思い出してしまう。これは、二回読んでいる。新・旧の文春文庫版で読んだ。最初に読んだのは、かなり若いときだったと覚えている。電車のなかで読む本として読んだ。司馬遼太郎の小説は新聞連載なので、短く切って読んでもわかりやすく書いてある。この意味では、外出先で電車の中で読む本ときめて読むには、ちょうどよかった。

それから、もちろん、NHKのドラマ『坂の上の雲』。これの放送は、2009年から2011年までだったか。これも録画して、何度か繰り返し見たものである。それから、再編集の再放送も、ほとんど見た。

このようなことを、とりあえず書いておかないと、この本『日露戦争史』(半藤一利)の位置づけがはっきりしない。著者は、(第一巻までは)はっきり書いてはいないのだが、当然ながら、司馬遼太郎『坂の上の雲』やNHKドラマのことは、かなり意識して書いているように、私などには思える。むろん、まだ、『坂の上の雲』を読んでいない人にも、わかるようには書いてあると思うのだが、その叙述のあり方を見ると、かなり意識しているという感じがしてならない。

その理由を二つほど考えてみる。

第一に、これは、「歴史小説」でも「歴史書」でもないと、自ら述べていること。「歴史探偵」と言っている。これは、半藤一利の他の著作でも同じであるが、「歴史探偵」ということばを、ここまで自覚的につかっているのは、半藤一利ぐらいなものかもしれない。

では、「歴史小説」ではないのはなぜか。これは、〈歴史とは何か〉という疑問について考えることにもなる。基本的には、史料にもとづいて書く、フィクションを交えることはない(原則)、ということになるのだろう。また、異論・異説があれば、それに言及することも忘れてはいない。

次に、それならば「歴史書」「歴史研究」ではないのは、どういう点においてか。強いて忖度すれば、研究者として、史料に基づいてそれまで知られていない史実をあきらかにしよう、という姿勢で臨んでいるのではない、ということになろうか。基本は、あくまでも、すでに知られている、公刊されているような史書にしたがいながら、歴史がこのようなものであったことを叙述していく。

この本のなかには、詳しいことは既刊の歴史書にゆずる旨の記載が、いくつか見られる。細かな歴史的経緯、事実関係については、専門書や論文、さらには史料を読んでほしいということになっている。

第二には、その歴史を見る視点のおきかたである。著者は、「民草」と書いている。「国民」とも「市民」とも書いていない。「民草」……しいて言い換えるならば、一般庶民とでもなるだろうか。それをあえて「民草」と称しているのは、かなり、その立場からの視点というのを意識してのことだろうと思う。

その当時の「民草」の目から見ると政府のうごきはどうであったか、戦争にいたるまでの「民草」の反応はどのようなものであったか、そのような視点からの叙述が、随所にいれられている。時代の動きそのものを主人公にしたというのでもない。また、政府の誰か、国民の誰かをを、主人公にしたのでもない。「民草」ということばでしか表せないような、多くの国民の一般の視点を、取り込もうとしている。そして、作者自身も、時代という大きな流れのなかにあっては、「民草」の一人にすぎないという自覚をもって書いてある。

この意味では、最近の半藤一利の本、『B面昭和史』に重なるところがある。

半藤一利.『B面昭和史-1926-1945-』.平凡社.2016
http://www.heibonsha.co.jp/book/b214434.html

以上の二点を考えてみたが、このような点が、「歴史小説」でもないし、「歴史書」でもない。だが、「歴史」をあつかった読み物としての「歴史探偵」という呼称の背景にあるものだと、私などは思う。

ところで、第一冊目を読んだところまでで、重要だと思うところを、さらに二つほど、あげておく。

第一のこととしては、上述のこととも関連するが、たとえば、広瀬武夫のエピソードについての、あまりにそっけない、あるいは冷淡ともいえる記載である。広瀬武夫の旅順港閉塞作戦は、日露戦争における重要なエピソードである。なにせ、「軍神」なのであるから。司馬遼太郎も、また、NHKドラマも大きくとりあげていた。いや、NHKドラマでは、主人公(秋山真之、秋山好古、正岡子規)につぐ重要な人物として登場していた。司馬遼太郎の原作にはないロシア留学の場面にかなりの分量をつかっていた。その広瀬武夫についての、あまりにそっけない記述は、読んでいてうっかり読み過ごしてしまいかねないほどである。

章末の注でさりげなくふれてあるが、広瀬武夫のことはあまりにも有名なので、大きくとりあげなかったとある。このあたりを見ると、『坂の上の雲』を読んでいる、あるいは、軍神広瀬中佐のことを知っている、場合によっては、歌も知っている、ということを、読者の前提として書かれていることになる。

この意味では、やはり、この本は、読者とともにある現代という時代を意識して書かれている本、ということになる。

第二のこととしては、上述のように、はっきりと自覚的に現代の視点から、日露戦争を見ていることである。

それは、たとえば、折に触れてでてくる、太平洋戦争当時の日本との比較である。端的には、明治の時代のリアリズムといってよいであろうか。日露戦争にあっては、決して簡単に勝てるなどと、指導者は思っていなかった。何よりも重要なことは、戦争を始めるにあたって、それをどう終わらせるかということを、視野にいれていたことだろう。アメリカを仲介とした和平工作を、戦争開始にあたってすでにはじめている。このあたりの現実的な感覚は、後の太平洋戦争、それ以前の日中戦争をはじめるにあたっての日本の指導者のあり方と、きわめて対照的である。

なにかことをはじめるのは簡単かもしれない。しかし、同時に、それを始めるときには、どうやってそれを終わらせるかを考えなければならない……日露戦争当時の日本の指導者には、このような現実的な感覚があった。

現代の視点から、太平洋戦争当時の日本のありさまをふりかえるとき、かつての日露戦争のときの日本のあり方が、きわめて重要なものとしてうかびあがってくる。このような記述がいたるところにある。

上記、二点、さらに思うことを書いてみた。この本、のこる第二巻、第三巻とある、読んでから、思ったことなど書いてみたい。

追記
このつづきは、
半藤一利『日露戦争史 2』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163037

NHKスペシャル取材班・北博昭『戦場の軍法会議』2016-08-20


2016-08-20 當山日出夫

NHKスペシャル取材班・北博昭.『戦場の軍法会議-日本兵ははぜ処刑されたのか-』(新潮文庫).新潮社.2016 (原著、NHK出版.2013)
http://www.shinchosha.co.jp/book/128378/

新潮文庫で出たので、買って読んでみた本。はっきりいって、この本を読むまで軍法会議というものについて確たる認識がなかった。軍に法務官という職種があったことも。

今年の夏もまた政治家の靖国神社参拝をめぐって、いろいろとあったようである。私は、基本的に、英霊祭祀ということを否定するものではない。だが、そのときには、誰をどのような資格で祭祀の対象とするかについて、根本的な反省がなければならないと思っている。ただ、(今の)靖国神社に祀られている人たち(と言っておく)だけが、英霊ではない……他に、考える余地はないのか、常に、謙虚にかえりみなければならないと思っている。

その意味で、この本は、いろいろ考えさせられるところがあった。

読後感を四点ほどあげておく。

第一には、やはり軍法会議というものの存在とその組織・仕組についての認識である。たぶん、大部分の読者は、おそらく私同様、軍法会議について、漠然としたイメージしか持っていないのではないか。それをこの本は、まず、日本軍における軍法会議というものの存在、そのシステムから、説き起こして明らかにしてくれている。

第二には、その軍法会議が、敗色濃厚となった、外地(戦地)でも行われていたことである。兵士、軍人も、戦地に赴いたことは当然としても、そこに、法務官も行って、軍法会議にたずさわっていたこと。これはこれとして、戦史にのこすべき事実であろうと思う。

第三には、その軍法会議は、かならずしも正当なものばかりではなかったということ。戦地、しかも、負けているという状況のなか、まともな軍法会議の判断がなされたとはいいがたい事例があった。いや、軍法会議がひらかれればまだいい方であって、それすらもなしに処分された事案が多々あったということ。

第四には、これが最も重要な点だと思うのだが、そのような軍法会議で裁かれた人、さらには、軍法会議さえなしに処分の対象となった人、このような人の名誉回復が、いまだになされていないということ。

以上の四点、簡略にまとめれば、この本を読んでの感想になる。

私は、近代の国民国家を肯定する立場にたつ。その上で、国家としての英霊祭祀はなされるべきものと考える。だが、そのとき、誰を、どのような資格において、どのような立場から、という点について、常に謙虚な反省が求められると思っている。

この本で事例が紹介されているような不当な軍法会議で裁かれた人の名誉回復がなされていないような状況にあって、安易に英霊祭祀などというべきではないと思うのである。現時点で間に合う限り、資料・史料を探し、公開し、保存すること、このことが何よりも必要なことだろう。そのうえで、しかるべく、名誉回復の手続きがなされなければならない。

不当な軍法会議において、また、軍法会議さえ経ずに、汚名をきせられたままの人がどれほどいることか、まずは、このことに思いをいたさねばならないであろう。

長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』外国人2016-08-19

2016-08-19 當山日出夫

外国人について書いたところを読んでみる。

長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/

やまもも書斎記 2016年8月12日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』天皇は憲法の飛び地
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/12/8150156

この前は、天皇の存在を見ることによって、現在の憲法の持っている性格の一端があきらかになった。今日は、外国人についてみる。

「天皇とは逆の方向から、近代国家と普遍的人権との関係に光を当てるのは、「外国人に認められる人権」という問題である。」(p.96)

「従来の憲法学の議論の枠組みによると、参政権のように、その性質上国民にのみ認められるべきものは別として、原則として、外国人についても憲法上の権利は保障される。」(p.96)

そのうえで、外国人は、ある種の特別な存在であるとする。

「外国人に原則として入国の自由がなく、いったん入国した外国人にも在留し続ける権利がないことについては、学説も一般的に同意している。そして、こうした考え方は、日本だけではなく、世界各国において共通にとられている。およそ、いかなる者であれ、原則として外国人に入国を許し、無期限で滞在することを許すという建前をとる国が、まともな国として存続しうるとは現実には考えにくい。」(p.98)

では、外国人には普遍的な人権はおよばないのであろうか。この点については、次のようにのべる。

「参政権など、「権利の性質上日本国のみをその対象としていると解されるもの」と、それ以外の外国人にも等しく保障されるはずの権利との違いは、程度の差にすぎない。」(p.98)

そして、国籍については、次のようにある。

「国籍は、地球上で暮らす数多くの人々のうち、所与の人々について生来の人権を保障し、自由に幸福を追求しうる環境を整える責務を第一次的に負うのがどの政府であるかを指定するための便宜的な物差しとして用いられているわけである。」(pp.100-101)。

法的には、国籍とはこのように考えるのか、という意味で興味深い。ここまでの議論において、民族の共同体というようなことばは一切つかっていない。普通、国家などについて考えるとき、国民国家としての民族の共同体というあたりから考え始めるのが、一般的なところかと思う。だが、長谷部恭男は、近代国家における人権というものを、あくまでも法の論理にしたがって解釈していく。

この本の書かれたのは、2004年。ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結の後、そして、現在問題になっている、中東での紛争と多数の難民のヨーロッパ諸国(EU)への流入の前である。そのような時代背景をふまえて、このあたりの議論は理解しておくべきことかもしれない。

ただ、少なくとも、外国人参政権について、その国民にのみ認められる権利であるとするのが、憲法学の多数の立場であるとするあたりは、今日の目から見て重要な点かもしれない。

EUという従来の国民国家の枠組みを超えた、大きな共同体が生まれようとする一方で、多くの難民の流入があり、従来の伝統的というべき国民国家的な共同体がゆらいでいる。そして、英国のEU離脱という動きがあった。このような国際情勢のなかで、近代的な立憲主義……繰り返し確認すれば、立憲主義は近代西欧に生まれた……はどのようにあるべきなのか、今、問いなおされている時なのかもしれないと思っている。

丸山真男「「である」ことと「する」こと」2016-08-18

2016-08-18 當山日出夫

『なつかしの高校国語』から、さらにつづけることにする。

筑摩書房(編).『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2011
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093783/

丸山真男「「である」ことと「する」こと」

この文章は、もと『日本の思想』(岩波新書)に収録のもの。丸山真男が残した文章のなかで、最も有名なものの一つ。私の記憶では、昔の岩波新書版で読んだと覚えている。岩波新書版の『日本の思想』は、近年、改版されてきれいになっている。その新しいのを買ってある。

丸山真男.『日本の思想』(岩波新書).岩波書店.1961(2014.改版)
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/X/4120390.html

『なつかしの高校国語』には、全文の収録ではない。抄録になっている。ここでは、岩波新書版を読んでみることにする。

私の高校生のころ、『日本の思想』は、必読書とされていたように覚えている。無論、高校生で、丸山真男の文章が完全に読解できるというものではない。いや、難解であった。それでも、「思想のあり方について」の「タコツボ」「ササラ」の問題とか、ここでとりあげてみたい「「である」ことと「する」こと」とかは、印象に残っている。

丸山真男については、いろいろ毀誉褒貶あることは承知しているのだが、『日本の思想』の「思想のあり方について」「「である」ことと「する」こと」、この二つの文章だけは、今後も長く読み続けられるのではないか。その価値のある文章だと思っている。

だからといって、その主張に全面的に賛同しているというわけではない。「思想のあり方について」の「タコツボ」「ササラ」の類型分類など、はたして西欧の社会・文化が「ササラ」といっていいかどうか、現時点からは批判の余地があると思う。たとえば、中性におけるイスラム文化の存在など。だが、こと日本の諸問題をかんがえるとき、「タコツボ」の概念は、依然として有効であるし、現に、つかわれている。

「「である」ことと「する」こと」である。私の感想としてであるが、久しぶりに、「「する」こと」の場面を目にしたような気がしたことがある……ちょっと前のことになるが、安保法案をめぐっての一連の反対運動などである。

私個人の意見としては、いわゆる安保法案反対に全面的に賛同しているというわけではない。ある意味、これからの日本にとって、必要性のある法案であると思っている。ただ、その成立のプロセス、議論のすすめかたについては、反対の立場にせよ、賛成するにせよ、いろいろ問題はあると思うが。

ともあれ、そのことはさておくとしても、「「する」こと」……日本が民主国家であって、自分の意見を主張することの自由があること、そうすべきと思うときには、はっきりとそう言うこと……これらを目の当たりにした印象をいだいたのは、確かなことである。憲法には、主権在民とある。その権利のうえに安住しているのではなく、主権者として行動をおこすべきとには、しかるべく合法的に行動をおこす。

ただ、法的な議論として、主権が国民にあることをめぐって問題のあることは、浅羽通明などの指摘するところでもあるが。

「「である」ことと「する」こと」を、今の視点で読み返してみると、いまだに通用する重要な考え方であると思う一方で、やはりこの文章の書かれた時代を感じさせるところもある。が、すでにのべた、安保法案反対の運動との関連でいえば、次のところは、今でもしっかりと確認しておく必要のあるところだろう。

「果たして現在いろいろなかたちで潜在もしくは顕在している議会政治に対する批判を、たとえそれがどんなに型破り、あるいは非常識と思われる議論であっても広く国民の前に表明させ、それとのオープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していくという道を進むほかに、どうして議会政治が日本で〈発展〉し、根づく方向を期待できるでしょうか。本当に「おそれ」なければならないのは、議会否認の風潮ではなくて、議会政治がちょうどかつての日本の「國體」(表記原文ママ)のように、否定論によってきたえられないで、頭から神聖触るるべからずとして、その信奉が強要されることなのです。」(p.188) (〈 〉原文傍点)

ちなみに、「「である」ことと「する」こと」のもとになった講演がおこなわれたのは、昭和33年(1958)である。60年安保のすこし前になる。

ここで半世紀前の文章を読んで、今さかんにいわれるようになった「主権在民」「平和憲法」が「國體」となっていないか、ちょっと考えてみてもいいように思う。