BS世界のドキュメンタリー「イスラエルとパレスチナ 破局への道 第3回 トランプ路線と頭越し外交の“つけ”」 ― 2025-12-22
2025年12月22日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「イスラエルとパレスチナ 破局への道 第3回 トランプ路線と頭越し外交の“つけ”」
三回目である。ここまで見て思うことは、こういうのを作れる日本のテレビは無いだろうなあ、ということである。欧米の政権の中枢に密着した取材を続けてこないといけないし、中東の問題について、深く、そして、俯瞰的に見る視点が重要である。
あまり日本のマスコミで(また、SNSなどでをふくめてということになるが)、パレスチナの内部における、ハマスが存在の意味ということを、ほとんどとりあげない。ハマスは、ガザで選挙をおこなっており、ガザの人びとから支持されている、そこを統治する正統性がある、という論調が多かったかと思っている。しかし、パレスチナといっても、他のアラブ諸国との関係、アッバス議長の考え方、ハマスとの関係、こういうことについて、継続的に踏み込んだ解説というのが欲しいところだが、あまりニュースなどで見ることはない。
それからイスラエル内部の、ネタニヤフ政権のこれまでのことも、重要である。(この背景には、イスラエルの歴史や選挙の制度などもかかわることになる。)
いろいろなことの積み重ね、それは誤解と失敗の連続であったかもしれないが、それがあって、2023年10月7日の事件があったことになる。ただ、これを、パレスチナのイスラエルに対する「正義」の挙行であると、肯定的に単純化して語るのが、日本のマスコミ(特に、いわゆるリベラルを自称する……詐称といった方がいいかもしれないが)の言ってきたことであった。
ただ、この三回のシリーズを見て、描いていないのが、イスラエルや、パレスチナ、それから、アラブ世界に生活する人々の感覚である。これは、番組の方針として、政治家の言動や判断を描くことになっているので、これはいたしかたないことかとも思う。
それぞれの政治的判断と誤りがあってのことを冷静に見るべきだろうし、ただ、イスラエルが悪い、アメリカが悪い、そして日本も悪い、ということだけでは、問題は解決しないだろうということを、強く感じる。
イスラエルの問題は、歴史的にユダヤ人の問題をさかのぼることになる。また、イスラムの世界として、中近東はもとより、アフリカから、中央アジア、東南々ジア、さらには現在の中国の領域まで、地理的に広い範囲におよぶ。そこでの、宗教と民族の歴史があり、それは、治乱興亡の歴史でもある。また、実際に生活する人々の感情もある。政治家、為政者の、思慮や誤判断もある。さまざまな反政府武装勢力もある。こういう問題が、ごちゃごちゃとしているところで、単純に善悪の二元論で片がつくことはないだろうし、さらにややこしいのは、それを、現代の国際社会の国民国家(国連の単位といってもいいだろうが)でなんとかしなければならないことである。こういうややこしことを、きちんと分かって説明してくれる専門家は、日本にどれぐらいいるのだろうか、ということも気になるところである。
2025年12月19日記
BS世界のドキュメンタリー 「イスラエルとパレスチナ 破局への道 第3回 トランプ路線と頭越し外交の“つけ”」
三回目である。ここまで見て思うことは、こういうのを作れる日本のテレビは無いだろうなあ、ということである。欧米の政権の中枢に密着した取材を続けてこないといけないし、中東の問題について、深く、そして、俯瞰的に見る視点が重要である。
あまり日本のマスコミで(また、SNSなどでをふくめてということになるが)、パレスチナの内部における、ハマスが存在の意味ということを、ほとんどとりあげない。ハマスは、ガザで選挙をおこなっており、ガザの人びとから支持されている、そこを統治する正統性がある、という論調が多かったかと思っている。しかし、パレスチナといっても、他のアラブ諸国との関係、アッバス議長の考え方、ハマスとの関係、こういうことについて、継続的に踏み込んだ解説というのが欲しいところだが、あまりニュースなどで見ることはない。
それからイスラエル内部の、ネタニヤフ政権のこれまでのことも、重要である。(この背景には、イスラエルの歴史や選挙の制度などもかかわることになる。)
いろいろなことの積み重ね、それは誤解と失敗の連続であったかもしれないが、それがあって、2023年10月7日の事件があったことになる。ただ、これを、パレスチナのイスラエルに対する「正義」の挙行であると、肯定的に単純化して語るのが、日本のマスコミ(特に、いわゆるリベラルを自称する……詐称といった方がいいかもしれないが)の言ってきたことであった。
ただ、この三回のシリーズを見て、描いていないのが、イスラエルや、パレスチナ、それから、アラブ世界に生活する人々の感覚である。これは、番組の方針として、政治家の言動や判断を描くことになっているので、これはいたしかたないことかとも思う。
それぞれの政治的判断と誤りがあってのことを冷静に見るべきだろうし、ただ、イスラエルが悪い、アメリカが悪い、そして日本も悪い、ということだけでは、問題は解決しないだろうということを、強く感じる。
イスラエルの問題は、歴史的にユダヤ人の問題をさかのぼることになる。また、イスラムの世界として、中近東はもとより、アフリカから、中央アジア、東南々ジア、さらには現在の中国の領域まで、地理的に広い範囲におよぶ。そこでの、宗教と民族の歴史があり、それは、治乱興亡の歴史でもある。また、実際に生活する人々の感情もある。政治家、為政者の、思慮や誤判断もある。さまざまな反政府武装勢力もある。こういう問題が、ごちゃごちゃとしているところで、単純に善悪の二元論で片がつくことはないだろうし、さらにややこしいのは、それを、現代の国際社会の国民国家(国連の単位といってもいいだろうが)でなんとかしなければならないことである。こういうややこしことを、きちんと分かって説明してくれる専門家は、日本にどれぐらいいるのだろうか、ということも気になるところである。
2025年12月19日記
昭和の選択「 “引き揚げの神様”と呼ばれた男」 ― 2025-12-22
2025年12月22日 當山日出夫
英雄たちの選択 昭和の選択 “引き揚げの神様”と呼ばれた男
松村義士男という人物のことについては、知らなかった。
見ていていろいろと思うことはあるのだが、気になったこととして、番組の中で「朝鮮の当局」という言い方をしていたのが、ひっかかる。日本による統治がなくなり(ポツダム宣言によって朝鮮半島を手放した)、朝鮮総督府は意味の無いものになり、38度線をはさんで、北がソ連、南がアメリカ、ということになって、占領統治されていた状態である。この状況の中で、松村が交渉しようとした相手とての、朝鮮の当局とは、いったい何なのだろうか。統一的な統治機能(それが、南北に分断されたものであっても)が、存在したということなのだろうか。
昭和20年の、太平洋戦争・大東亜戦争の敗北は、外地にいた日本人の苦難であったことは、語られることが、あまりなかったかもしれない。満州にいた人たちのことは、『流れる星は生きている』(藤原てい)や『朱夏』(宮尾登美子)などで描かれている。しかし、それ以外の、中国や台湾、東南アジアにいた人たちが、戦争の終結とともに、その後はどうなったのか、気にはなるところだが、あまり一般的に語られることはないかと思っている。東南アジアや南洋諸島にいた日本人について語るときは、その現地の人たちへの植民地支配的加害者とみなすのが、現在の一般の傾向であるかとも思う。
松村義士男は、義侠心の人物であったことはたしかだろう。組織のちからをたのみにする人物ではないが、しかし、ことをなすときには、組織をうまく利用する。ソ連がどういう組織で出来ている国なのかを見抜いているというのは、あるいは、戦前の労働運動にかかわったことから学んだことだったかもしれないとは、見ながら思ったことでもある。
ポツダム宣言を受諾して(これは、8月14日)、では、外地にいた日本人はどうなるのか、ということについて、日本の国家や政府は、なんにもできなかったというのが、実際のところということになる。軍については、陸軍省、海軍省が、第一復員省、第二復員省として、仕事にあたったことになるが、民間人は、政府としてどのように対応すべきか、分からなかったというのが、実際のところだろう。
(番組では言っていなかったが)この逆のことが、日本国内にいた、朝鮮人や中国人についても、いえるだろう。もう、今では使わない(使ってはいけない?)ことばになっているが、第三国人という言い方が、微妙な立場をあらわしている。
この時代の証言の中で出てきていた、日本人とおもわれる売春婦の話は、この時代だったら、こういうこともあっただろうと、思うことになる。
金日成の素性については、何にもふれることがなかったが、これは意図的に避けたのだろうか。抗日パルチザンの英雄ということになっていると思うのだが、それと、北朝鮮の建国にかかわった金日成は、偽物であるというが通説だと思うのだが、ここは、ただ金日成の名前を出して番組を作っただけ、ということでいいのだろうか。松村が交渉がたくみであったとしても、約束を守ってくれる人物だったとは思えないのだが、はっきりそうもいえないということもあるのだろう。
挑戦半島ではソ連とアメリカが対立し、中国の方では、蒋介石と毛沢東が争っていた時代であるとして、そこにかつて居住していた「日本人」(この定義も難しいのだが)は、国際法ではどうあつかわれるべきことだったのだろうか。このことの解説も、あってよかったかと思う。
2025年12月9日記
英雄たちの選択 昭和の選択 “引き揚げの神様”と呼ばれた男
松村義士男という人物のことについては、知らなかった。
見ていていろいろと思うことはあるのだが、気になったこととして、番組の中で「朝鮮の当局」という言い方をしていたのが、ひっかかる。日本による統治がなくなり(ポツダム宣言によって朝鮮半島を手放した)、朝鮮総督府は意味の無いものになり、38度線をはさんで、北がソ連、南がアメリカ、ということになって、占領統治されていた状態である。この状況の中で、松村が交渉しようとした相手とての、朝鮮の当局とは、いったい何なのだろうか。統一的な統治機能(それが、南北に分断されたものであっても)が、存在したということなのだろうか。
昭和20年の、太平洋戦争・大東亜戦争の敗北は、外地にいた日本人の苦難であったことは、語られることが、あまりなかったかもしれない。満州にいた人たちのことは、『流れる星は生きている』(藤原てい)や『朱夏』(宮尾登美子)などで描かれている。しかし、それ以外の、中国や台湾、東南アジアにいた人たちが、戦争の終結とともに、その後はどうなったのか、気にはなるところだが、あまり一般的に語られることはないかと思っている。東南アジアや南洋諸島にいた日本人について語るときは、その現地の人たちへの植民地支配的加害者とみなすのが、現在の一般の傾向であるかとも思う。
松村義士男は、義侠心の人物であったことはたしかだろう。組織のちからをたのみにする人物ではないが、しかし、ことをなすときには、組織をうまく利用する。ソ連がどういう組織で出来ている国なのかを見抜いているというのは、あるいは、戦前の労働運動にかかわったことから学んだことだったかもしれないとは、見ながら思ったことでもある。
ポツダム宣言を受諾して(これは、8月14日)、では、外地にいた日本人はどうなるのか、ということについて、日本の国家や政府は、なんにもできなかったというのが、実際のところということになる。軍については、陸軍省、海軍省が、第一復員省、第二復員省として、仕事にあたったことになるが、民間人は、政府としてどのように対応すべきか、分からなかったというのが、実際のところだろう。
(番組では言っていなかったが)この逆のことが、日本国内にいた、朝鮮人や中国人についても、いえるだろう。もう、今では使わない(使ってはいけない?)ことばになっているが、第三国人という言い方が、微妙な立場をあらわしている。
この時代の証言の中で出てきていた、日本人とおもわれる売春婦の話は、この時代だったら、こういうこともあっただろうと、思うことになる。
金日成の素性については、何にもふれることがなかったが、これは意図的に避けたのだろうか。抗日パルチザンの英雄ということになっていると思うのだが、それと、北朝鮮の建国にかかわった金日成は、偽物であるというが通説だと思うのだが、ここは、ただ金日成の名前を出して番組を作っただけ、ということでいいのだろうか。松村が交渉がたくみであったとしても、約束を守ってくれる人物だったとは思えないのだが、はっきりそうもいえないということもあるのだろう。
挑戦半島ではソ連とアメリカが対立し、中国の方では、蒋介石と毛沢東が争っていた時代であるとして、そこにかつて居住していた「日本人」(この定義も難しいのだが)は、国際法ではどうあつかわれるべきことだったのだろうか。このことの解説も、あってよかったかと思う。
2025年12月9日記
『八重の桜』「西南戦争」 ― 2025-12-22
2025年12月22日 當山日出夫
『八重の桜』「西南戦争」
西郷隆盛は、どう描かれてきたか、論じられてきたか、というのは、とても興味深いテーマである。明治維新を描くとなると、坂本竜馬、西郷隆盛、それから、吉田松陰、というあたりがメインで、それに、新撰組がからんでくる、というあたりが、現代における、一つのイメージかと思う。勝海舟が出てくることはある。しかし、福澤諭吉が出てくることは、ほとんどない。福澤諭吉を論じるときには、また別の枠組みで語ることになり、明治維新の物語とは切り離されているのが、普通である。
史実として西郷隆盛がどうであったかということは歴史学として重要なことなのだが、その一方で、サブカルチャーや、明治維新についての言説の中で、西郷隆盛がどのように描かれてきたのか、ということも、重要なことである。おそらく、近代以降の日本人の多くは、西郷隆盛に、ある種の(人間として、侍としての)理想像を見出してきたということはあるだろう。
大河ドラマで西郷隆盛を描くとなると、どうしてもこの回のようなことになるのだろうとは思う。だから、いけないというつもりはない。
興味深かったのは、明治10年のころには、九州と東京とを繋ぐ電信網(これは、有線であろうが)が、できていたことである。これが、全国的に通じるようになるのは、いつごろのことなのだろうか。日本国内の通信網というインフラの整備と、中央集権的な近代国家の建設ということは、不可分のことであったにちがいない。
2025年12月21日記
『八重の桜』「西南戦争」
西郷隆盛は、どう描かれてきたか、論じられてきたか、というのは、とても興味深いテーマである。明治維新を描くとなると、坂本竜馬、西郷隆盛、それから、吉田松陰、というあたりがメインで、それに、新撰組がからんでくる、というあたりが、現代における、一つのイメージかと思う。勝海舟が出てくることはある。しかし、福澤諭吉が出てくることは、ほとんどない。福澤諭吉を論じるときには、また別の枠組みで語ることになり、明治維新の物語とは切り離されているのが、普通である。
史実として西郷隆盛がどうであったかということは歴史学として重要なことなのだが、その一方で、サブカルチャーや、明治維新についての言説の中で、西郷隆盛がどのように描かれてきたのか、ということも、重要なことである。おそらく、近代以降の日本人の多くは、西郷隆盛に、ある種の(人間として、侍としての)理想像を見出してきたということはあるだろう。
大河ドラマで西郷隆盛を描くとなると、どうしてもこの回のようなことになるのだろうとは思う。だから、いけないというつもりはない。
興味深かったのは、明治10年のころには、九州と東京とを繋ぐ電信網(これは、有線であろうが)が、できていたことである。これが、全国的に通じるようになるのは、いつごろのことなのだろうか。日本国内の通信網というインフラの整備と、中央集権的な近代国家の建設ということは、不可分のことであったにちがいない。
2025年12月21日記
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