『豊臣兄弟!』「天下への道」2026-07-27

2026年7月27日 當山日出夫

『豊臣兄弟!』「天下への道」

信長が本能寺の変で死んで、それから、明智光秀が亡くなるまで、である。

見ていて、いいところと、あまり感心しないところとある。

いいと思ったところとしては、本能寺の変の後の、織田の家臣の武将たちの狼狽ぶり、統制のとれなさ、それに対して、徳川家康の冷静な対応ということを、描いていたということがある。

信長のような性格のボスがいきなり謀反で殺されてしまった、さて、残された家臣の武将としてはどうするか。織田家を守るために結束する、信長に代わって天下統一を目指す、バラバラになってもとの戦国時代に戻る、だが、その前にすべきこととしては、光秀を討ち取ることである。光秀を討ち取ったものが、おそらくは、次の展開のイニシアティブを取れる……こういうことを、誰しもが考えたに違いない。このあたりのあわてふためきぶりが、そこそこ描かれていたかと思う。

見ていて感心しない、つまらないと思ったのは、光秀と秀吉の対面シーン。これまでの「太閤記」にはない斬新な趣向にはちがいない。だが、ここで、このシーンを持ってくるなら、もうちょっと伏線の工夫があってしかるべきだろう。

足利義昭が、どんな世の中を考えていたのか。ただ、自分が将軍として権力を持ちたいというだけだったのか。それとも、戦国大名の争いを終わらせる、何かの展望を持っていたのか。

それに、光秀は、どう期待していたのか。武士としての、足利義昭への忠誠心だけだったのか。どんな時代の到来を考えていたのか。

そして、信長であるが、戦国の時代に天下一統をかかげて、それは、どんな世の中にしたかったのか。足利将軍の代わりに権力の座につき、実質的な権力者になりたかったのか。その場合、天皇のことは、どう思っていたのか。

時代の大きな変化、変革の時代であったということは、後世からかえりみれば、そういう時代だったといえることになるのだが、この時代の感覚としては、どういう世の中を考えていたのか。

こういうことがきちんと描いてあったなら、本能寺の変の後の、秀吉と光秀の会話も、もっとドラマの中で意味のあるものになっただろう。

昔の「太閤記」だったら、農民からの立身出世の物語として見ることができたが、今の時代だと、単純にそうはいかない。中世から近世にかけての、社会や経済の歴史については、歴史学研究でいろいろと新しいことが分かってきていることだと思うのだが、それを反映して、信長~秀吉~家康の流れのなかで、社会の仕組みなどがどう変わってきたのか、描くことができたはずである。特に、今回は、秀長という新鮮な視点の設定ができるのだから、旧来の「太閤記」とは違って、世の中についてのものの見方として、農民出身ならではということで描けたはずであるが、今までそうなってきてはいない。

このドラマが始まったときには、秀吉(藤吉郎)と秀長(小一郎)とは、違ったキャラクタの設定だった。小一郎は、無駄な争いを避け、実利をとろうとする打算的なところがある(平和的といってもいいが)、それに対して、兄の秀吉(藤吉郎)は、銭を貯めているし、武芸の心得もある、武士になろうとする……かなり、性格の違った設定だった。それが、回を重ねていくと、だんだん同じようなキャラクタになってきて、普通の「太閤記」で秀吉がやったことを、二人で分担した(それも、特に役割の違いはなく)という感じになってきた。

ここにきて、信長の死後、天下統一を目指す秀吉ということで、ちょっと流れが変わってきた感じは、最後にあったが、さて、これからどうなるだろうか。

私が考えることだったら……軍事的な戦略家としての秀吉がいて、それを、兵站(ロジスティックス)や情報(インテリジェンス)で領域で補佐する弟の小一郎がいて、というあたりになる。こんなことなら、誰でも思いつくことなので面白くない。だとしても、結果的には、旧来の秀吉の仕事を、なんとなく二人で並んでやっていたというだけのことになってしまっている。

農民出身ということも活かせていない。農民の視点からは、戦国大名の戦いなどはどう見えたのか、歴史学研究として、ある程度のことは言えるはずだが、まったくそういうことは出てきていない。信長や秀吉の、領地経営のことについても、ありきたりの商業重視ということが、ほんのちょっぴり出てきてだけである。百姓……農業だけに限らず、漁業、商業、工業にかかわる……の視点から見た、中世の戦国時代は、描けたはずだが、まったく出てこない。(網野善彦の言ったことをなぞるようなドラマは作りたくないということだったのかと、思ってみたくなる。)

2026年7月26日記

『太平記』「高氏と正成」2026-07-27

2026年7月27日 當山日出夫

『太平記』「高氏と正成」

花夜叉の一座を高氏が検分するシーンは、勧進帳、を意識させる。意図的に、そう作ったのだろう。このところの、高氏と楠木正成、それから、高師直……実は、お互いに、楠木正成の正体を知っていた、ということでいいだろう。

ここで楠木正成は、戦とは大事なもののためにするものである、と高氏に告げる。

高氏は、鎌倉に帰るが、ここで歴史が大きく動き出す。高氏は、何か、心に期するところがあったようである。なにがしか決意をかためつつある、というべきか。もうこれ以上、今のままの鎌倉では行き詰まる。どうしようか、というところだろうか。

後醍醐天皇(もう、天皇ではないが)は、さすがの貫禄である。

全体として、時代の動き、世の中の大きな流れということを、感じる作り方になっている。これは、個人の一人の行動や意識で、どうにもなるものではない。

末世でもある。浄土を願うとしても、仏の姿を見ることができない。大きな時代の雰囲気の変化になる。

徳宗の隣に座っていた、大童の髪型の少女(だろうと思うが、少年でもいい、いや、むしろその方がいいかもしれない)、まさにこの時代を象徴するものかとも感じる。

時代の大きな変化と、その中にいる人びと……高氏であり、楠木正成であり、花夜叉たちであり……これを、総合的に描いている。

2026年7月26日記

NHKスペシャル「インサイド・トヨタ」2026-07-27

2026年7月27日 當山日出夫

NHKスペシャル「インサイド・トヨタ」

録画しておいて見て、いろいろと考えるところがあって、しばらくたった。

自動車の開発現場を取材した番組として見れば、よく作ってあると思う。だが、日本の自動車産業のあり方、今後、について考える番組として見ると、もうちょっと別の切り口があったのではないかと思える。むしろ取材すべきは、トヨタではなく、日産とホンダだったかもしれない。トヨタという自動車会社のこれからはどうなるかと思うと、なんともいえない。

ポイントとしては、EVに全面的に舵を切るべきか、あるいは、旧来のガソリン自動車をふくめて多様な展開を考えてそなえておくべきか、この判断の別れるところになるだろう。人によっては、もうこれからはEVの時代であるのは、はっきりしていることなので、将来的には、トヨタといえども、中国の自動車産業の傘下にはいるしかない、と考えるかもしれない。いやそうではなくて、EVの未来はまだ見えていないし、中国の自動車産業がこれからどうなるか、不安要素もある、また、政治と軍事のこともある、ここは、将来の選択肢を残しておくことが賢明である、このように考える人もいるだろう。

さて、どっちなのか、私には分からない。あつかっていたのが、カローラ、特に、セダンタイプだったということは、意図してのことにちがいない。これが、ガソリンで走るランドクルーザーだったら、どうだろうか。これは、全世界の反政府武装組織ゲリラ御用達(?)といっていいだろう。ただ、維持するのに、いわゆる純正部品ばかりということはなく、おそらく不正規の互換品が、世界中のいろんな工場で作られているのかとは思うが。(こういうことをふくめて、トヨタ車であると、私は認識している。)

EVの時代が来るといっても、中国のタクラマカン砂漠のまっただ中を走る中国製EVというのは、ちょっと想像しにくい。作っても採算に合わないかもしれない。また、中国からはるばるロシアへ物資を運ぶ長距離トラックが、EVにになるということが、現実的だろうか。

いろいろと思ってみることになる。

今、私が乗っているのは、カローラツーリングである。別にトヨタが好きでこれにしたということではない。今の日本の国産車で、ツーリングワゴンというタイプだと、もうこれしかない。いたしかたない選択である。昔だったら、日産のステージアとか魅力的だったのだが。

どこをとっても、60~70点という感じである。

ケチって作ってあるなあ、と感じるのは、ハンドルについているボタン類。オーディオの音量調節とか、次の曲へのスキップとか、できるのだが、手探りで、そのボタンと特定して操作するのが、非常に難しい。また、ギアをPからDに変えるのに、手に感じる感触と重さだけで、確実にDになるということがない。(こういうのは、慣れ、ということもあるにちがいないが、もう乗って3年以上になるが、まだ、なじまない。)

それまでに乗ってきたのは、Audi。80、A4(クアトロ)、A3、A1、と続けて乗ってきた。その感触の慣れがあるのは確かだとしても、機械的なボタンやレバーなどの操作の、ちょっとした感触、操作性、これを、もうちょっと考えて作れなかったものかと、強く感じる。

無論、ドアを閉めるときの音の違いは、歴然としている。

(ドアを閉めるときの音も自動車の重要な要素である。中国製のEVだったら、こういうことは、もはやコンピュータによる合成音で、そのような音を出すことになっているかもしれないが。駐車場で、ドアの開閉音でいい音がするなと思って目をやると、ポルシェだったり、ベンツだったりする。)

ただ、一つだけ、これはいいと思ったところがある。それは、ナビの操作として、ルート案内の取り消しを、ボタン一つの一回の操作で出来るようになっていることである。ナビのルート案内取り消しは、運転中に操作することが多いので、この機能だけは、非常にいいと思っている。

自動車がスマホのようになる、これは確かにそうだと思う。だが、いくらそうなったとしても、物理的な感触、ヒューマンインターフェースの部分は残る。これは、24時間体制で開発してモデルチェンジを繰り返すとしても、そんなに簡単に、その良さの感覚と技術は、手に入るものではないだろう。

カローラが、もう30万から50万ぐらい高くてもいいから、もうちょっと丁寧な作りになっていて、70点~75点ぐらいにならないかなとは、思うところである。どこをコストカットすべきか、逆に手間暇かけるか、その判断だと思う。

だが、そう作ってしまっては、世界戦略車にはならないのだろうが。

2026年7月25日記

『風、薫る』「脈動」2026-07-26

2026年7月26日 當山日出夫

『風、薫る』「脈動」

この週のメインは、直美と母親の文のこと。

見ていて、たしかにドラマとしてよく作ってあるし、演出も凝っているとは思うのだが(今週では、神社の境内にいる参拝の人など)、最初のときから見てきた印象としては、あまり感心しない。いや、作者は、本当はこういうこと……直美と文の母と娘の感情……をじっくりと描きたいことなんだろうと思う。しかし、そうだからといって、明治の看護婦のパイオニアの女性たちの物語を背景につかうのは、ちょっと間違っているのではないかと思えてならない。

以下、批判的な目で思ったことを書いておく。

直美と環が、新潟にいるりんに手紙を出す。それを読んだりんが東京にもどってくる。今の時代のように、新幹線で東京まで数時間で行けるという時代ではない。(高田の街だったら、新潟からさらに乗り換える必要はあるとしても。)その旅の姿恰好も、ちょっと近所に買物にいくかのようである。これは、どう考えてもおかしい。

ドラマだから、史実にこだわらなくてもいいとは思うのだが……大関和が、高田の女学校(ミッションスクール)に行ったのは確かであるとして、これは、当時の新潟の高田が、東京から見て、僻地(というも失礼かもしれないが)であったからだと考えるのが妥当だろう。東京の大学の病院の看護婦を辞めて行ったのは、東京から縁を切りたかったからであろう。それほど大きな決意をもっていなければ、この時代に、高田まで行かないはずである。

ただ働き口を見つけるだけだったら、りんのような経歴と職歴があれば、東京でいくらでもあっただろう。東都大学病院以外の病院で、看護婦が不必要だったということは考えられない。

ここは、キリスト教のミッションを意識しているからこそ、ことさらに僻遠の地におもむく決意があったと考えるのが、普通かと思う。それが、東京から手紙が来た、すぐに、仕事の休みをもらって帰ってきます、ということでは、おかしいといわざるをえない。季節が分からないが、冬だったら、日本海側の豪雪地帯だから、そんなに簡単に出かけたりできないはずである。

以前の『あんぱん』でも感じたことだが、昭和のはじめのころの、高知と東京との距離……心理的な距離……が、まったく感じられない作り方になっていた。一人で、故郷を離れて東京に出てきた若者の孤独感、こんなことはもう完全に過去のこととして、無視していいこととは思えない。ドラマの中で、公衆電話で簡単に東京から高知まで電話で話せるようなことは、絶対にあったはずはないし、今の誰でも携帯電話・スマートフォンを持っている時代の感覚が、歴史の中で、いかに特殊な状況であるかについての想像力が欠如している。

明治の20年代の東京と新潟の高田の心理的な距離感とはどんなものだったのか、このドラマの作者は、まったく想像力がおよばなかったとしかいいようがない。

だが、これは、高田の街が田舎めいたところということではない。むしろ、江戸時代の名残として、江戸時代の古い教養(武士や上層の町人や農民)が残っていた街という側面もあるはずである。漢学であったり、俳諧であったり、である。これを、ただ前近代的な封建的遺制が残る遅れた地域として描くのは、これも、歴史の想像力の欠如である。都会から見た地方への偏見でしかない。(明治時代の地方の文化や教養の程度が高かったことは、夏目漱石の作品などでもうかがい知ることができる。島崎藤村の『夜明け前』でも読んでみるがいい。)

直美は、明治の初めごろ(おそらく慶応年間ぐらい)に、品川の遊廓の女郎が産んだ子どもで、横浜の教会に捨てられた。たしかに可哀想な設定ではある。

明治の初めは、まだまだ日本は、キリスト教が禁教であった。大規模な弾圧もおこなわれていた。それに、外国からクレームがついたので、明治政府としてやむなく許容したというのが、歴史の基礎的な知識。

この時代、横浜の外国人居留地に限ってみれば、教会があっても、おかしくはない。だが、女郎のような女性の判断として、横浜のキリスト教の教会であれば、捨て子を育ててくれるはず、善意があるはず、と考えたとすると、飛躍がありすぎる。むしろ、この時代の一般的な感覚としては、キリスト教は、キリシタンの邪教であったと感じていたのが、普通だろう。特に、女郎のような女性としては、そうだと思うのが妥当だと思うのだが、どうであろうか。明治の初めの横浜は、瑞穂屋のような先見の明のある商人にとっては魅力的な街だっただろうが、女性(夕凪のような)にとってはどうだっただろうか。品川でうだつがあがらないので、横浜に行って「ラシャメン」にでもなろうか、ということはあったかもしれないけれど。

ここは、ドラマの中に無理にキリスト教の教会を登場させたい(史実としては、大関和は洗礼を受けている)ということから、こうなったとも思うのだが、教会の使い方としては、非常に無理をしていると感じるところである。

直美が捨てられたころだったら、まだ、横浜新橋間の鉄道の前のはずだし、もし、あったとしても、遊廓を逃げ出した妊娠した(あるいは、赤ちゃんを抱いた)女郎が、乗れたとは思えない。運賃は、きわめて高額であった。品川の遊廓を逃げ出した夕凪は、いったいどういう道筋をたどったのだろうか。お守りの神社、遊廓、横浜、これらの移動の関係が、いまひとつはっきりと分からない。

柳川文という名前は、瑞穂屋の卯三郎と出会ったときに、自分でつけて名乗った名前だという。ということは、品川の遊廓にいた夕凪という源氏名と、柳川文を、名前で結びつけることは不可能なことになる。

つまり、直美は、寛太に、調査を依頼するとき、たしか柳川文という名前を告げていたかと憶えているのだが、この名前では、絶対に身元をたどることはできない。

柳川文と名前を決めたということは、明治になって、戸籍の制度とともに、名字を名乗るようになってからのことのはずだが、文と瑞穂屋が出会ったのは、何時のことなのだろうか。また、どうしても気になるのは、寛太は、ドラマの展開で重要な役割をになっているにもかかわらず、名字がない。(まあ、AKの作るドラマだから、戦災孤児なんか名字はいらないということだったので、詐欺師なんか名字なしでいいということなんだろう。詐欺師、犯罪者であっても、基本的人権はあるべきだと思うのだが。)

普通に考えて、20年以上も前に行方不明になった、夕凪という源氏名しか分からない昔の女郎のことが、そんなに簡単に調べて判明するとも思えない。この時代だったら、今のように住民票もなにも無い時代なので、人知れず社会の片隅で生きることは、十分に可能だった。

それから、このドラマは、意図的にそう作っているのだろうが、父親というものが出てきていない。りんの父親は、那須の村でコレラで死んだが、それっきりである。「学ぶことは~~」の父のことばも、回想シーンとしても、出てこなくなっている。

だが、その一方で、直美はりんたちと家族なるという。

この時代であれば、江戸時代の「家」があって(那須の一ノ瀬の「家」はまさしくそうである)、それが、明治になって、「家族」という概念が普及するようになる。これと同時に、男女の恋愛ということが、価値のあるものとして認識されるようになる。「家族」は、男女が愛情で結ばれてと夫婦になるというのが理想である。そこには、父親がいて、母親がいて、子どもがいる。環が、りんのことを「お母さん」というようになった背景には、日本語の「国語」としての近代化とともに、「家族」というものの成立があるはずである。古い「家」からの個人の独立ということは、日本の近代文学の大きなテーマであった。「家族」(夫婦と子どもからなる)が大事なものになった。その「家族」も現代では、個人を束縛する悪い制度として否定的に見るようになってきている。また、現代では、遺伝子の概念が普及したせいで、遺伝的な親子関係が絶対的なものとして重視されるようになってきている。他にもいろいろとあるが、ざっと以上のような大きな歴史の流れがあるのだが、このドラマで出てくる、東京のりんと直美、それから、環と美津の「家族」は、いったい何なんだということになる。どういう歴史的背景があって、こういう価値観があって、そのような人間関係があって……ということを考えると、ややこしくて分からなくなる。

これは、明治のトレインドナース誕生の物語に、無理矢理に、現代的なものの考え方をもちこんでしまったことによる破綻であるとしか思えない。(だが、歴史的背景を無視して見れば、それなりにドラマとしては良く作ってあるのだが。)

文が直美を捨てたことを薄情な母親として描いてあったが、考えようによれば、そうしなければ母子で無理心中でもしなければならなかった……こういう状況は、つい近年まであった……このようなことを考えると、むしろ母親の愛情であると考えることもできるのだが、こういうことを思ってみるのも、また歴史の想像力の問題である。

他にも、胃がんの診断や手術や、終末期医療について、この時代だったらどうだろうかということはあるし、派出看護婦が突然出てきたことも気になるが、これぐらいにしておきたい。

2026年7月25日記

『ひまわり』「第七章 兄弟は他人の始まり?」(7月20日~7月25日)2026-07-26

2026年7月26日 當山日出夫

『ひまわり』「第七章 兄弟は他人の始まり?」(7月20日~7月25日)

この週もいろいろとある。赤松とあづさのこと。優の店のこと。それから、福島での司法修習のこと。

司法修習で弁護士事務所に配属される。このドラマのいいところだと思えるのは、弁護士を、かっこいいとか偉いとかというイメージで描いていないところだろう。福島の田舎弁護士(といっては失礼だと思うのだが)では、いろんな事件を手がけなければならない。といって、すべて依頼がくれば対応するということでもない。このあたりは、東京の大きな弁護士事務所とは、また違った考えで、仕事を選ばなければならない。でないと、やっていけない。切実な事情がある。

福島の竹永弁護士はのぞみに言う……弁護士は偉くなんかない。司法試験を受かった優秀な人間で、偉いなんて思ってはいけない。実際に弁護士に依頼するような案件で、家庭内のもめごとだったりすると、話し合いで解決できないからやってくるのであって、そこに他人の弁護士が口出しをすることで、余計にもつれることがある。弁護士は、人間の欲望や怨恨で仕事をしている、そういう職業である。これは、やはり、そういうところがあるだろうと認めざるをえないだろう。

社会正義の実現とか、人の心を救うとか、こういう理想を言うことはできるが、実際には、人間の心情……それは、決して美しいとかきれいとかいうものではなく、醜く邪悪なものでもある……に触れざるをえない。

あえていえば、以前の『虎に翼』で描いたような、男女の平等ということは、社会正義の理念の正しさの裏側には、虐げられ不満をかかえてきた女性たちの恨みつらみがある。そう感じることは、より公正な社会の実現にむけてのエネルギーにはなる。考えるきっかけになる。しかし、恨みつらみの感情、嫉妬の感情、敵意、反感、ということは、根源的には、人間の邪悪さにつながるものであるということも、また、たしかなことである。社会正義の裏側には、こういうものがある、それが人間というものなのだ……こういうものの見方もあっていいと私は思っている。

また、弁護士になったら、「個人として」という言い訳は通用しない。この指摘も重要である。教師しかし、警察官しかり、である。検事や裁判官についても同じだろう。

赤松とあづさのことなど、とても複雑な感情かなとも思うが、ここも、お互いにもうちょっと素直に考えればいいかなと思えなくもない。だが、ちょっとした行き違いで、お互いの感情がもつれてしまうのも、また、男と女の関係ということである。それに、のぞみが加わるので、余計にややこしくなる。だが、非常にこんがらかった人間関係の感情を、毎回15分の中で、エンタテイメントとして描いて収めているのは、脚本の巧さというべきだろう。

福島で、修習生たちがあつまった席で、小牧怜が、はじめて自分の生いたちについて話していた。どういう生いたちであるか、どんな境遇で育ったかは、法曹にかかわる人間としては、ものの考え方に影響がないはずはないのだが、しかし、それを棚上げにして、法律にしたがうというのが、基本的な職業観である。この観点では、のぞみは、家族だったら話し合えば分かると言うことはあっても、そこに、自分の南田の家の事情をからめることはない。(まあ、今のところ、のぞみとお父さんの関係は、話し合ってどうこうなるということではないようであるのだが。)

2026年7月25日記

『マッサン』「一念岩をも通す」「人生は冒険旅行」2026-07-26

2026年7月26日 當山日出夫

『マッサン』「一念岩をも通す」「人生は冒険旅行」

このドラマも最終盤である。なんとなく急ぎ足で決着をつけようという展開になってきている感じはする。

戦後のマッサンたちにとって、進駐軍との取引が終わった後に、国産ウイスキーのメーカーとして、どう生き残るかが課題になる。ここで、マッサンは、三級ウイスキーの製造にふみきる。

できれば、このあたりは、ニッカとサントリーが、それぞれに、どのようなビジネスを展開することになったか、ということがあると面白くなるところだが、舞台を余市に限定してしまってあるので、難しいことになっている。ここで、もうちょっと余裕があったら、東京か、あるいは、札幌あたりのバーなどを、ドラマの中に加えてあって、そこで、どんな酒が飲まれてきたかという部分があってもよかったかと思える。これまでのドラマの筋は、ひたすらウイスキーを造るマッサンの視点で描かれていて、それを飲む一般の人びとのことが、ほとんど出てきていない。出てきても、科白の中でだけである。

こういうところが、このドラマが決して駄作ではないものの、今ひとつ傑作と思えない理由かもしれない。戦後の闇市の酒場とか、東京のバーとか、セットを作るコストは、たしかにかかることなのであるが。

2026年7月25日記

歴史探偵「「風、薫る」コラボ 明治ナース誕生秘話」2026-07-25

2026年7月25日 當山日出夫

歴史探偵「「風、薫る」コラボ 明治ナース誕生秘話」

これはつまらなかった。

看護婦という仕事が、外で働く女性ということでイメージされるようになっていく過程が、もっとも大事だと思うのだが、そこのところを、あまりに考えなさすぎである。その一つのこととして、従軍看護婦ということがある。これを、女性が国家の戦争に加担したこと、ということで、悪いこととしてしかあつかうことができない、ものの考え方が、頑迷というべきだろう。

働く女性ということをいうときに、地域や社会的階層ということを、無視するのが、通例になってしまっている。看護婦のような専門職だけが、働くこと、職業であるわけではない。今の、『風、薫る』であれば、瑞穂屋で働いている文さんも、りっぱな働く女性であるはずだが、こういう女性のことは、視野に入っていない。朝ドラの前作である『ばけばけ』なら、松江の街で、道ばたでお店を出して商売をしている人びとには、女性も多くいたはずだが、こういう人は、働いていないということなのだろうか。小学校の先生のサワは働く女性だが、旅館の女中であるウメはそうではない、とするならば、あまりに差別的な視点であるとしかいいようがない。

家の中に女性のプライバシーの空間がないといっていたが、それをいうなら、社会階層と住宅のことを踏まえておくべきだし、プライバシーがなかったのは、女性だけではない。(そもそも、近代的なプライバシーの概念がいつからどのようにして意識されるようになったかということが、まず重要である。)

看護婦の服装が洋服になったとして、それを袴と比べるのは、実験として意味がない。看護婦の仕事にとっては、袴かどうかではなく、上半身の着物の袖が問題であるということぐらいは、見てすぐに分かることだと思う。せめて、動作のときにたすき掛けにするぐらいのことがあってしかるべきである。実験として意味がないし、想像力がなさすぎる。

晩年の大関和について、温泉に逗留するぐらいのお金があったということなら、そのお金は、どうやって稼いだのかということが問題だし、そのためには、看護婦の賃金とか、病院の制度とか、医療のお金のこととか、こういうことについて、触れておかなければならない。

また、大関和にしても、鈴木雅にしても、日本の看護婦のパイオニアとして位置づけや活動もあるが、看護や医療の組織をどう作っていったのかという面からも考えなければならないことである。

大山捨松に関連して、明治のころ、その名前が、「~~夫人」という言い方であったことは確かだとしても、こういう言い方は、つい近年まで残っていたことである。「~~御令室」とか「~~御令息」とか、普通に使っていた。

ある程度以上の家柄だったら、たとえば佐藤さんの奥さんなら、「佐藤内」と自分のことを書いたりするのが、マナーとしてあった。つい近年までである。

これをいうなら、大山捨松の経歴がきわめて特殊なのであって、明治のころの、政治家の妻の多くは(正妻かどうかということをふくめて)芸者さんだったのが、ごく普通である。こういうことを言いだすとやぶへびと思っていたのだろうか。知らなかったのだろうか。

2026年7月23日記

ザ・バックヤード「森林総合研究所」2026-07-25

2026年7月25日 當山日出夫

ザ・バックヤード「森林総合研究所」

花粉の少ない杉を開発しているという話しは知っていたが、どうやっているのかと思っていた。今の時代のことだから、遺伝子組み換えの技術を使うのかと思っていたが、以外とシンプルな方法……花粉の少ない木を選んで交配する……ということである。多くの栽培植物の品種改良の手法を使っているということなのだろう。

木材からお酒を造るというのは、とても面白いが、要するに、木材のセルロースを分解して、なんとか利用できないか、ということの研究の一つと理解していいだろうか。お酒以外にも、食品関係で、いろいろと利用できるようになれば、日本の森林資源、間伐材の利用ということで、期待できそうである。だが、問題は、やっぱりコストかとは思うが。

木材の耐久試験など、ここでやって規準を定めているということは知らなかった。関西万博は、まったく興味が無いので、行く気などまったく起こらなかったが、大屋根リングを作った、木材利用のいろんな技術としてどんなものがあるのか、ということは興味がある。

2026年7月22日記

心おどる「英語de茶の湯 裏千家 (3)Tea room (茶室)」2026-07-25

2026年7月25日 當山日出夫

心おどる「英語de茶の湯 裏千家 (3)Tea room (茶室)」

「わび」が分かりますか、なんてなことは、聞かない方がいいと思うが。いわゆる日本人であっても、ほとんどの場合、分かったようなふりをしているだけであるか、あるいは、とんでもない誤解をして分かったと思いこんでいるか、ということだろう。こういうことは、分かったようなふりをしていて、その中身として、どんなことを思うかは、人それぞれであり、また、時代の状況によっても変わってくるものである、ただ、その器としての「わび」ということばだけは、うけつがれてきている。これぐらいのことでいいのかと思っている。

茶室は、畳が敷いてあって、障子(明障子)があって、床の間があって……ということだから、室町時代以降、書院造りという様式の建築が出来てから、それを小さくしていったものと理解していいだろう。日本の伝統を伝えているといっても、鎌倉時代以前にさかのぼるものではない。

庭の飛び石の上を歩く、これは、普通に考えれば、とても楽しいことである。だが、天邪鬼な視点から見れば、まったくバリアフリーのことを考えていない。車椅子とまでは言わないが、杖をついて歩くようになって、さて、その杖をコケの上についていいものやら……このあたりのことぐらいは、指針として言っておいてよかったことではないだろうか。

フィンランドの茶室が出てきていたが、ロシアと戦ってきた歴史がある。今では、それまでの中立政策を捨てて、NATOに加盟するようになった。

ニューヨークの茶室は、大都会の中に、こういうところがあっていいだろうとは思うが、しかし、ここにやってくるような人たちは、まあセレブなんだろうなあ、と思うだけである。(私は、田舎の農家の縁側に腰掛けて、一杯のお茶を飲んだりということのあった昔の生活がいいかなという気がする。)それにしても、廊下が狭い。人がすれ違うことは難しいぐらいである。たまたまスペースの関係でこうなったのか、茶室の設計思想としてこうなったのか。それにしては、特注で大きな畳を作ったりしている。

北山杉は、非常に付加価値が高いから、こういった仕事ができる。もう日本の林業で、杉の枝打ちはおろか、間伐であっても、できるかどうかという時代であると思うが。

関守石……こういうことを、わざわざ説明しなければならなくなったというのは、日本の生活の感覚の堕落である(非常に、偏見にみちた言い方であるが。)日常生活の中での、この種のしきたりの感覚、これは結界である、ということが、伝わっていないというだけのことなのだが。

ヤンニさんが、「鳥の音」と言っていた。普通の日本語だと、「鳥の声」である。鳥の鳴き声を、「音」と感じるか、「声」と感じるか、このあたりは、文化の違いである。ヤンニさんの話しを聞いていると、北山杉のところで、「鳥肌」ということばを、今の現代語で使っていた。古い感覚では、これは誤用になる。つまり、現代の日本語には非常に堪能である。であっても、「鳥の音」と言ってしまうことになる。

だから、外国人には日本人の「わび」など分からない……といってしまうのは、避けなければならない。だが、ついそういってしまいがちな陥穽が、こういうちょっとした表現の中にある。

茶室の庭もそうだし、にじり口もそうなのだが、これを、現代のユニバーサルデザインで作るとどうなるか、こういう試みがあっていいと思う。世界に茶道をひろめようと思うなら、まさに必要なことではないだろうか。

2026年7月22日記

100分de名著「親鸞“教行信証” (3)「実存的改読」がもたらすもの」2026-07-24

2026年7月24日 當山日出夫

100分de名著「親鸞“教行信証” (3)「実存的改読」がもたらすもの」

教行信証に見られる、親鸞の阿弥陀仏と浄土への信仰がどのような構造でなりたっているのか、というかなりややこしいことを、非常に分かりやすく整理して解説してあったと思う。しかし、正直な印象としては、かなりトリッキーな論理構造である。

これも、見方を変えれば、親鸞はその時代において考えるところがあり、それを、経典の中にもとめていって、なんとか、(ことばは悪いが)自説に都合のいいところだけを、切り取って継ぎ接ぎして、まとめあげてみた……ということかと思っている。

ここで問題なのは、そもそも、親鸞は、その時代において何に悩んでいたのか……ということかと思う。思想の出発点である。平安時代の終わりから鎌倉時代にかけての人びとの、生活の感性、宗教的な感覚、というのは、分かりにくいことかとも思っている。前近代よりも前、古代というべきだろうか。だからといって、いきなり折口信夫の古代というところまで行ってしまうことにはならないだろが。

この回で出てきていた悪であるが、定義できるもの、あるいは、定言命法的なとしての悪、こういっていいだろうか。これに対して、どう考えるかは、それぞれの論法があり、価値観がある。

悪も、今日では、いくらでも増えるものになってしまっている。被害者という人が出てきて声を上げれば、それで悪が生まれる(?)……という社会になってしまっている。この今の時代において、親鸞などの時代に考えた悪への思想が、はたしてどう通用することになるのだろうか。

後半のところで、近江商人の、三方よし、に話しを持って行くのは、ちょっと強引なはこびかなという印象がある。たしかに、日本の思想史、宗教史、を考えるときに、「プロ倫」を意識しないわけにはいかないだろうが、近江商人のエトスを、親鸞の教えに求める……というのは、どうだろうか。

2026年7月21日記