知恵泉「油屋熊八 別府温泉・おきて破りの人気アップ戦略」2025-07-15

2025年7月15日 當山日出夫

知恵泉 油屋熊八 別府温泉・おきて破りの人気アップ戦略

この人物のことは知らなかった。見ていて、とても興味深い。

別府温泉を有名にしよう、お客さんを呼ぼう、というこころみの歴史としては非常に面白い。また、近代になって、このような人物がいたということも、これも、とても面白い。

今ならホラ吹き(誇大広告)、である。こういうやりかたができた時代があったといういことも、貴重な歴史かもしれない。

気になったことは、富士山の頂上の土地は、いったい誰のものなのだろう。普通に考えれば、神社の境内地か、あるいは、国有地か、ということかと思うが。そこに宣伝の看板を立てるというのは、大胆である。そして、富士山に登ることが、すでに観光化していたということがあってのことかもしれない。

日本最初のバスガールというアイデアは、この時代としては、かなり先端的である。この時代の歌が、いまも受け継がれているというのは、おどろいた。

視点を変えて見れば、日本における、洋風のホテルの歴史、というなかで考えることができるかもしれない。

湯布院は昔に行ったことがある。ここは、その後、さびれて、新しく復活した温泉町でもある。別府を庶民的な歓楽街・観光の温泉地としておいて、その近くに奥座敷的な高級なリゾート地を開発する、というのは、アイデアとしては秀逸であると思うことになる。

ななつぼしは乗ったことはない(別に乗りたいとも思わない)。だが、その宣伝のために、あえて制作中の車両を、人目から隠す……というのは、なかなかのアイデアである。見てはいけないといわれると余計に見たくなるのが、人情である。

大きな流れとしては、日本の近代における温泉と観光の歴史、湯治場から温泉地へということになるだろう。今では、温泉旅館のホスピタリティも変わりつつある。部屋ではなく、レストランでの食事ということになってきているのは、人手不足もあっての合理的な判断であるとは思う。(まあ、ビールでも飲んでいて、追加でさらにほしくなったときに、すぐ持ってきてくれるので、レストラン方式の方がありがたいという気はするのであるが。)

2025年7月12日記

BS世界のドキュメンタリー「「ジョージ王子 英王室の新しい帝王学」2025-07-15

2025年7月15日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「ジョージ王子 英王室の新しい帝王学」

2024年、イギリスの制作。

イギリス王室のことには、ほとんど興味関心はないのだが、見ていてけっこう面白かった。日本にも、皇室ジャーナリストというような人がいるし、テレビ番組では「皇室アルバム」というのが続いている。なぜかこの番組は、日本ではもっとも、いわゆるリベラルよりとされるテレビ局であるのが、不思議である。まあ、これも、テレビ局にとっては、商品であるとすれば、そんなものだろうと思うが。

英国王室の家族のあり方というのが、時代の価値観……家族とはどういうものか……ということを、映し出すことになっている。そして、それを意識して、英国王室では、世の中の流れに沿うように変わっていき、社会的な広報にもつとめている、ということなのだろう。

男女の夫婦がいて、子どもができれば、それは両親が中心になって育てる……これは、今の進歩的な考え方からすれば、まったくの時代錯誤であり、封建的家父長的なろくでもない制度、ということになるかもしれないが、しかし、英国王室がこのような姿を、さまざまなメディアを通じて、一般に知られるようにしているということは、これを受け入れるところが、英国社会のなかにまだ強く残っているということなのだろう。

文化の違いといえばそれまでであるが、英国王室の人たちの動作やふるまいは、開放的であり、ある意味では、やや大げさにも見える。日本の価値観だと、人前で強く自分の感情を表情や動作で表現することは、はしたないとされる場合が多いので、見ていて国がらのちがいを感じることになる。

興味深かったのは、養育係であるナニーの養成専門の学校があること。イギリスのお金持ち階級に限らず、ナニーの需要はあることになる。今では、世界の富裕層を相手に仕事があるのかとも思う。かなりの高給の仕事である。

いわれてみればそうなのだが、英国には、日本の学習院にあたる学校がない。(まあ、日本でも、学習院に皇族が行くとは限らなくなっているけれど。)

軍務につくということが、将来の問題になりそうだといっていた。歴史的にみれば、日本でも、近代になってから、天皇は大元帥であり、皇族(男性)は軍人でもあった。現在の上皇陛下も、年齢によっては軍にかかわっていたことになり、その場合、その経歴がどう評価されることになったかと思うことになる。軍とかかわることなく戦後になって、平成の時代の天皇となったことは、あらためて考えてみると意味のあったことになるだろう。

軍人であった皇族は、戦死した場合は特別あつかいされる。靖国神社がそのことをしめしている。

英国にかぎらず日本でも、王室、皇族のあり方というのが、その時代の家族観、家庭観を反映したものであるということは、確かなことであると思う。

見ていると映像の素材として、YouTubeのものが多く使われていた。それだけ、英国王室が多くの情報発信を積極的にしているということになる。

2025年7月8日記

サイエンスZERO「のど研究最前線!ヒトの“豊かな声”の秘密」2025-07-15

2025年7月15日 當山日出夫

サイエンスZERO のど研究最前線!ヒトの“豊かな声”の秘密

人間の言語について考えるとき、音声を基本に考えるというのは、構造主義言語学まで当たり前のことだったが、生成文法あたりから流れが変わってきている。人間における言語というものをどう考えるかはいろんな立場があるにせよ、音声によるコミュニケーションを、その本質と見なすことは、もはや主流ではなくなってきているといっていいだろうか。

陸上に住む動物が音声を発するようになったのは、肺魚からであること。人間の声帯をサルと比べると、人間の声の特徴がよく分かる、このあたりの話しは、なるほどと思って見ていた。

だが、この番組で、たぶん意図的にであろうが言っていなかったのは、その音声を聞く耳の発達であり、そして、それを脳でどう処理しているかということである。音が、なにがしかの意味を持つというのは、いったいどういうことなのだろうか、これこそ、おそらくは、人間にとっての言語の本質にかかわる問題だと思う。言語として意味があるということは、脳にとってどういうことなのであろうか。

人間の出せる音声(音の周波数の範囲)と、それを聞くことのできる耳の機能、これはワンセットで考えるべきことかと思う。ここで、人間とは違った進化をしたのが、コウモリということでいいだろうか。

さらに思ったことを書くと、聴覚情報処理障害(APD)という現象が、人間にはある。音声は聞こえているのだが(聴力としては問題がない)、それを言語として理解できないという状態である。

似たようなことだが、文字については、ディスレクシア、ということがある。文字が見えているのだが、それが文字として言語とのつながりがないという状態である。

こういうことを考えると、人間が音声を言語によるコミュニケーションの手段として使うようになって、まだ歴史がたっていない。脳の機能が(聴覚、視覚の情報の処理)が、十分に発達しきっていない、というように考えることもできるかもしれない。

動物が音声を出すようになり、耳を持つようになって、その動物にとって音のある還世界が誕生した、ということになるのだろうか。

2025年7月14日記