3か月でマスターする古代文明「(11)ナスカ 地上絵・文字なき文明の道しるべ」2025-12-13

2025年12月13日 當山日出夫

3か月でマスターする古代文明「(11)ナスカ 地上絵・文字なき文明の道しるべ」

ナスカ地上絵を写真などで見るとき、たいていは空から見た映像としてである。飛行機などであったり、最近だと、ドローンを使う。

だが、重要なのは、普通の人間の地上の視点からはどう見えるのか、ということかもしれない。その地上絵のすぐ側に立ったとき、あるいは、そのエリアを見渡せる周囲の山から見たとき、どう見えるのだろうか。古代の人びとは、これを見ていたはずであり、空から見たらどうなるかということは、想像することしかできなかった。(同じことは、日本の前方後円墳などについてもいえる。現代では、空の上から見た形でイメージしてしまうことが多いが、古代の人びとは地上に立って見ているしかなかったはずである。)

地上に立って見るしかないという状況において、どうやって、全体像をイメージしていたのだろうか。まっすぐな線や曲線などは、どうやって描いたのだろうか。

ナスカ地上絵が作られた時期の推定は、何を根拠にしているのだろうか。おそらくは、これを描いたであろう周辺の住居遺跡の年代から考えることになったのかと思うが、そこに住んでいた人が、ナスカ地上絵を描いたという証拠は確実なのだろうか。

ナスカ地上絵も興味深いのだが、この回で面白かったのは、道。なぜ、まっすぐに道ができているのか。周囲の目標物が無いところで(だだっぴろい沙漠のようなところで)、まっすぐに歩く、まっすぐに線をひく、ということは、かなり困難なことではないかと思えるのだが、こういうことについて、考古学者はどう考えているのだろうか。(古代の奈良の上ツ道、中ツ道、下ツ道、などは、非常に人為的意図的に作った道であるだろう。)

それから気になったのは、古代のナスカの地域では、多言語社会であって、多言語を統合するものは、権力によるだけとは限らない、ということを言っていたのだが、そもそも、多言語社会であったことは、何から推測することになったのか。

周囲の住居の遺跡などの人骨の調査から、DNA解析で、どのような人たちが住んでいたのかは分かるはずだが、そういうことでいいのだろうか。もし、いろんな人がいたとしても、それで、すぐに多言語といえるかどうかは、分からないはずである。(遺伝的な多様性と、言語や文化、さらには宗教などがどうであったか、多様なものであったかどうか、分かるというのは、はたして学問的に妥当だろうか。)

人間社会は多様なものであって、統合するのは国家権力だけではない文明もあった……ということを言いたいのは分かるつもりなのだが、しかし、そうであるならば、あまりにも議論や説明が杜撰である(番組の中で語られた範囲では、ということになるが。)

2025年12月12日記

よみがえる新日本紀行「ペーロンの海-長崎市三重-」2025-12-13

2025年12月13日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「ペーロンの海-長崎市三重-」

再放送である。2024年。オリジナルは、昭和54年(1979年)。

ペーロンは、知ってはいることだが、実物を見たことはない。

見ていて思うことは……速く船をこぐために、男たちは非常な努力をしていることは分かるのだが、その肝心の船自体は、昔のままみたいである。速くすすむためには、船の構造とか素材とか、いろいろ工夫があっていいと思うのだが、ペーロンにつかう船は、このような形でなければならない、櫂もこんな形でなければならない、ときまりごとでもあるのだろうか。

昔は、女性は船に乗れなかったようだが(そういう決まりがあったとは言っていなかったが)、今は、乗れるようだ。これも、時代の変化ということでいいだろう。ただ、漕ぎ手として参加するなら、男女別に分かれてレースをした方がいいかもしれない。完全な男女混合でもいいけれど。

昔、20隻以上がレースに参加していて、今は、6隻だけということだったが、それだけ、地域の人口が減ったということでいいのだろうか。長崎の近郊であるから、そう極端に人口減少ということのある地域ではないかとも思ったりもするが。

番組のはじまりところで、田植えが映っていて、人手で田植えをしていた。もう、今では、こんな光景は見られなくなったかと思う。田植え機を動かす燃料がなければ、田植えも、また稲刈りもできないのが、今の日本の稲作である。

2025年12月11日記

芸能きわみ堂「十八世中村勘三郎の芸と人」2025-12-13

2025年12月13日 當山日出夫

芸能きわみ堂 十八世中村勘三郎の芸と人

唐十郎に影響を受けた、ということであるが、見てみると、私と同年の生まれである。私は演劇にはほとんど関心のない生活をおくってきたので、唐十郎の演劇を見たということはないのであるが、しかし、こういう人が生きてきた時代については、共感するところが多くある。

演劇、歌舞伎、これは、何よりもエンタテイメントである。娯楽である。こういうことをきっぱりと言える背景には、戦後の時代の、(今から思えばであるが)妙にインテリが幅をきかせていた時代というものがあったことを思う。だからといって、人間の知的営為、知性については、最大限、尊重すべきと思っている。

そして、反権力と(低俗と一般に言われるような)娯楽とが、親和的だった時代でもあった。

このような時代背景があって、ある時代に流行した、ニューアカ(ニュー・アカデミズム)という方向があった。私としては、こんなふうに思う。

娯楽であることを追求した歌舞伎、ということである。そして、重要なことは、娯楽とは、人と人とが一緒にいるところに生まれるものである。だからこそ、ライブでなければならない演劇の魅力がある。劇場でなければ、表現出来ないものがあり、そのときのその場所でなけば感じられないものがある。

また、伝統芸能である歌舞伎は、常に、世の中の最新の感覚にうったえるものでなければならない、ということもある。これは、古典芸能のみならず、クラシックとされる分野において、基本的にいえることである。歌舞伎だからといって、日本でだけの公演でいいというわけではない。相撲だって、イギリスに行くのである。

歌舞伎の演目としての『俊寛』は、『平家物語』に題材をとっていることになるが、内容としては、大きく変わっている。たしかに、人間の情を描くということでは、ドラマチックになっているのだが、私の感覚としては、シンプルに島においてけぼりになる『平家物語』の筋の方が、しっくりくる。

2025年12月6日記

NHKスペシャル「新ジャポニズム 第6集 千家十職 “茶の湯”の求道者たち」2025-12-13

2025年12月13日 當山日出夫

NHKスペシャル 新ジャポニズム 第6集 千家十職 “茶の湯”の求道者たち

千家十職、ということばは知っているが、具体的に、何と何と何と……ということの知識はない。

番組の意図としては、京都に江戸時代(それより、少しさかのぼるか)から続く、茶道関係の職人の仕事、ということであり、また、茶道に魅力を感じている、外国の著名人、ということになっていた。

職人の仕事ということならば、もうちょっと幅を広げて取材してもよかったかと思う。例えば一閑張。その技法のことが中心だったが、材料の和紙が何を使っているのか(どこの誰が漉いた紙であるのか)、その紙の材料の楮などは誰が栽培しているのか、漆はどこのものを使っているのか……職人の世界は、今の時代のことばいえば、サプライチェーンがいかに構築されているか、その継承はどうなのか、ということが課題かと思っている。(確か、国内で、漆を採取するための特殊な鎌を作れる鍛冶屋さんが、もういなくなるというような話しをきいたことがあるのだが、はたしてどうなるのだろうか。)

極限までシンプルであることを追求するというところに、美、を見出すということは理解できることである。ただ、これも見方によっては、美とか、技術とか、実用性とか、ということさえも無駄なものと観ずる世界にいたるのかとも考える。(ここで、強いて思うとすれば、民藝、のことになるが。)

茶道の追求するものと、職人の仕事、ということは、無関係ではないが、とりあえず分けて考えておいた方がよかったかもしれない。

抹茶が世界でブームになって、日本国内で品薄、値上がり、という話しは、ニュースなどで見る。抹茶に加工したり、あるいは、煎茶でも高給なものは、そう簡単に増産できるというものではない。(高校生まで、京都の宇治市に住んでいたのだが、もう今では、宇治市は宇治茶を大規模に栽培できるところではなくなってしまっている。私の子どものころまでは、家の近所に茶畑があったものであるが。)

どうでもいいことかとも思うが、登場していた職人さんたちの名前の示し方に揺れがあった。何代目の~~、とあることもあれば、それに並べて名前(おそらくは戸籍上の名前)が表示してあることもある。これは、京都の老舗などで、代々、同じ名前を継いでいるような場合は、戸籍上の名前を、変更することが可能だから(家庭裁判所の仕事)、その手続きをしているかどうか、ということの違いであると、思って見ていた。

高桐院が映っていた。大徳寺の塔頭の一つである。閑静な、雰囲気のいい寺である。たしか、細川ガラシャの墓があったかと憶えている。

2025年12月10日記