『マッサン』「破れ鍋に綴じ蓋」「内助の功」2026-02-01

2026年2月1日 當山日出夫

『マッサン』「破れ鍋に綴じ蓋」「内助の功」

ドラマの週のタイトルを書いてみて、「破れ鍋に綴じ蓋」も「内助の功」も、今ではもう使わなくなったことばであると思う。

一番印象に残っているのは、やはり、太陽ワインのポスター写真の撮影シーンである。これまでの歴代の朝ドラのなかでも、印象に残るものの一つといっていい。

爆発する危険のあると見られている太陽ワインについて、鴨居社長は、その安全性をマッサンに確認させる。そして、そのままの品質で売ることを決める。そのイメージ戦略として、健康にいいということを打ち出し、それを象徴するものとして、若い女性の肌、ということになる。宣伝戦略としては、これは、正しいことになるだろう。

ただ、現代だと、健康ということであっても、若い女性をCMやポスターに起用すると、えてして、それは女性を性的な目で見ることにつながるとして、非常に批判されることにもなる。(なんともつまらない時代になったものだと、私としては思うのだが。)

マッサンは、鴨居から自分の会社に来ないかとさそわれるが、恩義のある住吉酒造に残ることにする。自分のやりたいように仕事をすすめるマッサンのことを、エリーは理解しようとするが、マッサンは、外国人のエリーには無理だとつきはなす。それを、エリーは、分からない。

このあたりは、難しいところかなと思う。夫婦で価値観を共有して、お互いに理解し合ってということはあるのだが、現実には、それぞれ好きなようにやることを許容する……その幅の限度は、事情によって違うにちがいないが……ということが多いだろう。エリーの隣近所のおばちゃんたちの話しでは、そうなる。

また、内助の功、ということばも、エリーには難しいことばかもしれない。

2026年1月31日記

『どんど晴れ』「伝統は変えられません」2026-02-01

2026年2月1日 當山日出夫

『どんど晴れ』「伝統は変えられません」

加賀美屋に、旅館の格付けをする調査員が来るらしい……普通は、こういう調査は、絶対にそれと分からないようにするものだと思うのだが、まあ、ここはドラマの進行の都合である。

このことを知った環たちは、このランク付けの結果で、夏美と彩華の女将修行の決着をつけようとする。

それらしいお客さんには、彩華をあてがうことになり、予約なしにふらっとやってきたえたいのしれないお客は、夏美が担当することになる。このあたりのなりゆきは、たぶんそうなるだろうなあ、ということである。

決まり切ったステレオタイプの筋のドラマとして作ってあるので、これはこれで安心して見ていられる。次はどうなるだろうと、ドキドキしながら見るということはない。

ただ、加賀美屋にもどった柾樹であるが、旅館のおもてなしの方針について、きちんとした正論を、夏美に述べる。これはいいとしても、このドラマのこれまでを思い出すと、加賀美屋で生まれたとはいえ、横浜のホテルで働いていた柾樹が、宿泊業について、深く仕事の現場で考えてきたということはない。ホテルでの仕事は、もっぱらイベントの企画であった。

このあたりは、すこしドラマの筋書として、無理があるかなと感じるところである。

2026年1月31日記

『ばけばけ』「ナント、イウカ。」2026-02-01

2026年2月1日 當山日出夫

『ばけばけ』「ナント、イウカ。」

この週は、おサワのことがメインだった。

最終的に、おサワは、庄田からのプロポーズを断ってしまう。なぜ、自分がそういう判断をすることになったのか、おそらく自分自身でも分かっていない。分からないからこそ、「おトキのせい」と言うしかないことになる。

最初、月曜日の始めで、おなみさんが夫の福間と一緒にヘブンさんの家にやってきた。おなみは、お金と愛があるから大丈夫、長屋を出ることが出来た、おトキのおかげ、と言っていた。これは、この週でおサワのことを見る伏線として、実にたくみに描いてあったことになる。

愛とお金は、どっちも大事である。(世の中には、愛さえあれば、ということを言うこともないではないけれど。)

おサワは、代用教員から、正規の教員になろうと、試験をめざしている。そのことによって、長屋を脱出しようとしている。それを見た庄田が、おサワの勉強の手伝いをする。

庄田は、錦織が中学校の校長になって、自分がその後釜として英語教師になることを知事につたえる。この裏には、東京でのことなどがある。実は、錦織は、帝国大学の卒業資格を持っていないし、教員の資格もない。それを、江藤知事が、強引に松江につれてきたということのようである。このことを庄田は知っている。庄田は、帝国大学卒業の資格、教員の資格を、もって松江に帰ってきた。

おサワとしては、庄田と結婚することは、長屋を出るかっこうのチャンスだったはずである。しかし、断ってしまう。なぜだろう。いろんな思いが錯綜しているかと思える。

おサワは、自分のちからで長屋を出たいと、頑張ってきた。代用教員は、女性で稼げる、(没落士族としては、まともと思える)ほとんど唯一の道だったかもしれない。庄田と結婚すると、自分の努力だけで、長屋を出ることにはならなくなってしまう。借金の返済も、庄田に頼ることになるし、おそらく自分は学校の先生を辞めることになるだろう。

長屋では、おサワは、病気の母親と暮らしてる。母親のキヌは、おサワに、婿をもらって稼いでもらって、と言う。おトキが銀二郎と以前に結婚したことのように、である。だが、庄田は、野津サワと結婚することで、野津の家の婿になるということを、受け入れるだろうか。おそらく、庄田も士族であり、庄田の家を継ぐということを思っているのかとも思う。そうなると、野津の家の婿にということは、無理である。

そもそも、おサワは、野津という名字を持った登場人物である。遊廓のおなみさんや、旅館の女中のおウメさんには、名字がない。名字のないなみさんは、ある意味で、気楽に福間と結婚ということもありえた。しかし、野津という家の名字を背負っている、士族の娘としてのおサワは、そう簡単に結婚する(家を出て嫁にいく)ということができない。

たぶん、その他にも、いろんな思いが交錯して、おサワは、庄田の申し出を断ったのだが、その決定的な理由ということは、おサワ自身も分かっていない。そのため、自分の気持ちの判断について、「おトキのせい」と言っておトキに泣きつくしかなかった。おトキのようになりたかったけれども、おトキのようにはなれなかった自分について、「おトキのせい」ということばしか出てこなかったということなのだろう。

その他のことで、気になったこととしては、虫の声がある。これは、小泉八雲の書いたものにも出てくることである。今の日本で、秋になって虫(鈴虫や蟋蟀やウマオイなど)の声を聞くということが、無くなってしまっているといってもいいかもしれない。少なくとも、無くなりつつあるということはいえるだろう。

その虫の声を、一人で聞くのではなく、おサワと庄田、また、ヘブンさんとおトキと庄田、一緒に並んで聞くという設定が、とてもいい。同じ虫の声を聞くということで、お互いの気持ちを感じることになっている。

花田旅館で、庄田とおサワが蕎麦を食べるシーンも、とてもいい。蕎麦の食べ方で、気持ちが表現されている。また、背景の円い窓の外を歩く人が見えているのも、これまでの花田旅館のシーンと同様で、細かく作ってあると感じる。

細かなこととしては、気になるところもある。この時代の学校の教員の資格というのは、どういうものであったのか、どのように運用されていたのか、というあたりのことは気になるのだが、あまり深く詮索することではないかと思う。

ヘブンさんもそうだが、錦織も、庄田も、おサワも、学校で教えている。明治の20年過ぎの学校教育としては、教育勅語とかかわる。小泉八雲は、教育勅語のことを、非常に肯定的に描いている。『日本の面影』。こういうことをふくめて、明治の教育ということについて、このドラマは、特に踏み込んで描くということをしていない。これはこれで、一つの方針であるとは思う。

登場人物の呼称を一貫させるということでは、おサワは、ずっとおサワなのでいいかと思うが、錦織が小学校を視察しているシーンでは、野津先生、と言った方が自然かなという気がする。

白鳥倶楽部で、庄田がおサワを昼食に誘う場面。おサワは、自分の家に戻って食べようかなと思っていたところを、庄田に誘われて花田旅館で蕎麦を食べる。これはいいのだが、おサワの場合、長屋には病気の母親が寝ているはずで、そのお昼ご飯のこともあったにちがいないと思う。ここは、おキヌさんは、大丈夫だったのだろうかと心配になったところである。

金曜日の終わりで、おトキは、長屋のおサワに小さな花束をプレゼントに持ってくる。これは、以前、おサワがおトキの家に行くときに小さな花束を持って行ったことに照応している。二人のお互いを思う気持ちはは、同じである。

月曜日のヘブンさんのマジックは、面白かった。だが、見ていて、月から来たと言っていたので、帽子の中から出てくるのは、きっとウサギにちがいないと思ってみていたのだが、ちがった。ウサギ長者にはなれなかったが、ヘブンさんと一緒に楽しくくらせているのは、いいことである。

2026年1月31日記