ダークサイドミステリー「「事故物件」あなたの隣の知らない世界」2025-12-10

2025年12月10日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 「事故物件」あなたの隣の知らない世界

ヨーロッパの古い街には、むかし誰それが住んでいた家、というのが保存されている。というより、そのまま残っていることが多い。昔は、おそらく死ぬときは自分の家で死ぬことが多かっただろうから、その有名人が死んだ部屋が、そのまま続けて使われていることになる。そこで死んだ人がいるとしても、気にしないということなのだろう。

日本の場合でも、一昔前までは自分の家で死ぬことが当たり前だった。

この番組の事故物件という場合は、たまたま室内でころんで死んでしまったというような場合は、ふくまれないというようなのだが、気にする人は気にするかもしれない。そこで人が溺れて死んだ浴室などは、そのまま使うだろうか、どうだろうか。

奈良時代、平安時代からの怪異譚の系譜をたどると、その場所に出るオバケというものがある。土地や場所と、怪異、心霊現象というのは、密接に関係がある。この感覚は、古くから日本の人びとの中に伝承されている感覚なのだろう。

オバケがいない(?)ということを、科学的に証明する、というのも、なんだか馬鹿馬鹿しいような気もするが、しかし、不動産の取引にかかわることとなると、それなりに意味のあることなのだろう。(私は、まったく信じる気になれないのだけれど。オバケがいるとも、いないとも、分からない、だからこそオバケなのであるから。)

成仏の証明ということについては、そういうこともあるのだろうし、それで、人の気持ちが落ち着くならそれでいい。いや、オバケがいなことを科学的に測定して証明するというよりも、お祓いや祈祷のほうが、より実用的(?)かもしれない。

事故物件対策は、現代の問題としては、空き家対策であったり、過疎地の問題であたりもするのだろう。

不動産業者にとっては切実な問題であるにちがいないが、現代における怪談の一種として、興味深いことでもある。

オバケの出る家は、売買の対象になりにくく、賃貸にするか、それでもだめなら、民泊で使う。これも、現代の日本である。

2025年11月30日記

BS世界のドキュメンタリー「“拒否権”を問うー国連改革のゆくえー」2025-12-10

2025年12月10日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「“拒否権”を問うー国連改革のゆくえー」

2025年、アメリカの制作。

国連安保理の常任理事国の拒否権について、たしかに、どうにかならないかと思うことはある。なんにも決められない国連、何もできない国連、というイメージばかりが強くなっている。

この番組のいいところだと思ったのは、国連の問題を、小さな国の立場から語っていたことである。日本で語られる国連のことというと、日本も常任理事国に加わるべきだ、という方向のものであることが多いが、これに対しては、絶対に中国が拒否権で拒むことになるだろう。

国連安保理の存在、常任理事国の存在といことについては、歴史的に考えれば、国連の出来た経緯を考えれば、妥当なものだったといえるのだろうが、それが、その後の歴史の中で、どう機能したのかを見ると、必ずしも、国連が十分に役割をはたしてきたとはいえない。

だからといって、国連をなくしてしまうというのも、また無謀な話しということになる。

番組ではそうはっきりと言っていなかったかと思うが、もし、常任理事国の拒否権がなければ、紛争当事国を相手に、その他の世界が戦うということになる。ウクライナのことでも、ロシアが拒否権を使ったから、ロシア対その他の世界、という構図にならないでいる。パレスチナ問題でも同様に考えることもできる。

拒否権がないような国連になったら、中国とかロシアとかは、まっさきに離脱してしまうかと思う。あるいは、今のアメリカもそうなるかもしれない。

国際司法裁判所のことなど、国際社会の中での世論(あるいは、輿論というべきか)の形成プロセスということが、これからの課題かと思う。そして、ただ、理想を語るだけではなく、国際政治は、妥協と実践が必要である、ということも確かなことである。

番組を見ていた思ったこととしては、国連の外交官が、かなり独立してものを言っていたことである。ただ、本国の指示を待って、そのコピーを発言しているだけではないらしい。(しかし、中国などの場合は、共産党の指示から逸脱することは許されないにちがいないが。)

また、国連という組織が、理念としてではあるとしても、基本的に自律した国民国家ということを前提にしていることも、重要だろう。

2025年11月23日記

ブラタモリ「豊臣と近江八幡▼最先端の商業都市!激動の時代が生んだ近江商人」2025-12-10

2025年12月10日 當山日出夫

ブラタモリ 「豊臣と近江八幡▼最先端の商業都市!激動の時代が生んだ近江商人」

近江八幡、近江に出自があって全国的に有名な会社ということで、バームクーヘンの写真が出ていたのだが、私の場合は、クラブハリエを思うのだけれど、これは、全国的に通用することなのだろうか。

名前が出ていたのは、西川だったが(これは、その家を取材するためにということもあったのだろうが)、他には、伊藤忠商事などが思いうかぶところである。

近江八幡には行ったことはない。だが、この掘り割りの風景は、テレビのドラマなどで、よく目にする。最近だと、『夫婦善哉』の再放送があったが、この中でも使っていた。

この街が出来たころの、琵琶湖の湖岸線というのは、いったいどうだったのだろうか。前回の安土の続きとしては、内湖とどうつながっていて、琵琶湖の水運をどう利用できたかというあたりの説明がほしかったところである。

近江商人が江戸時代以降に全国展開したとして、それをささえた、物流と金融や経済のシステムは、どうだったのか、ということが気になる。歴史的には、むしろ、こちらの方が重要だろう。琵琶湖の水運を使って、北陸に出て日本海の海運をどう使うことになったのだろうか。

蚊帳は、私の年代ぐらいなら、まだ生活の中にあったことを憶えていることになる。これも、日本の生活のスタイルの変化の中で、急激に無くなってしまったものの一つである。

ちなみに、昔、東京に住んでいたとき、4階に住んでいたことがあるのだが、この高さになると、蚊はやってこないということがあった。今のタワーマンションの上の方の階だと、蚊は飛んでくる(その高さまで上昇する)ということはないだろう。そのかわり、ゴキブリはいるかもしれないが。

背割(生活排水の下水)の問題は、興味深い。人間が住むのに、飲料水の確保ももちろん大事であるが、それと同時に、生活排水のこともある。昔の生活であれば、琵琶湖に流しても、自然の中できれいになったとは思う。(たしか、滋賀県は、下水の処理で、合併浄化槽の設置が進んでいる県であったかと記憶している。)

2025年12月8日記

新日本風土記「立山 地獄・極楽めぐり」2025-12-10

2025年12月10日 當山日出夫

新日本風土記 「立山 地獄・極楽めぐり」

再放送である。最初は、2021年。再編集したもの。

内容としては、メインは、立山の山岳信仰のこと。その歴史を今にどうとどめているか、それから、芦峅寺の現在の様子、といったことであった。

私の子どものころの思い出としては、神社などで、地獄の絵をかかげて絵解きをしてお金をもらう、という、これもまあ一種の芸能(ひろい意味で)があったのを憶えている。昭和30年代から40年代ぐらいまでは、京都の街や近郊でも、残っていた。もう今では、どうなってしまっているだろうか。外国人観光客相手に、地獄の絵解きをしても、ビジネスになるとは思えないのだが。

新田次郎の『剱岳 点の記』は読んだ本である。近代になってから、地図を作るための三角点を剱岳に設置するものがたりであり、そのときに役にたったのが、古くからの山岳信仰のガイドであったことが書いてあったのを憶えている。見ていて、そのときの、古くからの山岳ガイド(ここでは、中語という)が、その本人の写真が映っていて、昔読んだ小説のことを思い出した。

立山の山岳信仰にも、一般にいう御師のような人たちがいて、冬の間にお客さんに声をかけておいて、夏になると、宿坊に泊まって、立山に登る、ということだったらしい。その宿坊の建物も、かろうじて残っている。今では、営業しているところは無いようだった。

かつては女人禁制であったが、今では、女性のガイドさんもいる。これも、時代の流れである。山に登りたいと思う女性が自由に山に登るのはいいことだと思っている。(この番組では出てきていなかったが)ただ、かつて女人禁制であったルールに文句をつけたいだけの理由で、山に登りたいということには、どうかなと思うところはある。

山岳信仰もそうだが、古くからの民俗的な伝統というのは、古くからのものであると同時に、常にその時代ごとの新しいものを取り入れていくものでもある。ただ、古いものを残しているだけではない。人間の生活とともにあるのだという視点が重要なことだと思っている。

2025年12月6日記

よみがえる新日本紀行「熊野灘」2025-12-09

2025年12月9日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 熊野灘

再放送である。2024年。オリジナルは、昭和42年(1967年)。

おそらく「新日本紀行」としても、かなり初期のものになるはずである。テーマ音楽が、冨田勲のものではなかった。

昭和42年というと、私が、小学生~中学生のころになる。

見てまず思ったことは、女性たちが、頭の上にものをおいて運んでいる姿だった。頭上運搬などというが、今の日本では、姿を消してしまったことの一つといっていいだろう。それが、日常生活の中で残っていた時代である。

さりげなく言っていたことだが、上水道が整備されるまで、飲料水を運ぶのは重労働だった、と。水は重い。それをかなり急な坂道や階段を、はこびあげるのは、非常な苦労があったことになる。(私自身の思い出として、小学生のころまで、上水道の無い家に住んでいたことがあるので、この苦労は、他人事とは思えないところがある。)

それでも、飲料水が確保できて、海で漁をすることができるのならば、そこに人が住む。日本の中で、人間が、どんな生活をしてきたのかということの歴史の一つである。

鉄道(紀勢線)が開通して、人びとの暮らしが変わったと言っていた。それまでは、船(巡航船)で沿岸沿いに移動や輸送ということであった。海から見た日本人の歴史、それから、鉄道が変えた日本人の歴史、ということを考えることになる。

地域には、高齢者と女性だけが残ると言っていた。働き盛りの男性は、都市部に出て行くか(ちょうど戦後の高度経済成長期である、農村部からどんどん都市部に人口が移動していった)、遠洋漁業で一年のほとんどを帰ってこない。

久々に夫と会うために、子どもをつれて、焼津まで行くということがあった。(今だったら、遠洋漁業で広く世界に出ていくが、休暇を利用して、飛行機で日本に帰ってくる、という時代になっていることになるのだろうが。)

1200人の人口が、300人に減っている。現代の、少子化過疎化高齢化、という流れから逃れることはできない。

人びとが助け合い協力し合って生きていく……ということなのだが、しかし、これは、前近代的な封建的因習でもある。それを、現代の視点で、地域の共同体の良い面だけをとりだして見る、これは今の時代としては、そうなるのだろうが、やはり複雑な思いをいだくところでもある。

2025年12月4日記

芸能きわみ堂「名作の地を訪ねて 大阪・江口」2025-12-09

2025年12月9日 當山日出夫

芸能きわみ堂 名作の地を訪ねて 大阪・江口

私の知識では、「遊女」というのは、一所にいない女性のことである。「遊子」とか(島崎藤村の、小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ)、「遊学」(故郷を出て勉強する)とかの「遊」である。これに対することば、「処女」であり、これは、一所にずっといる女性の意味である。「処士」ということばもある。

遊女といって、娼婦、売春婦のことをもっぱら意味するようになったのは、いつごろからだろうか。(面倒なので、調べてみようという気にならないでいるのだが。)

大学生のとき、慶應義塾大学の文学部の国文で勉強したということもあるのだが、折口信夫は読んだ。そのこともあるが、文学史と芸能史、ということを総合的に考える視点というのは、いまだに持ち続けている。

遊女が芸能の人でもあったということは、文学史・芸能史の観点からは、常識的なことである。いや、芸能の人が、場合によっては、娼婦のようでもあったというべきかもしれないが、前近代の人間の性についての意識や規範を、現代の考え方でとらえること自体が、問題があるとすべきだろう。

谷崎潤一郎の「蘆刈」は読んでいる。水無瀬のことが、きわめて幻想的に描かれている。

白州正子は、私はあまり好みではない。(読んでいないからということもあるのだが。)

ある土地が、文学や芸能とふかく結びつくものとして、広く意識され継承されていく。今では、聖地巡礼というようなことになってしまっているのだが、古くさかのぼれば、歌枕、ということになる。古来よりの日本の文学の伝統である。

2025年12月4日記

NHKスペシャル「追跡調査“クマ異常事態”の真相」2025-12-09

2025年12月9日 當山日出夫

NHKスペシャル 追跡調査“クマ異常事態”の真相

今のクマの被害の実態ということについては、分かるのだが、では、なぜこうなっているのか、ということになると、謎が多い。

ブナのどんぐりの凶作・豊作、これが、隔年ごとに起こるようになったのは、なぜなのだろうか。いわゆる気候変動ということと関連するのかもしれないのだが、植物の生態系のことに、科学的にどこまで解明できているのか、はっきりしない。分かっていないので、語らなかったということになるかと思うし、これはこれで良心的に作ったところだとは思うが、見ていて、興味深い現象である。

メスのクマが、年齢の若いときから、年を取るまで、繁殖できる。小熊を産むことができるようになったというのは、どういう理由なのだろうか。

少なくとも近年になって、クマの生態が変わってきたということはいえるかもしれないが、科学的には、これからの地道な調査研究の結果をまつことになるだろう。

現在の技術であれば、捕獲したクマの骨など調べれば、窒素同位体をみることによって、何を食べていたのか分かるはずだが、こういう調査は、おこなわれていることなのだろうか。

番組の中で自衛隊が出てきていた。クマの駆除は、自衛隊の本来の任務ではない。だが、これも、近い将来、災害派遣などで、東北地方の山の中に行かなければならないようになった場合、クマから身を守るということが必須になるかもしれない。その地域の住民の安全をまもり、また、活動する自衛隊員自身の安全の確保が必須である。ここで、現在の自衛隊の装備で、クマに対してどうすることになるのだろうか。クマよけスプレーとか、爆竹とか、この程度のことだと、クマの方が学習して、危険なものではないと分かってしまうのも、時間の問題かもしれない。はっきりいえば、自衛隊の標準的な装備である武器……自動小銃になるだろうが……で、クマに対応できるのだろうか。

たぶん、防衛省では検討していることだろうと思うが、どうなのだろうか。自衛隊の小銃で、クマをたおせるかどうか、こういうことは、特に軍事的な機密であるとは思わないのだけれど。

また、さしあたっては、中山間地における少子高齢化、人口減少、ということを、どうにかしなければならないだろう。クマの生活圏と、人間の生活圏との間の、緩衝地帯を、計画的に作っていく必要があると感じる。人間の生活するエリアの撤退ということになるかと思うが。

2025年12月1日記

未解決事件「File.08 日本赤軍 vs 日本警察 知られざる攻防 後編」2025-12-09

2025年12月9日 當山日出夫

未解決事件 File.08 日本赤軍 vs 日本警察 知られざる攻防 後編

番組の中では映していなかったが、重信房子が逮捕されたとき、自分が手錠をかけられている手をかかげて、いかにもほこらしげにしていたのを、私は記憶している。そして、それを英雄視する、一部のメディアがあったことも。

インテリジェンスというのは、最終的には、人と人である、ということだと思う。今の時代だと、デジタル機器を使った情報通信を、どうハッキングして、情報を盗むかということに注意がいきがちかもしれない。しかし、最終のところでは、それぞれの担当者が、直接会って、情報のやりとり、取引をする、人と人との信頼関係が重要になるということだと、理解している。

この情報を提供するとして、その見返りに何をくれるのか……まあ、スパイというのは、多かれ少なかれ、なにがしかは二重スパイ的要素があるものだと思っておくべきだろう。

映っていたことで気になったのは、日本赤軍がコンタクトをとっていた相手先の中に中国(北京)が地図で示されていたことである。いったい中国で何をやろうとしていたのだろうか。中国共産党の手先として活動していたということか、それとも逆に、中国の反政府組織と連絡していたということなのだろうか。このどちらであってもおかしくはないと思うのだが。

現代の日本におけるインテリジェンスは、どうなのだろうか。政府において、情報を一元的に収集し分析する機関は必要だろうし、また、そのための人員を確保する、というよりも、養成していくということも、求められる。常識的には、外務省、警察、防衛省、これらの連携ということになるのだが、昔から(明治の昔からといってもいいかもしれないが)、これがうまくいってこなかったというのが、日本の歴史だったのかとも思っているが、はたして、これからどうなるだろうか。

あるいは、インテリジェンスにかかわる人間が信用しているのは、敵国の同業者であり、逆に、最も信頼していないのが自国の為政者であるのかもしれないとは、思うところである。

逮捕されたあと、裁判があり、確定した刑期をおえれば、一般の市民として自由に活動できる権利がある。このことは、まさに、民主的で自由が保障された法治国家とはこういうものだというメッセージになっている。(反体制的な言論を理由に、強制収容所に送られてしまうという国が現実にある。強制収容所でも命があるだけマシというべきなのであるが。)それから、重信房子が、日本赤軍の最高幹部ではあったのだが、直接手をくだして人を殺す事件にかかわったということではない、ということもあるとは思うのだが。

この回では、旧東ドイツのシュタージの資料がつかわれていた。将来、旧ソ連KGBの資料が使えるようになると、また異なる歴史が見えてくるだろう。

2025年12月7日記

『べらぼう』「饅頭こわい」2025-12-08

2025年12月8日 當山日出夫

『べらぼう』「饅頭こわい」

始まってすぐのところで、「阿波蜂須賀家の能楽師~~」という科白のところで、思わずテレビの前で笑ってしまった。呵々大笑である。

通説、あるいは、有力な学説ということになるが、こういう使い方をするのも、また、ドラマの作り方としては、ありということになる。なるほど、こういうことにしたのか、と思ったところである。

しかし、この回はこれで面白いのだが、こういう筋に落とし込むなら、一年を使う大河ドラマよりも、単発のドラマで作った方が、より面白いものになりそうである。一年の時間のなかで、あちらこちらに話しがとんでいるので、凝縮して、寛政の改革と「写楽」という軸だけで、作った方がよかったかもしれない。過去の回を思い出して見て、無理をしているかなと感じるところが、どうしてもある。

写楽の絵を、このドラマのような経緯で描くことが出来るとは思えないのだが、まあ、これはフィクションだからかまわないということになるのだろう。(写楽の絵には、役者の個性というべきものを見ている、その作者の存在というところがある。)

次回の最終回で、どう決着をつけるのかということになるのだが、江戸時代の戯作という文学を、どう描くことになるのだろうか。どうも、これまで見てきたところでは、戯作と浮世絵だけで、この時代の人びとの心を描くのは、無理ではないのかという思いがある。

江戸時代という時代は、日本の歴史の中にあって、もっとも深く人間とはなんであるかということについて、考えた時代であった……といっていいだろう。荻生徂徠や藤原惺窩のような儒学者からはじまって、本居宣長の国学にいたる、様々な知的営為があった。その大きな流れの中に、江戸の戯作もあったことになり、そこに人間の精神の深み、あるいは、高みを、見出すことがあってもいいかもしれない。

江戸の知的営為に接続するかたちで、日本の明治以降の文明開化、近代化、ということがあったことは、現代では常識的なものの見方だろう。

その一方で、(何度も書いていることだが)芸術としての浮世絵を、評価できなかったのも日本の人びとであった。

この二つのことを、総合的に見る視点があってもよかったのではと思うのだが、どうだろうか。戯作は、たしかに、遊びであるのだが、遊びや笑いこそが、時として、最高の風刺・批判にもなる。笑いやエンタテイメント、娯楽、遊びということを、高度な知性でとらえることもできる。そうであってこその、江戸の戯作であると思っている。

こういう部分を、エンタテイメントである大河ドラマの中で、どう描くかということは、期待しすぎということだっただろうか。芸術こそ、最高のエンタテイメントであり、知性と感性のいとなみであり、そして、批判精神である……と、私は思っている。こういうことは、かつての浅草のストリップ劇場を思ってもいいし、ショスタコーヴィチのことを思ってもいいかもしれない。

2025年12月7日記

『八重の桜』「同志の誓い」2025-12-08

2025年12月8日 當山日出夫

『八重の桜』「同志の誓い」

明治8年のころとしては、キリスト教禁教が解けてから、まだ時間がたっていない。このころのキリスト教の日本での布教ということは、実際はどうだったのだろうかと思う。

耶蘇、異国の邪教として忌避することもあったとは思うが、一方で、新しいもの好きとして、好奇心の対象でもあったかもしれない。

ただ、このドラマの中では、聖書が、英文のものを使っている。明治になって、文語体、あるいは、漢文を読み下したという体裁の聖書が、多く使われていたはずだと思うのだが、これは出てきていなかった。まあ、明治の初めごろであるから、英語の受業といっても、英文の書物をそのまま使うものであったろうから、英学校で聖書をそのまま英語のテキストとして使用することもあっても、いいだろうと思う。日本語版の聖書の歴史は、これはこれとして、研究のあるところであり、また、まだまだ研究の余地のあるところでもある。

八重が新島襄と結婚することについて、日本で最初のプロテスタントのと説明があったのは、昔の中世のキリシタンの時代のことが、あってのことになる。

西郷隆盛の私学校のことが出てきていた。西南戦争のことは、かならずしもこのドラマにとって必須のこととは思わないのだが、明治になって、日本が近代化の道を歩む過程を描くとすると、どうしても触れざるをえないということもあるのだろう。だが、それにしても、ドラマで描くとなると、どうしても西郷隆盛という人物は、ある種のステレオタイプになってしまうことは、いたしかたのないことかもしれない。

2025年12月7日記