偉人の年収「女性運動家 市川房枝」 ― 2026-09-01

2026年9月1日 當山日出夫

偉人の年収「女性運動家 市川房枝」

市川房枝については、それほど知っているということではない。だが、見ながら思ったこととしては、次のようなことがある。

兄がアメリカに留学していたと言っていたのは、かなりの資産家の家だったのだろうと思うのだが、社会階層、階級という視点で見るならば、上層の部類に入るだろう。また、師範学校に通っていたということだが、普通に考えると、学力はあるが、お金はない、という場合の選択肢になるかと思っているのだが、どうだったのだろうか。

こういう出自とか教育の環境と、時代の流れの中で、どうやってその女性の権利ということを考えるようになっていったのか、その経緯が、気になるところではあるが、ここを深く描くのは、この番組の範囲ではないだろう。

日本で、普通選挙(男子のみということだが)が実施されたのは、世界的な流れでみると、そう遅いということではない。

現在の憲法で、男女の平等ということになったが、これは、この時代の世界の潮流としてはこうなることであったし、さらには、アメリカが、自分の国ではできないことを、アジアで占領した敗戦国でためしてみようと、かなり過激なことまで、いろいろと試してみた、ということもあるだろう。その中で、憲法のいろんな条文もあったはずである。(これも、占領統治が終わったら、どうせ変えることになるだろうと思っていたのかもしれない。しかし、その後、アメリカの予想に反して、日本がかたくなに憲法護持の姿勢になってしまったということもあるのかと思っている。)

市川房枝の頑張りはそれはそれとして認めるとして、評価しなければならないが、憲法のことについては、どれほどの影響力があってのことかは、また、別に考えることになるかと思っている。

番組の中で触れるかどうかと思っていたことが、市川房枝が公職追放の対象であったこと。公職追放の全貌とか、是非をめぐっては、議論のあるところかと思っているが、太平洋戦争中に戦争に協力したとして、公職追放になったことは、それはそうだろうと思う。よくもわるくも、戦争というときにあっては、女性の働く場が増えたということは、どの国でもあったことである。

2026年8月28日記

BSスペシャル「叫ぶ声なく〜開高健が見たベトナム戦争〜」 ― 2026-09-01

2026年9月1日 當山日出夫

BSスペシャル「叫ぶ声なく〜開高健が見たベトナム戦争〜」

開高健については、いくつかの作品を読んだことはあるのだが、そうはっきりと憶えているということではない。ベトナム戦争と釣り、ということで、記憶にある作家である。

見ていて思ったこととしては、次のようなことである。

まず、ベトコン、と言っていた。NHKの番組で、ベトナム戦争をあつかうことは、ときどきあるのだが、このごろでは、ベトコンという用語を避けていると思っていた。だが、この番組では、どうどうと使っていた。

ただ、ベトコンの定義は、ややこしい。タテマエ上は、南ベトナムの人で、その政権とアメリカに批判的な立場をとる武装した人びと、ということになる。南ベトナムの正規軍ではない。また、北ベトナムの軍隊でもない(あくまでもタテマエとしては)、である。しかし、その背後には、北ベトナムがあって、さらに、その背後には、中共(あえてこの言い方をしておく)と、ソ連、があった。タテマエ上のことと、実質的にどのような人びとであったかということは、歴史の経緯もあって、そう簡単ではない。はっきりいって、よく分からないというのが、私の知識の限界である。

ともあれ、ベトコンという用語を使っていたことには、見ていて、少なからず驚いたというのが正直なところである。へ~、NHKでも、ベトコンということばを使うこともあるのか、と思った。

常識的な知識としては、ベトナム戦争は、アメリカと中共・ソ連との間の、資本主義勢力と共産主義勢力との代理戦争ということだと思っているのだが、こういうことについては、ほとんど触れることがなかった。常識的すぎることだからわざわざ言わなかったのか、今のベトナム戦争の理解として、こうなっているのか、どうなのだろうか。

日本とのことについても、あまり言及がなかった。ちょっとだけ、ベ平連、のことが出てきていた。この時代、沖縄は、まだアメリカの統治下にあって、そこを拠点として、アメリカ軍がベトナムを攻撃していた、ということになるのだが、これも、当たり前すぎることだから、言わなかったのか、どうなのだろうか。

左翼的な言い方をすれば、日帝資本主義は、アメリカの帝国主義の手先となって、ベトナムの人民を相手とする戦争に加担している、その日本政府は許せない、ということになる。これには、この時代、多くの人びとが共感したことでもあった。

公開処刑というようなことは、この時代、さして珍しいことではなかったはずである。だが、このことに、開高健がショックを受けたということは、これは開高健に関わることとしては、重要である。

それから、番組の趣旨とは無関係なことだが、とても興味深く思ったのが、ラストにホーチミンの街の映像が流れたときに、おそらくは視覚障害の人なのだろうが、白杖をもって行商をしている人物の姿が路上にあった。こういうことは、日本だとまず見ることはないはずである。ベトナムの人びとの生活の中では、こういう光景は普通なのだろうか。

2026年8月28日記

NHKスペシャル「白い旗 水木しげると硫黄島」 ― 2026-09-01

2026年9月1日 當山日出夫

NHKスペシャル「白い旗 水木しげると硫黄島」

水木しげるは、かなり読んでいる。代表作は、『ゲゲゲの鬼太郎』であるが、これが、『墓場の鬼太郎』として、少年マガジンに連載されたときからリアルタイムで読んでいる。だが、その前の、貸本漫画の水木しげるは、知らない。ちょうど私ぐらいの世代が、貸本漫画から、少年漫画雑誌へ移行する時期にあたっていたということになる。貸本屋のことは、かろうじて記憶にはある。

水木しげるの戦争漫画というと、何よりも、南方のジャングルの樹木の描写の濃密さが印象に残る。

水木しげるが、硫黄島の白い旗のエピソードを漫画に描いたことは確かだとして、それがどういう意図であったのかは、これは、水木しげる自身が書いているように(テレビに映っていたように)……降伏することも、また、命令にしたがって戦い続けることも、どちらも選択肢としてあって、一方だけが良いということにはならない。これはこれでいいと思う。

それを、この番組だと、反戦、という方向に持っていきたくてしかたがない、という作り方になっている。

私の理解だと、水木しげるは、戦争の過酷さ、戦場の残忍さを描いた漫画家ではあったが、しかし、現代のような絶対平和主義の反戦ということではない。それは、『ゲゲゲの鬼太郎』やその前の『墓場の鬼太郎』など、読んでみると感じるところである。

2026年8月24日記

芸能きわみ堂「鈴木福プレゼンツ 追求!箏の新たな魅力」 ― 2026-09-01

2026年9月1日 當山日出夫

芸能きわみ堂「鈴木福プレゼンツ 追求!箏の新たな魅力」

これは面白かった。

芸術には毒がある……当たり前のことであるが、こういうことを、(いくぶん婉曲にではあっても)言えるような番組は、少ない。また、芸術は、分かる人間にしか分からない、世の中の芸術のわからない連中を相手にしてもしかたのないことである……端的にいえば、こういう部分もある。音楽もしかり、文学もしかりである。

そうはいっても、芸術ということの社会的価値は一般に認められることなので、それはそれで、尊重しましょう、ということはある。

芸術家のセクシュアリティについては、ちょっとややこしいかと思っている。これも、ちょっと社会の普通からはずれた感覚を持っているから、芸術家として、普通の人たちでは、感じとれないような人間の心の奥にある何かを表現出来る、それを敏感に感じとることができる……こういうことはあるかと言っていいだろう。これを、はっきり言ってしまえば、芸術家という人たちに、人格円満だとか清廉潔白だとか、もとめること自体が、そもそもおかしいということでもある。これは、決してけなしているのではない、ほめているのである。

朝ドラの次は、『ブラッサム』で、宇野千代がモデルである。宇野千代にかんする本がいろいろと出るようになっている。それなど読んでみると、近代になってから、文学とか芸術とかにかかわるような連中にろくなやつはいない(特に現代の一般的な価値観からすると)、と言ってもいいだろう。だが、このことと、その残した作品の芸術的価値とは、また、別のことである。

箏の弦の数というのは、気になっていることの一つなのだが、いったいいつごろからどういう経緯でそうなっているのだろうか。25弦箏を見ると、糸に色がつけてある。5本ごとに黄色い糸になっている。

気になったのは、箏を置く台。箏という楽器は、それを床やテーブルなどの上において、底面にできた空間で音が共鳴して音色を出すという要素があるはずなので、スタジオや舞台で演奏するときに、どういうセッティングをするかということは、とても大事なことかなと、思っている。

25弦の箏も、薩摩琵琶も、邦楽の歴史においては、比較的新しい楽器かなと思っている。

音楽の分野というのは、最終的には、耳で聞いて一緒になることなので、来歴の違ういろんなジャンルの要素が、混ざりやすいし、そうであっても、人間の耳できいて、音楽としてなりたつということはある。文化のなかでも、異種格闘技をやりやすいジャンルといっていいだろう。

体を楽に使う演奏をすると、聞いていてつかれない音楽になる……これは、実際の演奏者でなければ分からない感覚にちがいない。

2026年8月30日記

ドキュメント72時間「千葉・利根運河 真夏の川べりで何を思う」 ― 2026-09-02

2026年9月2日 當山日出夫

ドキュメント72時間「千葉・利根運河 真夏の川べりで何を思う」

利根運河というのがあることは、知らなかった。こういうのが、身の回りにあるというのも、いいものである。人間は、川の水が流れているのを見ると、なんとなく気持ちが落ち着くということがある。ちょっとおもむきは違うが、『方丈記』の冒頭を思い出す。

そう極端に変な人というのが、この回には登場していなかったようである。意図的かどうか分からないが、この番組は、なんか変な人が出てくることが多いように思える。

英語の教師をしていたという男性。異国の地にきて、いろんなことがあったにちがいない。だが、そのいろんな思いも、川の流れを見ることで、どこかに流れていってしまう……というのも、かなり日本的なものの考え方かなと思ったりするところである。

虫取りをする子どもの姿というのは、東京あたりでは、珍しいものになってしまったというべきだろうか。

2026年8月31日記

ETV特集「今は、まだ産めません。 卵子凍結 彼女たちの現在地」 ― 2026-09-02

2026年9月2日 當山日出夫

ETV特集「今は、まだ産めません。 卵子凍結 彼女たちの現在地」

卵子凍結という技術があり、そのことで、おおぜいの女性が幸せになる……ということでは、なさそうである。卵子凍結が出来ている、ということは、ある一定期間については、人生の猶予の期間といえるかもしれないが、それでも、最終的にいつまでもそのままで保存しておくということはない。(技術的にはできることなのだろうが、もしそうなったら、という将来のことについては、番組では言っていなかった。しかし、このことの議論はもうはじめておかなければならないと思う。すでに死んでしまった人間の卵子や精子が冷凍保存して残るということが、現実に可能になっているのであるから。)

生命倫理というのは、技術的に可能なことが生まれてくれば、それをどうにかして妥当なものとして多くの人が認めるように、なんとか工夫して論理を考えてきた、ということだろうと思っている。

かなり以前に、日本で問題になったこととしては、脳死移植について、脳死を人の死と認めるかどうか、ということについて、さまざまな議論があった。これも、現在では、認める方向で、多くの人が納得している。このころから使われていることばでいえば、社会的合意ができたということになる。

このことも端的に言いかえれば、技術的には可能なのだが、それを日本でおこなうと、殺人になってしまう。そうならないためには、どうするか、ということである。そして、これは、臓器移植をもとめて外国に行く人については、募金したりして美談となって報道されることが多かったのだが、しかし、視点を変えてはっきりいうならば、日本人は殺せないので、外国人を殺して、自分が生き残ることにしたい……ということになる。このようにはっきり言うことは、報道などではないのだが、つまりはこういうことに他ならない。

どうにかこうにか生命倫理の枠組みをつくって、都合の悪いことは、見て見ぬふりをして、なんとかやっているというのが、現状だといっていいだろう。

卵子や精子があって、人工的に受精卵を作ることができるならば、その先にまっているのは、代理母であり、その先には、人工子宮ということになる(ここまでくると、かなりSFっぽくなるが、考える必用はある。)代理母ぐらいのことならば、現実には、世界においてすでに行われていることである。

日本で公的に認められることでないということなら、闇にもぐって、外国に行ってということになるだけのことである。だから、技術的に可能なことならば、なんとか倫理的に問題がないようにして、社会の監視の目のとどくところにおいておきたいということになる。技術先行で、倫理は、後からおいかけるだけである。

ハクスリーの『すばらしい新世界』は、私は、ディストピア小説と思っていたのだが、最近の生命倫理について考え方や、セクシュアリティについての議論は、なんだか、この小説がユートピア小説として読まれるのかもしれないと、感じるところがある。残るのは、ソーマの開発だけである。

そもそもということになるが、遺伝子、ということが発見されて広く社会の一般的な知識になったことで、家族の関係とか、親子のこととか、根本的に変わってきてしまっていることは確かである。変わることはいたしかたないとしても、あまりに急激な変化に、古くからの家族や親子についての価値観で、どう対応していいのか、分からないでいるというのが実際である。DNAの二重螺旋構造が発見されてから、たかだか半世紀なのである。

人間の世の中には、男と女がいるもので、たいていは結婚することになり、そうすれば子どもができるので、子どもは育てなければならない、それには社会全体で助けることになる、それが普通である。だが、中には、普通ではない人もいる。異性が好きになれなかったり、子どもができなかったり、子どもができても可愛いと思えなかったり、そういう人がいてもいいが、ちょっと普通ではない人もいてかまわない……ということぐらいで生きていくのが、より多くの人にとってマシな生活であり、より少ない人にとってそれほど不幸にならないですむ生活である……こういうことでいいのかと思う。だが、今の時代に、こういうことを言うと、守旧的、間違った功利主義、と批判される。だが、進歩的であることは、かならずしも、人を幸福にすることにはならない、これもまた人間の歴史から学ぶことの一つであるにちがいない。(といって、進歩的であることが不必要というのではない。)

卵子凍結を選ぶのは、個人の自由である(自由意志の尊重)ということであるのだろうが、現実には、このような選択肢を持って生きる女生と、そうではない女生とを、分けてしまう……あえていえば分断してしまう……ということにもなるかと思うが、どうだろうか。

2026年8月31日記

3か月でマスターする世界史「(9)“中華”の確立と大航海時代」 ― 2026-09-02

2026年9月2日 當山日出夫

3か月でマスターする世界史「(9)“中華”の確立と大航海時代」

「中華」の成立ということになると、歴代の中国の王朝の交替の歴史を軸に見る旧来型の東洋史の視点と、どうかかわることになるのだろうか。日本史の側から見れば、邪馬台国の卑弥呼は、中国の魏に朝貢したということになるはずだが。このあたりのことは、視点を変えることによって、見える歴史の姿も変わってくるということでいいだろうか。

30年戦争があって、ウェストファリア条約が結ばれ、その結果として、主権国家というものが成立した。この主権国家を基本として、今日の、国民国家(主権、領土、国民)というものになったことになる。この回では言っていなかったことだが、近代の国民国家の成立ともも、近代的な啓蒙思想が生まれ、特に社会契約説が近代的な国家論につながる、ということになる。その延長に、現代の日本もある。

こうして見ると、ユーラシアの東にあって、中国のエリアだけが、近代化から取りのこされてしまった、西の方で主権国家のルールが出来てきたのに対して、東の方では、(あえて昔風のことばをつかってみるならば)アジア的停滞のなかにあったということになる。

今の世情の話題としては、国際的な法の支配ということがある。このことの歴史をさかのぼるならば、(私は法の歴史にはまったく門外漢なのであるが)おそらくは、近代の西欧の主権国家(これがたくさんできた)において、形成されてきたものだろうと、思ってみる。となると、このことに取りのこされていた中国とかロシアが、今の世界で、法の支配なんて知ったことではない、という態度でいるのは、まあ、もっともなことかなという気もする。アメリカについては、また、別の理由があるかなと思うが。ともあれ、法の支配、ということも、自分の国に都合のいいように使うというのが、みもふたもないが、そういうものだろうと思っている。

銀が国際的な通貨であったとして、お金、貨幣、銅銭……ということで見えてくる、世界の歴史のすがたということもある。これはこれで、興味のあることである。

2026年8月31日記

日曜美術館「彬子さまと巡る 大英博物館 日本美術コレクション」 ― 2026-09-02

2026年9月2日 當山日出夫

日曜美術館「彬子さまと巡る 大英博物館 日本美術コレクション」

この番組の、特にこの回については、いろいろと批判があるのだが、見て思うこととしては、この回は、はっきりいってつまらない。彬子さまをヨイショするだけの番組となってしまっている。

だが、その中に見るべきところを探すと次のようなことになるだろうか。

まず、ウィリアム・アンダーソンという医者であり、日本美術のコレクターであった人物の事跡。この人物については、彬子女王が論文を書いたりしていることであるので、むしろ、この人物のことを大きく扱う内容であった方が、面白いものになっただろう。

大英博物館の日本美術コレクションが、どういう来歴をもつのか、これが気になる。当初は、西欧におけるジャポニスムとしてスタートした部分があるかと思うが、これに、アンダーソンのコレクションが加わることによって、どういう内容のものになっていったのか。方向が変わっていったようである。

浮世絵を中心としてのジャポニスムではなく、当時の目で見て、アンダーソンが日本美術の総合的なコレクションを意図したらしい。これは、かならずしも、名品を集めるということではなく、総合的なカタログ的なコレクションだったかと思われる。これはこれで、美術史としては、きわめて意味のあることである。

美術の歴史、いや、文学などをふくめて芸術の歴史というのは、これこそが芸術である、いやそうじゃない、こんなのは古くさい、もっと斬新なものであるべきだ、違うのだ、これが本物の芸術だ……というような、対立と新旧の更新の歴史の積み重ねであるといっていいだろう。非常に、ざっくばらんにいえばであるが。この流れの中で、明治の初めごろの英国人が、日本で、日本美術のスタンダードなコレクションを目指したとして、それは、具体的にどのようなものだったのか。それは、江戸時代までの日本人のいだいていた美術の価値観とどうちがうのか、そして、明治期以降の近代的な日本の美術についての考え方とどうちがうの、この流れのなかで、アンダーソンは、どういう仕事をしたことになるのか……こういうところが、一番の重要点かと思える。(いうまでもないことだが、この時代、日本で浮世絵はゴミだったのである。)

応挙の絵について、アンダーソンのコレクションにあるものは、全部、偽物であるとあったということだが、これは、非常に興味深い。それだけ、当時の日本で、応挙の偽物が美術市場の流通していたのであり、また、それを作る人がいたということになる。

法隆寺の壁画の模写について、彬子女王が、美術品の模写の始まりではないか、という意味のことを言っていたが、これは、おかしい。日本における、美術の徒弟修行としては、まず、師匠のまねをすること、価値があるとされる作品の模写をすること、これは、普通のことだったはずである。法隆寺の壁画の模写が出来たのは、もともとこういう技術を日本の画家が持っていたからに他ならない。この技術の応用が、応挙の偽物を作ることだったりもする。こういうことは、総合的に考えなければならないことである。(強いていえば、美術史家としての彬子女王は、どうなのかということにもなってしまうが、発言として不用意であり、それをそのまま放送した番組スタッフのミスともいえる。)

屏風は立てて見るものである、というのはそのとおりなのだが、そういうことを言うのなら、ふすま絵というのは、ふすまを閉めた部屋の中から見るものである。では、このときの照明はどうだったのか、ここのところに話題がいかないというのは、美術史家として失格といってもいいだろう。

日本の美術品が海外に出て行ったことには、いろんな理由があることであり、また、現在でも、美術品の流通やコレクションの分野は、いろいろと分からない部分……せいぜいひかえめな表現をすれば、ダークな部分がある……ここに、皇族としてかかわっていくのは、必ずしも、プラスのことばかりではないはずである。皇族の彬子女王だから得られる情報もあるにちがいないが(こういうのは、所詮は闇の人脈の世界でもある)、それが、論文に書けるかどうかは、また、別のことであり、研究者としては、かなりつらいことになりそうである。(だからということではないが、研究するなら、ニワトリとかハゼとかということにしておくのが無難なのである。)

津軽の宮越家と大英博物館に行き別れになった、多武峰妙楽寺にあったふすま絵。話題になったことである。このことについては、やはり、何十年か前に見た絵のことを憶えていて、宮越家のものとつながることを直感したという、山下善也のことを、(ことばどおりに信用するとして)、美術の研究者というのは、こういう素質が必要であると同時に、どこかでいい作品とめぐりあう運の良さがある、と思う。

余計なことかとも思うが、明治の英国人が日本の文化を見て、非常に冷静で客観的で総合的な視点を持っていたということの事例の一つが、ケンブリッジ大学の持っている、アストン文庫である。書籍のコレクションであるが、幅広く総合的にカタログ的な書物を集めたものである。こういうコレクションは、日本の国内にもそう多くないはずである。(この目録を作ったのは、若いときの、林望である。)

法隆寺の壁画の模写、特に6号壁についていえば、NHKスペシャルの方が、格段にレベルが違う。文化財保存、復原、デジタルの画像技術、についてきちんと作ってある。同じNHKが、同時に、同じことに言及した番組を作って、ここまで内容的にレベルが違うというのは、珍しい。いや、「日曜美術館」もこの回については、本当にダメな内容だったとしかいいようがない。

2026年8月31日記

よみがえる新日本紀行「土と踊りと -岐阜県郡上郡八幡町-」 ― 2026-09-03

2026年9月3日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「土と踊りと -岐阜県郡上郡八幡町-」

再放送である。2019年。オリジナルは、昭和46年(1971年)。

見ていて感じることは、何よりも踊りを踊っている人たちの表情がとてもいい。一昔前の日本人の顔……こういう言い方しかできないのだが、今では、もう見ることができなくなってしまったものかと思う。いや、現代の部分でも、踊っている人たちの表情は魅力的である。しかし、見くらべると、昔の映像の人たちの方が、より親しみと懐かしさを感じる。

昭和46年というと、私が、高校生のころのことになる。この時代の日本の風景である。8月のお盆のころになって、故郷にみんな帰ってくる。都会に出て行った人も、故郷に帰る。このころは、まだ、帰る故郷が多くの人たちにあった時代だった、というべきかもしれない。

小学校で踊りの練習を、体育の授業としてやっている。この映像を見ると、裸足のこどもたちが、かなりいる。裸足で地面の上を歩く、踊る、走る……こういうことも、今の時代に消えてしまったことの一つである。

踊りのときに、多くの人が下駄を穿いている。下駄で踊るというのは、ちょっと難しいはずだが、その姿がさまになっている。これは、現代でも、受け継がれていることのようである。

踊りの人びとの中を、白い大きな紙に、駐車場の車の中で泣いている子供がいると書いてあるく。その文字を見ると、「子供が空車でないてゐます」と旧仮名遣いで書いてある。昭和46年まで、こういうことが普通にあった。日本語の表記の歴史としても、とても興味深い。

雑談の中で言っていたことだが、旅の途中で、見知らぬ人の家であっても泊まらせてくれと言うことができたし、また、そういう人がいたら泊まらせてあげる、ということだったらしい。こういうことも、今の時代で、消えてしまったことである。(かつて、宮本常一が日本を旅して歩いていたころ、夜の宿が決まっているわけではなく、適当な家を見つけて泊まらせてもらった、という。小沢昭一がラジオで思い出話として語っていたのを憶えている。小沢昭一が驚いたと言っているぐらいである。だが、そういう生活の感覚が、少し前までの日本の生活のなかにはあった。)

昔の一揆の慰霊碑。人名がま~るく円になるように書いてあった。順番をつけない、序列をつけない、全員が平等(といっても、現代的な平等の意識とはちょっと違うかもしれないが)ということの表現である。これが、この慰霊碑を作ったときまで、人びとの意識としてあったということになる。

昔の踊りの映像を見ると、観光客がいない。そして、全体に暗い。現代だと、観光客がたくさんいて、街の全体が明るい。

記念撮影の場面で使っていたカメラは、バイテン、つまり、8×10、だったと思うが、この時代に普通に使っていたということになるのだろうか。私の小学校のころだと、シノゴ、つまり、4×5、がほとんどだったと記憶する。

2026年8月26日記

ブラタモリ「東京・深大寺▼自然界隈で大注目!深大寺が注目される秘密とは」 ― 2026-09-03

2026年9月3日 當山日出夫

ブラタモリ「東京・深大寺▼自然界隈で大注目!深大寺が注目される秘密とは」

深大寺には行ったことがない。植物公園も名前は知っているのだが、行ったことはない。

それにしても、変なお寺である。ご本尊の釈迦如来像(白鳳時代のものである)よりも、元三大師像を、大切にしている。こういうことは珍しいことではないともいえる。真言宗のお寺で、大師堂が立派だったりすることはあるし、西本願寺や東本願寺では、御影堂が大きい。(阿弥陀仏よりも、親鸞聖人の方が、大事にされているといっていいだろうか。)だいたい、日本の仏教寺院では、釈迦涅槃会よりも、その宗派の開祖忌の方が、重要な行事であるのが、普通である。

関東ローム層の上に黒ボク土があって、その下に地下水脈がある。これが、関東平野の基本的な土地のあり方、といっていいのだろうか。このあたりは、もうちょっと説明のほしかったところである。少なくとも、水田を作って稲作には向かないが、蕎麦の栽培には適していたということにはなる。

そばがき、というのを久しぶりに見た。今、普通に食べる細く切った蕎麦は、古い言い方をすれば、そばきり、である。(つい近年まで、私の住んでいるところの最寄りの駅の近くのお店に、そばきり、という看板があった。もう無くなってしまったが。)おそらく、蕎麦の歴史、日本の麺類の歴史ということを考えると、そばがきの方が、よりシンプルであり、古くはこうやって食べていたものかと思う。ざるそばなどの場合、そのつゆのダシに何を使うか、醤油が一般にあったのか、ということも問題になるだろう。

吉永小百合と白鳳仏が一緒に写っていた写真が、雑誌の表紙になった時代があるというのは、とても興味深い。かつての映画女優さんの仕事でもあったろうし、また、これを写したのは、土門拳であった。

江戸時代に両国まで、出開帳があった。単純に考えて、江戸(特に下町エリア)から深大寺までは、歩いて簡単に行ける距離ではなかったはずだから、深大寺までお参りやってくる人は、それなりの目的や楽しみがあったのだろう。映っていた江戸時代の様子としては、『江戸名所図会』で、国会図書館のデジタルコレクションを使っていた。この本は、私が、学生のころまでは、角川文庫で普通に本屋さんで売っていた本である。

自然界隈という。「~~界隈」という言い方が、このごろのはやりであることは知っている。この他には、「~~系」という言い方もある。これらは、現代における、婉曲表現の一つかなと思って見ている。(といって、こういうことで、論文を書いてみようなどとは、まったく思わなくなっている。学生(大学院生)に教えていたころなら、こういう今の日本語の現象について、君は、どう分析しますか、と話しをしてみるところであるが。)

2026年8月30日記