植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之「ハエトリソウ」2025-12-24

2025年12月24日 當山日出夫

植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 ハエトリソウ

再放送である。気がついたときは、録画しておいて見ることにしていたが、不定期の放送なので、見逃すことがあった。

ハエトリソウというが、実際には、ハエよりもアリなどを多く食べている(?)ようである。

トゲトゲの葉っぱが閉じるのが、0.3秒ということだった。どういうメカニズムで、これを実現しているのだろうか。この説明がほしかった。

中にセンサーとなる突起があって、二回触れないと反応しない。それには、30秒という時間内という限定がある。(二回目に反応するというのは、まるで、たちのわるい対人地雷のようなものである。)その時間を、カルシウムイオンの濃度の変化で実現しているというのは、面白い。というよりも、こういうことに興味を持って、見つけた研究者がすごい。

そして、この回で印象に残るのは、ハエトリソウが、このように進化してきたのは、こうなろうという目的があってそうなったのではなく、棲息する環境に適応するために、このようになった……これは、生物の進化ということを考えるときに、重要なポイントだろう。えてして、進化は、目的とすべき方向があり、すぐれたものが生き残るという印象がある。社会的ダーウィニズムは、そのなれのはてである。だが、進化の基本は、環境(それは、多様であり変化するものである)への適応である、その結果としての、生物の多様性である、という理解だろうと、私は思っている。

ゆっくりと成長するの、これはこれで、生物の生存戦略である。みなと同じような速さで成長する必要はないし、速く成長するからといって、すぐれているわけではない。

2025年12月22日記

おとなのEテレタイムマシン「わたしの自叙伝 森繁久彌〜放浪の青春〜」2025-12-24

2025年12月24日 當山日出夫

おとなのEテレタイムマシン わたしの自叙伝 森繁久彌〜放浪の青春〜

私の世代だと、森繁久彌が喜劇役者であったころよりも、晩年の「知床旅情」を歌った人、というイメージが強いかもしれない。

これは、見ていて面白かった。

森繁久彌が、かなりいい家の生まれで、早稲田に進学したが、反骨精神(というべきか)でやめてしまって、その後、NHKのアナウンサーになった。

森繁久彌の時代、NHKのアナウンサーは、大人気の職業で、就職試験は、非常な高倍率だった。このアナウンサーの試験のことが、とても興味深い。実際に見たものを実況中継するような試験もあった。こういうことの資料については、今のNHKにどれぐらい残っているのだろうか。

それから、外地赴任を希望して満州にわたった。さりげない言い方であったが、戦前の「日本」の領土としては、外地として、朝鮮、台湾、満州、樺太、などがあった。(それから、南洋の島々もあったはずである。)これらの地域におけるラジオ放送は、どのようになっていたのだろうか。それに、NHK(という名称で言っておくが)は、どう関与していたのだろうか。

今年、放送100年ということで、NHKのラジオ放送の歴史をあつかった番組がかなりあったのだが、そのいくつかは見ているが、戦前の外地でのラジオ放送について歴史的に語ったものは、私は見ていない。こういう歴史があったということは、たしかなことである。それを、無かったかのごとくふるまうのは、やはり、NHKとしては、相当の欺瞞であるといわざるをえない。

今からでもいいから、戦前戦中の外地でのラジオ放送とNHKについて、きちんとした番組を作ってほしい。

最後に出てきた、子どもを養子にもらう話し。今では、このような親子関係はなくなったかもしれない。子どもというのは、何かしら運命的な存在である(子どもができる、できない、どの家の子どであるか)という感覚があったというべきだろうか。

2025年12月19日記

ドキュメント72時間「東京 眠らない書店で」2025-12-24

2025年12月24日 當山日出夫

ドキュメント72時間 東京 眠らない書店で

いまどき24時間営業の書店がやっていけるのは、どういうことがあるのかと思う。深夜の時間帯にそう大勢のお客さんが来るというわけではないようなので、コスト的には、わりにあわないだろうと思うのだが。

書店は、店内にはいれば、その質が分かる。なんとなく空気、雰囲気で、分かる。

昔、東京に住んでいたころは、神保町では東京堂によく行った。三省堂よりも規模は小さいのだが、質的には良かった。(さあ、これも今ではどうなのだろうか。)

それから、池袋の西武百貨店の上の階の書店にはよく行った。その上が、美術館だった。今泉棚という、今では、もう伝説となったコーナーがあった。

京都に行って大学で教えるということをしていたころ、京都駅の近くのアバンティのブックセンターには、ほぼ毎週、行っていた。新書、文庫の新刊をみつくろうのと同時、エレベーターを降りて近く、人文学系の話題の新刊を平台に積んであるのを、かならず見ることにしていた。やはり、京都にある書店ということもあるのだろうが、基本的な人文学的な新刊でめぼしいものは、置いてあった。

今の我が家から、近くの書店というものが姿を消してしまった。どこに行くにも、自動車で行かなければならないのだが、それでも、なんとか行ける範囲にお店があることはある。

東京での書店ビジネスというのは、現状では、かなり厳しいかと思う。私の学生のころだったら、国電(という言い方が古めかしいが)や私鉄の駅のビルや近くには、かならず書店があったものである。それも、今では、昔の話しである。

ところで、こういう番組を見ると、登場する人の話よりも、背景に映る書店の内部の方にどうしても目がいってしまう。見る範囲では、かなり、選んで本を売っている。

登場した人が手にしていた本で気になったのは、大川周明の本。もう昔の人ということかと思っていた。(東京裁判で、東條英機の頭をたたいた人物というイメージが強いのだが、私の場合。)その大アジア主義は、今でも、通用することかもしれない。あるいは、現在、言われている多文化共生といういことは、実際には、反欧米文化の受容ということに力点がおかれることになるので、私の見るところでは、今のいわゆるリベラルのいう多文化共生は、戦前の大東亜共栄圏の理念をうけついでいるというべきだろう。こういう視点で考える人は少ないとはは思うが。

アメリカに行ってきたという女子学生。スマホの写真を見ると、太平洋戦争のときの硫黄島に星条旗を立てる像であったり、軍の墓地であったりするのだが、アメリカに行って、こういうところの写真を撮ってくるというのは、あまり普通の感覚ではないなと感じるのだが、偏見だろうか。

この本屋さんの外のスタンドには、「週刊金曜日」が売ってあった。この雑誌を本当に売ってる本屋さんがあって、たぶん買う人もいるのだろうと、なんだか珍しいものを見たような気分になった。

2025年12月21日記