おとなのEテレタイムマシン「ETV特集 最後の舞台 〜津軽三味線・高橋竹山の挑戦〜」 ― 2025-07-11
2025年7月11日 當山日出夫
おとなのEテレタイムマシン ETV特集 最後の舞台 〜津軽三味線・高橋竹山の挑戦〜
1998年の番組である。
高橋竹山は、私ぐらいの世代の人間にとっては、一種のヒーロー的存在であった。無論、これは、勝手なインテリ学生の思いこみにすぎなかったのだが。私が学生だった時代、いわゆるサブカルチャーのなかに、時代への抵抗の「英雄」を見出そう、見なそう、という流れがあった。その中の一人として、不遇の民衆の天才的音楽家として(というように思ったことになるが)の高橋竹山であったかと、今から思えば、回想することになる。(このような時代の雰囲気の中で、高く評価されていたのが、一条さゆりであったり、日活ロマンポルノであったり、東映ヤクザ映画であったり、歌手としては山口百恵だったりした。私が学生のころ、若者向けのミニコミ誌というようなものには、必ずといっていいほど、山口百恵論が載っていたものである。)
だが、今、この時代になって、自分も歳をとってから、この番組を見て思うこととしては、高橋竹山は、古い日本の心性をたもってきた人である、ということになる。何度も書いていることばだが、「忘れられた日本人」につらなるものとしてである。
貪欲に外国の音楽をとりいれ、また、楽器にも挑戦する、三味線を弾くバチにも工夫をこらす……いわゆる伝統的な芸能の世界としては、破格なことをやってきたように見える。だが、しかし、常に外の世界から入ってくる新しいものに興味を示すというのも、これはこれで、古くよりの庶民・大衆の、生活のあり方であったと考えるべきだろう。
アリランを奏でるとき、いったい何を思っていたのだろうか。(この曲の政治的な意味を知らなかったはずはないと思うのであるが。)
伝統を守る古い生活というのは、常に新しい外からの世界のものたいして貪欲であったということを、改めて考えてみるべきだろう。知的に考える近代的な保守の思想とは違った心性がそこにあったかとも思う。
2025年7月8日記
おとなのEテレタイムマシン ETV特集 最後の舞台 〜津軽三味線・高橋竹山の挑戦〜
1998年の番組である。
高橋竹山は、私ぐらいの世代の人間にとっては、一種のヒーロー的存在であった。無論、これは、勝手なインテリ学生の思いこみにすぎなかったのだが。私が学生だった時代、いわゆるサブカルチャーのなかに、時代への抵抗の「英雄」を見出そう、見なそう、という流れがあった。その中の一人として、不遇の民衆の天才的音楽家として(というように思ったことになるが)の高橋竹山であったかと、今から思えば、回想することになる。(このような時代の雰囲気の中で、高く評価されていたのが、一条さゆりであったり、日活ロマンポルノであったり、東映ヤクザ映画であったり、歌手としては山口百恵だったりした。私が学生のころ、若者向けのミニコミ誌というようなものには、必ずといっていいほど、山口百恵論が載っていたものである。)
だが、今、この時代になって、自分も歳をとってから、この番組を見て思うこととしては、高橋竹山は、古い日本の心性をたもってきた人である、ということになる。何度も書いていることばだが、「忘れられた日本人」につらなるものとしてである。
貪欲に外国の音楽をとりいれ、また、楽器にも挑戦する、三味線を弾くバチにも工夫をこらす……いわゆる伝統的な芸能の世界としては、破格なことをやってきたように見える。だが、しかし、常に外の世界から入ってくる新しいものに興味を示すというのも、これはこれで、古くよりの庶民・大衆の、生活のあり方であったと考えるべきだろう。
アリランを奏でるとき、いったい何を思っていたのだろうか。(この曲の政治的な意味を知らなかったはずはないと思うのであるが。)
伝統を守る古い生活というのは、常に新しい外からの世界のものたいして貪欲であったということを、改めて考えてみるべきだろう。知的に考える近代的な保守の思想とは違った心性がそこにあったかとも思う。
2025年7月8日記
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