100分de名著「フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (1)学問の「危機」とは何か」 ― 2025-07-11
2025年7月11日 當山日出夫
100分de名著 フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (1)学問の「危機」とは何か
フッサールについては、名前は知っているが、その現象学というのが、どのような考え方であるのかということについては、ほとんど知らない。
時代の背景として、第一次世界大戦後のヨーロッパということであったが、これは、非常に重要なことだろう。日本の場合、第一次世界大戦は、あまり影響はなかった。(シベリア出兵ということはあったし、また、南洋の島々が日本の勢力圏なったのは、ドイツが負けて、ここの支配が空白になったからである。)日本の思想史、文化史、社会の歴史、ということで、第一次世界大戦がどれほどの影響があったかということは、改めて考えるべきことだとは思う。それよりも、影響が大きかったのは、関東大震災かとも思うのではあるが。
19世紀から20世紀のころ、第一次世界大戦を経験したヨーロッパの人びと、なかでも、いわゆる知識人というべき人びとが何を思ったのか、ということは、日本からはあまり実感を持って感じることの難しいところかと思う。
また、これは、NHKの定番になるが、ドイツにおけるナチスのことを、絶対悪としてしまうのは、問題があるかと思っている。それよりも、その当時の一般の人びと、大衆、庶民、市民の、生活とものの考え方がどうであったのか、ということを考えるべきだろう。ヒトラーのプロパガンダにだまされた愚かな(しかし善良な)ドイツ人、という図式では、思想史や文化史のダイナミズムを描けないと思うことになる。
フッサールはユダヤ人として迫害される立場にあったことになるが、ユダヤ人についての排斥意識は、別にヒトラーの独創ではない。
2025年7月10日記
100分de名著 フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (1)学問の「危機」とは何か
フッサールについては、名前は知っているが、その現象学というのが、どのような考え方であるのかということについては、ほとんど知らない。
時代の背景として、第一次世界大戦後のヨーロッパということであったが、これは、非常に重要なことだろう。日本の場合、第一次世界大戦は、あまり影響はなかった。(シベリア出兵ということはあったし、また、南洋の島々が日本の勢力圏なったのは、ドイツが負けて、ここの支配が空白になったからである。)日本の思想史、文化史、社会の歴史、ということで、第一次世界大戦がどれほどの影響があったかということは、改めて考えるべきことだとは思う。それよりも、影響が大きかったのは、関東大震災かとも思うのではあるが。
19世紀から20世紀のころ、第一次世界大戦を経験したヨーロッパの人びと、なかでも、いわゆる知識人というべき人びとが何を思ったのか、ということは、日本からはあまり実感を持って感じることの難しいところかと思う。
また、これは、NHKの定番になるが、ドイツにおけるナチスのことを、絶対悪としてしまうのは、問題があるかと思っている。それよりも、その当時の一般の人びと、大衆、庶民、市民の、生活とものの考え方がどうであったのか、ということを考えるべきだろう。ヒトラーのプロパガンダにだまされた愚かな(しかし善良な)ドイツ人、という図式では、思想史や文化史のダイナミズムを描けないと思うことになる。
フッサールはユダヤ人として迫害される立場にあったことになるが、ユダヤ人についての排斥意識は、別にヒトラーの独創ではない。
2025年7月10日記
おとなのEテレタイムマシン「ETV特集 最後の舞台 〜津軽三味線・高橋竹山の挑戦〜」 ― 2025-07-11
2025年7月11日 當山日出夫
おとなのEテレタイムマシン ETV特集 最後の舞台 〜津軽三味線・高橋竹山の挑戦〜
1998年の番組である。
高橋竹山は、私ぐらいの世代の人間にとっては、一種のヒーロー的存在であった。無論、これは、勝手なインテリ学生の思いこみにすぎなかったのだが。私が学生だった時代、いわゆるサブカルチャーのなかに、時代への抵抗の「英雄」を見出そう、見なそう、という流れがあった。その中の一人として、不遇の民衆の天才的音楽家として(というように思ったことになるが)の高橋竹山であったかと、今から思えば、回想することになる。(このような時代の雰囲気の中で、高く評価されていたのが、一条さゆりであったり、日活ロマンポルノであったり、東映ヤクザ映画であったり、歌手としては山口百恵だったりした。私が学生のころ、若者向けのミニコミ誌というようなものには、必ずといっていいほど、山口百恵論が載っていたものである。)
だが、今、この時代になって、自分も歳をとってから、この番組を見て思うこととしては、高橋竹山は、古い日本の心性をたもってきた人である、ということになる。何度も書いていることばだが、「忘れられた日本人」につらなるものとしてである。
貪欲に外国の音楽をとりいれ、また、楽器にも挑戦する、三味線を弾くバチにも工夫をこらす……いわゆる伝統的な芸能の世界としては、破格なことをやってきたように見える。だが、しかし、常に外の世界から入ってくる新しいものに興味を示すというのも、これはこれで、古くよりの庶民・大衆の、生活のあり方であったと考えるべきだろう。
アリランを奏でるとき、いったい何を思っていたのだろうか。(この曲の政治的な意味を知らなかったはずはないと思うのであるが。)
伝統を守る古い生活というのは、常に新しい外からの世界のものたいして貪欲であったということを、改めて考えてみるべきだろう。知的に考える近代的な保守の思想とは違った心性がそこにあったかとも思う。
2025年7月8日記
おとなのEテレタイムマシン ETV特集 最後の舞台 〜津軽三味線・高橋竹山の挑戦〜
1998年の番組である。
高橋竹山は、私ぐらいの世代の人間にとっては、一種のヒーロー的存在であった。無論、これは、勝手なインテリ学生の思いこみにすぎなかったのだが。私が学生だった時代、いわゆるサブカルチャーのなかに、時代への抵抗の「英雄」を見出そう、見なそう、という流れがあった。その中の一人として、不遇の民衆の天才的音楽家として(というように思ったことになるが)の高橋竹山であったかと、今から思えば、回想することになる。(このような時代の雰囲気の中で、高く評価されていたのが、一条さゆりであったり、日活ロマンポルノであったり、東映ヤクザ映画であったり、歌手としては山口百恵だったりした。私が学生のころ、若者向けのミニコミ誌というようなものには、必ずといっていいほど、山口百恵論が載っていたものである。)
だが、今、この時代になって、自分も歳をとってから、この番組を見て思うこととしては、高橋竹山は、古い日本の心性をたもってきた人である、ということになる。何度も書いていることばだが、「忘れられた日本人」につらなるものとしてである。
貪欲に外国の音楽をとりいれ、また、楽器にも挑戦する、三味線を弾くバチにも工夫をこらす……いわゆる伝統的な芸能の世界としては、破格なことをやってきたように見える。だが、しかし、常に外の世界から入ってくる新しいものに興味を示すというのも、これはこれで、古くよりの庶民・大衆の、生活のあり方であったと考えるべきだろう。
アリランを奏でるとき、いったい何を思っていたのだろうか。(この曲の政治的な意味を知らなかったはずはないと思うのであるが。)
伝統を守る古い生活というのは、常に新しい外からの世界のものたいして貪欲であったということを、改めて考えてみるべきだろう。知的に考える近代的な保守の思想とは違った心性がそこにあったかとも思う。
2025年7月8日記
新日本風土記「軽井沢の夏」 ― 2025-07-11
2025年7月11日 當山日出夫
新日本風土記 「軽井沢の夏」
再放送である。最初は、2023年9月5日。
軽井沢が明治になってから、西洋人によって発見された別荘地であるということは、よく知られていることであろう。現代にいたるまで、日本における避暑地、別荘地として屈指の場所といってよい。
見ながら思ったことを書いてみる。
最初に出てきた、西村伊作(文化学院の創設者)の残した別荘は、洋風の建物になっている。これは、作ったままではなく、後に立て直したものもあることになるのだろうが、欧米式のスタイルである。ただ、ここで、質素な生活、と言われても、近代の日本の庶民の生活感覚からすれば、とても「質素」などと言うべきものではない。おそらく、軽井沢の近隣の農山村は、かなり貧しい生活があったにちがいないが、そのような人びとのことは、西村伊作の目にははいらなかった、透明な存在、であったのだろう。
川端康成、室生犀星の別荘は、和洋折衷であり、畳の部屋がある。日本的な生活様式としては、夏の間は、畳の部屋でねっころがりたい、ということだったかと思う。(ちなみに、このような和洋折衷の建築様式の歴史は、興味深いところである。近年では、高齢者向けの住宅の設計としては畳の座敷は敬遠されがちかと思う。畳の上に座る時代ではなくなってきているということである。今、この文章を書いている私自身も、リビングのテーブルで椅子に座って書いている。使っているVAIOにWi-Fiがつながっていれば、特に書斎の机である必要はない。)
川端康成や室生犀星の別荘の所有と管理は、今はどうなっているのだろうか。
軽井沢商店街のビジネスは、夏の間の避暑の人を相手にしてのものである。近年では、観光客もある。季節限定であり、お金持ちの多い地域かと思うので、商品単価はかなり高く設定してあってもいいのかもしれない。
その一方で、夏以外のオフシーズンの様子はどんなだろうという気がする。おそらくは、多くの商店が店を閉め、地元の人たちのための店舗だけが営業しているということになるのだろう。私としては、このオフシーズンの様子の方が興味がある。また、この時期に、別荘を管理するために働いている人たちがいるはずで、その仕事がどんなであるか、これは知りたいと思う。
浅間山のふもとである。火山噴火の被害は、歴史的に繰り返してきた地域である。その災害の歴史ということは、どのように記録され、伝承されてきているのか、災害史という視点からは、重要な土地であろう。
アメリカ軍の演習場を作る計画があったのは、この時代の朝鮮戦争後、東西冷戦の時代ということを考えれば、計画を考えること自体は、合理性があったと、今からなら、言うことができるかと思う。無論、これに反対する地元の人たちの理由は、尊重されねばならない。(ただ、番組のなかで、昔を語っていた男性が、演習場を基地と言っていたのは、意図的なのか、そういう認識だったのか、どうなのだろうか。)
貧しい地域だったからこそ、戦前は満州の開拓におもむくことになり、戦後は、荒廃した土地の開拓に従事することになった……この貧しさの歴史は、改めて考えるべきことだと思う。
地元のローカルテレビのこころみは面白い。だが、これがいつまで継続するか、どうか。夏に成人式をおこなうということは、人口過疎地ということである。しかし、地元に生活する人にとっては、重要なテレビということである。おそらく、地方紙(新聞)よりも、ローカルテレビ、ということなのかもしれない。この意味では、ローカルテレビの、これからのビジネスを考えることになるかとも思う。あるいは、特定の地域に話題を限定した、YouTubeチャンネルであってもおかしくない。これは、もうすでにあるかとも思うが。(このテレビ局の記録メディアは、いったい何をつかっているのか、ということも気になる。)
このローカルテレビの番組で使っていた音楽が、「となりぐみ」の曲である。戦時中の国民啓発のための宣伝の歌であるが、このメロディを堂々とつかっているという感覚が、私には、いまひとつ納得できない。この地域の人たちにとっては、懐かしいメロディということなのだろうか。しかし、戦時中の記憶につながり、封建的な村の相互監視支配システムにつながる、ということは確かだと思うのだが。
アメリカ軍の演習場に反対するという気持ちと、「となりぐみ」のメロディが、同居しているというのが、この地域の人びとの生活ということになるのだろうか。
アメリカ人と結婚して、軽井沢に移住してきた家族。地域の行事に積極的に参加している。これも、肯定的に描かれている。
だが、古くからの村落の共同体意識については、これを、封建的遺制であり個人の尊厳にそむくものとして、全力で否定してきたのが、近現代の進歩的な考え方でもあったはずである。これから、どこでどうおりあいをつけていくことになるのだろうか。
軽井沢を終の住処とする人がいてもいいと思うが、この地域としての老人の介護のサービスはどうなっているのだろうか。場合によっては、お金持ち相手の、特別の高額サービス(介護や医療)を提供する会社などがあってもなりたつかと思うが、はたしてどうなのだろうか。自宅から歩いて、日常の買物や、病院へ行くことはできないのが、別荘の地域と思う。少なくとも自分で自動車の運転をしなくても、運転手をやとえるぐらいの資産がある人でないと、ここで冬場もふくめてずっと定住するのはむずかしいだろう。
イノシシやクマが出てもおかしくないと思うが、どうなのだろうか。
近い将来、ニセコ、白馬のようになってしまうだろうかという危惧もあるのだが、杞憂だろうか。あるいは、そのきざしはすでにあるのか。
2025年7月7日記
新日本風土記 「軽井沢の夏」
再放送である。最初は、2023年9月5日。
軽井沢が明治になってから、西洋人によって発見された別荘地であるということは、よく知られていることであろう。現代にいたるまで、日本における避暑地、別荘地として屈指の場所といってよい。
見ながら思ったことを書いてみる。
最初に出てきた、西村伊作(文化学院の創設者)の残した別荘は、洋風の建物になっている。これは、作ったままではなく、後に立て直したものもあることになるのだろうが、欧米式のスタイルである。ただ、ここで、質素な生活、と言われても、近代の日本の庶民の生活感覚からすれば、とても「質素」などと言うべきものではない。おそらく、軽井沢の近隣の農山村は、かなり貧しい生活があったにちがいないが、そのような人びとのことは、西村伊作の目にははいらなかった、透明な存在、であったのだろう。
川端康成、室生犀星の別荘は、和洋折衷であり、畳の部屋がある。日本的な生活様式としては、夏の間は、畳の部屋でねっころがりたい、ということだったかと思う。(ちなみに、このような和洋折衷の建築様式の歴史は、興味深いところである。近年では、高齢者向けの住宅の設計としては畳の座敷は敬遠されがちかと思う。畳の上に座る時代ではなくなってきているということである。今、この文章を書いている私自身も、リビングのテーブルで椅子に座って書いている。使っているVAIOにWi-Fiがつながっていれば、特に書斎の机である必要はない。)
川端康成や室生犀星の別荘の所有と管理は、今はどうなっているのだろうか。
軽井沢商店街のビジネスは、夏の間の避暑の人を相手にしてのものである。近年では、観光客もある。季節限定であり、お金持ちの多い地域かと思うので、商品単価はかなり高く設定してあってもいいのかもしれない。
その一方で、夏以外のオフシーズンの様子はどんなだろうという気がする。おそらくは、多くの商店が店を閉め、地元の人たちのための店舗だけが営業しているということになるのだろう。私としては、このオフシーズンの様子の方が興味がある。また、この時期に、別荘を管理するために働いている人たちがいるはずで、その仕事がどんなであるか、これは知りたいと思う。
浅間山のふもとである。火山噴火の被害は、歴史的に繰り返してきた地域である。その災害の歴史ということは、どのように記録され、伝承されてきているのか、災害史という視点からは、重要な土地であろう。
アメリカ軍の演習場を作る計画があったのは、この時代の朝鮮戦争後、東西冷戦の時代ということを考えれば、計画を考えること自体は、合理性があったと、今からなら、言うことができるかと思う。無論、これに反対する地元の人たちの理由は、尊重されねばならない。(ただ、番組のなかで、昔を語っていた男性が、演習場を基地と言っていたのは、意図的なのか、そういう認識だったのか、どうなのだろうか。)
貧しい地域だったからこそ、戦前は満州の開拓におもむくことになり、戦後は、荒廃した土地の開拓に従事することになった……この貧しさの歴史は、改めて考えるべきことだと思う。
地元のローカルテレビのこころみは面白い。だが、これがいつまで継続するか、どうか。夏に成人式をおこなうということは、人口過疎地ということである。しかし、地元に生活する人にとっては、重要なテレビということである。おそらく、地方紙(新聞)よりも、ローカルテレビ、ということなのかもしれない。この意味では、ローカルテレビの、これからのビジネスを考えることになるかとも思う。あるいは、特定の地域に話題を限定した、YouTubeチャンネルであってもおかしくない。これは、もうすでにあるかとも思うが。(このテレビ局の記録メディアは、いったい何をつかっているのか、ということも気になる。)
このローカルテレビの番組で使っていた音楽が、「となりぐみ」の曲である。戦時中の国民啓発のための宣伝の歌であるが、このメロディを堂々とつかっているという感覚が、私には、いまひとつ納得できない。この地域の人たちにとっては、懐かしいメロディということなのだろうか。しかし、戦時中の記憶につながり、封建的な村の相互監視支配システムにつながる、ということは確かだと思うのだが。
アメリカ軍の演習場に反対するという気持ちと、「となりぐみ」のメロディが、同居しているというのが、この地域の人びとの生活ということになるのだろうか。
アメリカ人と結婚して、軽井沢に移住してきた家族。地域の行事に積極的に参加している。これも、肯定的に描かれている。
だが、古くからの村落の共同体意識については、これを、封建的遺制であり個人の尊厳にそむくものとして、全力で否定してきたのが、近現代の進歩的な考え方でもあったはずである。これから、どこでどうおりあいをつけていくことになるのだろうか。
軽井沢を終の住処とする人がいてもいいと思うが、この地域としての老人の介護のサービスはどうなっているのだろうか。場合によっては、お金持ち相手の、特別の高額サービス(介護や医療)を提供する会社などがあってもなりたつかと思うが、はたしてどうなのだろうか。自宅から歩いて、日常の買物や、病院へ行くことはできないのが、別荘の地域と思う。少なくとも自分で自動車の運転をしなくても、運転手をやとえるぐらいの資産がある人でないと、ここで冬場もふくめてずっと定住するのはむずかしいだろう。
イノシシやクマが出てもおかしくないと思うが、どうなのだろうか。
近い将来、ニセコ、白馬のようになってしまうだろうかという危惧もあるのだが、杞憂だろうか。あるいは、そのきざしはすでにあるのか。
2025年7月7日記
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