『とと姉ちゃん』「常子、ビジネスに挑戦する」「常子、職業婦人になる」2025-07-06

2025年7月6日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、ビジネスに挑戦する」「常子、職業婦人になる」

この週で描いていたのは、歯磨きのこと。鉄郎おじさんがやってきて、歯磨きで商売しないかということになる。歯槽膿漏になる女性が多いということを知って(この時代、そういうことはあっただろうが)、歯磨きを作って売ることを常子は思いつく。そして、小橋家はもとより、森田屋のみんなをまきこんで、ビジネスを展開することができると思ったのだが、うまくいかなかった。

小橋の家の姉妹三人が仲よく協力してというのは、浜松にいたときに、ハトをつかまえて売ろうとして失敗したとき以来になる。このときは、ハトといっても、ドバトとキジバトの違いだった。

歯磨きの製法を、帝大生の星野が教えてくれるので、それにしたがって作る。

この時代、歯磨きを勝手に作って売ってよかったのどうか、ちょっと気になるところではあるが、ドラマとしては面白く作ってあると感じる。小橋家の人たち、森田屋の人たち、それぞれに個性があって、なんとか歯磨きビジネス(?)を成功させようとする。

歯磨きの作り方とか、売り方とか、気にはなるのだが、ドラマ全体の進行としては、この時代の深川の雰囲気、女学校の雰囲気、というものを背景に、情感をこめて描いていたと感じるところである。少なくとも、そんなに不自然な感じはしない。

鞠子の進学希望は、この時代にあっては、かなりの高望みだろう。そもそも高等女学校に進学する女性自体がすくなかったはずである。これには、地域差もあるが。しかし、それ以上の学校というと、東京ならば、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)か、いくつかあった私立の女子大学(名前は、女子大学であっても、制度上は専門学校である)ぐらいになるだろうか。

森田屋にやくざがやってくるのだが、そのときの森田屋の面々の対応がコミカルで面白い。青柳の女将さんは、さすがの貫禄である。

2025年7月5日記

3か月でマスターするアインシュタイン「第1回 初めまして!アインシュタイン」2025-07-06

2025年7月6日 當山日出夫

3か月でマスターするアインシュタイン 第1回 初めまして!アインシュタイン

このシリーズは見ることにした。

正直に言って、さっぱり分からないことだらけであるのだが、ともあれ、物理学者、というより、サイエンスとは、どういうものの考え方のうえになりたっているのか、ということが、少しでも分かればいいかなと思っている。

時間の進み方が一様ではないということは、このこと自体は知識として一般に知られていることだと思っているのだが、どうしてそうなるのか、ということになると、はっきりいって分からない。まあ、移動の速度や、重力の影響によって、時間の進み方が異なる、ということは、そうなんだろうなあ、と思う。

だが、時間というものが可変的なものである、これは、絶対的な時間ということを考えうる、あるいは、できない、ということなのだろうか。スタジオで黒板に書いて示していた時間の早さの変化(遅れたり、速くなったり)は、普通に地球上に存在している場合と比較してということになる。だが、その地球も、宇宙のなかでは移動するものである。自転し、公転し、また、太陽系も異動している。この地球表面上の時間を、絶対的な尺度とすることはできないことになる。では、何を基準に宇宙の時間を考えればいいのだろうか。

科学のなかでも、生物の進化論などを考える場合には、地球上ではどの生物であっても、同じ時間の流れのなかにあるということが、前提であるように思える。違うのは、環境とそれに対する適応の仕方だと理解している。この場合は、生物の生きる場所によっては、時間の流れはことなるが、無視してさしつかえないぐらいのわずかな違いでしかない、という理解でいいのだろうか。

エレベーターの落下の思考実験は、実際には、無重力状態を実験的に作り出すためにおこなわれていることであるが、では、なぜそうなるのか……となると、よくわからない。これも、昔のエレベーターの感覚で、下りるときに宙に浮いたような体感ががある……というのも、もう今ではなくなってしまった。エレベーターの性能の向上のせいである。

アインシュタインが弾いたピアノは、奈良ホテルにある。近年、抜本的な修復作業があって、かなりの部品を新しくしたので、昔のままの音色ではなくなってしまった、ということは、ニュースで見たことである。実際にその音を聞いたことはないのだけれど。

黒板とチョーク、というのはとてもすばらしい。今の時代、大学の教室などでも黒板は少なくなりつつある。ホワイトボードが増えてきている。でも、やっぱり黒板とチョークがいいなあ、と思う。

2025年7月4日記

アナザーストーリーズ「香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日」2025-07-05

2025年7月5日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日

九龍城……どうでもいいことだが、ATOKで書いていて、「くーろん」から「九龍」を変換する……という名前で覚えている。九龍城砦というのが、本来(?)の言い方ということになるのだろうか。

もうひとつどうでもいいことだが、この番組の中では、「スラム」ということばをそのまま使っていた。最近では、NHKの番組でも、「スラム」を避ける、あるいは、注釈を加える、ということが多くなっているかと思う。この番組を見るような人は、「スラム」で十分に通じるということかとも思うが。

九龍城砦が取り壊しになったのは、香港政庁の判断ということだったが、裏では中国と交渉があったらしい。中国としても、九龍城砦をそのままにして、香港を返還されてもあつかいに困ったにちがいないだろうし、イギリスの統治下にあるときに、しかるべく処分しておいてもらいたかった……ということなのかとも思ったりするが、はたしてどうなのだろうか。おそらく結果的には、もし九龍城砦がそのまま残っていたら、香港の民主化運動と、その弾圧、ということも、少し変わったものになったかもしれない。

九龍城砦が中国領の飛び地、ということは、そうだったのかと思う。だからといって、中国が積極的に口出ししてくるということはなかったようである。結局、イギリスも、香港も、中国も、どこからも自由な場所として生きながらえてきたことになる。

だが、もし災害……巨大な自然災害や火事など……がおこったら、とんでもないことになっていた可能性はある。いずれ、とりこわすことにはなっただろう。(中国に返還されてからだったら、きっともっと強引にやったかもしれないとも思う。)

独立したエリアであったと同時に、そこに住む人びとのなりわいとしては、香港の経済にもかなり影響があったようだ。実際に、どうだったのかということは、さらに詳しく知りたいところでもある。

麻薬、賭博、売春の無法地帯であったということだが、逆に見れば、このエリアのなかにおしこめてあった、と見ることも可能かとも思う。(社会の中には、一部にこういうところもあった方が、いいのかもしれない。無論、その規模とか、一般への影響力にもよるが。)

香港にはどんな人びとが住んできたのか、その歴史はどうであったのか……これを、冷静な視点から語ることができるようになるには、もうすこし時間が必要なのかもしれないと思う。

2025年7月3日記

サイエンスZERO「人類の未来を変える“吸収力” 小さなコケのミラクルパワー」2025-07-05

2025年7月5日 當山日出夫

サイエンスZERO 人類の未来を変える“吸収力” 小さなコケのミラクルパワー

再放送である。最初は、2024年9月8日。

コケについては、現在では、一般にファンが多い。植物のなかでも原始的な部類に属するもので、たくさん種類があって、世界中に分布しているというぐらいの知識である。

尾瀬の自然環境がコケによって守られている、あるいは、コケによって形成されたものである、ということは、そうなのかと思う。それよりも、尾瀬の湿原の地下が泥炭が分厚くたまっている、ということの方が、私には興味深かった。コケや泥炭によって、世界中では大量の炭素がため込まれていることになる。

乾いたコケに水をふきかけて復活する(?)のも興味深いことだったが、それを見ている井上咲楽の話していることば、オノマトペだらけで、私としては、こちらのことばの方が面白かった。こういうのを見て、やはり、日本語としては、オノマトペで表現することになる。

コケが金などを効率的に吸着させることができるので、これの応用開発は、とても面白い。

ゲノムが全部解読されているので、宇宙において、植物の生育を研究するためのサンプルとして使えるというのは、コケの栽培の簡便さとあいまって、これから研究が進んでいく分野になるのだろう。

2025年7月2日記

よみがえる新日本紀行「南部潜水夫〜岩手県種市町〜」2025-07-05

2025年7月5日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「南部潜水夫〜岩手県種市町〜」

再放送である。最初は、2021年12月12日。オリジナルは、昭和49年(1974)。

南部もぐり、というと、どうしても『あまちゃん』を思い出すことになる。最初の放送のときに見て、再放送のときも見ているので、三回ぐらいは見ているだろうか。

あわびを捕るのが、冬場が旬ということは知らなかった。これも地域によって違いがあるらしい。私があわびで思い浮かべるのは、伊勢志摩ということになるので、こちらは夏場が旬である。志摩観光ホテルのあわびのステーキは、昔昔、食べたことがある。

冬の海に裸一貫で素潜りで、あわびを捕るのは、今はどうなっているのだろうか。非常に過酷な男性の仕事である。(『あまちゃん』だと、女性の海女の漁は、夏場でウニを捕っていた。冬は仕事をしなかった。)

種市高校のHPを見ると、校歌もあるが、南部ダイバーの曲もある。海洋開発科と普通科の高校である。

南部もぐりが、全国の港湾施設の工事など、日本の各種のインフラの整備にはたしたやくわりというのは、あまり知られていないだけで、多大なものがあるのだろう。

潜水服を装着して、パイプで船の上から空気を送り込む方式は、いつごろからはじまって、どういう技術的な進歩があったことなのか、このあたりのことも興味がある。ケーブルが通じているので、音声通話(?)ができる。これは、そうだろう。(ただ、『あまちゃん』では、このことは出てきていなかった。これは、演出の都合だったのかと思うことになる。)

現在の高校の様子が映っていたのを見ると、女生徒もかなりいるようである。たぶん、かつては男性の仕事だったと思うのだが、これも時代とととも変わっていくのかと思う。

2025年7月2日記

NHKスペシャル「“モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏」2025-07-04

2025年7月4日 當山日出夫

NHKスペシャル “モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏

会社は誰のもので、何のためにあるのか、いろいろと見方はある。その一つが、株主の利益となるため、ということもある。株の配当であったり、株価が上昇した時点での売却であったり、ということが具体的なことになるだろうが。

ただ、フジテレビの問題については、これはあまり報道などで触れられることはないが重要なこととして、報道機関としてどういう報道をするか、そこに株主が影響力を行使することの是非、ということは絶対に必要だろう。あるいは、当たり前すぎることで、誰も言わないことなのかもしれないが。

フジテレビは、傾向としては、いわゆる保守的な立場の報道機関ということになる。そのせいか、フジテレビでおこった不祥事については、いわゆるリベラルの側から非常に強く攻撃することになる。それはそれでいいとしても、最終的に報道機関としてどうあるべきなのか、という視点は持っておくべきだと、私は思っている。(自分たちとは異なる立場の報道をするようなテレビ局は、つぶれてもかまわない、いや、つぶすべきだ、と考えるようなら、これこそ、非常に危険というべきだろう。ネット上にはこのような意見があふれているが。)

医薬品事業などは儲からないかもしれないが、それだけの理由で、その事業を止めてしまうという判断はどうなのかなと思う。そこに必要なのは、そこで生み出される製品を、どのような人たちが必要としているのか、ということである。もし、社会的に必要なものであるなら、その事業を継続するために、会社全体としてどうあるべきか、儲かる部門でさらに利益を出すようにすべきか、という方向で、議論されるべきかと、私は思う。

利益といって、10年先のことは考えることはなくて、短期的に、四半期ごとの利益を見ていく……だが、私は、10年でも短いと思う。医薬品に限らず新しい製品の研究開発に10年で結果が出ることは、期待しない方がいい。もっと長く、具体的には子どもの世代、孫の世代に、どうなるだろうか、というぐらいの時間軸で考えることも、必要かと思う。

会社は誰のために存在しているのか、という考え方のなかに、人間の未来への責任という視点があってもいいと、私は思うのである。

2025年7月1日記

映像の世紀バタフライエフェクト「激動 アジアの隣人たち 台湾 130年の傷痕」2025-07-04

2025年7月4日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 激動 アジアの隣人たち 台湾 130年の傷痕

台湾については、個人的には、まったくの感傷なしに思うことができない。大学生のころ、キャンパスには台湾からの留学生が幾人かいた。その人たちのことを、どうしても思ってしまう。

NHKで台湾の歴史のことを、このような形で大きくとりあつかうということは、珍しいことかと思う。今の台湾の政治や経済のことは大きくニュースになる。あるいは、昔の日本の統治時代のことが、否定的なニュアンスで語られることがある。

国共内戦で敗れた蒋介石がやってきて(外省人)、台湾にもとからいた人びと(本省人)を、暴力的に支配した……ということが、はっきりと語られたということは、希なことかと思う。また、近年になって、その蒋介石の銅像が撤去されているということは、これは、日本では大きく報道されることはなかったかと思っている。

台湾のことは、総統選挙のたびには大きく報道されるのだが、普段は、あまりニュースになることがない。まあ、これは、中国に遠慮してということもあるのかもしれないとは思うが。

国連の代表が、台湾に代わって中国になったときのことは覚えている。国連の議場を去る台湾の代表の姿を見て、かつて、国際連盟を脱退したときの松岡洋右の姿を思った人は、かなりいたのではなかったろうか。

もし、中国が台湾を自国領として、この地域には高度な自治を約束する、一国二制度をおこなう……などということは、とても信じられないことなので(香港やチベットのことなどを思ってみれば)、台湾としては、今のままの現状維持路線で、経済的な存在感を強めていく方向しかないのかと思う。

ハイブリッド戦争、認知戦、情報戦、という視点から見れば、常に、中国と台湾は戦争状態にある。無論、日本もそのなかにふくまれる。ただ、実際に、ミサイルが飛び交うような状態にならないように、なんとかこらえているだけのことだと、私は思っている。

ところで、TSMCの半導体は、中国のEVにどれぐらい使われているのだろうか。別に、秘密にするようなことではないと思うのだが。(危惧としては、中国のEV産業がこけると、台湾の半導体産業にも影響があるだろう、ということである。)

2025年7月3日記

100分de名著「アトウッド“侍女の物語”“誓願” (4)闘う女たち」2025-07-04

2025年7月4日 當山日出夫

100分de名著 アトウッド“侍女の物語”“誓願” (4)闘う女たち

世の中を二分して考える考え方はいろいろとある。資本家と労働者に分けることもあるし、賢者とそうでないものと分けることもある。自民族と他民族、自分たちとそうではない外部の人と分けることもある。支配者層と被支配者層もあるだろう。多数派と少数派に分けることもある。人間を男性と女性に分けて考えるのも、その一つということになる。

このような作品を理解するうえで重要なのは、二分して考えることで、どういうことが見えてくるのか、そして、同時にどういうことが見えないのか、ということについての俯瞰的な視点を持つことだろうと思っている。

こんなふうに思うことの理由としては、人間を資本家と労働者に分ける考え方が、かつては「科学」であった時代のことを、覚えているからである。今の若い人には、とても信じられないことかもしれないが。そして、さらにたちの悪いことには、その考え方が教条化してしまったことがある。

そういう意味において、人間を男性と女性に分けて考えることで、何が言えるのかということについて、そのことによって見えることと、見えないこと、これに自覚的であるかどうか。また、別の視点から見ればどうなるのか……ということがあるのか、こういうことが重要であると、思うのである。人間を、男性と女性に分けて、支配者と被支配者に分ける、これは一つの考え方であるが、だからといって、それがすぐに真理である、とは限らないだろう。しかし、間違っているというのでは、もちろんない。

それから、アメリカにおける図書館の禁書の問題は、もうちょっと丁寧に論じた方がいいと思う。禁書をふくめて、情報や出版の制限や検閲がある国は、世界中にたくさんある。

2025年7月1日記

ドキュメント72時間「山形 小さな動物園で」2025-07-03

2025年7月3日 當山日出夫

ドキュメント72時間 山形 小さな動物園で

人なつっこいシカだなあ、というのが印象に残る。かなり高齢みたいで、いまから野生にもどされても生きていくことは難しいだろう。もう、この動物園でくらしつづけることしかない。それを、かわいそうと思うか、人によって見方は分かれるところかもしれない。

ノスリもどうだろうか。片目が見えないということだったが、これで、野生にもどって狩りができるのだろうか。

動物園は人間の事情で作ったものではあるが、そこでしか生きることのできない動物がいて、そこを訪れる人がいるのであるならば、これはこれでいいと、私は思う。

過疎高齢化の地域だとは思うのだが、それでも、地域の人びとは元気に生きていると感じる。(そのように編集してあるということだとは思うが。)

動物に過度に感情移入して見るということは、避けるべきことだとは、ひごろから思ってはいるけれど、世の中に、このような小さな動物園があってもいいと思う。

2025年6月28日記

ダークサイドミステリー「2700億円!史上最大の偽札事件 大志を抱け!詐欺師わらしべ物語」2025-07-03

2025年7月3日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 2700億円!史上最大の偽札事件 大志を抱け!詐欺師わらしべ物語

再放送である。最初は、2023年9月21日。

詐欺事件もいろいろとあると思うが、これは面白い。人を殺したということでもないし、これで、ポルトガル経済が大打撃を受けたということでもないようだ。ピカレスクとして秀逸である。

アルヴェス・レイスは、よほど運のいい男といっていいだろうか。当時(20世紀の初頭)のポルトガルでは、オックスフォード大学の卒業証書など、誰も見たことがないはずだから、偽造してしまう。

人間は、小さなウソにはだまされるが、大きなウソは信じてしまうと、ヒトラーが言ったのだが、これは、そのとおりだといわざるをえない。ヒトラーが奸知にたけていたというよりも、おそらくは、古今東西の人類の歴史をつらぬく真理といっていいだろう。

その時代のポルトガルの殖民地だったアンゴラに行って、鉄道の技術者として、これはまともな仕事をしたらしい。

アンゴラでひともうけしようとして、あるいは、困窮しているアンゴラの経済を立て直そうとして、巨額の資金を調達するのに、本物の紙幣を印刷する。このころ、ポルトガルでは、紙幣の印刷は、他国の業者に発注していたというのも、ちょっとおどろいたことである。紙幣は、自国内で作るものだと思っていたのだが、必ずしもそうではないことになる。(近代になってから、紙幣や貨幣の印刷や製造が、実際にどこの国のどんな工場で行われていたのか、これは、とても面白いことのようだ。日本の場合は、大蔵省印刷局(今の国立印刷局)や大坂造幣局が、国内でその仕事をしていたということになるだろうが。ただ、戦争中の軍票の印刷などは、どうだったのだろうか。)

本物の偽物(?)がばれたのも偶然ということになる。紙幣の印刷を発注するとき、紙幣の番号はどうなるのか、そこは確認しなかったということになるのだろうか。

こういう壮大な詐欺の話しは、とても面白い。(まあ、今の、国際政治や国際金融も、ほとんどにたりよったりであるのかとも思ってしまうのであるが。)

興味深かったことは、詐欺の話しの本筋とは関係ないが、やはりこの時代(20世紀のはじめ)であると、殖民地の開発には鉄道の敷設がまず行うことだった、ということがある。鉄道を走らせるよりも、道路を作った方が工事としては簡便であるにちがいないが、この時代の自動車の技術では、大量の物資を安定して輸送することができなかった。鉄道がまず第一であった。これは、日本でも同じある。近代になって、全国に鉄道網がつくられ、それが、今日では道路に変わった。トラック輸送が、物流のメインになっている。といって、鉄道による貨物輸送もその必用性がなくなったわけではないが。

また、近代の経済史において、中央銀行の役割、その経営、ということは、いろんな国でいろんな事情があったことになるのだろうが、経済史、経済政策史の視点から見ると、この事件は、どう見えるのだろうか。さらには、紙幣(貨幣)とは何か、という問題からも面白い事件であるにちがいない。

2025年6月26日記