未来予測反省会「散髪ロボットで理美容師がいなくなる」 ― 2025-11-14
2025年11月14日 當山日出夫
未来予測反省会 「散髪ロボットで理美容師がいなくなる」
今回の内容は、だいたい思っていたとおりであった。
散髪屋さんとか、美容室にもとめられているのが、理美容の技術だけではなく、お客さんとの会話など、さまざまな要素をふくむものである、という意味では、散髪ロボットは、なかなか難しいかとおもう。
AIを使ったデザインなどの提案ということは、さしあたっては一番可能性が高いだろう。自分の顔を認識して、ヘアスタイルのシミュレーションが自在にできるようになる、これは可能だとして、次に問題になるのは、そのシミュレーションのとおりに髪の毛を切ることができる、技術である。この観点では、やはり、人間の理美容師の腕というのは、必要とされるに違いないし、より高度なものがもとめられていくことになるだろう。
それにしても、家事など、いろんなことが自動化されるという未来予測は、昔の人も考えたことであるし、今も考えていることになる。現在では、AIで、何が可能か、端的に言えば、どんな仕事がAIにとって代わられるか、ということが、本気で考えなければならない時代になってきている。
私が生きている時代は、まあ、そんなに影響を受けないかもしれないと思っているのだが、次の世代からは、切実な問題である。
AI、特に生成AIの登場によって、教育とか知識とかということについて、根本的に考えなおすべきだとは思うのだが、もうそういうことを考えるのが面倒なので、ただ、自分の好きな本を読んですごすことにしている。
2025年11月11日記
未来予測反省会 「散髪ロボットで理美容師がいなくなる」
今回の内容は、だいたい思っていたとおりであった。
散髪屋さんとか、美容室にもとめられているのが、理美容の技術だけではなく、お客さんとの会話など、さまざまな要素をふくむものである、という意味では、散髪ロボットは、なかなか難しいかとおもう。
AIを使ったデザインなどの提案ということは、さしあたっては一番可能性が高いだろう。自分の顔を認識して、ヘアスタイルのシミュレーションが自在にできるようになる、これは可能だとして、次に問題になるのは、そのシミュレーションのとおりに髪の毛を切ることができる、技術である。この観点では、やはり、人間の理美容師の腕というのは、必要とされるに違いないし、より高度なものがもとめられていくことになるだろう。
それにしても、家事など、いろんなことが自動化されるという未来予測は、昔の人も考えたことであるし、今も考えていることになる。現在では、AIで、何が可能か、端的に言えば、どんな仕事がAIにとって代わられるか、ということが、本気で考えなければならない時代になってきている。
私が生きている時代は、まあ、そんなに影響を受けないかもしれないと思っているのだが、次の世代からは、切実な問題である。
AI、特に生成AIの登場によって、教育とか知識とかということについて、根本的に考えなおすべきだとは思うのだが、もうそういうことを考えるのが面倒なので、ただ、自分の好きな本を読んですごすことにしている。
2025年11月11日記
サイエンスZERO「“深海生物”ミステリー!未知の生態系に迫る」 ― 2025-11-14
2025年11月14日 當山日出夫
サイエンスZERO “深海生物”ミステリー!未知の生態系に迫る
ヨコヅナイワシのことは、ニュースで見たことは憶えている。こんなでかい魚が深海の生態系の頂点にいるということは、とても面白い。その形態が、普通に浅いところにいるような形をしているというのは、どういう進化の過程を経てのことなのだろうか。深海でああいう形になったのか、あるいは、もともと浅いところで生きていたのが、深いところに生息域を求めていった結果なのか。
環境DNAの調査によって、どこいらへんに住んでいるらしいということが、つきとめられるというのは、地球上の生物の研究において、有効な手段となるのだろう。また、チッソ同位体から、何を食べているかが分かるということは、目にすることであるが、これも、最終的には、現在の地球全体での生態系の解明ということにつながっていく基本の技術といっていいのだろう。
ところで、深海で、光がとどかない。地球上のほとんどの場所は、太陽からの光がとどいて、そこで植物が光合成することで、今の地球の自然環境がなりたっている。一方、地球のほとんどの部分は、光のとどかない深い海の底であることもたしかである。この広大な領域で、どんな生物が生きていて、それが、地球全体の生態系と、どうかかわるのか、ということは、これからの大きな研究の課題になるはずである。
植物が存在しないところで生きのびるために、貝が、メタンから栄養を取る、そのために、細菌と共生する。メタンの無いところでは、他の生物はどうしているのだろうか。
深海にも光る生物がいる。光るサンゴは、カンブリア紀に誕生したらしい。このとき、私の思うことは、そもそも光が届かない深海で、光ることの意味はいったい何なんだろうということである。光を発して、それを、受け取ることができる相手がいないと意味がないと思える。つまり、目の発達、ということとワンセットで考えたくなるのだが、こういうことについて、現在の生物進化の研究では、どのように考えられているのだろうか。
地表で、夜になって光るということの意味は、まあ分かる気がする。たとえば、ホタルなど。しかし、もともと光の無いところで、光る意味とは、何だったのだろうか。たまたま光るということになっているが、もともとは何か別の意味や目的のあったことなのだろうか。
2025年11月13日記
サイエンスZERO “深海生物”ミステリー!未知の生態系に迫る
ヨコヅナイワシのことは、ニュースで見たことは憶えている。こんなでかい魚が深海の生態系の頂点にいるということは、とても面白い。その形態が、普通に浅いところにいるような形をしているというのは、どういう進化の過程を経てのことなのだろうか。深海でああいう形になったのか、あるいは、もともと浅いところで生きていたのが、深いところに生息域を求めていった結果なのか。
環境DNAの調査によって、どこいらへんに住んでいるらしいということが、つきとめられるというのは、地球上の生物の研究において、有効な手段となるのだろう。また、チッソ同位体から、何を食べているかが分かるということは、目にすることであるが、これも、最終的には、現在の地球全体での生態系の解明ということにつながっていく基本の技術といっていいのだろう。
ところで、深海で、光がとどかない。地球上のほとんどの場所は、太陽からの光がとどいて、そこで植物が光合成することで、今の地球の自然環境がなりたっている。一方、地球のほとんどの部分は、光のとどかない深い海の底であることもたしかである。この広大な領域で、どんな生物が生きていて、それが、地球全体の生態系と、どうかかわるのか、ということは、これからの大きな研究の課題になるはずである。
植物が存在しないところで生きのびるために、貝が、メタンから栄養を取る、そのために、細菌と共生する。メタンの無いところでは、他の生物はどうしているのだろうか。
深海にも光る生物がいる。光るサンゴは、カンブリア紀に誕生したらしい。このとき、私の思うことは、そもそも光が届かない深海で、光ることの意味はいったい何なんだろうということである。光を発して、それを、受け取ることができる相手がいないと意味がないと思える。つまり、目の発達、ということとワンセットで考えたくなるのだが、こういうことについて、現在の生物進化の研究では、どのように考えられているのだろうか。
地表で、夜になって光るということの意味は、まあ分かる気がする。たとえば、ホタルなど。しかし、もともと光の無いところで、光る意味とは、何だったのだろうか。たまたま光るということになっているが、もともとは何か別の意味や目的のあったことなのだろうか。
2025年11月13日記
『阿修羅のごとく』「(2)三度豆」 ― 2025-11-14
2025年11月14日 當山日出夫
『阿修羅のごとく』 「(2)三度豆」
巻子(八千草薫)と鷹男(緒形拳)の会話を見ていると、男もずいぶんと身勝手であるが、しかし、女も一筋縄ではいかない。まあ、この時代の夫婦というのは、相思相愛の恋愛を絶対の条件ということではなかったといっていいだろうから、こんなもんだろうと思うことになる。時代の流れとしては、恋愛結婚至上主義という方向に、大きく世の中の流れが変わってきた時代ということもある。こういう時代の意識の変化という背景があったということを理解して見ないと、今の価値観としては、あまりにも不適切な科白が多いということになるだろう。
世の中の価値観は大きく変化してきたことはあるとしても、見ていて面白いのは、向田邦子の描いたドラマに、人間というのはこんなもんだよな、と感じさせるところがあるせいである。
兄弟、姉妹……仲のいいこともあるが、しかし、疎遠にもなるし、ケンカもする。夫婦や親子といった家族関係とは違った、面白さ、あるいは、難しさといういものが、この四姉妹には感じられる。
どうでもいいことかとも思うが、この回の終わりの方で、姉妹でおにぎりを作るシーンがある。見ると、実際におにぎりを作っている。もう今の時代のドラマだったら、おにぎりをにぎりながら芝居ができる女優さんというのは、いなくなってしまったといってもいいかもしれない。
2025年11月13日記
『阿修羅のごとく』 「(2)三度豆」
巻子(八千草薫)と鷹男(緒形拳)の会話を見ていると、男もずいぶんと身勝手であるが、しかし、女も一筋縄ではいかない。まあ、この時代の夫婦というのは、相思相愛の恋愛を絶対の条件ということではなかったといっていいだろうから、こんなもんだろうと思うことになる。時代の流れとしては、恋愛結婚至上主義という方向に、大きく世の中の流れが変わってきた時代ということもある。こういう時代の意識の変化という背景があったということを理解して見ないと、今の価値観としては、あまりにも不適切な科白が多いということになるだろう。
世の中の価値観は大きく変化してきたことはあるとしても、見ていて面白いのは、向田邦子の描いたドラマに、人間というのはこんなもんだよな、と感じさせるところがあるせいである。
兄弟、姉妹……仲のいいこともあるが、しかし、疎遠にもなるし、ケンカもする。夫婦や親子といった家族関係とは違った、面白さ、あるいは、難しさといういものが、この四姉妹には感じられる。
どうでもいいことかとも思うが、この回の終わりの方で、姉妹でおにぎりを作るシーンがある。見ると、実際におにぎりを作っている。もう今の時代のドラマだったら、おにぎりをにぎりながら芝居ができる女優さんというのは、いなくなってしまったといってもいいかもしれない。
2025年11月13日記
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