ETV特集「カイル博士と棚田の集落」2025-11-18

2025年11月18日 當山日出夫

ETV特集 カイル博士と棚田の集落

将来的に、この集落はどうなるだろうか。あまり明るい展望は期待できそうもない。いわゆる限界集落というところについては、いろんな番組が作られているのだが、その現在の状況は分かるとしても、では、これからどうするのがいいのかとなると、まさに茫漠としてしまう。

このような限界集落ではあっても、道路が通じていて、電気が使えて、ということは必須である。このインフラの維持は、今のところ、そう大きな負担ではないのだが、何か災害でもあって、復旧するとなると、その復旧コストに見合うのか、ということが、すぐに問題になるだろう。

たしかに循環型の昔ながらの農業であるし、こういう生活から学ぶべきことは多いだろう。しかし、それを維持するのに、軽トラックは必需品であるし、草刈りをするにも、エンジン付きの草刈り機が必要になる。これは、ガソリンとエンジンオイルを混ぜた混合油を使う。これを、昔ながらの輸送として、馬などを使おうとしても、今だったら、かえってその費用は高くつくにちがいない。手作業で鎌で草を刈るとしても、その人手を確保するのは難しいだろう。

番組の中では言っていなかったが、お米を作るのに、完全に化学肥料などを使わないということだったならば、その分、人件費がかさむので、コスト高になるはずである。いや、それでも、人手が確保できればいいというべきだろうか。

高コストのお米を誰が、消費することになるのか。自家消費用ということであるならばそれでもいいのだが、では農家として、どのような経営の将来像を描くことができるのか。

中山間地の農地を維持することは、ただ、お米の生産をするためだけではない。その地域の自然環境、治山治水、ということにも関連する。また、現在では、クマなどの野生動物の生息地域との問題もある。

国の政策として、中山間地をこれからも維持していくということであるならば、かなり大胆な施策が必要になるだろうと思うのだが、それが、多くの国民の理解が得られるものであるためには、ただ田舎暮らしの良さを言うのでもなく、限界集落の生活を語るでもなく、非常に冷酷でもあり大胆な発想が必要なのではないかと思う。といって、私に、その具体的アイデアがあるわけではないのだが。

2025年11月12日記

美の壺「知と美の殿堂 大学」2025-11-18

2025年11月18日 當山日出夫

美の壺 「知と美の殿堂 大学」

大学の建物をこの番組でとりあげるとすると、こういう感じになるかな、と思う。

慶應の図書館は、私が学生のときは普通に使っていた。新しい図書館ができたのは、確か大学院の学生のときだったが、新しい図書館については、あまり馴染みがない。私にとっての慶應の図書館は、やはり古い建物でしかない。

正面の玄関を入って、すぐ左側に守衛さんがいて、学生証を見せて入館した。ステンドグラスのある階段を登ると、きしむ音がしたものである。一階の階段の周囲が、検索カードのボックスが並んでいた。番組では映っていなかったが、その歴史を感じさせるのは、地下だったかと思う。談話室のようになっていて、学生がたむろして話しをすることができた。

慶應で建物を選ぶとなると、どうしても古い図書館ということになるのだが、演説館も、取りあげてもいいかと思う。私の学生のころ、ここで演説会がずっと継続して開催されていた。(今でも続いているかと思うが。)

学習院大学の木造の寮の建物。博物館学の実習などで、畳敷きの部屋があって、天井が高いということは、実際の古文書や古美術などのとりあつかいを学ぶ場所として貴重である。

武蔵野美大の図書館は、やはり工夫を凝らすところがある。だが、私としては、図書館は、ある意味で無機質な方がいいかとも思う。整然と並んだ書庫があって、その隅で本を読んだりできれば、それでいい。あるいは、書庫の中の脚立に腰掛けて本を読むのでもいい。私の感覚としては、無機質な空間の方が、より想像力が豊かになるように思う。(今の私の書斎には、装飾的なものは一切おいていない。本棚と机と椅子、それからコンピュータだけである。)

東北芸術工科大学の水上の能楽堂は、コンクリートで作ってあるように見えるが、能を演じるときには、板の床を設置するようである。そうでないと、能を演じるのは無理である。

東京大学の安田講堂は、修復がおこなわれてからは入ったことがない。たぶん、これからも入ることはないだろうと思う。年に一回、東大で学会(訓点語学会)はあるのだが、会場は、文学部の教室である。安田講堂の存在自体が、大学の歴史であり、建築の歴史を象徴するものになっている。

安田講堂の天井裏が映っていたのは、とても興味深かった。建てたときの上棟の札が今でも残っている。

ともあれ、大学のキャンパスというのは、その中に入ったときに、外の世界とは、違った価値観のある空間であることが、なんとなく意識されることが大事かと思っている。時間の流れが違っていると思わせる何かが、必要なのである。これは、もう今では古めかしい考え方かもしれない。新しく作られる大学のキャンパスは、逆に、外の世界の連続で大学の教室があるような雰囲気で作ってあるところが多い。私の感覚が時代遅れということになるだろうか。

2025年11月14日記

『べらぼう』「空飛ぶ源内」2025-11-17

2025年11月17日 當山日出夫

『べらぼう』 空飛ぶ源内

こういうストーリーの展開には、賛否両論あるだろうなあ、と思って見ていた。

蔦重と松平定信とのかかわりについて、前回までは、関係のない二つの筋であったものだが、それを、無理にでも一つにして、さらに、さかのぼって田沼意次時代のことまでもからめながら、壮大なドラマにしていこう、という意図は分かるのだが、さて、これからどうするのだろうか。

おそらくは、源内がひょっとして生きているのかもしれない、ということと、東洲斎写楽を、ドラマの中で結びつける……ということになるのかもしれない。源内の秋田蘭画が、初めて登場してきていた。ひょっとすると、この絵のことが、写楽につながっていくのだろうか。

平賀源内生存説というのは、どれぐらい信憑性のあることなのだろうか。まあ、歴史上の偉人は、そう簡単に死なない。古くは、源義経が成吉思汗になったり、西郷隆盛が生きのびていたり、あるいは、ヒトラー生存説があったり、歴史の中には、いろいろと楽しいことがいっぱいある。

芸術家としての歌麿の苦悩というものを、うまく描いていたと思う。自分には、自分だけの、描きたいものがある、だが、その心のうちを誰も理解してくれない。一番理解してくれていないのが、蔦重である。こういうところだろうか。

その歌麿の心情を描くのに、吉原の座敷を、おもいっきり暗い画面で作ってあった。普通なら、吉原で花魁とあそぶような場面は、明るく作って花魁の表情や着物などを浮き立たせることになるが、この回は、それをしていない。極力、暗い画面である。だが、見ていると、この時代の夜の室内の照明として、行灯と蝋燭ぐらいだったことを思うならば、こんなもんだったのだろうと思って見ることもできる。

うまい演出だなと思ったのが、この暗い部屋の中で、歌麿が、蔦重の手になる錦絵を見るシーン。普通、浮世絵などは、明るい昼間の明かりで見るように演出することが多い。しかし、これを、あえて夜の暗い部屋で、行灯の照明で見るようにしている。こうして見た方が、浮世絵の魅力がよりいっそうひきたつ、ともいえるだろう。(一般に、美術品の鑑賞に、どういう照明で見るかということは重要なことである。現代では、あまりにも明るい照明になっている。といって、陰翳礼讃、ということでは必ずしもないと思っているが。)

そして、この回で、役者絵、ということにすこし言及していた。これは、写楽登場の伏線として理解しておいていいことなのだろう。

2025年11月16日記

『八重の桜』「尚之助との再会」2025-11-17

2025年11月17日 當山日出夫

『八重の桜』「尚之助との再会」

八重は女紅場の舎監になる。女性の教育のために尽力する。京都府がお金を出さないので、府知事(という名称でいいのだろうか)の槇村と交渉する。こういうことは、山本覚馬と八重のドラマとしては、こういうことなのだろうとは思う。

ただ、この時代、京都府の財政というのは、いったいどうなっていたのか、このあたりのことは、ちょっと気になる。廃藩置県があり、地租改正があり、近代的な政府の形が整ってきたころになるはずだが、地方に県ができたとしても、その財政はどういう状況だったのだろうか。これは、歴史のこととして、とても興味のあることになる。

京都では、博覧会を開いたり、疎水を作ったり、いろんな事業をしているのだが、その財源、京都府の懐具合のことは、いったいどういう状況だったのだろうか。

征韓論のことが出てきていたが、この時代の韓国のことを、そう悪く描くことはないし、また、征韓論をとなえたことが、帝国主義的アジア侵略として悪辣に描くということでもない。まあ、こんな描き方になるのだろうか、という感じである。

この時代……日本が明治維新を経て近代国家への道をあゆみはじめたころ……朝鮮半島の人びとは、いったいどういう思いで、日本のことを見ていたのだろうか。朝鮮半島の近代史ということになるのだろうが、この分野のことについて、あまり一般的に知られているということはないかと思っている。

廃藩置県で藩が無くなっても、藩閥意識は残っていた。これも、昔は~~藩であったということは、ある意味では、現代でも残っていることである。川崎尚之助は、出石藩の出身であるが、今でも、出石の町には、かつての城下町の面影がある。この町も、現在は、市町村合併で豊岡市の一部になってしまったが。

2025年11月16日記

アナザーストーリーズ「戦火のフライト〜日本人を救ったトルコの翼〜」2025-11-17

2025年11月17日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 戦火のフライト〜日本人を救ったトルコの翼〜

1985年の事件なのだが、あまりはっきりとは憶えていない。イランとイラクの戦争があったことは記憶している。だが、この戦争も、ダラダラと長引いていた戦争で、いったいどういう理由で戦っているのか……お互いの戦略的目標が何なのか……どうも、よく分からなかったということで、憶えている。ただ、結果としては、この戦争によって、イランもイラクもミサイル攻撃ということを経験したことになり、それが、その後の中東情勢に影響することになったのだろう、ということを思ってみるぐらいである。

この番組を見て思うこととしては、いったい何故トルコは日本のために救援機を派遣してくれたのか、その真意は何であるのか。ただ、困っている人がいれば助けてあげるべきだ、というだけのことであったとは、私は、どうしても思えない。そのような博愛精神がまったくゼロであったということもないだろうが、それ以外に、どんなおもわくがあってのことだったのだろうか。

トルコの首相に連絡をとったのが、伊藤忠の社員だった人物。おそらく、この時代の総合商社の海外への駐在員は、現地の政府や経済界に、いろんな人脈を作って仕事をしていたのだろうと思う。政府が公式に動けない、発言できないようなことについて、商社員の立場として、なんとか話しをつけるというようなことは、おそらく、国際政治のなかで、隠密のうちにおこなわれることだったと想像してもいいだろうか。(こういうことは、決して、政府の記録などには残らないことであると思うが。)

現在、同じような状況になったらどうだろうか。現在では、政府専用機、あるいは、場合によっては自衛隊機を派遣するということが、可能になっている。この時代、欧米の航空会社は、救援は自国民、欧米人が優先であって、日本人は乗せない、ということだったのだが、現在では、こういう人種や国籍による優先順位ということは、そうあからさまにはおこなわれないかもしれない。

2025年11月14日記

『ばけばけ』「オトキサン、ジョチュウ、OK?」2025-11-16

2025年11月16日 當山日出夫

『ばけばけ』「オトキサン、ジョチュウ、OK?」

話しの筋としては、女中ということばを誤解していたのは錦織であって、おトキはてっきりラシャメンになる気でいたのだが、実はヘブン先生は、単に家政婦としての女中をもとめていただけだった……ただ、これだけのことなのだが、一週間を使って、これにまつわる人びとの心情の起伏を丁寧に描いていた。

登場人物の心情の動きと、ドラマのストーリーが、きちんとからみあっている。あたりまえのことなのだが、しっかりと考えて作ってあると感じる。

もともとは、錦織が、メイドということばを勝手に拡大解釈していたことが原因である。花田旅館のおウメの給金が、(住み込みの働きだろうが)90銭だというし、おサワの小学校の先生の給金が4円ということだから、20円という給金を提示されれば、普通は、単なる女中(家政婦)ではないだろうと思うのは、そういうこともあったろうと感じる。

おトキは、ヘブン先生の女中になることを決心する。家は貧乏である。借金に追われている。そして、自分の実の母親であるおタエが、乞食(物乞い)にまで零落してしまっている。この窮状をすくうためには、ラシャメンになるしかないと、おトキは、自分を捨てて、家族のため(松野の家族、雨清水の家族)にと思って、心を決める。

ラシャメンになる覚悟を決めたとはいっても、いざヘブン先生の家のしきいをまたぐには、気持ちをふりしぼらねばならなかった。

それにしても、じれったい演出である。最初の朝、ヘブン先生のところに行くと、ヘブン先生は、いきなり、フトン、という。見ていて、朝からそれははないだろうと思うのだが、しかし、ラシャメンになると決心しているおトキは、動揺を隠せないでいる。

その夜になると、ヘブン先生は、おトキに風呂に入れという。そして、自分は物書きをしている。おトキは、夜になって、いったいどうなることかと思ったことになる。

ヘブン先生の女中になったことを、おトキは、家族には内緒にしている。だが、大金を持っていたことを、家族は不審に思う。なんとかごまかそうとするのだが、それを、花田旅館の人たちが、事情を察して助けてくれる。このあたりの描き方は面白い。

結局、女中といっても、ただの家政婦であるということが判明する。このとき、ヘブン先生は、ダキタクナイ、と言う。これはこれで失礼だが、とおトキは言う。自分が女として見てもらえていないということになるのだが、まあ、このあたりは、女心ということなのだろう。このとき、おトキの家族(おフミ、司之介、勘右衛門)がそろって、だきたいじゃろ、というのも、コミカルであると同時に、こういうときの人間の心の動きを面白く表現している。

おトキは、以前に銀二郎と結婚していたことがあったのだから、男とはどんなものか、まったく知らないうぶな生娘(今どき、こういう言い方はしなくなってしまったが)ではない。自分が女として魅力的に見られていないということには、ひっかかるものがあったのだろうが、しかし、ラシャメンになることはないと判明したとき、安心したのか、張りつめていた気持ちがゆるんだのか、くずれおちてしまった。こういうところの、おトキの、気持ちの変化が、非常にリアルに、しかし、どことなくコミカルに描かれていた。

おトキの気持ちに大きな影響を与えたのは、おタエの乞食となった姿である。乞食になっても、おタエは、どことなく品がある。これは、北川景子の魅力である。

そして、もっともだらしないのが、三之丞である。働くこともできず、乞食をすることもないし、ただ、雨清水の家の格の意識だけはある。

このドラマの良さは、人間の感情について、多面的に描いているところである。それが可能になるのは、どういう登場人物が、どういうキャラクターで、どういう生活をしてきているのか、説得力を持って丁寧に描いてきているからできることである。ただ、その場面の科白を言っているだけではない。

ところで、この週でヘブン先生の女中になったおトキがやった仕事というと、フトンを片づけるだけのことだったかもしれない。家の中の家事など、これから、おトキの仕事ということになるのだろう。

まだ、おトキは、シジミ汁をヘブン先生に作っていない。ヘブン先生が、おトキのシジミ汁で、あ~、と言うのは、いつになるのだろうか。

ドラマの中で、松江の街を歩く人が多く登場している。ただの背景としてあるだけではなく、おトキの家族がおトキの行く先を尾行するときに、人力車や大八車の陰になっていたりする。これが、比較的自然なことに見えるようになっている。ただ、その場面のためだけに人力車などが登場したということではなく、それまでに、多くの場面の背景に登場してきているから、うまく演出で使えている。こういう時間をかけた演出のうまさということを、このドラマには感じることになる。

2025年11月15日記

『どんど晴れ』「信じるこころ」2025-11-16

2025年11月16日 當山日出夫

『どんど晴れ』「信じるこころ」

月曜から始まって、土曜日に、一件落着でメデタシメデタシで終わるといスタイルの朝ドラは、ここしばらく作られていない。こういう作り方があってもいいと思う。

この週の事件は、韓国からやってきた俳優のジュンソが、昔の恋人に巡り会うまでの一連のできごと。夏美の奮闘があって、最後には、盛岡のFMラジオでの呼びかけが功を奏して、再会することができた。

見ていて気になることとして、夏美が、旅館の仲居の恰好で、竹箒を肩にかついで、市役所の窓口で、女性のことについて尋ねるというのは、まあ、ドラマとしては、こういうことになっているとは思うのだが、なんか変である。普通は、こういうことはないだろうと思ってしまう。

それにしても、今から20年ほど前の盛岡を舞台にしたドラマなのであるが、今だと、河川敷の広場で子どもたちがサッカーをしている。今年は例外なのかもしれないが、この時代は、クマの心配をしなくてもいい時代だったのだなあ、ということを、どうしても見ながら思ってしまう。

横浜の、夏美のお父さんとお母さんも見ていて面白い。柾樹とお父さんが仲よくなってしまって、お母さんが寂しい思いになってしまう。酔っ払ったお母さんも見ていて面白い。

2025年11月15日記

『とと姉ちゃん』「常子、星野に夢を語る」「常子、仕事と家庭の両立に悩む」2025-11-16

2025年11月16日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、星野に夢を語る」「常子、仕事と家庭の両立に悩む」

このドラマも終盤である。はっきりいって、あまり面白いと感じなくなってきている。

働く女性ということと、家庭ということ、ありふれたテーマであるが、描くとなると、それぞれの時代背景や、人びとの考え方の変化ということがあるので、難しいところでもある。この部分について、このドラマの描き方は、あまりにも紋切り型になっていると感じる。

基本的に専業主婦であった母親(かか)のこととか、水田と結婚して仕事を辞めた鞠子のこととか、生き方の比較として描かれていてもいいと思うのだが、そういうことになっていない。森田屋の夫婦も、働く家族というあつかいでもないようである。

それから、電気釜の商品テストなのだが、昭和30年代のはじめのころの、東京の一般の家庭の家事の実情がどんなものだったのか、ここが見えてこないので、今ひとつ説得力がない。私の経験的なこととしては、いくぶんの欠陥があったとしても、ご飯を炊くのにかまどで薪を焚かなくてもよくなったというのは、家事や台所仕事のあり方の歴史として、画期的なことだったと思う。火事になったりというような、大きな欠陥が無い限り、完璧な電気釜をもとめるということの方が、この時代を描くこととしては、すこし無理があるような気がしてならない。

「暮しの手帖」が、実際にこういう企画を記事にしていたということで、ドラマとしてもそうなっているのだろうが、ここは、もう少し、時代の背景を感じるような作り方ができなかったものかと思う。『とと姉ちゃん』を作った2016年のころの家電製品についての感覚と、昭和30年のはじめのころ、高度経済成長の時代になって、都市部に人が働きに集まり始めたころ、この時代の違いということを、どうしても思ってしまうのである。

2025年11月15日記

映像の世紀バタフライエフェクト「銀座 百年の記憶」2025-11-15

2025年11月15日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 銀座 百年の記憶

昔、学生のころ、京橋にあったフィルムセンター(これは今では、国立映画アーカイブ)によく行った。ちょうど『ぴあ』が刊行になったころで、上映情報を見て行った。信じられないことだが、そのころのフィルムセンターは、ガラガラだった。

夜、フィルムセンターで映画を見ての帰り、京橋から、銀座通りを歩いて有楽町まで行った。山手線に乗るということもあったが、同時に、京橋の交差点を曲がって和光の方に向かって歩く、その銀座の夜景が美しかったからである。

銀座では、並木座の存在も忘れることができない。

銀座の街が、繁華街として人びとの集まるところになったのは、関東大震災があって、帝都復興の後である、ということは、一般的な知識だろう。明治の銀座は、レンガ造りの建物の並ぶエリアであったが、関東大震災で崩壊したということになる。だが、その整然とした街区のエリアは、残ったことになる。

銀座の街の物語としては、そう目新しいものではなかったかなと思う。これまでの、映像の世紀のシリーズとして新し話題としては、笠置シズ子とパンパンの女性たちのこととか、銀座の夜の女性たちのこととか、であった。(太宰治の写真が出てくるかと思っていたが、出てこなかった。)

一方で、銀座は、人びとの生活する街でもあった。学生のとき、慶應義塾大学の国文科だったので、池田彌三郎先生に習う機会があったが、池田先生は、銀座の天ぷら屋の生まれである。その時代、すでにその店(天金)はなくなっていたが。

調べてみると、今でも、泰明小学校は残っている。それだけ地元に人がいる、ということなのだろう。

出てこなかったのが、日劇ミュージックホール、それから、朝日新聞社のこと。

2025年11月12日記

ダークサイドミステリー「多重人格者 ビリー・ミリガン 〜人の心の謎に迫る〜」2025-11-15

2025年11月15日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 多重人格者 ビリー・ミリガン 〜人の心の謎に迫る〜

今の日本で同じような事件があったら、どうなるだろうか。法律的には、心神喪失、心神耗弱、ということで責任能力を問えないとして、無罪になる可能性が高いかと思う。しかし、犯した犯罪が性犯罪ということであるので、性犯罪歴があり再犯の可能性があるような危険な人間を社会に出すなど絶対にあってはならないと、いきりたって攻撃する人たちもいるにちがいない。そういう人たちにとっては、個人の人格についての議論などどうでもよくて、性犯罪者は世の中から撲滅すべきということになる。

責任能力などの議論はどうでもいい、やったこと、犯罪の責任を問うべきである、という風潮が、今の時代は非常に強くなっている。これは、近代的な人間観と法律の根幹にかかわる問題だと、私は、少なからず憂慮することである。

最終的にビリー・ミリガンが言っていたように、多重人格(解離性同一性障害)の人は、無理に人格を統合する必要はなく、そのままの状態で生きていけるなら、それが望ましい、ということになるだろう。(ただ、反社会的で犯罪を犯さないという制限はあるかもしれないが。)

多重人格(乖離性同一性障害)ということが、そう珍しいことではない。見方によっては、人間が社会の中で、適応して生きていくための防御として、必要な能力である、このようにとらえるべきだろうと、私は思う。

番組では触れていなかった興味深いのは、多重人格の人間であっても、英語を話すことが基本であり、また、それぞれに英語らしい固有名詞(人名)がついている、ということである。それから、統合された人格が、教師、であったのは、ビリー・ミリガンが、治療を受ける過程で、治療者(精神科医など)への対応として、自ら新しく生み出した人格の一つであったのかもしれない。それが、固有名詞を持たない教師ということだったと考えることもできるだろうか。

社会の中での人格と何かという問題はある。普通の人間は、社会の中で、場面によって……家庭であったり、会社の中であったり、会っている人によってであったり……あるべき姿で自己を形成している、あるいは、演技している、という面がある。この場合は、そのことが、自分自身でコントロールできることであり、記憶としては共有されるものであって、人格的統一性があるというべきだろう。これに対して、多重人格は、人格が切り替わるとき、自身で制御できない、ということが重要かと思う。番組の中で出てきたことばとしては、そのときには、眼振がおこる。これは、自身で意図的にできない。

こういう意味では、精神医学の観点から、乖離性同一性障害を考えるということと、人間の社会や文化における人格の多面性という問題は、とりあえず、別のことがらと考えるべきだろう。

見ていて感じたことは、出演していた精神科のお医者さんの冷静な分析と語り口である。精神医学の専門家という人は、これぐらい客観的に人間の心の問題を語ることができるものなのだろう、ということに感銘をうけたというのが、一つの感想である。

番組の構成としては、哲学者よりも(ペルソナについての話しはいいから)、法律の専門家に、近代的な法における責任能力と人格の統一性ということで、話しを聞いた方がよかったかもしれない。

2025年11月9日記