『アベノミクスは何を殺したか』原真人/朝日新書2023-08-30

2023年8月29日 當山日出夫

アベノミクスは何を殺したか

原真人.『アベノミクスは何を殺したか-日本の知性13人との闘論-』(朝日新書).朝日新聞出版.2023

安倍晋三が死んでから一年以上になる。その政治に対する批判、検証、検討の本がかなり出てきている。これは、死ぬ前から出ているものもある。が、死んで一応の区切りがついたところで、改めてその政治はなんであったのか検証しようという流れがあることはたしかだろう。

この本は、特にアベノミクスという経済政策に焦点をあてて批判的に検証してある。著者は、朝日新聞の経済部の記者である。

私は、経済、経済学のことには疎い。というよりも全くの門外漢であると言っていい。アベノミクスということばは知っていても、その内実についてはあまり考えてきたことはない。せいぜい、低金利政策のせいで銀行にお金を預けてもほとんど利息が付かない世の中になってしまったというぐらいである。

読んで思うことは次の二つぐらいがある。

第一には、アベノミクスは失敗であったということ。すくなくとも大成功とはいえないだろう。せいぜい評価するとして、功罪相半ばするぐらいが関の山である。黒田日銀総裁の路線については、その当初から日銀内部で批判的であったことがわかる。だが、安倍晋三は、強引な人事でアベノミクスを推進することになった。失敗(かもしれない)とわかっても、改めることができなかった。

引き返す覚悟がなかったことが、一番の問題点かもしれない。

第二には、安倍政権のもとでの官僚システムの破壊。それまでは、官僚には責任感があった。政治家が何と言おうと、官僚の責務においてその職責をつらぬくという自負があった。これも、安倍晋三は破壊してしまった。いわゆる官邸主導ということで、人事を握ってしまえば、官僚の自立性は失われる。

従来、官僚システムの硬直化という問題点が指摘されることがあった。しかし、これは、今になってふり返ってみれば、政治家の暴走をとめる働きとして機能してきたことにもなる。

以上の二つのことが印象に残る。

経済のことに不案内なので、よく分からない議論もあったりするのだが、しかし、全体として公平な視点からアベノミクスを評価しているものと判断する。安倍晋三批判本が多くあるなかで、出色の一冊だと思う。

2023年8月23日記




『シニア右翼』古谷経衡/中公新書ラクレ2023-05-05

2023年5月5日 當山日出夫

シニア右翼

古谷経衡.『シニア右翼-日本の中高年はなぜ右傾化するのか-』(中公新書ラクレ).中央公論新社.2023
https://www.chuko.co.jp/laclef/2023/03/150790.html

なかなか興味深い指摘の本である。

まず、シニア右翼、ネット右翼なるものの説明である。YouTubeに感化されて、急速に右傾化してしまった中高年がかなり存在する。それは、ネットリテラシーのないままに、インターネット環境が生活のなかに入りこんで、無批判に右翼的な言論に影響されてしまった結果だという。

なるほどそんなものかなと思う。

たしかに、Twitterの私のTLには、右翼的なものが流れてくる。そのほとんどは、RTされたものである。まあ、こんなことを頭から信じているのではなく、半分遊びでやっているのかな、ぐらいな感じで見てはいるのだが、どうやらそうではないようだ。やっている本人は、真面目にやっているらしい。

たまたまであるが、今日(2023年5月3日)、読売新聞のWEB版を見ていたら、安倍元首相の狙撃事件の真犯人は別にいるという陰謀論が流れているらしい。そして、それを信じている人が、(一部なのだろうが)確かに存在しているようだ。これなども、シニア右翼、ネット右翼の一部ということになるのだろう。

読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230503-OYT1T50069/

ネットリテラシーのないままに、WEBの特定の情報に感化されてしまうということは、考えられなくもない。そのような人たちもいるにはいるのだろうと思う。だが、右翼に対して、左翼も同様ではないかとも思えるのだが、どうもそうではないらしい。どうして右翼だけが、YouTubeに影響されてしまうのか、ここのところの説明の説得力に今一つ欠ける気がしてならない。

シニア右翼が登場する背景としての、戦前からの「右翼」の歴史をふりかえり、それがどのような人びとによって担われているのか、このあたりまでは納得できる。正統的な、「右翼」「保守」とは、シニア右翼、ネット右翼とは別である。(この意味では、私は、自分自身は「保守的なリベラル」であると思っている。)

だが、その理由として、戦後民主主義の不徹底にもとめるのはどうだろうか。(だからといって、私は、戦後民主主義が日本で根づいたものとしてあるということはないと思う。それは、いまだに「虚妄」であるのかもしれないのだ。)

面白いのは、シニア右翼は、YouTubeのチャンネル桜を鵜呑みにしていて、『正論』をきちんと読むことはないらしい、ということ。これは、単に馬鹿としかいいようがない。(私も若いときは『正論』を読むことはあった。だが、同時に『朝日ジャーナル』も読んでいた。)ネットリテラシー以前の問題に思えてならない。いつの世にも、馬鹿はいるものである。

まあ、右翼でも左翼でもよいが、きちんと本を読み、歴史に学び、自分で考える。そして、必要ならば、時の政権、社会情勢に対して批判的でもある……この当たり前のことを、心がけるだけのことである。

ただ、世代別のネットリテラシーについては、細かく検証の必要があると思う。ここのところの指摘は重要かもしれない。そして、若い世代にとって、これからのAIがネット言論に影響を及ぼしかねない状況で、どうあるべきなのか、これも(この本では書いていないが)大きな課題と言っていいだろう。

2023年5月3日記

『サル化する世界』内田樹/文春文庫2023-03-31

2023年3月31日 當山日出夫

サル化する世界

内田樹.『サル化する世界』(文春文庫).文藝春秋.2023(文藝春秋.2020)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167920029

この本、単行本が出た時に読んでいるのだが、文庫本になったので再度読んでみることにした。この本については共感するところがいくつかある。二つばかり書いておく。

第一には、大阪市長選についてのこと。

内田樹は、平松候補を応援した。その時のメッセージがよい。市長とは、全体の代表者であるべきである。当選したとしても(結果的には、この時の選挙ではやぶれたことになったが)、敵対する陣営……具体的には維新ということになる……のことも配慮しなければならない。維新に票を入れた人びとの気持ちをもくみ取ることを希望すると、述べている。

これには同意する。選挙では敵対することがあっても、当選すれば全体のことを考えなければならない。これは当然のことである。この当然のことが、今の時代の政治のなかでは忘れられているといってよい。

第二には、外国語教育と古典教育について。

母語の檻のなかから出て外を見る必要がある。それには、外国語を学ぶこと、そして、母語の古典を学ぶことが必要であると説く。これにも、私は深く同意するところがある。

ただの実用語学ではなく……そんなものは、場合によっては、AIの自動翻訳で取って代わられるかもしれない……自分の母語を省みる契機としての外国語学習の必要がある。そして、古典も同様である。古典を学ぶことによって、現代語の母語の枠組みとの、連続性と不連続性を確認することになる。母語で見る世界を、相対化して見ることが可能になる。私のことばで言いかえてみるならば、このようなことが主張されている。これにも、私は同意する。

今、古典教育についての風当たりが厳しい。極言するならば、それを学ぶことによって、個人の年収の増加につながらないような学習は無意味であると切り捨てる論もあったりする。だが、古典は、その言語をつかう集団が集団として生きのびるために必要である、と言うこともできよう。言葉の共同体にとって古典とは何か、この観点からの議論も重要であると私は考える。

以上の二点ぐらいを書いてみる。

だからといって、この本に書いてあることの全部に賛同ということでもない。評論家として何について語ってもよいようなものかもしれないが、しかし、同時にその分野の専門家に対するリスペクトは必要なものとして守るべきである、このように感じるところがいくつかあることは確かである。

もとの本は、二〇二〇年の刊行。COVID-19パンデミックの前であり、また、ロシアによるウクライナ侵略の前である。この二~三年の間に世の中は激動した。その観点からふり返って読んでみても、この本に書いてあることは、なるほどと思うところがかなりある。

2023年2月11日記

『夜明け前(が一番暗い)』内田樹2023-03-18

2023年3月18日 當山日出夫

夜明け前(が一番暗い)

内田樹.『夜明け前(が一番暗い)』.内田樹.朝日新聞出版.2023
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=24050

『アエラ』に連載の文章をまとめたもの。私は『アエラ』は、かつて毎号読んでいた時期があった。朝日新聞と一緒に配達してもらっていた。だが、もう止めてしまってかなりになる。はっきり言って、読んで面白くないからである。端的にいえば、言論、報道のメディアから、お受験雑誌になってしまったと感じたのである。

だから、内田樹の文章は、『アエラ』では読んでいない。内田樹の文章を読むために『アエラ』を買おうとは思わない。

この本に収められた文章は、二〇一八年から二〇二二年までのものである。なるほどこのような時代があったのかと、思い出しながら読むことになる。アメリカではトランプ大統領がいた。日本では、新型コロナウィルスのパンデミックであった。オリンピックがあった。そして、ソ連のウクライナ軍事侵攻があった。今になってみれば、いや、今でもそうなのだが、激動の時代である。

読んでみて、共感できるところが半分、あまり感心しないと感じるところが半分、というあたりであろうか。全体としては、そう卓見に富んだ時評集というよりは、むしろ、常識的な備忘録という印象が残る。

意外と少ないと感じるのが、旧統一教会関係のこと。ほとんど言及がない。意図的に、この話題を『アエラ』で書くことを避けたのか、と思ってしまう。宗教にかかわることとしては、いろいろと言うべきことがあるだろうにと思うが、さてどうだろうか。

収録してあるのはどれも短い文章なので、「情理をつくして説く」という雰囲気のものは無い。

もし、この本が将来も読まれることがあるとしたら、ある時代の雰囲気をいくらかでもつたえたものとして、懐古的に読まれることになるだろうと思う。そして、激変する時代の流れのなかで、常識的判断を保つということの価値を教えてくれる本だと思う。

2023年2月22日記

『世界は五反田から始まった』星野博美2022-12-30

2022年12月30日 當山日出夫

世界は五反田から始まった

星野博美.『世界は五反田から始まった』.ゲンロン.2022
https://www.genron-alpha.com/gotanda/

大佛次郎賞ということで読んでみた。なかなか面白いというのが第一の感想。思うことは、いろいろあるが二つぐらい書いておく。

第一に、五反田という街の物語として。

私は若いとき東京に住んでいたとき、目黒に主にいた。他には、板橋にしばらく住んでいたことがある。JRの目黒駅から歩いていける範囲であった。鳳神社の近くである。目黒駅界隈が、私にとって一番馴染みのある街ということになる。その周辺の地域として、五反田もあることになる。

五反田のあたりも大きく変わった。私が学生のころだったろうか、五反田の駅の近くには、「三業」の看板がかかっていたものである。歓楽街としての五反田を象徴するものだろう。

その五反田の町工場の盛衰が、この本では語られる。五反田の町工場から見た日本の近代の一面と言っていいだろうか。

そから、印象に残るのが、満州への移民が多く東京、それも五反田界隈から出ていること。その顛末は、この本に詳しい。

また、東京の空襲のことも書いてある。目黒あたりの空襲のことは、例えば向田邦子がエッセイに書いている。また、山田風太郎も『戦中派不戦日記』で記している。その空襲のありさまと、そのときに人びとはどのように感じ、考え、行動したか……このあたりの記述は非常に興味深い。

このようなところを読むと、大佛次郎賞に納得がいく。

第二に、左翼的な立場について。

著者は、反体制的左翼の立場にたって書いている。このことを悪いともいいとも思わないが、しかし、今の時代となっては、ほとんど絶滅危惧種のような左翼的発想に、読み始めは辟易するところもないではないが、読み進めていくにしたがって、よく今の時代にこんな考えの持ち主が生き残っていたものかと、感心してしまう。これはこれとして、絵に描いたような古典的左翼の標本のような文章になっている。

以上の二点が、この本を読んで思うところである。

東京に行っても、目黒も五反田も変わってしまった。私が住んでいたのは、いまから半世紀も前のことになる。その当時の街の光景とはがらりと変わってしまった。街の記憶の物語として、この本は読まれていくことだろうと思う。

2022年12月25日記

『22世紀の民主主義』成田悠輔2022-12-08

2022年12月8日 當山日出夫

22世紀の民主主義

成田悠輔.『22世紀の民主主義』(SB新書).SBクリエイティブ.2022
https://www.sbcr.jp/product/4815615604/

売れている本ということで読んでみることにした。読んで思うこととしては、次の二点になる。

第一には共感できるところ。

現在の民主主義、この本では選挙制度といっていいと思うのだが、これについて、二一世紀になった今、制度的に様々な問題があることは理解できる。なぜ、選挙区にわけて、数年に一度選挙するのか。その選挙の結果、国や社会はよりよい方向にむかっていくのだろうか。ここについては、疑問のあるところである。

この本で指摘されているように、近年、民主主義のシステムを採用している、いわゆる西欧先進諸国……日本を含めてということになるが……の衰退傾向が目立つ。それに対して、独裁的な政治体制の国の方が、経済成長の面だけとりだしてみれば、うまくいっているように見える。

だから独裁体制の方がいいということはない。しかし、代議制民主主義、選挙というシステムが、二一世紀の今日において、制度的に問題のあることは、あきらかではないだろうか。このあたりの問題意識については、かなり共感できるところがある。

第二に共感できないところ。

人間が無意識に感じているところ、それを種々の方法によって、政治に反映することのこころみが語られる。このあたりの主張については、どう楽観的にすぎるように思われる。

私がそう思っているだけなのかもしれないが、人間とは邪悪なものである。それをどうごまかして、よりよい社会にしていくのか、そう簡単ではないと思う。アルゴリズムの進展で、それは克服できると著者は主張するようなのだが、これには納得しかねるところがある。

また、言語とか、宗教とか、文化とか、民族とか、このような問題については、これからどうあるべきなのだろうか。これもアルゴリズムで解決できるということなのだろうか。さらには、統治の正統性とか、法の正義とかは、どうなるのだろうか。そもそも、そのような状態において、国家とは何であるのか。

どうもこの本の言っていることは、アルゴリズムということを、極めて肯定的に、あるいは、楽観的に捕らえているとしか思えない。このあたり、この本に今一つ共感できないところでもある。

以上の二点が、この本を読んで思ったことなどである。

書いてあることに全面的に賛同するということはない。しかし、現在の、選挙制度、民主主義のあり方について、考えることは重要である。一読には値する本だと思う。

2022年10月18日記

『日本解体論』白井聡・望月衣塑子/朝日新書2022-10-15

2022年10月15日 當山日出夫

日本解体論

白井聡・望月衣塑子.『日本解体論』(朝日新書).朝日新聞出版.2022
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=23726

これは面白かった。白井聡の本は、いくぶんは読んでいるつもりである。はっきり言ってダメ左翼という印象しかない。だいたいにおいて、白井聡の本で言っていることは、現状の問題点の分析はまあまともなのだが、ではどう対処すべきかということになると、ダメになる。適切な現実的な処方箋が提示できていないのである。

まあ、この本でもそのきらいはないではない。ではどうすればいいのかとなって、自民党に投票することを止めればいい、という程度のことでしかない。これは、まったく何も言っていないに等しい。

が、ともあれ、全体としては面白い本であった。その主張するところの大部分は、共感できるものである。今日の日本社会の劣化というべき諸々の現象の指摘には、同意するところが多い。

特に興味深いのは、メディアの劣化論であろうか。このあたりは、対談の一方である望月衣塑子が新聞記者であるということもあって、政治をめぐる新聞、テレビなどの問題が、するどく指摘されている。そのなかにあって、良心的なジャーナリストというものが、皆無ではないということも言っていいことなのかもしれない。

ただ、ウクライナ問題になると、ちょっと議論が鈍くなる。このテーマについては、やはり、軍事と国際政治の専門知を必要とすることだと感じる。さらに言えば、このあたりの議論は、日本の左翼のダメさがよく分かる。

2022年9月28日記

『ウクライナ戦争と米中対立』峯村健司/幻冬舎新書2022-10-13

2022年10月13日 當山日出夫

ウクライナ戦争と米中対立

峯村健司.『ウクライナ戦争と米中対立-帝国主義に逆襲される世界-』(幻冬舎新書).幻冬舎.2022
https://www.gentosha.co.jp/book/b14583.html

峯村健司の対談集である。

対談の相手は次のとおり。

小泉悠
鈴木一人
村野将
小野田治
細谷雄一

どれもその分野での一流の人物と言っていいだろう。論調としては、リアルに国際政治と歴史の流れを見ているというべきである。これは、保守とか右翼とかにラベリングして分類すべきものではないと考える。

いろんな論点が論じられているのだが、基本的に、
・ウクライナ戦争
・ロシア
・アメリカ
・中国
そして、
・台湾有事

これらの現実の国際政治のなかで、今最も重要なテーマについて、縦横に論じてある。これを読んで感じるのは、まさに今の時代に生きる日本の問題、課題である。また、台湾有事ということが、単なる空想のことではないことがよく理解される。

これからの時代、二一世紀になって二〇年以上が経過した時点においてであるが、これからの国際社会の向かっていく方向が、必ずしも幸福なものではないことを、強く実感することになる。

覇権主義的世界、多極化する世界にあって、日本はこれからどうすべきか。直近の問題としては、台湾有事というときに、何を成しうるのか、いろいろと考えることが多い。今の世界では、民主主義国家の方がマイノリティになってしまっている、という指摘は重要かもしれない。うまく統治できて、経済的に繁栄することができるならば、独裁体制でもいいのではないか、そう思う国が増えてきていることは否定できないことだろう。

最も避けるべき議論……ロシアも悪いがウクライナも悪い。どっちもどっち。この論法で、台湾有事があったとして、中国も悪いがそれなりに理がある。軍事的にも強い。ならば、尖閣諸島ぐらいで我慢しておいて、日本が平和と中立を保つのが賢明……さて、このような論は、もうすでに水面下では浸透している考え方かもしれない。それこそ、中国の言論工作のねらいということになろう。

2022年9月30日記

『彼は早稲田で死んだ』樋田毅2022-06-13

2022年6月13日 當山日出夫(とうやまひでお)

彼は早稲田で死んだ

樋田毅.『彼は早稲田で死んだ-大学構内リンチ殺人事件の永遠-』.文藝春秋.2021
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163914459

大宅賞の受賞作ということで読んでみることにした。受賞のニュースを見て、さっそく買おうと思ったが、オンライン書店は品切れだった。ようやく重版になったようだ。買ったのは、第2刷である。

私は、一九七五年に慶應義塾大学に入学した。この本で描いているのは、一九七二に早稲田第一文学部でおこった、殺人事件の顛末とその後のことを描いている。読んで思うことはいろいろある。たった、数年のちがいで、東京の大学に入る時期がずれるだけで、こうも世界が違ってくるのだろうかというのが、率直なところである。

私が慶應に入学した時期は、いわゆる学生運動は沈静化した後のことだった。キャンパスにその余韻は残っていたとは思うが、総じて落ち着いていた。学生運動があったことなど嘘のような雰囲気だったといってもいいかもしれない。これは、私が、京都から東京に出て学生生活を送ることになったという事情もいくぶんあるだろう。あるいは、慶應の特殊性ということもあったのかもしれない。

もし、自分の人生の方向がちょっとちがっていたら、早稲田の文学部で学ぶことになったかもしれないと思う。そう思って読むと、他人事とは思えないところが、この本にはある。

事件は、一九七二年に起こった。早稲田の文学部の校内で、革マル派との抗争で、一人の学生が死んだ。その友達だったのが著者。その事件の当時、学生自治の役職にあった。なぜ、その事件は起きたのか、背景に何があったのか、その当時の早稲田における革マル派とはどんな存在であったのか、大学の学生自治はどのようにしておこなわれていたのか……などなど、ノンフィクションとして解きあかしていく。

これだけなら、あの時代の、ある一つの出来事の記録ということで終わっていただろう。

だが、この本はそこにとどまらない。著者は、卒業後、朝日新聞の記者になる。そのなかで遭遇することになったのが、阪神支局の銃撃事件である。

早稲田での死、朝日新聞阪神支局での死、この二つの事件を経て、著者はさらに追求していく。そして、最後には、事件の当事者の一人であった人物との邂逅をはたす。この本の一番の読みどころは、最後のその人物との対話の章であろう。

寛容と非寛容はどうあるべきか、言論の自由はいかに守られるべきか、大学における学生の自治はいかなるものなのか……さまざまな論点をめぐって、著者は思考をめぐらせる。これは、必ずしも結論を得るというものではないが、その思考の過程が率直に綴られている。

なるほど大宅賞の本だけはあると思って読んだ。いい本である。ヒューマニズムということを考えるうえで、いろいろと考えることのある本である。

だが、確かにいい本であることは分かるのだが、読んでいて、どこか古めかしさを感じる。これは、この著者の世代……学生運動のまっただなかに生きた世代に特有のものかもしれないのだが、どうもしっくりこない違和感のようなものを感じずにはいられない。端的にいってしまえば、革マルがどうしようと、自分のしたい勉強ができるのなら、学生としてそれでいいではないか……私などの経験からは、どうしてもそう感じるところがある。これは、一九七二年の早稲田と、一九七五年の慶應との違いであるのかもしれない。まあ、確かに私自身は非政治的人間だと思っている。しかし、政治や歴史に関心がまったないわけではない。その関心のありかた、どのように関与すべきかについての、感性の方向性が、今一つ、著者のそれと合わないのである。

このような読後感を感じるのは、やはり自分自身の学生時代の体験が大きく影響してのことだろうと思う。同世代で、早稲田で学んだ人たちはどう感じるだろうか。また、より若い今の人たちは、この本を読んでどう感じるだろうか。このあたりが、気になるところではある。

2022年6月1日記

『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』池上彰・佐藤優2022-02-12

2022年2月12日 當山日出夫(とうやまひでお)

激動 日本左翼史

池上彰・佐藤優.『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』(講談社現代新書).講談社.2021
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000355536

先の巻に続けて読んだ。

やまもも書斎記 2022年2月11日
『真説 日本左翼史 戦後左翼の源流 1945-1960』池上彰・佐藤優
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/11/9463029

この巻であつかってあるのは、共産党と社会党の確執。それから、学生運動。この時代のことになると、私の記憶の及ぶ範囲のことになる。思うことはいろいろとある。

かつて、左翼は正義であった。このような記憶が私にはある。それが共産党であるか、社会党であるかは別にして、そこには正しさというもの、理想というものが見えていた。いや、それは、幻想であったのかもしれない。しかし、確かに左翼は正義を目指していた。

それが幻滅したのは、学生運動の衰退、東西冷戦の終結……このあたりを決定的な契機として、もはや左翼に正義を感じなくなった。むしろ、その欺瞞が明らかになってきたといってもいいだろうか。

思うのだが、左翼を論じるとき、このシリーズでは意図的に右翼のことを避けていると思う。時の政府、政権、体制に対する批判という意味では、右翼と左翼と相通じるところがある。通底するものがあるといってもいいだろう。このあたりのところを、避けて左翼だけ論じるのもどうかなという気がしてならないのだが、しかし、これはそのように思って読めば、次のステップの議論として、右翼を含めた反体制社会運動史というものが浮かびあがってくるのかもしれない。

それから、学生運動、特に、日米安保闘争については、いまだ評価が難しい面があるのではと感じないではいられない。が、このあたりについて、この本は、かなり丁寧に語っているという印象がある。反政府運動であり、反米運動であり、また、愛国の運動でもあった。そして、それは、一定程度は一般市民からの支持もあるものであった。

そして、さらに思うこととしては……この本ではあまり語られないのだが……世界的な、若者の反乱の時代という潮流を抜きには考えることができないとも思う。ちょっとだけ、フランスの五月革命のことが出てくるのだが。ここは、世界的な若者の反体制運動のうねりということを、考えておく必要があろうかとも思う。

「日本左翼史」は、次の巻は冷戦終結以後の社会党の衰退というところになるらしい。この時代になると、私の体験的な記憶のうちの出来事になる。

2022年2月4日記