『豊臣兄弟!』「茶々の本心」 ― 2026-10-12

2026年10月12日 當山日出夫

『豊臣兄弟!』「茶々の本心」

これでもう大和郡山のことは出てこないのだろう。この回から、茶々のことになった。

見ていて気になったのは、「妻」ということばで言っていること。「側室」ということば、あるいは、それを意味する類似のことばは、一切出てきていなかった。これは、意図的に、このような脚本の科白にしたのだと思うが、この時代のドラマとして見ると、非常に不自然である。やはり、現代風の感覚で造ろうとして、無理をしているとしか思えない。こうなると、この後に秀次が処刑されるときに、一緒に死ぬことになる女性たちのことを、どう描くことになるのだろうか。

常識的に考えて、戦国時代の武将の家としては、後継ぎをもうけるということは、必須のことである。むしろ、秀吉に後継ぎがいなかった、(この後に秀頼が生まれるが)、ということが、異常であると考える方が普通ではないだろうか。

織田家の後がどうなるかというところでも、その後継者が、血筋の誰であるかということが、大きな問題であり、秀吉は、信長の直系の三法師をかついで、天下人にのしあがった。その秀吉が、後継ぎの重要性を認識していないはずがない。

でなければ、秀吉と寧々の間に、絶対に側室をもうけて子どもを作ったりなどしないという固い約束があって、それを守っていた、ということが描かれていないとおかしい。だが、これまでに、こういうことはまったくなかった。

秀吉に子どもがいないのなら、弟の子ども方に、ということも一案としてある。だが、秀長にも子どもはいない。ここのところは、秀長と慶との関係をどう描くかということと関連するのだが、これまでのドラマでは、まったく出てきていなかった。慶が、秀長を、はじめのうちは、敵視していたということがあっただけである。

(お兄さんにふさわしい後継者の男の子どもがいなければ、弟の方ではどうか、というのは、今の日本でもある話しではあるけれど。)

秀吉が、秀次に、妻をめとれと言って、豊臣の女性たちに、夫婦とはよいものであると言ってもらう……コントとしても、下手すぎるし、歴史ドラマの一コマとしても、何をいいたいのかさっぱりわからない。秀次が、決して女性が嫌いではなかった(いや、ありていにいえば好色がすぎた)ということは、歴史の中の常識である。

あまりに現代的な、男女関係、夫婦関係、ということで、秀吉と茶々のことを描こうとしたことは理解できるとしても、ここまでしなければ、歴史になじみのない若い人たちの関心をひけないとでも思ってのことなのだろうか。なんだか、このドラマの製作者は、視聴者をバカにしているとしか思えなくなってくるのだが。

2026年10月11日記

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