歴史探偵「豊臣兄弟!夏休みコラボスペシャル 天下分け目の二大決戦!!」 ― 2026-08-25
2026年8月25日 當山日出夫
歴史探偵「豊臣兄弟!夏休みコラボスペシャル 天下分け目の二大決戦!!」
これはわりとまともな内容だったかと思う。登場していたのは、黒田基樹と平山優。それから、千田嘉博。小牧長久手の戦いについては、平山優に、おもいっきり話しをしてもらうということであった方が、面白いものになったかと思うことになるが。
中国大返しを、情報(インフォメーション、インテリジェンス)と兵站・輜重ということを中心に語っていた。どうみても、戦国時代の合戦としては、これまでのように単に武将の知略や勇猛さで語るのではなく、兵站、工兵、輜重、インテリジェンス、ということをふくめて総合的に考えるべきとは、思っていることである。
備中高松城の水攻めから京にとってかえして、山崎の合戦で勝利するまで、このプロセスは、まさに兵站とインテリジェンスのこととして、考えるべきことになる。(だからこそ、本能寺の変は、実は秀吉が背後にいたという、陰謀論があったりもすることになるし、それを、否定することにもなるのだろうが。)
見ていて気になったのは、黒田基樹が、『太閤記』を史料として、本能寺の変があって、翌日、翌々日には、秀吉は知っていた、と言っていたことである。まずは、『太閤記』の史料としての信憑性の問題があるのだが、こんなことは、歴史学の専門家なら十分に承知して言っていることだろう。それよりも気になっているのは、京のことが岡山まで伝わるのに、どれぐらいの時間(日数)が必要だったか、という現実的な分析である。
番組の中で、その距離を230キロと言っていた。かりに、一日に、50キロ移動したとしても、4日以上はかかる。徒歩だとそんなものだろう。馬を乗り継げば、かなりはやくなるだろう。では、現実的な問題として、戦国時代の情報流通の組織として、どことどこが、どれぐらいの通信速度でむすばれていたのか……こういうことは、歴史学では考えているのだろうか。
江戸時代以降ならば、飛脚などが、どういう働きをしていたか、分かるかと思うが(分かりやすい事例としては、元禄赤穂事件のとき、江戸の事件を赤穂の人が知るのに、どれぐらいの時間が必要だったか、というようなことがある)、これが、中世までは、はたしてどうだったのだろうか。こういうことは、歴史学を研究するうえで、もっとも基本的なことの一つであると思うのだが、どれぐらい研究が進んでいるのだろうか。
現存する古文書を調べて、発信と受信の日時を確認できるものをあつめて総合的に分析する、という方法になるだろう。こういうことこそ、史料のデータベース化の利活用であり、デジタル技術の人文学への応用であると思うのだが。
秀吉が、竹田城のあるあたりのルートが使えたとしても、これは、かなり時間がかかるだろうと思える。京で事件があって、どのルートで、どれぐらいのはやさで、情報が流れたのか……私としては、どうしてもこういう視点から考えることが重要であると思えてならない。
小牧長久手の戦いについては、どう評価することが妥当か、秀吉側から見るのと、家康側から見るのと、考え方はちがうかと思う。秀吉が、家康を屈服させられなかった(滅ぼすというところまではいかなかっにしても)と見るか、家康が関東から東海地域の勢力圏を保持したということを見るか、その後の、歴史の流れをふくめて、考えることになるだろう。
大和郡山のお城は、『豊臣兄弟!』で何度も、テレビに出てきている。今さら、特に珍しいということはない。石垣のお地蔵さんのことも、よく知られていることである。だが、今、このお地蔵さんの前には、塔婆が立ててあって、それには、この郡山城で亡くなったすべての人びとの菩提を弔う……という意味の文言が書いてある。この塔婆があることの、現代における宗教的な意味や、人びとの心性ということは、考えてみるべきことにちがいない。
だが、文献による歴史学であれ、城郭について研究であれ、このようなことは視野に入らないし、また、NHKの番組のスタッフも気にしていないようである。こういうことでいいのだろう、という気はずっとしている。
2026年8月23日記
BSスペシャル「軍拡と若い起業家たち アメリカ・防衛産業の新潮流」 ― 2026-08-25
2026年8月25日 當山日出夫
BSスペシャル「軍拡と若い起業家たち アメリカ・防衛産業の新潮流」
ドローンについては、今では、民生用とか軍事用とか区別して議論することが、まったく意味をなさないというべきだろう。そして、こういう番組を作れるということは、その中で映っていることが放送されるころには、もう古いことになってしまっていて、現実の戦場では、新しいものに更新されてしまっているから、特に秘密にするようなことではない。その実践の場が、ウクライナであることはいうまでもない。
月単位で更新されるような新しい技術……ドローンであったり、あるいは、AIであったり……もあるし、155ミリ砲弾のように、規格があって、どれだけ大量に生産できて備蓄できているか、また、それを、戦場に運べる兵站の能力があるか、ということが課題である軍用の装備品もある。カーボンを使うのは、将来的には、大量生産ができて、かつ、武器として威力がある、ということだからということになるだろう。
スタートアップ企業で、新入社員の面接のときに、この会社で作るのは人を殺傷する武器であるが、それでもいいか、ときいている。これは、表面的には、会社できちんと働いてもらうためということになる。(番組の意図としては、これをためらわない若者ということで、映していたのかとも思うが。)だが、これも、仕事に罪悪感を感じてしまって、その結果、技術を外にもらしてしまう(つまりは、スパイになってしまう)ということを避けるためのものと理解するのが妥当だろう。でも、本当にスパイとして潜入するなら、うまくもぐりこむはずだが。
登場していた人物に、中西武士がいたが、検索してみると、Wikipediaに項目がある。なかなかの経歴である。こういう人が、これからの日本の産業や経済を牽引していくことになるのかと思う。
アメリカの軍事ビジネスに投資する……この中に、中国マネーが入ってきていても、おどろくことではないと思っている。すでに、中国共産党に見切りをつけて、世界でのビジネスを考えている、中国系の資本家(タテマエ上でも共産主義の国に資本家というのも変であるが)がいても、おかしくはないと思う。まあ、直接は名前の出ないように、いろいろと工夫してのことにはちがいないが。
2026年8月21日記
心おどる「あの人の本棚 (3)角幡唯介(探検家・作家)」 ― 2026-08-25
2026年8月25日 當山日出夫
心おどる「あの人の本棚 (3)角幡唯介(探検家・作家)」
この回はとても面白かった。本を読むというのは、こういうことなのだなあと強く感銘をうけるところがあった。
学生のときから、国語学・日本語学という分野にかかわってきている。どうしても、純然と本を読むということができない。どんな本を読んでいても、かならず、ことばの用例をさがしている……ということがある。今でもテレビを見ていても、登場人物の科白だったり、字幕で使われている文字であったり、画面に映っている背景の中の文字であったり、気になってしかたがない。これはもう、絶対に死ぬまでそうなのだろうということである。(まあ、言語の研究者とはそういうものだといってしまえば、そうなのであるが。)
知らない本がたくさん出てきていた。探検記という類の本は、これまで、あまり読むことがなかった。『世界最悪の旅』『西域八年の潜行』『東ヒマラヤ探検史』……こういう本も読んでみたくなった。
ドストエフスキーとかトルストイとか、読んでいる本である。だが、私の世代だと、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』ぐらいは、学生のころに、読んでいて当たり前というような雰囲気があって、読んだものであり、純然と読書のたのしみとして読むということが、なかなかできないともいえよう。
ハイデガーは、敬遠してきたというのが正直なところである。
探検に出て、吹雪に閉じ込められたりして、本を読むしかないというような状況で読む本というのは、また、通常の読書経験とは違ったものであるにちがいない。
探検するのにGPSを使わないというのは、まさに探検である。何でもスマートフォンで分かる、AIで人間が代行される、こんな時代になっているからこそ、人間の生身の感覚ということの大切さを感じることになる。
『西行花伝』(辻邦生)は、2~3回は読んでいる。辻邦生の作品は、高校生のころから好きで、なんどか読みかえしている。一番好きなのは、最初期の『廻廊にて』である。
イヌイットのように、明日どうするかは明日の天候で決まる、人間の意志でどうこうするものではない……こういう人間の生きる感覚は、現代の日本では、失われてしまったものにちがいない。
2026年8月20日記
スペシャル時代劇「銭形平次」 ― 2026-08-25
2026年8月25日 當山日出夫
スペシャル時代劇「銭形平次」
これは傑作といっていいだろう。
時代劇にはケレン味があっていい。だが、その加減がむずかしい。これは、それがうまくいったということになる。
「銭形平次」というと、私の世代であれば、どうしても、大川橋蔵と八千草薫を思い出す。子どものころに見ていた。
また、原作の野村胡堂の小説も、いくつかは読んでいる。これは、昔の大衆文学としての時代小説ということになる。いわゆる、純文学と大衆文学が、はっきりと別れていた時代の、大衆文学である。
過去の時代劇映画やドラマの作品を、リメークするということなのだが、これまでの「眠狂四郎」「丹下左膳」とくらべると、「銭形平次」はよくできていたと感じる。「眠狂四郎」はニヒルな雰囲気と円月殺法の映像表現がいまいちだったし、「丹下左膳」は主人公の無頼漢ぶりが今の時代には無理なキャラクターかと感じた。
昔のイメージが色濃く残っている作品を、リメークするというのは、かなりの冒険かと思うが、過去のしがらみにとらわれず、独自色を上手く打ち出してあったと感じる。
もとが捕物帳なので、ミステリの要素がある。この場合、ドラマとして作るのに、一番難しいのが、犯人役の役者さんを誰にするかであり、どう演じるかである。この観点からも、非常にうまい人選だった。(どう考えても、お静の生田絵梨花は、犯人にはならないだろうから、となると、残るのはこの人となる。)
山田杏奈がとてもよい。魅力的である。舞台の姿は可愛い。ただ、ドラマの中での芸がいまいちである。いや、このドラマの場合、つばめちゃんはアイドルなのであって、芸を見せる芸人ではない……と割りきってみれば、これはこれで、上手く作ってある。
ミステリとして見た場合、証拠と証言から、理詰めで犯人を割り出すということもある。犯人はお前だ、というスタイルである。そうではなく、いろんな手がかりがちらばっていて、それらを総合して、最終的にカチッとはまって一つの結論がひらめく、こういうスタイルもある。古典的な探偵の一つのスタイルである。シャーロック・ホームズのいくつかの作品などが、これに該当するだろうか。証拠を理詰めで分析することと、総合的な直感力ということでは、リンカーン・ライムに近い雰囲気も感じさせる。
中で、あおばな、が出てきていた。これは、今でも、京都の友禅の下絵を描くのに使われているはずだが、栽培する農家が維持できるかどうか、という状況かということのはずだが、さて、現在はどうなっているだろうか。
この次は、机竜之介を期待したいところだが、どうなるだろうか。
2026年8月23日記
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