BS世界のドキュメンタリー「北欧 新冷戦に備える 中立を捨てた“西側の最前線”」2025-12-05

2025年12月5日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「北欧 新冷戦に備える 中立を捨てた“西側の最前線”」

2025年、フランスの制作。

これが今の世界の現実である。これと比べて日本では……といろいろと思うところはある。

別にこの番組が特に反ロシア的、強いて言えば好戦的、ということではないと思う。ロシアのウクライナ侵攻をうけて、ヨーロッパの安全保障の地図は大きく変わった、このことの現実をまず理解する必要がある。ヨーロッパのように、過去の歴史の中で、領土を戦争でうばったり、うばわれたり、ということが相互に積み重なってきて、とりあえずということになるのが、現在の領土(国境)であり、そこに近代の国民国家がなりたっている。

国家の国民であるかぎり、国防に責任があるのは当然である、こういう意識が人びとの中に根づいていることが理解される。(その一方で、平和主義ということも、共存するのが、まさに歴史であり政治であると思うのであるが。)その国の国民であるということは偶然の所産である。自分で選び取って、その国に生まれたということではない。この意味では、愛国心というのは、自己の宿命を引き受ける覚悟ということになる。(その一方で、国籍離脱の権利もあり、他の国に移ることも、人権として重要であることの認識もある。ここに、近代的な国民国家、市民社会ということの要諦を、私は見出したい。)

日本だと、敵がいて攻めてくる可能性があるので国防……と言っただけで、戦争の準備をしている、侵略主義だと、猛批判されるのだが、ここは冷静に現実を見ることが必要だろう。それにしても、いまだに、軍備というと、コスタリカのことを事例に出してくる人があとをたたないのは、もうどうしようもないというべきかもしれないが。(個人的には、馬鹿につける薬はないとしかいいようがないと思うことになるが。)

王女……未来の国王になるはずだが……が、軍務にしたがい、国民の前に軍服姿であらわれるというのは、おそらく日本の皇室については、考えがたい。たしかに、明治天皇とか昭和天皇の軍服姿がイメージされるのではあるが、しかし、実際に軍務についたということではない。大元帥としてのイメージである。敬宮愛子内親王殿下(こういう場合、愛子さまとはいいにくい)の、軍服の姿を考えてみないわけではないけれど、現実には、かなり無理があるかもしれない。

番組のタイトルには、冷戦、とあるのだが、しかし、北欧の今の状況は、ほとんど戦争の一歩手前であると言っていいだろうか。(同じようなことは、台湾についもいえるだろう。普通に平穏な市民生活がある、その裏には、有事へのそなえが着実にある。)

それにしても、シェルターが全国にきちんと整備されているということは、これは、日本が、いまさら日本が見習おうとしても、もう完全に手遅れである。災害時用の食料の備蓄すらままならない状態と言っていいだろう。

この番組の中では特に言っていなかったが、北極海が戦場になるかもしれないということは、近い将来において、日本のあり方に大きく影響する。北極海の氷が、地球温暖化によって溶けて少なくなることは、北極海航路が日本のシーレーンとして、重要な意味を持ってくるということであり、さらにいえば、北極海への覇権を狙っているのは、ロシアだけではなく、中国もはっきりと意思表示をしている。日本は、その最前線に位置するということを、理解しておかなければならない。

北極海の覇権、あるいは、軍事バランスの鍵になるのは、空母ではなく、原子力潜水艦だろうと思っているのだが、このあたりのことは、専門家の意見をききたいところである。

2025年12月3日記

おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 山本茂實〜野麦峠への道〜」2025-12-05

2025年12月5日 當山日出夫

おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 山本茂實〜野麦峠への道〜」

1980年の番組である。

テレビの番組を見て感動をおぼえるということは、あまりないのだが、(見て、いろいろと考えるということは多いが)、山本茂美のことばは、深くこころにしみいるものがある。

番組のタイトルには、『野麦峠』とある。たしかにこの作品は有名である。しかし、この作者が、『葦』という雑誌を作っていたということは、知らなかった。不明であったとしかいいようがない。(この番組の放送の時代にあっては、『野麦峠』は有名であったが、『葦』は忘れられていた、といっていいだろうか。)

『葦』については、福間良明『「勤労青年」の教養文化史』(岩波新書)で知っていた雑誌である。

青年学校ということについては、知識としては知っていることなのだが、これは、日本における教育(さらには教養や修養になるのだが)の歴史の中で、どう考えられてきたのだろうか。私が読んだことのある日本の教育史にかんする本の多くは、公的な正規の学校教育についてのものがほとんどであった。地方の農村部で、働きながら、あるいは、都市部であっても工場などで働きながら、青年学校などで学んでいた人たちが大勢いたということは、現代のインテリ層(その中に、私自身をふくめて考えることになってしまうのだが)の意識の中で、ぽっかりと抜け落ちている部分かと思う。

私は、慶應義塾大学に学んだのだが(昭和50年の入学)、慶應には通信制もあった。また、大学によっては、夜間もあった時代であるが、これも、時代とともに姿を消してしまったことになる。

現代における、教育をめぐる問題(放送大学や夜間中学、それから、不登校などふくめて)は、また、別の側面から考えることになる。

山本茂美のような生き方、考え方をする人が、少なからずいたのが、かつての日本の社会であったということは、もっと考えられなければならないと思う。私の年代だと、昭和の戦後でも、高度経済成長期までの農村部の生活を、かろうじて実感として感じとれるギリギリのところである。

信州で百姓の生活をしていたとき、東京に出て『葦』を刊行していたとき、山本茂美がどんなことを体験してきたのか、簡単にいいきることはできないにちがいない。『葦』を刊行しようとして集まったときの、早稲田の学生のインテリ意識については、私としても、そう感じるところはあっただろうと思うところがある。しかし、その一方で、早稲田だからこそ、山本茂美のような人がいたとも感じるところがある。(はっきりいって、慶應から出てこなかったかもしれない。)

一番印象に残っているのは、過去の体験をふりかえって、百姓をしているとき、『葦』を編集・刊行しているとき、人間の良い面もたくさん見てきたが、汚い面も見てきたと、言っていたことである。普通は、学歴がない勤労青年であってもという文脈で、人間の善良な面を強調することが多いと思うのだが、その中で、さりげなく、人間の汚い面、ということを言っている。

『葦』という雑誌名を見ると、どうしてもパスカルの『パンセ』を思ってしまうのだが(私自身もそうだったのだが)、そうではなく、執拗に地面に根を張って容易には抜き去ることもできない、枯れない、生命力の強いものとして、「葦」であったことを知った。こういうことを肯定的にとらえる感覚は、もう今の社会では失われてしまったものである。

自らを「市民」と位置づける、場合によっては、「劣等民族」とも言ってしまうような人たちには、もう分からない感覚だろう。無論これは、「国民のみなさま」と言う、今の政治家も同様である。かろうじて、「大衆の原像」という言い方が、なんとか説得力をもっていた時代が最後だろうか。

『葦』の寄稿者の中に、早乙女勝元とか有吉佐和子の名前が出てきていた。有吉佐和子は、現在、読者がもどりつつある作家になっているが、有吉佐和子が、『葦』に親しんでいたということは、私にとって、とても意味のあることだと感じる。

2025年12月4日記

英雄たちの選択「卑怯者と呼ばれて〜信長を裏切った男 荒木村重〜」2025-12-05

2025年12月5日 當山日出夫

英雄たちの選択 卑怯者と呼ばれて〜信長を裏切った男 荒木村重〜

磯田道史は、数少ない、司馬遼太郎を評価する歴史家だと思っている。なので、番組の中で、司馬遼太郎の名前は出てきていなかった。だが、私の思うところでは、織田信長を時代に先んじた革新的な戦国武将として描いたのは、司馬遼太郎の『国盗り物語』である。斉藤道三から織田信長へと、時代を新しい発想で変えていった物語である。(小説としては、とても面白い。)

織田信長は偉大な革新者であった。だから、その織田信長に逆らうような武将は、旧弊な愚か者である……まあ、たしかにそういうことになるだろうなあ、と思う。この意味では、司馬遼太郎の罪は大きい。

荒木村重というと、私の頭の中では、米澤穂信の『黒牢城』の主人公である。

この回で面白いと思うところは、戦国の戦乱を、ロジスティックスの点から見ていることである。有岡城がもちこたえるためには、尼崎城があって、瀬戸内海の海運をつかって毛利からの補給が確保できていることが絶対条件になる。この点では、有岡城と尼崎城を分断して、その兵站のルートが立たれると、有岡城はもちこたえられない。

明治維新を薩長の視点でみる薩長史観をどうにかしなければならないし、戦国時代を、織田・豊臣・徳川の視点でみる織豊徳史観もどうにかしなければならない……というのは、そのとおりだと思う。(しかし、いずれにせよ、京都の天皇を手中にしたものが勝者であった、ということは確かだと思うところであるが。)

ところで、番組の冒頭に映っていたのは、徳富蘇峰の『近世日本国民史』だった。今では一般にはもう読まれることのない本になってしまっているが、歴史学の世界では、どう評価されるのだろうか。歴史学として意味はないかもしれないが、日本人の歴史観の歴史、という観点からは重要な仕事であるにちがいない。

2025年11月28日記